光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
56 / 1,060
第二章 兄妹

19話

しおりを挟む
 帰りの車の中ではとりとめのない話をした。
 テレビでこんなことをやっていたとか、大学でこんなことがあったとか。
 本当にとりとめのない話。私はただ相槌を打つだけ。
 体調のことも何に気をつけろとも言われない。
 それを言われることが普通になっていて、それを言われない今が気持ち悪い。
 でも、それは自分が望んでいたことのはず。
 心配そうに覗き込む蒼兄の顔を見たくないと、何度思ったかしれない。
 なのに、今の蒼兄の表情も嫌なんて――
 上辺だけに見えるの。笑っているのに、笑っているように見えないの。
 どうして……?
「どうか、したか?」
 赤信号で停まると、蒼兄に顔を覗き込まれた。
 蒼兄に向けていた視線を前へ戻し答える。「なんでもない」と。
 訊くことができなかった。
 いつもなら、今までならなんでも訊くことができたのに。
 これが私の望んでいた距離なの?
 心がざわざわする。
 私、戸惑っているの?
 気まずかったのは確かだけど、昨日、自分の思いと蒼兄の思いをきちんと話したあのときのほうがまだ良かった。
 私、どこかで何か間違えた? 何をどこで間違えたの?
 戸惑いの中、家の前に車が停まる。
 玄関がすぐに開き、栞さんが迎えに出てきてくれた。思わず車を飛び出し栞さんに抱きつく。
「翠葉ちゃん、どうしたのっ!?」
 びっくりしているような栞さんの声。
 堪らなくて涙が溢れてくる。
 そんな私をどんな目で蒼兄が見ているかなんて知らない。
「とにかく中に入りましょう?」
 促され、リビングで止まることなく自室へ向かった。
「カモミールティー淹れてくるから、少し待っていてね」
 私をソファに座らせると、栞さんは部屋を出ていった。
 駐車場に車を停めた蒼兄が、玄関を開ける音がし、スリッパの音がどんどんこちらに近づいてくる。
「翠葉……どうした?」
 どこか不安そうに聞こえる蒼兄の声。
「……なんでも、ないよ。私、どうしちゃったんだろうね。なんか、涙腺壊れてるみたい」
 そう言ってごまかす。
「あとは私が……」
 栞さんの声がすると、蒼兄は部屋から出て階段を上がり始めた。
「どうしたの? 翠葉ちゃんらしくない」
 栞さんはいつものように優しい笑顔を向けてくれる。
「自分がわからなくて……。どうしてこうなっちゃったのか、わからなくて……。栞さん、どうしようっ。蒼兄と普通に話せなくなっちゃった」
 涙が次々と零れ、まるで小さな子どものように泣きじゃくる。
「何かあった?」
「私……口にしてはいけないことを言ってしまったの。ずっと、これだけは言わないって決めていたのにっ。でも、すごくつらくて、どうしようもなくて、口に出しちゃった。……それ、蒼兄は聞いていたのかもしれない。どうしよう……私、弱い子だって思われたかも。呆れられちゃったかもっ。いつも、一番近くで支えてくれる大切な人なのにっ。どうしようっ、蒼兄が――蒼兄が遠くに行っちゃうっ」
「……それは、蒼くんに直接言ったわけじゃないの?」
 コクリと頷く。
「湊先生と話していたの。……心の中のドロドロしたの、全部吐き出したの。でも、やっぱり口にしちゃいけなかったっ。どうしようっ!? 私っ――」
「翠葉ちゃん、少し落ち着いて?」
 栞さんの手が背中を上下にさすってくれる。
「ちょっと待っててね」
 席を立つと部屋を出ていった。そして、すぐに戻ってきて錠剤を渡される。
 それは、見慣れた台紙のお薬。興奮した神経を抑えるためのお薬。 「これ、身体の痛みが出たときにも有効だけど、今みたいなときにもよく効くのよ」
 こんな薬に頼りたくない。
 でも、感情をコントロールすることもできず、不安ばかりがエスカレートしていく。
 私は薬を受け取り口にした。
「少し眠くなるかもしれないけど、大丈夫よ」
 栞さんは優しく背中をさすってくれる。
 だけど、涙が止まらない。しゃくりあげていて呼吸も苦しい。泣き過ぎて頭が痛い。
 合間を見てはカモミールティーが入ったカップを口もとに運ばれ、少しずつ口に含む。
 十五分くらいすると涙も止まり、大分落ち着いてきた。その代わり、抗いようのない眠気も襲ってきた。
 栞さんに支えられてベッドで横になる。
「少し休みましょう。起きたときにまた話を聞くから」
 ぼんやりと視界に映る栞さんを見ながら、私は眠りに落ちた。

 神様……自分が持っているもので何を失いたくないかと問われたなら、私は迷わず家族だと答えます。
 ほかには何もいらないから、だから、それだけは私から取り上げないで――
 もし、蒼兄が私の側からいなくなってしまったら、私は何を道標に進んだらいいのかわからなくなってしまう。
 将来の夢なんてなくてもよかった。
 ただ、私の歩くその先に、蒼兄の笑顔さえあれば私は歩いていける。
 私、蒼兄から離れるなんて無理なんだ。
 蒼兄を解放するなんて、一生してあげられないのかもしれない。
 どうしよう……。
 私は、こんなにも人の足枷にしかなれない――

