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November
藤山デート Side 翠葉 01話
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昨夜、ツカサが帰ってしばらくして、一通のメールが届いた。
――「松葉杖は右手に負担かかるから却下で。明日も明後日も車椅子移動。芸大がそれで移動可能なのか、きちんと確認をとるように」。
読んで納得してしまう。
松葉杖をつくのに手首を捻る動作はないけれど、通常なら足にかかる体重を手と腕で補うのだから、負担がかかることに代わりはない。「負荷はかけるな」という昇さんの言いつけを守るなら、やめておいたほうが良いのだろう。
でも、車椅子……。
「車椅子かぁ……」
なんだかとっても大げさだ……。
足をかばわず歩けるか、と尋ねられたらそれは無理だけど、車椅子を使うほど重症かと問われると、それはそれで頭を抱えて唸りたくなってしまう。せめて手が使えたらこんなことにはならなかったのに。
「車椅子、かぁ~……」
私はうな垂れつつもメールアプリを起動し、怪我をした旨を伝えるべくメールの作成を始めた。
仙波先生へ送るとすぐに携帯が鳴り出し、
『怪我って足だけ? 手はっ!?』
いつもは落ち着いた先生の慌てた様子に驚き気おされる。
「あ……えぇと、主な怪我は足なのですが、右手もちょっと……。でも、大したことはなくて……」
『それ、ピアノが弾ける域の問題ですか?』
「……スミマセン。痛みが引くまではピアノの練習を控えるように言われてしまいました」
『……御園生さん、何においても手を守れ、とまでは言いませんが、せめて怪我を回避する程度の気遣いはしましょうか』
「はい……以後、気をつけます」
お小言が終わると、先生は大学がバリアフリーであることを教えてくれた。
その後、支倉の駅で待ち合わせをしていた柊ちゃんに事情を話し、待ち合わせ場所を大学正門前に変更してもらうと、私は疲労を訴える身体をすぐさまベッドへ横たえた。
明日は朝寝坊をしてしまおう……。
そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちたのだ。
意識下で鈍い痛みを感じ始めたとき、基礎体温計のアラームが鳴り出した。その直後、ラヴィの目覚まし――もとい、唯兄の声が部屋に響きだす。
唯兄の声で起きるのはだいぶ慣れた。
今となってはどれほどやかましく起こされても、「うん、うん……大丈夫、起きるから、うん」と適当に相手をすることだって可能だ。
何度目かの唯兄の声に手を伸ばし、ラヴィの中に入っている目覚まし時計を止める。
「ラヴィ、おはよう。今日もかわいいね。でも、右耳にちょっと寝癖がついてるよ」
クスクスと笑いながら寝癖を撫で付けるも、それがすぐに直ることはなかった。
ラヴィを抱っこしたまま体温を測り、出かけるまでのシミュレーションをする。
洗顔、着替え、朝食――……片付け、と行きたいところだけど、この足でちょこまか動くのは得策とは言いがたい。とはいえ、紫苑祭の準備にかまけていて部屋が少々雑然としてしまっている感が否めない。
「ん~…………どう考えても掃除機をかけるのは無理よね」
座って片付けられるものを片付けたら、あとは唯兄に手伝ってもらうことにしよう。
「さ、洗顔しに行こうっ!」
ベッドから立ち上がろうとしたとき、
「っつ――」
あまりの痛さにのた打ち回る。
バシバシとベッドを叩いて痛さをやり過ごし、目に滲んだ涙を拭う。
起きたときから足の痛みは感じていたし、つい今しがた、足を怪我していることをきちんと認識していたではないか。なのにこのざま……。
「どうして右足から踏み出しちゃったかな……」
足を見てみるも、昨日より腫れがひどくなったということはない。そんなことにほっとしつつ、二度と同じことを繰り返さないため、「右足注意」の貼紙を部屋中に貼ろう、と心に決めた。
身支度を済ませてリビングへ行くと、唯兄がキッチンでカチャカチャと音を立てていた。
この音は、唯兄が愛すべきインスタントコーヒーにたくさんのお砂糖を入れ、スプーンで攪拌している音。
私に気づくと、
「あ、お寝坊さんの登場だ」
「はい、お寝坊さんです。久し振りにゆっくり眠れて幸せだった」
「それは何より」
唯兄の背後を通り過ぎ、冷蔵庫からリンゴジュースとミネラルウォーターを取り出すと、私は慣れた手つきで水割りりんごジュースを作る。
