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第一章
似た者同士のふたり
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りん、と涼やかな音が鳴る。個人に与えられた執務室の入り口に貼られた幕を飾る小さな鈴の音だ。
そこには、絹のように滑らかな長い黒髪の青年が、見事なほどにぴんと背筋を伸ばし人々の模範のような姿で仕事をしている。筆を走らせる指はすらりと繊細で、書簡に視線を落とし伏せた流麗な目元は誰もが溜め息をつくほどに美しい。白い肌と控えめに色づいた赤い唇、滑らかに伸びる鼻筋、その美しさにはどこにも隙がない。
来客を告げるその音に、さらさらと髪を揺らしながら顔を上げる。
「シュナさま、シュナさま、失礼します」
「何かありましたか、アンミ。あなた、また廊下を駆けてきたでしょう」
この美しき部屋の主はシュナという。この城の周囲の広い土地を統べる君主に仕える軍師の一人であり、主に内政を担当する執政官の地位を与えられた男である。
慌ただしい様子で部屋に駆け込んできたのはアンミ。シュナの側仕えをしている少年だ。いつもシュナが廊下は走らないようにと言い聞かせているのに、どうにも落ち着きのない彼はよくこうして叱られている。
が、今日はそんなお小言も耳に入らないという様子だった。
「それが、おおごとなんです。はやくシュナさまにもお知らせしたくて」
「はあ、お聞かせください」
シュナの小言など気にも留めずに目をきらきらと輝かせて、はやく話したいという気持ちを溢れさせるアンミに苦笑しつつ、シュナは先を促す。
「コハクさまがいらしたんです!」
「コハク?」
はい、と頷くアンミの表情はとても嬉しいと書いてあるようだった。しかし、ぴんときていない様子のシュナを見て、不思議そうな顔をして首を傾げて見せた。実によく表情のころころと変わる少年だ。
「シュナさまは、コハクさまのこと、ご存知ありませんでしたか?」
「ええ……いえ、お名前だけは、何度かクムラ様より聞き及んでおりますが」
はて、誰のことだったか、と記憶を巡ってみたが、思い出すより先にアンミが口を開く。
「クムラさまのご親戚にあたる御方です。確か従兄弟だとか再従兄弟だとか。昔はよくクムラさまと学ばれたり、賊と戦ったりしていたのですよ!それはもう、お強い方なのです!」
「曖昧ですね……しかし、クムラ様の御親戚であり御学友でしたか。それでは私は知らないわけです」
クムラという男は、シュナやアンミが仕えるこの国の君主のことである。シュナのその言葉を聞いて、アンミはああ!と手を打つ。
「そういえば、シュナさまはずっとここに居るようで、そうではないのでしたね。なんだかとても以前から居てくれている感じがして、失念してました」
「そうですか、それは喜んでもよいのでしょうか」
「もちろん!」
シュナがクムラの元へやってきたのは、そう昔のことではない。まだ四年ほどしか経っていないのだ。ここ数年でクムラの力の付け方は目覚ましく、出会った頃のほんの数名しか居なかった若者の集まりからは考えられないほどの大軍勢となり、やがてひとつの国と呼べるものとなった。
琰国と呼ばれるクムラの国、それがシュナが暮らし、そして、いずれはこの大陸を統べると信じた国である。
はやくはやく、と急かすアンミを廊下は静かに歩きなさいと諌めるシュナ。まだ昼前の 明るい時間であるから、それほど急ぐ必要はないのだが、アンミはすぐにでもコハクという男にシュナを会わせたいのだろう。彼はそれほどに慕われている御仁なのだな、とシュナはのんびりと考えた。
