四本目の矢

南雲遊火

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第四話 言の葉の呪い

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 隆景の元から下がり、少し離れたところで、緊張から解放された就辰の腰が、砕けるようにへたりこんだ。

 自分でも、情けないとは思う。けれど──。

(まさか、知られていた……とは……)

 加冠の儀を終えたその日、就辰は烏帽子親であり、仕えるべき主である元就が、自分のであるという事を、元就本人から聞かされた。

 正直、今でも信じられない──というよりは、信じたくない・・・・・・と言った方が、就辰の気持ちに近い。

 故に。

 就辰は聞かなかった・・・・・・ことにした。
 元就も、就辰の気持ちを汲んで、そのように・・・・・扱ってくれている。

 就辰は、二宮春久の子として毛利に仕える道を選び、周囲にはこれまで通り、秘密を貫き通すことにした。

 だが。

隆元太郎様……)

 彼は違った。
 就辰が事実を知るより前から、就辰の事をことあることに気にかけ、大切にしてくれた人。

「兄と、呼んでくれないか?」

 彼のそのささやかな言葉願いを、就辰は断った。断り続けた。
 何度も、何度も、何度も、何度も──。

 隆元は、就辰が事実を、なかなか受け入れられないことを理解し、就辰の気持ちを尊重してくれていたのだが、しかし、そのたびに、傷ついたようにちょっと落ち込む彼の顔が、就辰は今でも忘れられない。

 でも、隆元は何の前触れもなく、あっという間に逝ってしまった。
 一度として、就辰が彼の事を「兄」と呼ぶことは無く──また、その機会を、就辰は永久に奪われてしまった。

「兄と、呼んでくれないか?」

 故に、その言葉は──就辰にとって、となった。
 就辰の、後悔・・とともに。


  ◆◇◆


(なんだありゃ……)

 兄と使者殿の様子が気になっていた宮寿丸であったが、元就の使いだというその若い男は、兄の部屋から既に退出していたのか、ぺったりと、薄暗くなりつつある廊下に座り込んでいた。

「おい、どうした」
「あ……」

 顔をあげた使者──就辰の顔色は悪く、それでも、彼は首を横に振る。

「な、何でもない……」
「そうか」

 宮寿丸はあっさりと引き下がり、彼を通り過ぎて、隆景の部屋へと向かおうとした。
 ──が。

「とっとと郡山城に帰れ」
「……は?」

 通り過ぎざま、突然宮寿丸から投げかけられる言葉に、思わず就辰は言葉を失う。

「お前の事は、父上からの手紙で知っている。随分と媚びへつらって、あの父に気に入られているようだが、そんなこと、俺には関係ないし、俺は知らん」

 フンッ……と、ふてくされたようにそっぽを向き、ドスドスと音をたて、宮寿丸は隆景の部屋へと向かっていった。

 確かに、あの様子では、自分が元就の子異母兄であることは、本当に知らないようではあるのだが。

御屋形様あの人は一体、自分の事を、何と書いたのだろう……)

 思わずポカンと口を開き、就辰は宮寿丸の背中を、座り込んだまま見送った。


  ◆◇◆


「かーげーさーまー!」

 先ほどまでの、就辰に対する、ツンケンとした態度はどこへやら。
 宮寿丸は、じゃれつく猫のように兄に飛びついた。

 勢いよく部屋になだれ込み、集中力をかき乱された隆景は、いつものことではあるものの、げんなりとした表情で、大きなため息を吐く。

「四郎……又十郎じじさまの言う事をきいて、良い子でお留守番していなさいと、言いましたよね?」
「? 四郎は良い子にしていましたよ?」

 一体、何を言っているのですか? とでも言いたげな態度で、宮寿丸は首を傾げた。

「……又十郎と兵部が、四郎が妙な格好で城を抜け出し、城下町を歩き回ると、嘆いていましたが」
「そうですかげ様! 聴いてくださいよ! じじさまたちってば、俺にで勝てないからって、すーぐ力技に出るんですよ!」

 筋骨隆々、武勇轟く乃美二人祖父とその従兄弟に、ひょろっひょろの宮寿丸が勝てるはずもなく、宮寿丸は悔しそうに、頬を膨らませる。

「女装はもちろん、策です! 景さまいつも言ってるでしょう? 頭を使えって」
「……何のための、策なのです?」

 兄の問いに、一瞬、宮寿丸は息を飲む。それは、よほど細かいところに気がつく繊細な人間以外は、気づかないであろうほどの、ほんの一瞬のこと。

 しかし、話し相手の隆景は、残念ながらその『繊細』な部類の人間であった。

「それは……たとえ景さまでも、教えられません!」

 兄に何か隠していることが、薄々バレたことを、たったあれだけの会話の中で、宮寿丸も察したようだが──開き直る弟に、兄は呆れる。

「秘密だからこその、策なんです!」

 宮寿丸は、得意げに、持論を展開した。

「そんな事よりも景さま。お願いがあるのです」
「お願い……?」

 先ほどまでの調子とは、打って変わり、宮寿丸は真面目な顔で、深々と頭を下げる。

「はい。尾道に用があり、明日から十日ほど、留守にしたいのです」
「……それも、理由は秘密・・、なのですね」

 もちろんです! と、ふんぞり返る宮寿丸に、はぁ……と、隆景は小さくため息を吐く。

 宮寿丸の度胸と頭の回転は、正直言うなら独特・・で──兄というより父代わりとして、これまで彼を育ててきた隆景にとって、それは頼もしい成長であるのだが、同時に頭の痛い話でもあった。

 隆景が「だめだ」と止めたところで、この元服前の未成年は、なんだかんだでそれらしくもっともな言い訳を考え、勝手に出て行ってしまうだろう。

 かといって、宮寿丸の警護に、乃美の二人をつけることはできない。隆興には、別の用件を言い渡す予定だし、宗勝は警護のため、城から出すわけにはいかなかった。

 どうしたものか……と、隆景が眉を顰めたところで、ふと、の顔が、よぎる。

「ふむ……いいですよ」
「本当ですか!」

 喜ぶ宮寿丸に、「そのかわり!」と、隆景は一つ、条件を付ける。

「それは……ですね」


  ◆◇◆


 かくして。

「……なんで、了承してんだよ」

 先日同様、女性の小袖を身に纏い、ふてくされる宮寿丸。

「……こっちだって、断りきれない、諸々の事情があるんですよ。坊ちゃん」

 微妙な顔の就辰が、大きなため息を吐きながら答えた。

「はいはい、ケンカしない」

 にこやかに隆景が、間に割って入った。

「余次殿の目的は、父上と大方様に、宮寿丸の観察とその報告という事なので、一緒についてってもらう事にしました。こちらの求める保護者もついて、一件落着ですね」

 我ながら妙案とでも言いたげな隆景に、反論できない宮寿丸は、がっくりと肩を落とした。
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