「リィのそれは相変わらずだね」
「唯兄だって……」
「まぁね」
「ところで、唯兄は朝ごはん食べた?」
「まだ。俺もお寝坊グルーピーでして、そろそろリィが起きてくるだろうから、と思って待ってた」
「わ、嬉しい!」
ひとりで食べるご飯ほど味気ないものはないし、唯兄が一緒だと、ご飯の準備がとても楽しいものに変わるのだ。
「それじゃ、何食べよっかねぇ……」
ふたりがまず目をやったのは炊飯器。しかし、炊飯器は空を知らせるかのごとく蓋が開いていた。
その隣のブレッドケースを開けると食パンが二枚とフランスパンが半分ほど。
「パンがちょうど二枚だからトーストにする?」
「パンを使うのは賛成だけど、なんかひと捻りほしいな」
「チーズトースト?」
「なんつーか、リィにはもっと栄養バランスのいいものを食べさせたいわけですよ」
「……サラダとインスタントスープも作る?」
「ひとまず冷蔵庫チェックとまいりますか」
ふたり並んで冷蔵庫を開けると、ドアポケットにシート状とフレーク状のとろけるチーズがあった。次は野菜室。
「あー……リィの好きなレタスさんときゅうりさんは不在ですな」
「ですな。……あ、でも、ピーマンと玉ねぎ、冷蔵庫にはサラミもあったよ?」
「お? そしたらあれですな」
「「ピザトースト!」」
私たちは手早く作業を分担し、十分と経たないうちに、こんがりとろっとしたチーズがたまらなく美味しそうなピザトーストにありついた。
十二時半を回ると車椅子を押したツカサがやってきて、何を言うより先に車椅子へ座ることを強要される。
外に出て感じたのは、視界が一気に低くなったということ。それに付随して思うことがひとつ……。
「車椅子の威力ってすごいよね」
「は? 威力って?」
「そこまでひどい怪我をしているわけじゃないのに、これに乗るだけでとっても重症な怪我人に見えない?」
「いや、俺は立派な怪我人だと思ってるけど……」
「そんな……ちょっと腫れてるだけだもの……」
「それ、『ちょっと』で済んでたならレントゲンを撮る必要はなかったと思うし、今だって普通に歩けてるって話じゃない?」
そこまで言われたら何を言うこともできない。
私は口を噤み、手持ち無沙汰に膝に乗せたバッグの中身をチェックし始めた。
救急センターへ行くと、すぐにレントゲン室へ案内された。
待ち時間ゼロ分とは、車椅子以上のVIP待遇だ。
具合が悪い人たちに申し訳なさを感じつつ、呼ばれた診察室へ入ると、夜間救急でお世話になったことのある先生に迎えられた。
検査の結果も診察の内容も、昨夜昇さんが言っていた内容とほぼ同じ。
違うことと言えば、治るまでの期間や車椅子使用期間を提示されたことだろうか。
ひびが入っていて全治二カ月だなんて、ツカサになんて話したらいいものか……。
重い足取りで診察室を出ると、ドアのすぐ近くで腕を組んだツカサが仁王立ちをしていた。
否、実際はそんなふうではなかったかもしれない。ただ、私にはそう見えた、という話。
視線が合うと開口一番、
「足、どうだったの?」
立っている人と座っている人――ただそれだけの差で、どうしてこんなにもぺしゃんこになりそうな気分を味わえるのだろう。
「えぇと……言わなくちゃだめ?」
「ここまできて隠すとか、なしだと思うんだけど」
「そうですよね……」
何せ、家まで迎えに来てくれたうえ、病院まで付き合ってくれているのだ。
それでも、怒りに震えていた昨日のツカサを思い出せば、言いづらくなるというもの。
私は諦めの境地で口を開き、押せるだけの念を押してみることにした。
「そんな大々的に入っていたわけじゃないし、ギプスする必要もないのだけど、足はひびが入ってました」
だめだ……。念を押しても何しても、「ひびが入っていた」という言葉がすべてを無に帰す。
「つまり、全治一ヶ月から二ヶ月。二週間から三週間は車椅子生活?」
「はい……」
「手首は?」
「手首の骨には異常がなくて、昇さんに言われたのと同じ。筋を違えちゃったんだろうね、って。こっちも時間の経過で治るからしばらくは負荷をかけないように、って。痛みがなくなったらピアノの練習と松葉杖を使ってもいいですよ、って……」
自分の口から出ていく言葉に敗北感を覚えながらツカサを見上げると、ツカサは何を言うこともなく背後へ回り、静かに車椅子を押し始めた。
この無言の間が胃に悪い。
ようやく口を開いたかと思えば、
「なんでそんなに怯えた目で見るわけ?」