シュナの執務室はクムラが座している王座の間からそう離れてはいない。内政と軍務、そのどちらをも動かすシュナは度々クムラと共に意見を交わし合う必要があるからだ。その短い道のりを急かされ、早足で歩いたためにそこへはすぐにたどり着いた。
りん、とシュナの執務室と揃いの鈴の音が鳴る。それと同時にアンミは大きな声で名乗り入室を知らせる。
「クムラさま!アンミです、シュナさまをお連れしました!」
「シュナ、参りました」
「おお、入れ」
拱手し、頭を下げて名乗ればすぐさま待っていた、と言わんばかりに返事がくる。低くはないが深く響くその声は他でもない部屋の主のクムラである。
しかし、シュナは顔を上げるよりも先に、その部屋の香りがいつもと違うことに気がつく。アンミが乱雑に揺らした幕で起きた小さな風に乗り、シュナのほっそりとして美しい鼻先にどこか甘い香りが運ばれてきた。
「待っていたぞシュナ、お前に会わせたかったのだ」
それまで二人きりで話し込んでいたのだろう。部屋に入りクムラがそう言うと、見慣れないその男はゆったりとした動きで振り返り、顔をシュナのほうへと向けた。
その瞬間、どきりとしたのは何故だろう。人見知りをするからだろうか、その男性的な印象の強い男が纏うにはこの香りは甘すぎると思ったからだろうか。シュナはひとつ、瞬くあいだにそう考えを巡らせた。動揺は、顔には出ていない。シュナはいつも表情は変わらず、どこか憂いを帯びた穏やかな顔つきをしている。その男を見たとき、その心臓はどくんとひとつ、その鼓動を強くしたものの、顔つきは僅かに瞳が大きくなった程度のもので、悟られてはいないはずである。
「……初めまして、シュナ殿。私はコハクと言う」
それでもコハクと名乗るその男は、何かふと考えるような顔をしながら頭をほんの少し下げた。
アンミが話していた内容から、シュナはコハクという男のことを屈強な大男のような人物と想像していたが、目の前にしてみると確かに体はがっしりとはしているが、それよりもすらりとした印象のほうが強い。クセのある淡い紫色を帯びた黒髪はきっちりとまとめ上げられているが、重めの前髪はその顔の左側をすっかり隠してしまっている。いかにも武将然とした印象とは裏腹に、髪の間から見える切れ長ながら穏やかな光を持つ右目と綺麗に通った鼻筋、薄い唇はどこか儚さを感じさせた。
「…お初にお目にかかります、シュナと申します」
「堅苦しいなあお前らは!」
互いに頭を下げて挨拶を交わした二人を見て、クムラは笑った。そんな様子を見て、アンミもクムラの横でにこにこと嬉しそうにしていた。
「コハクよ、シュナはしばらく……えーと、」
「四年ほどです」
「そう!四年ほど前から俺に献策やまつりごとの助言をしてくれていてな、これがまたとんでもないほど賢いのだ!俺はこんなにも見事な男を他に知らぬ!だからお前に会わせたくてな」
クムラは妙なところで忘れっぽいが、素直で寛大な男であった。そして何よりシュナの能力を高く買っている。コハクに対し、嬉しそうに紹介した。
「ほう、お前がそこまで言うのだから、相当な切れ者なのだろうな」
「ああ、ああ!そうなんだ、ちと真面目すぎるきらいのあるやつだが、そこがまた面白いのだ。少しお前と似ている」
「ク、クムラ様……そうまで言われては私も恥ずかしいです」
このまま黙っていればきっと延々と褒め続ける。クムラというのはそういう男だ。気にいったもののことはいくらでも語り続けられるのだ。それほどまでに気に入られていることは嬉しいことだが、初対面の男の前でそれを聞かせられ続けるのは流石に居た堪れないというものだ。
「む?そうか、すまんな。それでな、シュナよ、コハクもまたお前のような見事な男なのだ!昔は故郷で共にやんちゃしていただけの仲だったのが、勉学でも優秀だったし、つい最近までは北の沁国の客将をしていたのだが、そこでも負けなし!あの精強な沁軍において客将ながら常に先鋒を務めていたのだ」
