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Chapter 6
⑥
しおりを挟む「先刻の彼も左手薬指に指輪してたよね?もしかして……既婚者でないと興味ないとか?」
「そんなわけ、ないじゃないですかっ!奥さんのいる男なんて、絶対にイヤですっ‼︎」
麻琴は思わず叫んだ。
「それに、わたしだって、みんなから祝福されて結婚して、いつかは子どもを産んでしあわせになりたいって……だれよりも思ってるんですっ‼︎」
「……そうなんだ」
松波が心の底からホッとしたように笑った。
「じゃあ、そんな麻琴の思いを叶えてあげられるのは、まだ妻のいない僕しかいないよね?」
——でも、あなたには、いつヨリが戻ってもおかしくない美しい元カノがいるじゃないの……?
麻琴は俯いた。知らず識らず、くちびるを噛んでいた。どうにもならないときの、彼女の幼い頃からのクセだ。
「麻琴……?」
松波が麻琴の顔を覗き込む。
「それでも……僕ではダメなのかな?」
今までは松波の異次元の家柄が「理由」だった。
——だけど、今は……あなたの、あの美しい女の存在が、どうしても頭から離れない。
突然、好きな人を目の前からかっ攫われる、あんな思いだけは……もう二度としたくなかった。
「松波先生……わたしのこと、勝手に呼び捨てにしないでください」
麻琴は俯いたまま告げた。
「……やだ」
——や、『やだ』⁉︎
思わぬ言葉に麻琴は顔を上げた。空耳かと思った。
とても来年四〇歳になる男性から、しかも社会的地位のある医者という立場の者から発された言葉とは思えない。
噛み締めていたくちびるが、自然と開く。
「この前の上司も、先刻の学生時代からの『くされ縁』も、きみを『麻琴』って呼んでたよね?なぜ……僕だけが呼んじゃいけないの?」
松波はものすごく気分を害した顔で抗議する。
しかし、くるしそうに顔を歪めたさまは、ややもすると痛々しいほど哀しそうに見えなくもない。
「わかったよ。だったら、僕はきみのことを……」
松波は意を決した。
「『マコッティ』って呼ぶ」
——な、なんですって⁉︎
「まずは手始めに、会社で大声で呼んでみよう。社食あたりがいいかな?きみのことを、でっかい声で『マコッティ~!』って呼びかけたら、みんなびっくりするだろうなぁー」
松波は、さもすばらしい思いつきのように、うっとりと微笑んでいる。
——なんなの、その嫌がらせ⁉︎ まるで、小学生男子じゃないのっ⁉︎
「ま、まさか……冗談ですよね?」
麻琴は恐る恐る尋ねる。
「冗談じゃないよ?『マコッティ』」
弧を描く口元とは裏腹に、窓から差し込む陽光を浴びて輝く緑灰色の目は、まったく笑っていなかった。
——やーめーてええぇーーーっ‼︎
社食でウワサのターゲットにされる光景が——特に、人事の小林 仁美が中心となって騒いでる様子が——いとも容易く麻琴の脳裏に浮かんだ。
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