名無しスズメと猫目尼僧

めけめけ

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第2章 猫目の怪異

第18話 昌平橋

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 幽霊坂を下り切り、昌平橋を渡り、右に行けば秋葉原方面、左に向かえば御茶ノ水方面に出ることができる。昌平橋は関東大震災が起きる約半年前に鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け替えられたおかげで、地震の被害が少なかった。復興にあたり、復興局が昌平橋に接続する道路を幹線道路に指定されたため、橋の再整備が行われ、神田川の下流側に人道専用橋を架設した。

「それでな、剛よ」
 羽佐間剛のかつての学友であり同郷の友、長谷川幸太郎は街の案内を身振り手振りで説明しながら歩く。
「西側の橋、つまり今渡ったあの橋は、一度軌道橋に改築して都電を通したのだが、さらに交通事情が変わってこいつも人が渡る橋に改修したというわけさ」

 剛には幸太郎の熱意は伝わったが、東京に出ていたばかりで何もかもが真新しく、そこがかつてどんな姿かたちをし、人の往来や電車がどう通っていたのかを想像することは難しかった。

「兎に角すごい物だなぁ。昨日電車が通っていたと思えば明日には人の道、自動車の道になる。古い物が次々と建て壊され、新しくなっていく様は、田舎暮らしではなかなか想像が難しい」

 それを聞き、幸太郎は更に嬉しそうな顔をして話を続ける。
「おうよ! 街は生き物、人の流れ、物の流れ、時代の流れ、そこに暮らす者、営む者、訪れる者によって姿かたちを変えていく。そしてまさにそれを体現しているのがビルヂングや橋や道路よ。俺はそういう建築物が好きなのだ」

 剛は幸太郎が震災直後の東京に静岡の田舎町から上京し、何を見て、何を感じ、どう思ったのか。それによってどう成長し、何を成し遂げようとする人になったのかに思いを馳せ、返して自分はまだスタートラインに立ったばかりであることに、多少の引け目を感じていた。
 それと同時に今回、自分が向かい合おうとしている事象についても一筋縄ではいかないことを危惧していた。

「つまり物も人も移り変わるのが急速度で進んでいるこの東京では、わずか1年や2年前のことでも正確に知ることが困難という可能性を秘めているわけだが、地図は一新し、人も移り、記憶は風化し、記録は必ずしも正しく残されていない場合もある」

 幸太郎は少し考え、そして大きな声で笑った。
「心配するな。俺が付いている。それにお前の知識があれば、なにを恐れることがあるものか」
 あまりに楽観的な幸太郎に剛は意地悪を言ってみたくなった。
「その割には、"祟り"と言う非科学的なものに対しては、ずいぶんと消極的ではないか。幸太郎」

「俺は怖くない」
 幸太郎は即答する。

「俺に祟りは効かん。だが土を掘るのも、地を成らすのも、杭を打つのも、全部俺がやってできるわけはない。部下や職人を使って、そこに何かあったら、それこそ末代まで祟られるわ」

 愚直さと言うには、あまりにも高貴なその振る舞いに、剛はこの男なら時代が時代なら一国一城の主に相応しい器の人物であったに違いないと感心したが、同時に不安も感じた。
「ひとつ忠告しておくが、幸太郎、祟りなんてものはこの世に存在しない。しかし、存在しないものがあるということは、あるということなのだよ」

 剛は幸太郎の身を案じ、想いのままを口にした。
 幸太郎はしばらく考えてから穏やかな口調で答えた。
「何を言っているのかはわからんが、何がしたいのかはだいたいわかるつもりだ。つまり気をつけろ……ということだな。剛よ」

 剛はひとつ頷き、それから首を横に二回振って歩き出す。
「何に気を付けていのかがわからない者に、どう気を付けられるかを教えてくれ。俺はお前のそういうところが危なっかしくて見ておれんのだ」
 幸太郎はキョトンとした顔をしながら、剛を眺め、すぐに先に進む剛に駆け寄る。
「それはお前が教えてくれると思っているから心配はしていない。それより剛こそ俺より先に歩いてどこに行くつもりだ。こんなところで迷子になってもつまらなかろう」

 剛は思わぬ反撃に少しだけ大声をだしたい気持ちを抑えた。
「迷子に等なる者か、東風亭から幽霊坂までの道は覚えているから、あとは人に聞けば……」

 剛はいったん足を止め、腕組みをし、右手で顎を触りながら下を向いき、ブツブツと独り言を始めた。幸太郎は剛に話しかけようとして、それを止め、しばらく剛の様子を眺めていた。

「なるほど、そういうことなのかもしれない」
 剛は何か思いついた顔をし、そして低く、ゆっくりと語り出した。

「幽霊坂という地名は、実際それほど珍しくないと記憶しているが、このあたりに、いや、どこでもいいのだが、他に幽霊坂を知っているか? 幸太郎」
 幸太郎は素直に応える。
「ああ、確かに珍しくはないし、俺もどこその幽霊坂を歩いたことがある、いや横切ったのか。いずれにしても珍しくもないが、名所があるわけでもなし、人々の口の端に乗ることも、まぁないか」

「つまり……」
 剛は、顎に置いた右手の人差し指をゆっくり上にあげ、メガネの位置を治す。

「もし僕が、通りすがりの人に、幽霊坂はどこですかと聞いたときに、知っている人はどれほどいるのだろうか。もしかしたら、ほとんどの人はあの坂の名前が幽霊坂であることを知らないのではないだろうか。それこそ昔からここに住んでいる者ならともかく、震災後の東京は人の流れも激しい。なんの言われもない、それこそ祟りも伝承もないような坂のことを、幽霊坂と知る人も少なかろうし、知っていてもそう呼ぶ人も少ないのではないか。地元の人が町が生まれ変わって行く中、わざわざ物騒な名前で呼ぶことをするだろうか」

 幸太郎は剛の言葉をしっかりと受け止めて反芻し、そして自分が剛に話した『噂話』の内容に思いが至った。
「おお、なるほど、そういうことか。そもそもあの坂を幽霊坂として知っている人間が少ない物を、どうして今更その名と、そこに化け猫がでるという話になったのか……そこがおかしいと剛は言うのだな」

 剛は幸太郎の返事をききながら、頭の中ではまったく別のことを考えていた。
「たまたまあの場所だったのか、それともあの場所こそに意味があるのか、或いはそこに繋がる道なのか、建物なのか……建物、洋館、取り壊し……」

 また剛はブツブツと小さな声でつぶやき始めた。
「……まずは行って見て、歩いて、そしてもう一度繋げてみるとするか」

 剛は考えるのを止めたらしく、すたすたと歩きだす。
「おい、だから、どこに行くのかわかっているのか。剛よ」
「ああ、多分、いや、まったく……そう、なんとなく、か」
 幸太郎は剛が何かを掴みかけ、そしてその推論や仮説に従って自分の知らない目的地にたどり着こうとしていることに気付き、剛に尋ねた。
「案内をせずともいいのか、それともしたほうがいいのか」

 剛は幸太郎をみやってにやりと微笑み、そして続けた。
「幸太郎、知らない物の探し方というものも、あるのだということが分かった気がするが、実践するにはまだ不十分だ。案内をしてもらおうか」

 幸太郎は「おう」と一言いい、二人はしばし無言で歩いた。

 向かう先はこれから幸太郎が取り壊しの工事にかかろうとしている古い洋館である。

 人はその洋館のことを、椿邸、または猫屋敷と呼ぶ。

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