シュナを褒めることを止められると、次はコハクのことを褒めちぎり始めるクムラ。沁といえば、北に古くからある大国で、今かなり力をつけた琰とでさえ比べ物にならないほどの国力、兵力を持つ、もっとも大陸を統べるに近いと言える国である。歴史が古く、将軍も軍師も古参であるほど重用される傾向にあると聞いているが、そこで客将のコハクが先鋒を任じられていたというのは、俄かには信じ難いほどの話だ。
コハクはシュナほどうまくクムラの語り癖を止められず、ただ恥ずかしそうに、ああとかううとか声をあげながら話を聞いていることしかできなかった。やがてクムラが満足したのか、話を終えて一息ついた。
「そうだシュナ、ひとつ頼まれてくれ」
「はい、何でしょう」
「コハクにこの城を案内してやってほしいのだ。俺はこれからまた来客でな、手が離せん」
「そのようなことでしたら、ええ、なんなりと」
恭しくシュナは拱手し、そのまま流れるようにコハクを出口へ促した。二人が静かに出て行った幕のほうへ視線をやりながら、不満そうにしていたのはアンミだった。
「クムラさま!どうしてシュナさまに案内なんて。それくらいだったら僕が」
「まあ落ち着け。お前は次の来客の準備をしておくれ。これから来るのは下町の者らだ、シュナよりお前くらいの方が堅苦しくなくて適任だろうさ」
クムラのその言葉を聞くと、膨れっ面だったアンミもなるほど、と納得したようだった。人懐っこく物をはっきりと言う、それでいて落ち着きのない少年の扱いは、実のところクムラが一番上手かった。
「それに、二人きりのほうがより深い話ができるだろうさ」
「それは、シュナさまとコハクさまのことですか?」
「ああ、あの二人は、『似たもの同士』だからな」
クムラが意味深にそう呟く。
「あまり似ているようには見えませんが。真面目なところくらいではないですか?」
「そんなことはないさ。よく似ているんだ、あの二人はな」
さあお喋りはここまでにして準備をしよう、とクムラがひとつ、ふたつと手を叩けば、部屋の奥に控えていた従者たちも皆働き始める。その様子をうんうんと頷きながら、クムラはシュナとコハクの出て行ったほうをじっと見つめるのだった。
季節は春になろうとしている頃、外は時折強い風が吹き、シュナのやわらかな黒髪を揺らし広げる。シュナのゆったりとした歩みは、背丈の高いコハクにはもどかしい速度だったが、広い城内を見て回るのにはちょうどよかった。
それに、何もない廊下を歩いている間も、目の前で靡く美しい髪を眺めていれば飽きることがなかった。
「……クムラ様は」
「…えっ?はい」
次の場所へ案内する、と告げた後、じっと黙って目の前を歩いていたシュナが、突然声を発する。ぼうっとシュナの髪に見惚れていたコハクは、驚いて間の抜けた声で返事をしてしまった。シュナは振り返り、少し不思議そうな顔をしたが、気にせず話を続けた。
「クムラ様は、私たちに親睦を深めてほしいようですね」
「あ、ああ。そのようで」
聡明な二人は、主が自分たちを二人きりにした理由を察していた。城内の案内が必要なのは間違いないが、それをわざわざシュナに頼むことはない。これが取引をする外交相手であれば話は別だが、コハクはこれから自軍に入ることになる仲間である。であれば、政務官として最上位にあるシュナが出向き、もてなす必要があるとは思えない。
「しかし、クムラが何故ああも私をあなたに会わせたがったのかがわからない」
「それは……私は、なんとなくですが、わかります」
シュナがそう言うと、ぶわりと強く風が吹く。若々しい緑豊かな庭に囲まれた渡り廊下では、柔らかな葉が風に舞う。ほっそりとしていて、消えてしまいそうな儚さを持つシュナは、しかしそんな強い風にも揺らぐことなく静かに立っている。舞い上がり乱れた髪さえ、どこか絵になる男だ。まっすぐに自分を見つめるその瞳から、コハクは目が離せなかった。