 目が覚めると、まるで知らない部屋にいた。
 ここ、どこ……?
 モノトーンで統一された室内には、少し大きめのデスクにノートパソコンが二台。
 ほかには今私が寝ているベッドと、壁一面の本棚。
 本棚すら黒で統一されている。
 フローリングに敷かれたラグが淡いグレーで、その上に無造作に置かれたクッションは白と黒のストライプ。
 どこまでもモノトーンに拘られた部屋。
 ベッド脇の壁にかけられた額にはトランプをモチーフにした絵が飾られていた。
 けれども、どれひとつとして記憶にあるものはない。
 ここ、どこ……?
 不安でベッドから下りることもできずにいると、ドアが開いた。
「湊、先生……?」
「起きたわね」
 いつもの淡々とした口調で言われる。
「先生、ここ……」
「ん? 私の家の客間。ま、客間といっても時々司が使ってるんだけど……。学校から歩いて五分のところにあるマンションよ」
 どうして……? 私、自分の部屋にいたはずなのに。
「栞から携帯に連絡があって、すぐに来いって言われたの。でも、面倒だからそっちが来いって言ったら、蒼樹があんた抱えて栞と来たのよ。ドア開けてどれだけびっくりしたか」
「蒼兄が……ここへ連れてきてくれたんですか?」
「そうよ。……ひどい顔してた。まるで、飼い主に捨てられた子犬みたいな顔」
 先生は少し笑ってから、「何があった?」と訊く。
「先生……聞かれてしまったかも。蒼兄に……湊先生と話してたの聞かれちゃったかもしれない」
「で?」
「蒼兄が変なんです。いつもなら開口一番に『具合は?』『大丈夫か?』って訊いてくるのに、それもないし……。普通に話しているのに、普通に笑っているのに、そのどれもが仮面にしか見えなくて、いつも私の隣にいてくれた蒼兄じゃないみたい。『どうした?』って訊かれたのに、私、何も言えませんでした……」
「……あんのバカ」
「やっぱり、私は自分の思ってることを口にしちゃいけなかったんだと思います。あんなこと言わなければ、蒼兄が苦しそうな顔をすることもなかったと思うんです。昨日、紫先生と湊先生が入ってくる前に、『どうしたらいい?』って……。『どうしたら負担にならずにいられる?』って訊かれました。負担になっているのは私のはずで、蒼兄はいつだって一番に私を支えてくれていたのにっ」
「翠葉」
「蒼兄がどうしてそんなこと訊いたのかなって、ずっと考えていて……。私が消えたくなるなんて言ったから? ……どうしよう、呆れられちゃったかな。こんなことで挫ける弱い子だって、呆れられちゃったかな。だから本音見せてくれなくなっちゃったのかな。距離、置かれちゃったのかなっ……」
「翠葉、落ち着きなさい」
「でもっ」
「でもじゃないっ」
 ピシャリと言い放たれ、水を打ったように静かになる。
「翠葉、そんなことないから安心なさい。蒼樹は蒼樹で迷走中なのよ」
 先生はベッドに座ると深く息を吐き出した。
「蒼樹がおかしいのは翠葉のせいじゃない。私のせい」
「……え?」
「私が、蒼樹が過保護すぎるから翠葉に自由がないって言ったの。だから、蒼樹は蒼樹でどう距離を取ったらいいのか模索中。今日つけたバングル。あれがあれば自分が側に付きっ切りでいる必要もなくなる。だから、自分が側にいる理由を失って迷走中。わかる?」
「……蒼兄が、私の側にいる理由?」
 そんなの、私がどこで倒れるかわからないから……。だから心配でずっと側にいてくれたのでしょう?
「あのバカは根っからのシスコンよ? たぶん、翠葉がこういう体質でなくても側にいたわよ」
「え……?」
「……面倒くさい兄妹ね。いい? 蒼樹はあんたがかわいくてかわいくて仕方ないの。それはもう目に入れても痛くないほどにっ。だから側にいたいの、OK?」
 ……えと――
「翠葉と同じよ。ただ、翠葉が大切で、翠葉の笑顔を守りたくて、何者からも傷つかないように守っていたいだけ。そこにちょうどよく、アンタの体質があった。それが後付け、付加っ」
 先生は立ち上がるとドアに向かって声を発した。
「蒼樹、いい加減入ってきたら?」
 えっ!?
 先生の言葉にびっくりし、ドアを見つめる。と、ドアがゆっくりと開き、困った表情の蒼兄が立っていた。
「今日は泊めてもいいかと思ったんだけど、蒼樹がどうしても家につれて帰りたいって粘るもんだから、仕方なく我が家の廊下に滞在を認めてやったしだい。少しふたりで話しなさい」
 言うと、先生は蒼兄と入れ替わりで部屋を出ていった。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません

竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...