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Chapter 5
「大奥」の田中さん ③
しおりを挟む〈あの人〉が二階に上がってくると、やっぱり、フロア全体に緊張がみなぎる。
大地は「大奥の影の総元締め」と呼ばれる彼女を見た。
彼女が会釈した。大地も目礼で返す。
一八〇センチの大地は、小柄で華奢な身体つきの彼女を見下ろした。たぶん一六〇センチもないだろう。ミディアムボブの黒い髪が覆う小さな顔は、透き通るほど肌が白い。大地をまっすぐ見つめる凛とした瞳は、アーモンドの形でぱっちり二重だ。形の良いくちびるは、グロスに濡れてぷっくりとしている。
目の前にいる、まるで日本人形のような彼女に見覚えはなかった。
大地は目を見張った。
——店内に、こんな「どストライク」な女がいたとは……
「……確認しますが、お客様からの入金はございませんでしたね?」
彼女の声は、トーンは高いのに不思議と落ち着きの感じられるものだった。
「はい、ありませんでした」
山田が彼女に答える。
「では、ここで事務処理を始めます。必要な書類や伝票などはあとでまとめて記入してもらいますので。……上條課長、端末をお借りします」
彼女はそう言って案内された大地のデスクの椅子に座り、端末のキーボードを軽やかに叩いた。
大地の管理者用の端末に、管理者IDのパスワードを入力する画面が現れる。彼女は自分専用に与えられたパスワードを入力した。
管理者IDを取得できるのは、主任以上の役職だ。通常、主任になれるのは三十歳前後なのだが、彼女はとてもそんな年齢には見えない。新入社員といってもおかしくないほどの童顔である。
「君は、入社何年目?」
思わず大地は訊いた。
「わたしは四年目です」
彼女は画面を見たまま答えた。
途端に、周囲が騒めく。彼女の役職は「主任」。異例の昇進である。
さすが大奥の影の総元締め、という声が上がる。
「管理者IDを取得するための特例です。パスワードをいちいち上司に頼んで入れてもらってたら、仕事になりませんから」
彼女は肩を竦めた。
管理者IDのパスワードがないと、勤務する店内の顧客情報しか閲覧できないようになっているのだ。だから、他支店での情報を得るためには、主任以上の許可が必要になる。
「山田くん、お客様の顧客番号を教えて」
山田が番号を調べて答えるのと同時に、彼女の指が動く。Enterを叩いて、表示された画面を一瞬見ると、すぐに端末をくるっと回して、大地の方へ見せた。
「上條課長、お客様は仙台支店に株式をお持ちです。約定日を見るとかなり前ですね。塩漬けになってるものじゃないですか?」
大地は屈んで画面を見た。
「すでに売買する権利はお客様からうちの会社に移ってますが、このままでは仙台支店でないと売れません。これからこの株式を本店に移管する手続きをとりますが、それでよろしいですか?」
「あっ、ああ、頼む」
「では、電話をお借りします」
彼女はすぐに電話の受話器を取って、内線ボタンを押した。
「……お世話さまです。仙台支店ですか?」
彼女の声は電話を通して聞いても心地よさそうだ、と大地は思った。
「本店営業事務の田中です」
本店には「田中」が何人かいる。だから、
「……田中 亜湖です」
と、彼女はフルネームを名乗った。
山田が大地に耳打ちする。
「……田中常務の娘さんらしいですよ」
大地がびっくりして仰け反る。
「なんでおまえが知ってるんだ⁉︎」
「同期の一課の田中に聞いたんっすよ。あいつ、田中常務の甥っ子だから」
山田がこともなげに言う。
大地の目がキラッと輝く。
——山田、おまえはやっぱり、できる子、だ‼︎
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