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八段目
丈毋の場〈肆〉
しおりを挟む「御新造さん、嫁いできなすった早々、奥様の前で恥ずかしい思いをさせちまって、申し訳ねぇこってす」
志鶴の座敷から自室に戻ってきた美鶴に、正座したおせいが手をついて深々と頭を下げた。
どうやら、姑である志鶴の前で、兵馬と美鶴の寝間での話をしてしまったことを謝っているようだ。
だが、吉原の廓で生まれ育った美鶴にとって閨事は「生業」であり、もともと他人に知られて恥ずかしいと云う心持ちはほとんどなかった。
初花を散らすときに——あないにひどいとは思わなかったが——痛みを伴うというのは、幼き頃よりあたりまえのように聞かされていた。
また、売られてきたおなごが女郎になって初客を取り初花を散らされた際には、見世は敢えて夜具を破瓜の血で汚すままにしていた。
汚れた夜具を見た客が「生娘だったのは本当であったのだな」とえらく喜ぶからだ。
たとえ生娘であっても、中には破瓜の血が流れぬおなごもいたから、初花を散らされた女郎の方も夜具が汚れてほっとしていたくらいだ。
昨夜は、突然のことに流石に気が動転して兵馬の前では恥ずかしい思いをしたり、そのあとつい心が揺らいで脆くなったりしてしまった。
ところが、平生の心待ちに落ち着きを取り戻した今朝はもう、特段さようなことは思っていなかった。
むしろ、「松波家の嫁」としての第一歩である「御役目」を無事果たせて、美鶴もまたほっとしていた。
閨ではほかの男の名をつぶやいてしまったが、兵馬には我が身が生娘であったことを、しっかりと判らせることはできた。
「おせい、気に病むことはごさらぬ。わたくしは何とも思うておらぬがゆえ」
美鶴がかように告げると……
「やっぱり御新造さんは、若さまにはもったいねぇ。まるで、観音菩薩様のようなお方でさ」
涙ぐんだおせいが、ずずっと洟をすすった。そのまま放っておけば、いつしか美鶴に手を合わせて拝んでいたかもしれない。
されども、そのあと朝餉を終えた美鶴に、
「御新造さん、身体が辛ければ遠慮のう横んなって寝んでくだせぇ」
と、おせいはしつこく促してきた。
ひりひりとしていて胎内の痛みもすでに薄れていた美鶴は、それを制して縫い物でもすることにした。
勝手存ぜぬ他家へ、いきなり嫁いできたのだ。このままでは、昼日中は手持ち無沙汰に暇を持て余すことになるであろう。
いくら四季折々に手入れされた草木が見事な中庭を部屋の中から見渡せたとて、日がな一日ぼんやりと見てばかりいるわけにはいくまい。
島村の家で針仕事を覚えておいて良うござんした、と美鶴はしみじみ思った。
どれだけの唄や舞の上手であろうとも、武家では無用の長物以外の何物でもなかったからだ。
早速、おせいに布地と針道具を所望する。すると、おせいはすぐさま志鶴の許しを得て、木綿の反物と針箱を抱えて戻ってきた。
——身に纏ってもらえるかは判らぬが、若さまの浴衣でも縫ってみてござろうか。
木綿の生地を手にして、美鶴は思った。
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