涙溢れて、恋開く。

美並ナナ

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10. 本気の難しさ(Side千尋)

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俺は反省していた。

あのスーツショップに行った日に自分勝手な感情で彼女にキスをしてしまったことを。

そしてパリで彼女のファーストキスを軽く奪ってしまったこともだ。

あの時はただ下心だけで、ゲーム感覚で女の子を口説いていた。

彼女に対してもそういうつもりだった。

女の子にとってファーストキスは大切なものだろうと思う。

知らなかったとはいえ、あんな軽々しく下心の延長でしてしまって今は申し訳なく感じる。

スーツショップの時は下心ではなく、本気ではあったけど、「キスくらい」という気持ちが確かにあった。

彼女に対してあんなに軽々しく接するべきじゃなかった。


ぶっちゃけ俺は女性経験は多い方だ。

色んな女の子を口説いたし、ベッドを共にした。

女の子の扱いには慣れていると思う。

ただ、今まで相手にしていた女の子はそれなりに遊んでる子ばっかりだった。

口説くのも寝ることが目的だ。

だから、彼女みたいな子、なおかつ本気の相手は初めてでどうしたらいいか正直分からない。

今までの自分のやり方が全く通用しないし、通用したとしてもそれをするのは彼女に失礼だとも感じる。

 ……振り向いてもらえるように動くとか言っといて情けないな。


もはや彼女が特別すぎて、どう接していいか分からず、仕事で接するのみになってしまっていた。


◇◇◇

「千尋、悪い。大塚フードウェイのレセプション、出席厳しくなった。リッカビールとの契約の件で会合が重なったわ」

来週にレセプションを控えたある日、社長室に入ってきた健一郎からそう申し出があった。

大塚フードウェイからの招待状は2名分だ。

2名で出席するのがベストだろう。

社長の俺と共に出席するのだから、そこそこのポジションの者が望ましい。

その点で専務であり、コラボの時の担当者だった健一郎は適役だった。


「リッカビールの件ならしょうがないね。健一郎の代わり、どうするかなぁ」

「蒼太は?アイツなら大塚フードウェイの関係者だし、役職なくても適役だろ」

「確かにね。並木くんに声かけてみるよ」

「もし蒼太がダメだったら、詩織ちゃんに同行してもらえば?社長秘書が同行するってのなら他の社員が行くより自然だろ」

健一郎の意見はもっともだ。

とりあえずまずは並木くんに意向を聞くことにし、彼を呼び出した。

「失礼します」

「並木くん、忙しいところごめん。とりあえずそこ座って?」

社長室にやってきた並木くんに応接用のソファーに掛けてもらい、俺は対面に座った。


「来週大塚フードウェイの創業100周年パーティーがあるのは知ってる?」

「ああ、はい。姉もその準備で忙しくしてるようなんで」

「そうなんだ。お姉さん、あそこの常務の奥さんだもんね」

「いや、忙しくしてるのは広報部の社員としてみたいですけどね。妻としては全面に出ないらしいです」

並木くんのお姉さんは、大塚フードウェイの御曹司で常務の大塚亮祐おおつかりょうすけ氏の妻であると同時に、そこの社員でもあるのは周知の事実だ。

俺は会ったことがないけど、健一郎曰く、かなりの美人らしい。

まぁ並木くんも容姿端麗だから不思議ではない。

「そのパーティーに当初は俺と健一郎で出席する予定だったんだけど、健一郎が別件で急遽難しくなってさ。で、可能なら並木くんに俺と一緒に出席してもらいたいんだけど、どう?」

「なるほど、そういうお話ですか。社長からのご依頼なんでぜひ!と言いたいところではあるんですけど……すみません、今回は見合わせさせてください」

「理由を聞いても?」

「身内のパーティーが別途あって、俺はそっちの方で招待受けてるんです。なので会社の方は別の方にと思いまして」

「そういうことね」


姉の夫である亮祐氏とも交流があると聞くし、身内のパーティーに呼ばれるのも納得だ。

それなら取引先向けのパーティーは見合わせたいという彼の言い分は当然だ。


 ……となると、詩織ちゃんに同行を頼む形が良さそうだな。


私情は捨て置き、俺は冷静にそう判断を下す。

あとで彼女に依頼をしなければなと頭の中のTO DOリストに加えた。


「じゃあ、たぶん秘書の小日向さんが同行することになるから……」

「事前に小日向さんに大塚フードウェイとの関係性とかコラボのこととかレクチャーしておきますね!」


並木くんは素早く状況を察したのだろう。

俺が求めることを先んじて承ってくれた。

さすがは営業部のエース、察しのいい男だ。

そこで俺はふと健一郎が言っていたことを思い出す。

確か並木くんには最近彼女が出来たという。

しかもコラボの時の大塚フードウェイ側の担当者の一人だったとか。

人の恋愛話が大好きな健一郎が最近のホットトピックスだとか言って、聞いてもいないのにこの前社長室で一人で話していたのだ。


「そういえば並木くん、彼女ができたんだって?」

「……植木さんですか?」

「お察しのとおり」


その一言だけでお互いに共通認識を確認し合う。

並木くんは、はぁと小さくため息を吐くと、少し照れたように笑った。


「社長の耳にまで入ってるなんて恥ずかしいですね。はい、でもその通りです」

「大塚フードウェイのコラボの担当者なんでしょ?それがキッカケ?」

「いえ、実はコラボの件の前に偶然知り合ってて、再会したんです」

「へぇ」


健一郎じゃあるまいし、いつもは人の恋愛なんてあまり興味関心はないのだが、今日はなぜか気になった。

特に”再会した”という点に興味を引かれる。

そこからどうやって付き合うことになったんだろうか。

「じゃあ再会して、割とトントン拍子に付き合うことになったの?」

「それがそうでもないんですよ」

「というと?」

「ずっと飲み友達だったんです。女友達って今までいなかったんですけど、彼女とは妙にウマがあって。でもある時、他の男に取られそうになって初めて自分の気持ちに気付いて」

「気付いて?」

「それで焦って奪いに行きました。もう友達とか言ってられないなって思ったんですよ」


どうやら並木くんも彼女と結ばれるまでに紆余曲折あったようだ。

本気の相手とはみんなそれぞれ大なり小なりドラマがあるんだなと感じる。


「……ていうか、社長がこんなこと聞いてくるなんて珍しいですね」

「そう?」

「しかも植木さんと違って聞き出すのが上手すぎですよ!ついペラペラ喋っちゃったじゃないですか」


こんなに話すつもりはなかったのだろう。

並木くんは少しバツが悪い顔をしている。


「じゃあ小日向さんへのレクチャーは承りましたんで、そろそろ失礼しますね」


そう言って逃げるように社長室を出て行った。

なんだかんだ言いつつ並木くんは彼女と幸せそうだ。

その後ろ姿を見送り、なんだか並木くんが羨ましくてしょうがない。

人の恋愛を羨ましく思うなんて初めての経験だった。
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