「あなたも……使うことができないのでしょう。自らの『力』を」
「……!」
「仕事柄、他国の事情もよく聞こえてまいります。以前耳に入れたことがありました、北に『異能を使わぬ将軍が居る』と。異能の力を使わないのに、その将にはまるで歯が立たぬのだ、と……」
「……ご存知でしたか」
コハクは否定も肯定もしなかったが、その言葉は肯定しているのと同じである。
「……私も同じです」
「あなたも」
「ええ。あなたが『異能』を使わぬのか、使えぬのかは存じませんが。私は、使えぬのです」
使わないことと、使えないこと。それは大きく違う。
「……ということは、あなたは、軍師ですか」
「ええ。今は政務を主に担当しておりますが……本来は」
将軍と軍師。戦場において、敵兵と戦い、また味方を率い、或いは導く者たち。それはこの戦乱の世において、特別な才能を持った者たちである。
その才能と呼ぶべきものは、単なる力の強さや賢さだけではない。常人には扱えぬ、特殊な力。
ある者は自らの体を増強させ、ある者は周りの者を弱体化させ、ある者は戦場の全てを見通した。そういった人ならざる者の力を『異能』と呼称し、それらを扱う者のことを『将軍』と『軍師』と呼び讃えた。
「異能が使えず、ただ口先ばかりの私を、クムラ様は必要としてくださいました」
「……私も同じです。前の主は『力を使えぬお前は要らない』と」
「そういう意味なのでしょう、似た者同士、というのは」
この世における将軍と軍師が異能を使えぬということは、さほど例がない。使わぬまま、同格の地位を持つ者は他に聞いたことがなかった。だからこそ、コハクの噂は国を越えて届いたし、シュナのあり方は異端だった。
『似た者同士』の二人が出会ったその日は、まるで時代の流れをも突き動かそうというように、強い、強い風が吹いていた。
そこには、絹のように滑らかな長い黒髪の青年が、見事なほどにぴんと背筋を伸ばし人々の模範のような姿で仕事をしている。筆を走らせる指はすらりと繊細で、書簡に視線を落とし伏せた流麗な目元は誰もが溜め息をつくほどに美しい。白い肌と控えめに色づいた赤い唇、滑らかに伸びる鼻筋、その美しさにはどこにも隙がない。
来客を告げるその音に、さらさらと髪を揺らしながら顔を上げる。
「シュナさま、シュナさま、失礼します」
「何かありましたか、アンミ。あなた、また廊下を駆けてきたでしょう」
この美しき部屋の主はシュナという。この城の周囲の広い土地を統べる君主に仕える軍師の一人であり、主に内政を担当する執政官の地位を与えられた男である。
慌ただしい様子で部屋に駆け込んできたのはアンミ。シュナの側仕えをしている少年だ。いつもシュナが廊下は走らないようにと言い聞かせているのに、どうにも落ち着きのない彼はよくこうして叱られている。
が、今日はそんなお小言も耳に入らないという様子だった。
「それが、おおごとなんです。はやくシュナさまにもお知らせしたくて」
「はあ、お聞かせください」
シュナの小言など気にも留めずに目をきらきらと輝かせて、はやく話したいという気持ちを溢れさせるアンミに苦笑しつつ、シュナは先を促す。
「コハクさまがいらしたんです!」
「コハク?」
はい、と頷くアンミの表情はとても嬉しいと書いてあるようだった。しかし、ぴんときていない様子のシュナを見て、不思議そうな顔をして首を傾げて見せた。実によく表情のころころと変わる少年だ。
「シュナさまは、コハクさまのこと、ご存知ありませんでしたか?」
「ええ……いえ、お名前だけは、何度かクムラ様より聞き及んでおりますが」
はて、誰のことだったか、と記憶を巡ってみたが、思い出すより先にアンミが口を開く。
