【完結】彼女の前世がニホンジン? このままでは婚約破棄しかない!

さんかく ひかる

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29 最初で最後の夜

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 メアリとこのダイニングで、何度も二人きりのディナーを過ごした。
 太子宮の料理人たちは、いつも以上に腕を振るってくれた。
 蝋燭の灯りの元でいただくロブスターのスープに牛フィレ肉のポワレ。
 微笑みをかわし、味を噛み締める。
 今夜が二人最後のディナーになるのか?

「メアリ、ついに僕もロマンス小説を読んだよ」

 あえて、軽い話題を提供してみせた。

「えええ! 殿下はそんな小説を読んではいけません!」

「どうして? 君は好きなんだろう?」

「男の方、ましてや殿下のお立場の方は、読んではいけません」

 メアリは頬を膨らませた。

「君の好きなテイラー女史の『売られた花嫁』、面白かったよ。むず痒くなる場面ばかりと思っていたら、工業化による農村の過疎化問題が取り上げられて、読み応えがあった」

「そうなんです! テイラー先生は恋愛だけではなく、社会の矛盾を鋭く指摘されるんです! 目に浮かぶような描写は美しいし、先生は博識な方なので、歴史や文化の勉強にもなります」

 ようやくメアリの心からの笑顔が見られた。ずっと見ていたいその笑顔。でも明日になったら、見ることはできない。

「君は、ドニゼッティがマゼッタに迫る場面が、好きだと言っていたね」

「やめてください! ですからあの小説は、殿下の読む本ではないんです!」

 メアリの頬が、ドレスと同じ色に染まっている。ずっと他愛もない会話を続けたい。

 デザートはイチジクのコンポート。メアリはどの皿にも、一口ごとに笑顔を見せる。
 ついにエスプレッソが出てしまった。


 ダイニングを後にして、僕はメアリに囁いた。

「僕の部屋に行こうか」

 当然だが、今までメアリを寝室に入れたことはない。
 恥ずかしそうに俯く彼女の手を取って、寝室への廊下を進んだ。
 廊下の中ほどで、侍女が声をかけてきた。

「メアリ様の入浴のお支度させていただきます」

 入浴だと? 生々しい話に僕は首を振った。

「い、いや、いい! まだ彼女と話すことあるから」

「かしこまりました。では終わりましたら、お申し付けください」

 侍女が意味深な言葉を残して、消えた。
 寝室にたどり着く。
 僕は、俯いたままのメアリを抱き寄せ、自らドアを開けた。


「殿下のお部屋は、初めてですね。ずっとこちらで過ごされたのですか?」

「いや、大学入学時に成人ということで、この太子の宮に移った」

「『アーキス・トレボーの真実』『四元素論の見直し』……殿下らしいですね」

 メアリは、書棚の本の背表紙を見つめている。
 書斎は別にあるが、寝る前に読みたい本を並べているうちに、棚が埋まってしまった。
 セバスチャンが『メアリ様は、殿下の退屈な話によく付き合われる』と感心していた。

「今度は、テイラー女史の新作を加えることにしよう。主人公は魔王ネクロザールか」

「ですから、先生の小説は、殿下が読む本ではありません!」

 口を尖らせるメアリも可愛らしい。
 彼女を壁際のソファに導いた。

「君のお父上とお母上は……君の気持ちを知っているのか?」

「はい。婚約破棄については、殿下とよく話し合おうように、と言われました。破棄が認められれば、前世の公表は好きにして良いと。ただし屋敷を出ることは反対されています……」

「ペンブルック伯夫妻は、君を愛している。だから、夫妻を悲しませることはしないでくれ」

 メアリは、寂しげに首を傾げている。納得していないようだ。

「前から聞きたかったが、メアリが屋敷を抜け出しクマダ博士の研究室に行った時、ノーサンバレーの駅で、メイドたちが君を見失ったそうだね。どんな技を使ったのかい?」

「あの時は本当に申し訳ありませんでした」

 肩を窄ませるメアリの背中をさする。

「責めているわけではないよ。感心しているんだ」

「そ、それは……ノーサンバレーの駅に女性用のトイレが新しくできていたので、中で、博士の元へ行くときにいつも着る、下男の服装に着替えました」

「そこからひとりで列車に乗って、王都に戻り大学まで行ったのか。いくら男装をしていても、怖かっただろうに」

「前世では、たまにひとり旅をしていました」

「女性がひとりで旅を? 危険ではないのか? 君の世界ではそれが当たり前だったのか?」

「日本は治安がいいので、危ないところに近づかず真夜中に出かけなければ、女ひとりでもそれほど危険ではありません。ただ、ひとりで観光スポットに行くと、周りはカップルや家族連ればかりなので、孤独が身に沁みました」

 メアリが肩をすくめていたずらっぽく笑った。

「君はひとりで旅を楽しんでいたのか。他に、どんなことを楽しんでいたんだい?」

「……コンビニ限定のサツマイモスイーツが美味しかったかしら。他には、交番に携帯電話届けたらお礼状が来て、痴漢から助けてくれたおばさまがいて、弟とは仲悪かったけど姪っ子は可愛くて……取るに足りない人生でしたが、思い返せば小さな喜びがたくさんありましたね」

