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まさかの大変おあつらえ向きな話題
しおりを挟む「…それで、もう一人なんだが。趙明軒(ちょうみょうげん)とは、誰だ?」
「……何だと?」
俊熙が質問した瞬間、子豪の眉間にグッと皺が寄る。質問したのは俊熙なのに、子豪が信じられないという風に問い返した。
「いや、聞いているのはこちらなんだが。どう調べても夏蕾に見つからなくてな…」
「趙明軒が?東宮に来てたって?」
「…ああ、帳簿にははっきりと書かれている」
「……クソ、そういう事か」
子豪は一人で納得して悔しそうな様子だが、こちらは一切意味がわからない。
「どういう事だ、説明を」
俊熙が促すと、んああと頭を乱暴に掻いたあと、酒をぐびりとひと煽りして子豪が説明を始めた。
「趙明軒ってのは、所謂オレの親類だ」
「親類…? 姜家に趙という親類は居ないはずだが」
「それが、居るんだよ。――冬胡にな」
空気がひりついたのが香月にもわかる。
姜家と冬胡の繋がりは、それ程までに強固なのか。
無言に促されて、子豪はそのまま先を続けた。
「二年前、先の皇帝が崩御したあと、兄貴は急に冬胡の豪族と縁を強めたいって言い出した」
賢威帝の崩御後と言えば、姜家から呉家に絶縁状が届いた頃だ。理由は分からないまま突き放された形だったが、もしかするとここで判明してしまうかもしれない。香月はごくりと喉を鳴らす。
子豪の横に居た従者が、主の空になった杯に酒をつぎ足した。
「その豪族が、趙だ。冬胡の豪族でも特に力が強くてな、兄貴は親父の伝手で趙と手を結んだ。更にはその縁を強固にする為に、わざわざ嫁まで娶ったンだよ」
嫁。
香月は瞬間に悟った。
若奥様の『明明(メイメイ)様』、姜家の侍女はそう言っていた。
「じゃあ、明明さまって言うのは…」
「兄貴の嫁だよ。趙明明。明軒の姉だ」
そうか。婚約破棄してからすぐに奥方を迎えたことを知って気分は複雑だったが、そういった思惑があったのならば少しだけ気持ちが楽になった気がする。
「……で、何故その趙明軒が、夏蕾の東宮に?」
硬い声のまま俊熙が問う。
そうだ、いくら夏蕾国の一大商家と姻戚関係とは言え、冬胡の豪族が東宮にサラリと入り込んでいたとなるとかなりの問題だ。
個人的な気持ちでほっとしている場合ではない。
「わからねェ。姜の名を勝手に翳せるような権限は与えてないはずだが、もしかすると兄貴の企みかもしれねェ。姜の遣いってことで堂々と趙の名も晒してンだから、いよいよ仕上げに入ってるのかもな」
仕上げというのは、秀英が企んでいること、だろうか。
「呉香月を拉致した実行犯は、三人の内のどれだ?」
「多分…孟なんじゃねェか? 正確なことはきちんと確認してみねェとわかんねェが、オレは豪宇から『使える女を手に入れた』って連絡しか貰ってねェんだ」
「すぐに確認できるか? あまりにも鮮やかに呉香月を攫ってしまえたことに、私はかなり疑問を感じている」
「そうだなぁ、東宮はオレら六率府や衛尉寺卿の武官が常に張ってるし、誰にも見つからず嬢ちゃんを拐かすなんて芸当その辺のやつにゃ出来ねぇよ。オレらは処罰モンだ」
その俊熙と磊飛の会話を聞いて、香月はあの時のことを思い出す。確かあの時、視線を感じて振り返ったら誰も居なくて、なんだと思ってまた前を向いたら、居たのだ。真っ黒で大きくて高い影が。
「…ものすごく、大きい人だった。たぶん孟じゃない」
香月が思い出しながら呟くと、子豪は大きく舌打ちをした。
「明軒だな」
……あれが、趙明軒。
あの巨大な影は恐ろしくて、思い出すだけで鳥肌が立つ。
「……趙明軒は、今何処だ?」
「昨晩、冬胡に向かって発ったよ。今は明明も兄貴にくっついて冬胡に戻ってるし、何であいつだけ夏蕾に残ってたのか、もう少し動向を警戒してりゃ良かった」
子豪が再び舌打ちをすると、しばらく黙っていた太燿が徐に口を開いた。
「ねぇ、その趙明軒が香月ちゃんを攫ったとして、その理由って何? そのあと結局、梁豪宇に香月ちゃんの身柄を引き渡してるわけでしょ? それってつまり、子豪の手助けをしようとしてたってことじゃないの?」
