狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

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3章 幸せの形は人それぞれ

37話 文通

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晴柊は寝室に響く物音で目が覚める。外から壁が叩かれるような音が響いていた。そういえば外壁工事が始まったのだった、と晴柊は寝起きの頭を巡らせた。晴柊は何も考えないまま、ベッドから起き上がると、高層マンションの外から音が鳴る不思議さに、好奇心に負け窓側に立った。そして、カーテンをシャッと勢いよく開けてみる。


「わっ…!」


晴柊は思わず声が出てしまった。その大きな窓の外には、ヘルメットを被りゴンドラに乗って作業する一人の青年がいて、思いっきり目が合ったのだった。まさかこんな正面に人がいるとは思わなかった晴柊は、思わず驚きから声が出てしまう。反射的に声が漏れる口を自分の手を当て塞いでいた。この声は届いているのだろうか。男にまじまじと見られ、晴柊は恥ずかしいのと気まずいのとで、すぐにカーテンを閉めようとしたときだった。


男が何か言いたげな表情をしていることに気付く。しかし、晴柊には何も伝わらない。何か喋っているようだがこちらには声が届いていない。中々このガラスは音を通さないらしい。晴柊は首を傾げると、寝室のドアがノックされた音が聞こえる。突発的にこの状況を見られるのはマズいと思った晴柊は、すぐにカーテンをしめた。


「はるちゃん~おはよう。なんか声がしたからどうしたのかなって。」

「お、おはよう。悪い夢でも見てたのか、飛び起きちゃったみたい。」


晴柊は今日の当番である榊にとっさに嘘をつくと、はは、と苦笑いする。榊は疑う様子もないようだった。びっくりしたなぁ、と晴柊は思いながらリビングにでると、昼間にも関わらずカーテンが閉め切られていた。工事の人達から中を見られないようにするためだろう。


「日光浴びれないって嫌だよねぇ~。ここのカーテンちゃんと遮光カーテンだし。工事いつ終わるのかなぁ。」


榊が晴柊の朝食を準備しながら嘆いていた。昼なのに室内の電気に照らされている様子は確かに夜を彷彿とさせ、まるで太陽がない世界のようだった。


晴柊は作業員の青年と急に目が合ったことだけに驚いていたが、その青年は違った。最初は確かに晴柊同様、急に住人が窓の向こうに現れたことに驚いていたのだが、次に晴柊の姿に見惚れ、そして違和感を覚えていたのだった。一瞬女性かと思いその薄着姿にすぐに目を逸らそうとしたが、男であるということに気付き見惚れてしまっていた。しかし、すぐに晴柊を繋ぐ首輪と足枷に目が留まる。まさか、犯罪に巻き込まれているのではないのか、と声を掛けようにも向こうには声が届いていないようだった。


そしてそのまま晴柊がカーテンを閉めてしまった。少し離れたところで別のゴンドラに乗り作業していた青年の上司が、「何かあったのか」と声をかけた。青年は、晴柊のことを伝えはしなかった。こういう作業において、住人のプライバシー問題は口酸っぱく日ごろから指導されている。啓は上司に相談することをやめた。


「なんでもないっす。」


しかし、いわゆる好青年である男は、下心を抜きにしても晴柊のことが放っておけなかった。また明日接触してみよう、何かあってからでは遅いのだから、と、今日は大人しく作業を続けた。しかしずっと、晴柊のことが気がかりであった。



次の日、晴柊は早朝に目が覚めた。琳太郎のアラームが鳴ったのである。時刻は7時頃で、昨日寝たのは3時くらいだったので、晴柊はまだ寝たりなかった。


「もう仕事行くの…?」


眠たい目をうっすらと開け、ベッドから起き上がった琳太郎を見た。


「工事の音が鳴り始めると嫌でも起きるからな。お前はまだ寝てろ。」


琳太郎が晴柊の頭にそっと手を置いた。ベッドの中は少し温度が下がったように冷たくなったけど、その手が不思議と温かかった。どうせならいってらっしゃいとお見送りしてあげたかったのだが、晴柊の眠気が勝つ。晴柊がよく寝てよく食べる様子が琳太郎は好きだった。