「クムラさまのご親戚にあたる御方です。確か従兄弟だとか再従兄弟だとか。昔はよくクムラさまと学ばれたり、賊と戦ったりしていたのですよ!それはもう、お強い方なのです!」
「曖昧ですね……しかし、クムラ様の御親戚であり御学友でしたか。それでは私は知らないわけです」
クムラという男は、シュナやアンミが仕えるこの国の君主のことである。シュナのその言葉を聞いて、アンミはああ!と手を打つ。
「そういえば、シュナさまはずっとここに居るようで、そうではないのでしたね。なんだかとても以前から居てくれている感じがして、失念してました」
「そうですか、それは喜んでもよいのでしょうか」
「もちろん!」
シュナがクムラの元へやってきたのは、そう昔のことではない。まだ四年ほどしか経っていないのだ。ここ数年でクムラの力の付け方は目覚ましく、出会った頃のほんの数名しか居なかった若者の集まりからは考えられないほどの大軍勢となり、やがてひとつの国と呼べるものとなった。
琰国と呼ばれるクムラの国、それがシュナが暮らし、そして、いずれはこの大陸を統べると信じた国である。
はやくはやく、と急かすアンミを廊下は静かに歩きなさいと諌めるシュナ。まだ昼前の 明るい時間であるから、それほど急ぐ必要はないのだが、アンミはすぐにでもコハクという男にシュナを会わせたいのだろう。彼はそれほどに慕われている御仁なのだな、とシュナはのんびりと考えた。
シュナの執務室はクムラが座している王座の間からそう離れてはいない。内政と軍務、そのどちらをも動かすシュナは度々クムラと共に意見を交わし合う必要があるからだ。その短い道のりを急かされ、早足で歩いたためにそこへはすぐにたどり着いた。
りん、とシュナの執務室と揃いの鈴の音が鳴る。それと同時にアンミは大きな声で名乗り入室を知らせる。
「クムラさま!アンミです、シュナさまをお連れしました!」
「シュナ、参りました」
「おお、入れ」
拱手し、頭を下げて名乗ればすぐさま待っていた、と言わんばかりに返事がくる。低くはないが深く響くその声は他でもない部屋の主のクムラである。
しかし、シュナは顔を上げるよりも先に、その部屋の香りがいつもと違うことに気がつく。アンミが乱雑に揺らした幕で起きた小さな風に乗り、シュナのほっそりとして美しい鼻先にどこか甘い香りが運ばれてきた。
「待っていたぞシュナ、お前に会わせたかったのだ」
それまで二人きりで話し込んでいたのだろう。部屋に入りクムラがそう言うと、見慣れないその男はゆったりとした動きで振り返り、顔をシュナのほうへと向けた。
その瞬間、どきりとしたのは何故だろう。人見知りをするからだろうか、その男性的な印象の強い男が纏うにはこの香りは甘すぎると思ったからだろうか。シュナはひとつ、瞬くあいだにそう考えを巡らせた。動揺は、顔には出ていない。シュナはいつも表情は変わらず、どこか憂いを帯びた穏やかな顔つきをしている。その男を見たとき、その心臓はどくんとひとつ、その鼓動を強くしたものの、顔つきは僅かに瞳が大きくなった程度のもので、悟られてはいないはずである。
「……初めまして、シュナ殿。私はコハクと言う」
それでもコハクと名乗るその男は、何かふと考えるような顔をしながら頭をほんの少し下げた。
アンミが話していた内容から、シュナはコハクという男のことを屈強な大男のような人物と想像していたが、目の前にしてみると確かに体はがっしりとはしているが、それよりもすらりとした印象のほうが強い。クセのある淡い紫色を帯びた黒髪はきっちりとまとめ上げられているが、重めの前髪はその顔の左側をすっかり隠してしまっている。いかにも武将然とした印象とは裏腹に、髪の間から見える切れ長ながら穏やかな光を持つ右目と綺麗に通った鼻筋、薄い唇はどこか儚さを感じさせた。