確かに尤もな疑問だ。子豪の作戦として香月を拉致したとしたら、明軒は子豪の味方をしたと考えられる。
「いや…オレが明軒に何か手助けされるなんてこと、これまで一度も無かったぞ?」
「なら…梁豪宇と孟繰流に確認出来るか? 拉致の実行犯は趙明軒としても、それを引き受けてお前に繋げたのはその二人だ」
「わァったよ。…おい洋、急ぎ豪宇と孟に確認してこい」
「はい、承知しました」
先程から横でひたすら酒をついでいた侍従が、さっと立ち上がって部屋を出ていく。
「今の侍従は信用出来るのか?」
「アイツは大丈夫だ、冬胡と絡む前からの侍従だかンな」
「なら良い。……では、確認待ちの間に姜秀英の話に移るか」
思わず香月は居住まいを正した。
「姜子豪、ひとまず持っている情報を全て出してくれ」
「わァってる。昼にも言ったが、兄貴が武器を流し始めたのはおそらく一年前だ。この一年、とにかく定期的に武器を仕入れては冬胡に流してる。ただ、武器の調達先までは調べきれてねェ」
それは先程聞いた内容と同じだ。おさらいも兼ねて香月も頭の中で順を追って整理する。
「オレぁただ金の為だと思ってたんだよ。いくら国同士が冷戦状態っつっても、まぁ商売人には大きな障壁でもねェ。金の成る木は逃さない、そんだけだかンな。明明を娶ってからの念入りな準備を重ねて一年で、兄貴は莫大な金を姜家にもたらした」
ひと息置いて、子豪は皿に盛ってあった葡萄を一粒口に入れた。お前らも食えよと促されて、磊飛が待ってましたとばかりに手をつける。香月も綺麗に剥かれた茘枝を口にした。
「流石の商才だって、親父も大喜びだ。――でもそのすぐ後、親父が病で倒れたんだ」
「えっ!」
香月は驚きに茘枝をごくんと飲み込んだ。勿論昔から家族ぐるみの仲だ、香月も姜家当主のことは良く知っている。
「おじさま、ご病気なの?」
「ああ。でも、誰にも知られねェようにしてる。姜家はこの数年で嫌な意味でも目立っちまった。親父との縁で繋がってる太客もいっからよ、一年くらい経つがまだ代替わりまで整ってねェんだ」
姜家当主と香月の父は幼馴染で、曰く腐れ縁だった。両親が帰らぬ人となった時、葬儀の日に橙の薔薇が一輪だけ戸口に置いてあったが、あれは多分姜家当主の仕業だったと香月はひっそり思っている。
「ただ、その病も突然でな。菅家共は『陰謀だ』とか『毒だ』とかあることない事言いやがってたから、尚更公表する時期を逸してンだよな」
毒。
まさかの大変おあつらえ向きな話題である。
「…病名は?」
「んあ? そんなモン聞いて何になる?」
「いいから教えてくれ」
確かに秀英と冬胡の話に、当主の病名は関係ない話のように思えるが、しかし、こちら側は気になって仕方ない話題である。
「ハッキリした病名はねェんだよ。ただ、全身が痺れたみたいになってるのと、食べモンの消化がうまく出来なくなっちまったみてェでな。ほとんど女菅家が付きっきりで世話してる」
香月は、麗孝が持ってきた書類の文面を思い出した。『知らず知らずの内に感覚神経疾患・内臓疾患を起こす』。
思わず俊熙の方を見ると、俊熙だけでなく太燿も磊飛も、おんなじように強ばった顔をしていた。香月と同じことに思い至っている。
「…姜子豪。当主の食事は誰が?」
「は?食事?基本的には何人かの女菅家が拵えてる」
「ここ数年で新たな菅家を雇い入れたことは?」
「おい何を聞いてるんだ?」
「子豪、いいから俊熙さまの質問に答えて」
思わず香月も口を出す。
嫌だ、そんなこと、考えたくない。しかし明らかにしなければならないのだ。
「えーっと…雇い入れたってのはねェかな。ただ、明明が輿入れした時に一緒に来た女菅家が数人居るな」
「……それだ」
目的はまだ明確では無いし、それが秀英の指示なのかは一切わからないが、状況的には、冬胡の豪族・趙と、蛙毒、そして姜秀英が太い線で繋がってしまった。
そう言えば先程東宮で、雲嵐が言っていたっけ。『姜秀英、蛙毒を夏蕾に持ち込んだ張本人だったりして』と。
完全にその線が濃厚だ。
「アタリかよ」
磊飛の台詞が呆然としていて、香月も全く同じ気持ちだった。
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