あまいの、いくつほしい?

白湯すい

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いつか熟して、あまくなる

したごころ

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 和山は従業員みんなに優しい。それはそうしたほうが業務上問題が起こらないからで、真面目で優秀な自分を演じていたほうが楽だからだ。和山も東と似たようなもので、心を許せる人以外には『みんなが思う自分のイメージ』を演じているのだ。
 その演じるスキルは店舗運営をして人を雇う立場になってからもとても役に立っているし、事実これまでうまくやってきていた。

「それは、上司としての言葉ですか?」
 そりゃそうだろう。和山はそう思う。

 卯月は店で雇った従業員のひとりで、和山にとってはみんなと平等に優しく、働きやすいようにしてやる必要のある人だ。困ったことがあれば頼ってもいい、というのは、それ以上でもそれ以下でもない。

 和山は頭ではそう思っている。
 けれど確かに、言われてみればひどく落ち込んでいそうに見えたからといって、酔った子をいきなり部屋にあげるのは、『みんなと平等に』の範疇は超えているようにも思える。
 例えば同じ販売のアルバイトのひとりがひどく酔っていたとて、金を渡してタクシーに乗せるまでが関の山だろうとは思う。

 ならどうして? そう考えると、やはりあの卯月の弱弱しい不安そうな姿が、かつての自分と重なったからだ、という理由しか思い当たらない。


「ん? なんだ……」
 卯月が返してきた服をしまおうと紙袋をのぞくと、服とは別に小さな包みが入っていることに気づく。
 手に取って開けてみると、それは手作りの焼き菓子とそれに添えられた手紙だった。

『先日はありがとうございました。お礼にパウンドケーキを作りました。
 事務所の冷蔵庫に入れておいたので傷んでません! ご安心ください。』

 小さなメモ帳に几帳面な文字で書かれた手紙がなんだかおかしくて、和山は思わず笑ってしまう。
「律儀なやつ」
 傷んでるかもとか、気にするのはそこじゃないだろ。そうは思うけれど、悪い気はしない。

 ドライフルーツがぎゅっとつまったパウンドケーキ。包みを開けると甘いフルーツと少しのスパイスの香りがふわりと広がる。
「お、うまそう。流石だな」
 こういうスイーツには、すっきりとした浅煎りのエスプレッソと合わせたい。和山は食後の時間が楽しみになった。


 一方で、その夜卯月は部屋のベッドの上でひとり悶々としていた。
「めっちゃ失言……和山さん、あれ聞こえてなかったらいいな……」
 まだ知り合って間もない自分に優しくしてくれる理由なんて、それは自分が雇われたスタッフだからに他ならない。卯月はそう考えていた。

 あの日は、きっとどうかしていた。あんなに楽しくて明るい気持ちになったのは、初めてだったから。大好きな東さんと一緒に仕事ができて、その仲間たちにも認めてもらえて、仕事の話も何気ない会話もすごく楽しくて、穏やかで優しい時間だった。

 誰も居ない、がらんとした部屋を見つめる。じっとして耳をすませても、少し離れたキッチンで冷蔵庫が立てるわずかな機械音が聞こえるだけで、ひどく静かだった。

 ああ、今までどうして気づかなかったんだろう。こんなに寂しいのに、どうしてひとりでいられたんだろう。

 卯月は虚ろな目で誰も居ない空間を見つめながらそう思う。
 この家に、誰かが居た記憶があまりない。おばあちゃんが亡くなってからもうずいぶん時間が経って、悲しいけれど幼かったころの記憶はどんどん薄れていった。この家を満たしている空白と静けさでなにもかも塗りつぶされてしまったみたいに、全部が空虚で朧げだ。

 東の存在が救いだった。甘い洋菓子が小さい頃からずっと大好きで、その中でも東のケーキに出会って世界が変わった。親の勧めで通っていた大学を辞めて、製菓の世界に飛び込んだ。
 そのおかげで今、憧れの人と同じ場所で素敵な人たちと出会うことができた。

 そんなキラキラした場所に入れたのに、その生活のなかでこの家だけが異質だ。この家にはなんでもあるけれど、何もない。

「お菓子は、さすがにやりすぎたかなあ……」
 初めて自分のことを話して、それでもそっと頭を撫でて抱き締めてくれた和山の体温を、卯月は忘れることができない。ぎゅっと抱き寄せる力は優しくて、驚かせないように痛くないようにと気遣ってくれているのがわかった。
 それが嬉しかったから、ただ借りたものを返すのでは気持ちが伝わらないと思ったのだ。

「……引かれてたらどうしよう」
 パティシエ見習いなんだから、作ったものを渡したっていいだろうという気持ちもありながら、普通はきっと手作りのお菓子を急に渡されたらちょっと引くものだろう。そういうことは卯月にもわかる。

 それに本当は、ケーキに込めたのは感謝の気持ちだけじゃなかった。

 抱きしめられて感じたのは優しくされて嬉しい、それだけじゃない。肩に触れた大きな手にドキドキして、顔が近づいた首元からした和山のにおいを感じてどうしてだか唇が震えた。
 このときの卯月が自分の頭ではっきりと自覚していたわけではない。でも確かに胸の中に小さく芽生えたものが何か特別なものだということは感じていた。

 もっと僕のことを見てほしい。この特別な何かを和山さんと同じにできたらいいのに。
 そんな小さな下心入りのケーキだった。
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