 ブルネットの豊かな巻き毛に、僕は指を絡ませる。

「君の前世は、取るに足りない人生ではない。裕福ではなくても高貴な男が傍にいなくても人生を楽しんだ、心豊かな女性だったんだね」

 途端、メアリは悲しげに顔を歪ませ、僕の腕にしがみついてきた。

「ああ殿下……いえ、もう一度ロバート様と呼ばせてください。今だけは、あなたの……ただの恋人でいたくて……はしたない女と軽蔑してください……」

 ローズ色のドレスは、メアリの想いを叶えようと夫人が見立てたのだろうか。
 僕と彼女の最初で最後の夜。
 僕は勇者セオドアの末裔で、エリオン教を守る使命がある。
 結婚とは聖なる誓いで、口づけは聖王の祝福を得てから許される……この状況でそのような誓いを、どうやって守れよう。

 彼女の大好きなロマンス小説を思い出す。あの物語では、男女がよくわからない喧嘩をしていた。が、喧嘩のさなか、男が突然女を抱き上げるのだ。

 真似をするつもりではないが、僕はメアリの腰と膝の下に腕を回した。彼女の両膝を伸ばし、僕の太ももの上に乗せる。そのまま腰をゆっくりと浮かせる。
 お、重い……が、絶対に口にしてはいけない。ふらつきながら、なんとか立ち上がる。

「ふふ、お姫様抱っこって、ずっと憧れていました」

「前世から?」

 メアリが首にしがみ付く。
 しかし、腕と腰にのしかかる重量で、僕は立っているのが精一杯だ。どうやったら一歩を踏み出せるんだ?
 彼女は背が高く、ことさら華奢というわけではない。背の低い僕と、重さはさほど変わらないだろう。

 ロマンス小説では、抱き上げられた女は、男の腕の中で叫び暴れていた。しかし男は女の抵抗をものともせず、階段を上り寝室のベッドに女の体を放り投げるのだ。
 信じられない。
 やはりあれは、小説の出来事だ。普通の男ができる技ではない。

 ふらつく僕にメアリは危険を感じたのだろう。
「ロバート様、申し訳ございません。私、太りすぎました」と泣きそうな声で呟く。情けないが、僕は彼女を床に降ろした。
 彼女は華奢ではないが、太っているわけではない。僕が非力なだけだ。
 女性に恥をかかせるなど、国民の規範どころではない。ネールガンドの一男子としてあってはならない。
 父は正しかった。学問ばかりではなく、勇者セオドアの末裔として身体を鍛えるべきだった。

 こんな情けないまま彼女と終わるのは、絶対に嫌だ!
 思い出せ。女史のロマンス小説を。
 多少強引な方法で、男女は夜を共にする。すると女は、あれほど反発していたのに、男と過ごした夜が忘れられなくなるのだ。
 そうだ。
 メアリだって明日の朝になれば、気持ちが変わるかもしれない。

 僕らは並んでベッドに腰を下ろした。
 口づけを繰り返し、彼女をそのままベッドに押し倒そうとすると「あ……ドレスが皺になるから」と阻まれた。
 メアリは後ろを向いて、手を首の後ろに回し、もそもそと指を動かした。このドレスを脱ごうとしているのか。
 背中に小さなボタンがいくつも縫い付けられている。これをひとつひとつ外せばいいのか。

 寄宿舎生活をしたことがあるので着替えぐらい一人でできるが、人の服を脱がせるのはまた違う。
 後ろのボタンをいくつか外したところで、彼女の白い背中とコルセットが現れた。
 このコルセットはどうやって外すんだ? そのままでいいのか?
 ここから先、どう進めたらいいんだ?

 こんなことなら、侍女にメアリの入浴の世話を頼めばよかった。
 テイラー女史の描く男は、いつのまにか女から衣を剥ぎ取っていた。具体的な手順は描写されていない。
 メアリは、女史の小説の描写が細かいとか勉強になるとか言っていたが、嘘だ。肝心な時に、全然役に立たないじゃないか!

「ロバート様……私、こうしていられるだけで、幸せです」

 肩をむき出しにしたメアリが振り返り、僕に頭を寄せてきた。
 ただ寄り添うだけが、僕と彼女の最初で最後の夜?
 彼女は、誰かの希望になりたいがために、僕の妃の座を捨てるという。どこにいるのかわからない、見ず知らずの転生者のために。

「どうしても行くのか?」

 僕の腕の中で小さく彼女は頷く。
 彼女の夢の「お姫様抱っこ」は失敗し、テイラー女史の描く男のように、女の喜びも与えられない。
 惨めなこと、この上ない。
 それでも僕は諦められない。彼女を離したくない。どんな手段を使っても。

「君がどうしても僕から離れると言うのなら、最後に伝えたいことがある……両親にもセバスチャンにも明かしていない、僕の重大な秘密だ」

 僕の婚約者は、眉を寄せ身構えた。剥き出しの白い肩が震えている。
 形の良い耳に唇を寄せた。

「僕は、君に会う前……ずっと前から『ニホン』を知っている」
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