「…お初にお目にかかります、シュナと申します」
「堅苦しいなあお前らは!」
互いに頭を下げて挨拶を交わした二人を見て、クムラは笑った。そんな様子を見て、アンミもクムラの横でにこにこと嬉しそうにしていた。
「コハクよ、シュナはしばらく……えーと、」
「四年ほどです」
「そう!四年ほど前から俺に献策やまつりごとの助言をしてくれていてな、これがまたとんでもないほど賢いのだ!俺はこんなにも見事な男を他に知らぬ!だからお前に会わせたくてな」
クムラは妙なところで忘れっぽいが、素直で寛大な男であった。そして何よりシュナの能力を高く買っている。コハクに対し、嬉しそうに紹介した。
「ほう、お前がそこまで言うのだから、相当な切れ者なのだろうな」
「ああ、ああ!そうなんだ、ちと真面目すぎるきらいのあるやつだが、そこがまた面白いのだ。少しお前と似ている」
「ク、クムラ様……そうまで言われては私も恥ずかしいです」
このまま黙っていればきっと延々と褒め続ける。クムラというのはそういう男だ。気にいったもののことはいくらでも語り続けられるのだ。それほどまでに気に入られていることは嬉しいことだが、初対面の男の前でそれを聞かせられ続けるのは流石に居た堪れないというものだ。
「む?そうか、すまんな。それでな、シュナよ、コハクもまたお前のような見事な男なのだ!昔は故郷で共にやんちゃしていただけの仲だったのが、勉学でも優秀だったし、つい最近までは北の沁国の客将をしていたのだが、そこでも負けなし!あの精強な沁軍において客将ながら常に先鋒を務めていたのだ」
シュナを褒めることを止められると、次はコハクのことを褒めちぎり始めるクムラ。沁といえば、北に古くからある大国で、今かなり力をつけた琰とでさえ比べ物にならないほどの国力、兵力を持つ、もっとも大陸を統べるに近いと言える国である。歴史が古く、将軍も軍師も古参であるほど重用される傾向にあると聞いているが、そこで客将のコハクが先鋒を任じられていたというのは、俄かには信じ難いほどの話だ。
コハクはシュナほどうまくクムラの語り癖を止められず、ただ恥ずかしそうに、ああとかううとか声をあげながら話を聞いていることしかできなかった。やがてクムラが満足したのか、話を終えて一息ついた。
「そうだシュナ、ひとつ頼まれてくれ」
「はい、何でしょう」
「コハクにこの城を案内してやってほしいのだ。俺はこれからまた来客でな、手が離せん」
「そのようなことでしたら、ええ、なんなりと」
恭しくシュナは拱手し、そのまま流れるようにコハクを出口へ促した。二人が静かに出て行った幕のほうへ視線をやりながら、不満そうにしていたのはアンミだった。
「クムラさま!どうしてシュナさまに案内なんて。それくらいだったら僕が」
「まあ落ち着け。お前は次の来客の準備をしておくれ。これから来るのは下町の者らだ、シュナよりお前くらいの方が堅苦しくなくて適任だろうさ」
クムラのその言葉を聞くと、膨れっ面だったアンミもなるほど、と納得したようだった。人懐っこく物をはっきりと言う、それでいて落ち着きのない少年の扱いは、実のところクムラが一番上手かった。
「それに、二人きりのほうがより深い話ができるだろうさ」
「それは、シュナさまとコハクさまのことですか?」
「ああ、あの二人は、『似たもの同士』だからな」
クムラが意味深にそう呟く。
「あまり似ているようには見えませんが。真面目なところくらいではないですか?」
「そんなことはないさ。よく似ているんだ、あの二人はな」
さあお喋りはここまでにして準備をしよう、とクムラがひとつ、ふたつと手を叩けば、部屋の奥に控えていた従者たちも皆働き始める。その様子をうんうんと頷きながら、クムラはシュナとコハクの出て行ったほうをじっと見つめるのだった。