次に晴柊が目を覚ましたのは9時ごろだった。9時は工事が始まり物音がし始めるときである。晴柊にとっての目覚ましになりつつあった工事音に体を起こし、伸びをした。3度寝に入ろうかな、と考えていた時だった。窓ガラスを外から「コンコン」と、ノックされる。カーテンが閉め切っているから外の様子は全くわからない。しかし、ドアのノック音ではなく間違いなくあの窓から鳴った、と晴柊はどうしようかと戸惑っていた。


昨日の一件もそうだが、晴柊は琳太郎に言えないことはできるだけしたくなかった。隠し事はやましいことがあるから、と見なされても仕方ない。しかし、晴柊にとっては勿論悪いことを考えているわけではない。となるとこれ以上余計に関わることはよくないであろう。


琳太郎は晴柊に対して強い執着心を持っている。晴柊自身もそれを理解しているが故に、余計な心配事をわざわざ増やすようなことは得策ないであろうと伝えないことを決めた。別に、何かあったわけではなく、ただ姿を見られただけなのだから。晴柊のこの甘い判断が、後に間違っていたと気付くことになるのは、そう遠くはない未来であった。


もう一度、窓をノックされる。晴柊は頭を悩ませる。しかし、姿を見られてしまっている。自分のこの格好を見れば、監禁されていると通報されてしまうかもしれない。間違ってはいないのだが、最早晴柊にとっては「同意」でもあるこの監禁生活。そして、琳太郎に迷惑を掛けてはいけないと、連れてこられてきた時とは全くの真逆の気持ちを晴柊は持っていた。


そっと窓際に寄ると、晴柊の姿だけが見えるくらい少しだけカーテンを開ける。そこから日差しが入り込んできた。眩しさに少し目を細めると、そこにはやはり昨日と同じ青年がいた。彼は仕事中と他の人の目を気にしているのか、作業をしつつも、そっとメモ用紙を見せてきた。


”犯罪に巻き込まれていますか。通報しましょうか。”


その文字を見て、晴柊はぶんぶんと頭を横に振った。晴柊も答えたかったのだが、生憎ペンとメモ用紙を持ち合わせていなかった。晴柊の反応が予想外だったのか、青年は少し驚いたような表情をした後、怪訝そうな顔をした。


”でも、その首輪と足枷は普通じゃない。”


男がペンを走らせ、次のメモを見せてくる。それはそうなのだが、晴柊と琳太郎の関係は最初から普通ではないのだ。そして、それを晴柊は今受け入れている。なんとか伝えたいのだが、伝える術がなかった。向こうもそれを承知している様だったが、頑なに晴柊が大丈夫という反応をするので困った様子だった。


”俺はケイ。君の名前は?”


ケイと名乗る青年は、話を続けてきた。晴柊はどうしようかと迷ったが、変に逃げてしまえばこれ以上に誤解を生むと思ったので、晴柊は答えることにした。窓ガラスに口を近づけ、はぁっと息を当てる。晴柊の顔が近くなったことに、青年は少し顔を赤くしたように動揺した様子を見せた。白く曇ったガラスに、晴柊は指で文字を書いた。

”ハルヒ”

反転してしまってはいるが、読めたようだ。


”また明日来る。きっと俺の存在は知られてはいけないだろうから、もし一人のときはカーテンを少し開けてくれ。”


青年は晴柊が無理やりこうされていると思っているため、彼の中の「自分を監禁する悪いヤツ」のことを気に掛けるような言葉を残すと去っていった。晴柊はカーテンをそっと閉める。正直、困っていた。


琳太郎に話すべきだろうか。でも、晴柊にとって彼を利用して脱走する魂胆すら浮かぶこともなかったので、ここは明日誤解を解いて穏便に終わらせようと晴柊は考えた。
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