「なんとなく、怒られそうな気がして……?」
そろりそろりと背後の気配をうかがい見ると、
「翠を怒る理由はないだろ。怒りを覚えるのは怪我をさせた人間たちに対してだ」
そうは言われても、怒っている人を前にすると、どうしてか自分が怒られている気になってしまう。それは私だけだろうか。
それに、先輩たちをかばうわけではないけれど、
「先輩たちはきちんと罰を受けてるよ?」
「罰を受けたからといって翠の怪我が治るわけじゃないし、怪我している間の時間をどこかで取り戻せるわけでもない。そういう意味では、罰なんて加害者を許すための過程であり、良心の呵責に苛まれた心を救うための手段でしかないと思う。もっとも、自我を優先させて他人に怪我を負わせるような人間に良心なんてあるのか甚だ疑問だけど」
ツカサらしい厳しすぎる考えに、私は何を言うこともできなくなった。
気まずい雰囲気のまま外へ出ると、
「曇りって言っていたけど、多少は陽が望めそうだな」
ツカサの言葉に空を見上げる。と、雲間から陽の光が零れていた。
「本当だ……。今日、朗元さんは庵にいらっしゃる?」
「いや、昨日連絡したら来客があるって言ってたから屋敷にいると思う」
「そうなのね。久し振りにお会いしたかったな……」
「翠から連絡すればいいのに」
ツカサはまるでなんてことないように言うけれど、
「連絡って……私、朗元さんの連絡先なんて知らないもの」
「なんなら教えるけど?」
え……朗元さんの連絡先ってこんなに簡単に入手できていいものなの……?
だって、朗元さんだよ? 藤宮の会長だよ? 連絡先なんて、トップシークレット級なんじゃ……。
それに、もし教えてもらえたとしても――
「お忙しいところに電話するのは気が引けちゃう」
もっと言うなら、未だ電話というアイテムは苦手意識が先に立ってしまうのだ。
「翠からの連絡なら嬉々として取りそうだし、忙しくても時間を作りそうな勢いで気に入られてると思うけど?」
「本当? 本当だったら嬉しいな……」
ツカサは小さくため息をつき、
「近々じーさんの予定を聞いておく。紫苑祭も終わったから、放課後に少し寄るくらいのことならできるだろ?」
「うん……」
「大丈夫。翠が会いたいって言ったら絶対喜ぶから」
その言葉とともに、ツカサの大きな手が頭に降ってきた。
――「松葉杖は右手に負担かかるから却下で。明日も明後日も車椅子移動。芸大がそれで移動可能なのか、きちんと確認をとるように」。
読んで納得してしまう。
松葉杖をつくのに手首を捻る動作はないけれど、通常なら足にかかる体重を手と腕で補うのだから、負担がかかることに代わりはない。「負荷はかけるな」という昇さんの言いつけを守るなら、やめておいたほうが良いのだろう。
でも、車椅子……。
「車椅子かぁ……」
なんだかとっても大げさだ……。
足をかばわず歩けるか、と尋ねられたらそれは無理だけど、車椅子を使うほど重症かと問われると、それはそれで頭を抱えて唸りたくなってしまう。せめて手が使えたらこんなことにはならなかったのに。
「車椅子、かぁ~……」
私はうな垂れつつもメールアプリを起動し、怪我をした旨を伝えるべくメールの作成を始めた。
仙波先生へ送るとすぐに携帯が鳴り出し、
『怪我って足だけ? 手はっ!?』
いつもは落ち着いた先生の慌てた様子に驚き気おされる。
「あ……えぇと、主な怪我は足なのですが、右手もちょっと……。でも、大したことはなくて……」
『それ、ピアノが弾ける域の問題ですか?』
「……スミマセン。痛みが引くまではピアノの練習を控えるように言われてしまいました」
『……御園生さん、何においても手を守れ、とまでは言いませんが、せめて怪我を回避する程度の気遣いはしましょうか』
「はい……以後、気をつけます」
お小言が終わると、先生は大学がバリアフリーであることを教えてくれた。
その後、支倉の駅で待ち合わせをしていた柊ちゃんに事情を話し、待ち合わせ場所を大学正門前に変更してもらうと、私は疲労を訴える身体をすぐさまベッドへ横たえた。
明日は朝寝坊をしてしまおう……。
そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちたのだ。
意識下で鈍い痛みを感じ始めたとき、基礎体温計のアラームが鳴り出した。その直後、ラヴィの目覚まし――もとい、唯兄の声が部屋に響きだす。
唯兄の声で起きるのはだいぶ慣れた。
