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Kapitel 4
②
しおりを挟むオランジュリーに入ってきたグランホルム大尉を、リリは緊張から青ざめた表情で見上げると、姿勢良く腰掛けていたソファから、すっ、と立ち上がった。
父や兄が気を利かせたのであろうか。人払いされ、この部屋には彼ら以外の者はいなかった。
「ごきげんよう……」
リリは形式に則ったカーツィをした。
「グランホルム大尉、この度は、わざわざお呼び立てして……」
濃紺のスウェーデン海軍の軍服を纏った大尉は、答礼として彼女の手を取り、その甲にぎりぎり触れぬ口づけをした。
「リリコンヴァーリェ嬢、あなたがこれからのことについて私に話があるという手紙を、シェーンベリ……あなたの兄からもらったのだが」
天候の挨拶すらないままに、大尉は単刀直入に訊いてきた。彼の琥珀色の瞳が彼女をぴたりと見据えている。
まるで、尋問のようだ。
軍人らしく威圧感のあるその鋭い視線に圧倒されて、思わず目を逸らしそうになる。
けれども、心を励ましてリリは告げた。
「グランホルム大尉、このような直前になってからの私の申し出を、どうかお許しになって……」
ことの重大性と大尉に対する申し訳なさから来る罪悪感とで、その声は小さく、しかも掠れて上擦っていた。
「私……あなたとの婚約を……解消させていただきたいの……」
重苦しい沈黙がしばらく続いたあと、グランホルム大尉の口が開いた。
「……ソファに腰掛けても?」
彼はオランジュリーに入った途端に、リリから「宣告」を受けた格好になっていた。つまり、まだ立ったままだった。
「まぁ、ごめんあそばせ、とんだご無礼……どうぞ、そちらにお掛けになって」
リリは非礼を詫び、あわてて相対する長椅子に彼を促した。そして、彼女も腰を下ろす。
そのあと、供された珈琲を無言のまま飲み終えた大尉は、改めてリリの方へ目を向けた。
「理由を聞かせてくれないか?」
彼の琥珀色の瞳が、彼女を冷たく射抜く。ものすごい眼力だった。
「あなたの方から私に話があるというのは、初めてだからな。もしかして、不都合な話であろうことは予測していたが……」
彼は眉根をぐーっと深く寄せ、苦りきった表情になっていた。
——怒っていらっしゃるのだわ。それも、途方もなく。
「しかし、このような間際になって、あなたが婚約を解消したいというからには、余程の理由があってのことではないのか?」
——無理もないわ。私のような下賤の者から、こんな屈辱的な仕打ちを受けたのだもの。
リリはとうとう耐えきれず、大尉の強い眼力から目を逸らしてしまった。
「大尉、どうかお許しを……本当に、心の底から申し訳なく思って……」
庭園に向けて張り出した大きな窓の方へ目を背け、か細い声でつぶやくリリを——
「私はあなたから、謝罪の言葉を聞きたいわけではない。差し迫ったこの期に及んで、どうして私と結婚できないのかという、その理由を知りたいのだ」
大尉は即座に遮った。
仕方なく、リリは理由を話し始めた。
「……そもそも……こんなに生まれや育ちに隔たりのある私たちが婚約したこと自体……誤りだったのでは……?」
リリの澄み切った翠玉色の瞳が、みるみるうちに翳りを帯びていく。
「そんな私たちが結婚しても……幸せになるどころか、互いに理解り合うことすらできなくってよ……」
リリの言葉に、苦りきった顔の大尉の眉根に刻まれたシワがますます深くなっていく。
「つまり……あなたには、私との婚約を解消してまで添い遂げたいと願う——『生まれや育ちに隔たりの』ない男がいるということか?」
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◆◇◆◇◆◇◆
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