カラダから、はじまる。

佐倉 蘭

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Last Secret

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   あの日以来、七海は田中の住む新宿の公務員宿舎に入り浸りになり、赤坂見附のマンションへはほとんど帰ってこなくなった。

   父の機嫌がすこぶる悪い——

『このままだと「外聞の悪いこと」になりかねないわね』

   ぼそりとつぶやいた母は、即「行動」を起こした。一応世間からはお嬢さま学校と呼ばれている女子校の教頭という職務上、我が子の「授かりデキ婚」は避けたいようだ。

   田中と七海がお見合いをしたホテルの宴会部に教え子が勤務していて、問い合わせると六月に入っていたバンケットルームの予約が、ちょうどキャンセルされたところだったと言う。母はすぐに押さえた。

   そして、「お嬢さんをください」という「儀式」のために、うちにやってきた田中に、
『勝手なことして、ごめんなさいねぇ』
と、母はわざとらしく言ったそうだが、
『ありがとうございます。助かりました』
と、田中はニヤリと笑ったそうだ。

   ひさしぶりに顔を見た七海の左手薬指には、ティ◯ァニーのリボンリング婚約指輪が光り輝いていたらしい。

   こうして——田中と七海の結婚式の日取りが決まった。

   先日、お仲人をお願いした金融庁の証券取引等監視委員会の委員長ご夫妻と両家が揃った席で、結納が取り交わされた。
   その後、先に入籍だけでも済ませてきちんとしておきたい、という田中の要望で婚姻届が提出された。

   ようやく、安心したのか、それとも諦めがついたのか——父の機嫌が治った。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   そして、今日が彼らの結婚式の日だ。

   我が国を代表する一流の老舗ホテルの教会チャペルでの結婚式が終わり、これからバンケットルームへ移動して披露宴である。
   新郎新婦田中と七海とわたしたち親族はその合間に、記念の写真撮影となっている。


   その場所へと赴きながら、わたしは先刻さっきまでのチャペルでの挙式を思い起こしていた。

   もともと、多忙な仕事ゆえに七海と顔を合わす機会は激減していたから、彼女がほとんど家にいなくても、わたしにとっては違和感はなかった。

   それとも、もしかしたら精神こころの負担をできるだけ軽くするために、脳内麻薬でも分泌されているのであろうか?

   すでに彼らは婚姻届を出して新しい戸籍に入った正真正銘の「夫婦」だというにもかかわらず、わたしにはまるで実感がなく、頭の中はまるで霞がかかったような感じで毎日を過ごしていた。


   だが、田中の手によって、結婚指輪であるティ◯ァニーのクラシック ミルグレインが、七海の左手薬指にすーっとはめられていったそのとき、突然、脳内が鮮明になり、わたしは「覚醒」した。

   とたんに——ぎりりっ、と胸に鋭い痛みが走る。

   知らず識らずのうちに盛り上がっていた涙が耐えきれず、つぅーっと頬を伝っていくのがわかった。
   わたしは黒の 2.55パーティバッグから、真っ白なハンカチを取り出してそっと拭った。

——あぁ、ほんとうに……田中は七海と結婚してしまったんだ。


   写真撮影の際、七海の左手薬指には婚約指輪のリボンリングと結婚指輪クラシック ミルグレインが重ね付けされていた。
   田中の左手薬指にも、先刻さっき七海によってはめられた同じクラシック ミルグレインが収まっている。

   レースをふんだんに使ったベルラインの純白のウェディングドレスに身を包み、しあわせいっぱいの笑顔で、左手薬指の指輪以上に光り輝く七海。

   その姿を見ていると、思わずにはいられない。

   どうして、あの場所にいるのが……
   どうして、彼の隣にいるのが……

——わたしではないのだろう?

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