今となってはどれほどやかましく起こされても、「うん、うん……大丈夫、起きるから、うん」と適当に相手をすることだって可能だ。
何度目かの唯兄の声に手を伸ばし、ラヴィの中に入っている目覚まし時計を止める。
「ラヴィ、おはよう。今日もかわいいね。でも、右耳にちょっと寝癖がついてるよ」
クスクスと笑いながら寝癖を撫で付けるも、それがすぐに直ることはなかった。
ラヴィを抱っこしたまま体温を測り、出かけるまでのシミュレーションをする。
洗顔、着替え、朝食――……片付け、と行きたいところだけど、この足でちょこまか動くのは得策とは言いがたい。とはいえ、紫苑祭の準備にかまけていて部屋が少々雑然としてしまっている感が否めない。
「ん~…………どう考えても掃除機をかけるのは無理よね」
座って片付けられるものを片付けたら、あとは唯兄に手伝ってもらうことにしよう。
「さ、洗顔しに行こうっ!」
ベッドから立ち上がろうとしたとき、
「っつ――」
あまりの痛さにのた打ち回る。
バシバシとベッドを叩いて痛さをやり過ごし、目に滲んだ涙を拭う。
起きたときから足の痛みは感じていたし、つい今しがた、足を怪我していることをきちんと認識していたではないか。なのにこのざま……。
「どうして右足から踏み出しちゃったかな……」
足を見てみるも、昨日より腫れがひどくなったということはない。そんなことにほっとしつつ、二度と同じことを繰り返さないため、「右足注意」の貼紙を部屋中に貼ろう、と心に決めた。
身支度を済ませてリビングへ行くと、唯兄がキッチンでカチャカチャと音を立てていた。
この音は、唯兄が愛すべきインスタントコーヒーにたくさんのお砂糖を入れ、スプーンで攪拌している音。
私に気づくと、
「あ、お寝坊さんの登場だ」
「はい、お寝坊さんです。久し振りにゆっくり眠れて幸せだった」
「それは何より」
唯兄の背後を通り過ぎ、冷蔵庫からリンゴジュースとミネラルウォーターを取り出すと、私は慣れた手つきで水割りりんごジュースを作る。
「リィのそれは相変わらずだね」
「唯兄だって……」
「まぁね」
「ところで、唯兄は朝ごはん食べた?」
「まだ。俺もお寝坊グルーピーでして、そろそろリィが起きてくるだろうから、と思って待ってた」
「わ、嬉しい!」
ひとりで食べるご飯ほど味気ないものはないし、唯兄が一緒だと、ご飯の準備がとても楽しいものに変わるのだ。
「それじゃ、何食べよっかねぇ……」
ふたりがまず目をやったのは炊飯器。しかし、炊飯器は空を知らせるかのごとく蓋が開いていた。
その隣のブレッドケースを開けると食パンが二枚とフランスパンが半分ほど。
「パンがちょうど二枚だからトーストにする?」
「パンを使うのは賛成だけど、なんかひと捻りほしいな」
「チーズトースト?」
「なんつーか、リィにはもっと栄養バランスのいいものを食べさせたいわけですよ」
「……サラダとインスタントスープも作る?」
「ひとまず冷蔵庫チェックとまいりますか」
ふたり並んで冷蔵庫を開けると、ドアポケットにシート状とフレーク状のとろけるチーズがあった。次は野菜室。
「あー……リィの好きなレタスさんときゅうりさんは不在ですな」
「ですな。……あ、でも、ピーマンと玉ねぎ、冷蔵庫にはサラミもあったよ?」
「お? そしたらあれですな」
「「ピザトースト!」」
私たちは手早く作業を分担し、十分と経たないうちに、こんがりとろっとしたチーズがたまらなく美味しそうなピザトーストにありついた。
十二時半を回ると車椅子を押したツカサがやってきて、何を言うより先に車椅子へ座ることを強要される。
外に出て感じたのは、視界が一気に低くなったということ。それに付随して思うことがひとつ……。
「車椅子の威力ってすごいよね」
「は? 威力って?」
「そこまでひどい怪我をしているわけじゃないのに、これに乗るだけでとっても重症な怪我人に見えない?」
「いや、俺は立派な怪我人だと思ってるけど……」
「そんな……ちょっと腫れてるだけだもの……」
「それ、『ちょっと』で済んでたならレントゲンを撮る必要はなかったと思うし、今だって普通に歩けてるって話じゃない?」
そこまで言われたら何を言うこともできない。
私は口を噤み、手持ち無沙汰に膝に乗せたバッグの中身をチェックし始めた。
救急センターへ行くと、すぐにレントゲン室へ案内された。
待ち時間ゼロ分とは、車椅子以上のVIP待遇だ。
具合が悪い人たちに申し訳なさを感じつつ、呼ばれた診察室へ入ると、夜間救急でお世話になったことのある先生に迎えられた。