季節は春になろうとしている頃、外は時折強い風が吹き、シュナのやわらかな黒髪を揺らし広げる。シュナのゆったりとした歩みは、背丈の高いコハクにはもどかしい速度だったが、広い城内を見て回るのにはちょうどよかった。
それに、何もない廊下を歩いている間も、目の前で靡く美しい髪を眺めていれば飽きることがなかった。
「……クムラ様は」
「…えっ?はい」
次の場所へ案内する、と告げた後、じっと黙って目の前を歩いていたシュナが、突然声を発する。ぼうっとシュナの髪に見惚れていたコハクは、驚いて間の抜けた声で返事をしてしまった。シュナは振り返り、少し不思議そうな顔をしたが、気にせず話を続けた。
「クムラ様は、私たちに親睦を深めてほしいようですね」
「あ、ああ。そのようで」
聡明な二人は、主が自分たちを二人きりにした理由を察していた。城内の案内が必要なのは間違いないが、それをわざわざシュナに頼むことはない。これが取引をする外交相手であれば話は別だが、コハクはこれから自軍に入ることになる仲間である。であれば、政務官として最上位にあるシュナが出向き、もてなす必要があるとは思えない。
「しかし、クムラが何故ああも私をあなたに会わせたがったのかがわからない」
「それは……私は、なんとなくですが、わかります」
シュナがそう言うと、ぶわりと強く風が吹く。若々しい緑豊かな庭に囲まれた渡り廊下では、柔らかな葉が風に舞う。ほっそりとしていて、消えてしまいそうな儚さを持つシュナは、しかしそんな強い風にも揺らぐことなく静かに立っている。舞い上がり乱れた髪さえ、どこか絵になる男だ。まっすぐに自分を見つめるその瞳から、コハクは目が離せなかった。
「あなたも……使うことができないのでしょう。自らの『力』を」
「……!」
「仕事柄、他国の事情もよく聞こえてまいります。以前耳に入れたことがありました、北に『異能を使わぬ将軍が居る』と。異能の力を使わないのに、その将にはまるで歯が立たぬのだ、と……」
「……ご存知でしたか」
コハクは否定も肯定もしなかったが、その言葉は肯定しているのと同じである。
「……私も同じです」
「あなたも」
「ええ。あなたが『異能』を使わぬのか、使えぬのかは存じませんが。私は、使えぬのです」
使わないことと、使えないこと。それは大きく違う。
「……ということは、あなたは、軍師ですか」
「ええ。今は政務を主に担当しておりますが……本来は」
将軍と軍師。戦場において、敵兵と戦い、また味方を率い、或いは導く者たち。それはこの戦乱の世において、特別な才能を持った者たちである。
その才能と呼ぶべきものは、単なる力の強さや賢さだけではない。常人には扱えぬ、特殊な力。
ある者は自らの体を増強させ、ある者は周りの者を弱体化させ、ある者は戦場の全てを見通した。そういった人ならざる者の力を『異能』と呼称し、それらを扱う者のことを『将軍』と『軍師』と呼び讃えた。
「異能が使えず、ただ口先ばかりの私を、クムラ様は必要としてくださいました」
「……私も同じです。前の主は『力を使えぬお前は要らない』と」
「そういう意味なのでしょう、似た者同士、というのは」
この世における将軍と軍師が異能を使えぬということは、さほど例がない。使わぬまま、同格の地位を持つ者は他に聞いたことがなかった。だからこそ、コハクの噂は国を越えて届いたし、シュナのあり方は異端だった。
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入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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