谷間の姫百合 〜もうすぐ結婚式ですが、あなたのために婚約破棄したいのです〜

佐倉 蘭

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Sista Kapitel

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「それに私は、あんな暴れ馬のような女を妻にするなんてごめんだな」

——暴れ馬?

  リリは不可解な顔をして鼻白んだ。

「ウルラ=ブリッドは貴族の娘にしてはいささか型破りな——要するに、じゃじゃ馬的な気質があるんだ。ストックホルムの社交界を離れられないのは、彼女の唯一貴族的なところだな。
   私の兄とは幼い頃からの許婚いいなずけ同士だが、彼女は家のための政略結婚はしたくないと言って、自分たちは互いに愛し合っているから恋愛結婚だと言い張っている。また、結婚後子どもが生まれたら、乳母の手に委ねず自分自身で育てると、今から宣言しているよ。
   それに……彼女は乗馬に夢中でね。自ら馬房に入り込んで馬の世話をしているくらいだ」

「あぁ、そういえば……かつてお会いした舞踏会の際に、馬が大好きだとおっしゃっていたわ」
   リリはそのときの様子を思い出した。

   常日頃から彼女は乗馬服を愛用しているらしく、リリの父が用意させて贈ったバッスルスタイルのドレスを、クリノリンの不要なドレスがこんなにも快適だなんて、といたく気に入っていた。

「あなたも子どもの頃から乗馬がお好きなのでしょう?彼女から、そう伺ったわ。そして、『あなたも始めたら、喜んで遠乗りに連れて行ってくれてよ』って勧められたの。だから私、あなたが望まれるのなら、たとえ怖くても挑戦するしかなさそうねと思って……」

「だから、あのときあなたは乗馬を始めるなどと言ったのか」
   大尉は険しい顔を崩さず、苦々しげに言った。

「だけど、あなたからは『乗馬など、する必要はない』って、きっぱりと言われてしまったわ」
   リリは肩をすくめた。

   なんだか、あのとき受けた衝撃ショックが甦ってきそうだった。

「それは……」
   彼は一瞬、言い淀んだが——

「危ないじゃないか。大人になっていきなり乗馬なんかを始めて、もしあなたが馬から振り落とされでもしたらどうするんだ」
   あとは一気に言い切った。

——えっ?

   リリは虚を衝かれた。

——もしかして、大尉は私のことを心配して、あのようなことをおっしゃったの?

「修道女だけではなく、ウルラ=ブリッドからも『入れ知恵』をされていたとは……」
   大尉は軍人らしい節くれ立った指で顳顬こめかみを押さえながら、唸るようにつぶやいた。

「……リリコンヴァーリェ嬢」

   大尉は突然、改まった口調でリリの名を呼んだ。

「私の生家は確かにあなたが思うとおり、生粋の『貴族の家』だ。ゆえに、我がグランホルム家では婚姻関係を結ぶ目的は子孫を遺して血筋を守るため以外には考えられない」

   軍人らしく感情をいっさい取り除いて淡々と告げるその冷徹さに、リリはなんだか圧倒されて思わず背筋を正した。

「私の両親は、家同士のつながりだけの政略結婚で、兄と私の息子二人をもうけたあとは互いに愛人を持っている。嫡男とその代替要員スペアをもうけたのちに大手を振って『恋愛』を愉しむ、という典型的な『貴族の生き方』だな」

   リリの目が見開く。確かに、庶民が持つ貴族階級に対するイメージそのものではあるが……

——「最後」の日だから、大尉は私にここまでお話しなさるのかしら?

「父の『相手』は貴族や文化人たちが集まるサロンに君臨するKurtisan高級娼婦で、母の『相手』は息子たちとさほど歳の変わらない駆け出しの画家だよ。彼らは社交シーズンにはストックホルム王都のタウンハウスにいるが、それぞれの相手としょっちゅう逢引していてね。かと言って、シーズンオフにはノーショー領地に滞在するのもそこそこに、連れ立って旅行ばかりしているよ」

   大尉は乾いた笑みを浮かべていた。

「……あなたの両親には、到底考えられないことだろうね?」

   リリは静かに肯いた。彼女の両親は仲睦まじかった。
   なにより母親が、夫の愛情による庇護がなくては生きていけなさそうな人なのだ。

   また、周囲を見渡しても、にわかに「成功者」となり金回りが良くなった新興の商工業者の中には、糟糠の妻とは別に若い女を囲う者もいなくはなかったが、一般庶民の間では貴族階級とは違ってそれは外聞が悪く、面と向かって言われなくても陰では蔑まされ、しざまにそしられていた。

   むしろ一般庶民の方にこそ、離婚を「神との信頼関係を壊す背徳」として禁じている旧教カトリック信者にしろ、比較的離婚に対して寛容な新教プロテスタント信者にしろ、夫婦として神に誓う相手は互いに一人だけで、夫が並行して他の相手をも妻にすることは許されず、それは聖書が禁じる姦淫にあたる、という社会規範があった。


「だが……私は自分が持つ家庭は、我が生家のように冷え切った仮面夫婦などではなく、できればあなたの家のような形を望んでいた」

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