検査の結果も診察の内容も、昨夜昇さんが言っていた内容とほぼ同じ。
違うことと言えば、治るまでの期間や車椅子使用期間を提示されたことだろうか。
ひびが入っていて全治二カ月だなんて、ツカサになんて話したらいいものか……。
重い足取りで診察室を出ると、ドアのすぐ近くで腕を組んだツカサが仁王立ちをしていた。
否、実際はそんなふうではなかったかもしれない。ただ、私にはそう見えた、という話。
視線が合うと開口一番、
「足、どうだったの?」
立っている人と座っている人――ただそれだけの差で、どうしてこんなにもぺしゃんこになりそうな気分を味わえるのだろう。
「えぇと……言わなくちゃだめ?」
「ここまできて隠すとか、なしだと思うんだけど」
「そうですよね……」
何せ、家まで迎えに来てくれたうえ、病院まで付き合ってくれているのだ。
それでも、怒りに震えていた昨日のツカサを思い出せば、言いづらくなるというもの。
私は諦めの境地で口を開き、押せるだけの念を押してみることにした。
「そんな大々的に入っていたわけじゃないし、ギプスする必要もないのだけど、足はひびが入ってました」
だめだ……。念を押しても何しても、「ひびが入っていた」という言葉がすべてを無に帰す。
「つまり、全治一ヶ月から二ヶ月。二週間から三週間は車椅子生活?」
「はい……」
「手首は?」
「手首の骨には異常がなくて、昇さんに言われたのと同じ。筋を違えちゃったんだろうね、って。こっちも時間の経過で治るからしばらくは負荷をかけないように、って。痛みがなくなったらピアノの練習と松葉杖を使ってもいいですよ、って……」
自分の口から出ていく言葉に敗北感を覚えながらツカサを見上げると、ツカサは何を言うこともなく背後へ回り、静かに車椅子を押し始めた。
この無言の間が胃に悪い。
ようやく口を開いたかと思えば、
「なんでそんなに怯えた目で見るわけ?」
「なんとなく、怒られそうな気がして……?」
そろりそろりと背後の気配をうかがい見ると、
「翠を怒る理由はないだろ。怒りを覚えるのは怪我をさせた人間たちに対してだ」
そうは言われても、怒っている人を前にすると、どうしてか自分が怒られている気になってしまう。それは私だけだろうか。
それに、先輩たちをかばうわけではないけれど、
「先輩たちはきちんと罰を受けてるよ?」
「罰を受けたからといって翠の怪我が治るわけじゃないし、怪我している間の時間をどこかで取り戻せるわけでもない。そういう意味では、罰なんて加害者を許すための過程であり、良心の呵責に苛まれた心を救うための手段でしかないと思う。もっとも、自我を優先させて他人に怪我を負わせるような人間に良心なんてあるのか甚だ疑問だけど」
ツカサらしい厳しすぎる考えに、私は何を言うこともできなくなった。
気まずい雰囲気のまま外へ出ると、
「曇りって言っていたけど、多少は陽が望めそうだな」
ツカサの言葉に空を見上げる。と、雲間から陽の光が零れていた。
「本当だ……。今日、朗元さんは庵にいらっしゃる?」
「いや、昨日連絡したら来客があるって言ってたから屋敷にいると思う」
「そうなのね。久し振りにお会いしたかったな……」
「翠から連絡すればいいのに」
ツカサはまるでなんてことないように言うけれど、
「連絡って……私、朗元さんの連絡先なんて知らないもの」
「なんなら教えるけど?」
え……朗元さんの連絡先ってこんなに簡単に入手できていいものなの……?
だって、朗元さんだよ? 藤宮の会長だよ? 連絡先なんて、トップシークレット級なんじゃ……。
それに、もし教えてもらえたとしても――
「お忙しいところに電話するのは気が引けちゃう」
もっと言うなら、未だ電話というアイテムは苦手意識が先に立ってしまうのだ。
「翠からの連絡なら嬉々として取りそうだし、忙しくても時間を作りそうな勢いで気に入られてると思うけど?」
「本当? 本当だったら嬉しいな……」
ツカサは小さくため息をつき、
「近々じーさんの予定を聞いておく。紫苑祭も終わったから、放課後に少し寄るくらいのことならできるだろ?」
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その言葉とともに、ツカサの大きな手が頭に降ってきた。
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