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第三章 恋の入口
25話
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六時になると栞さんに呼ばれて神崎家へ移る。
栞さんの家にはすでに湊先生と蒼兄がいた。
「蒼兄っ!」
「翠葉、隣で勉強してたんだって?」
「うん。司先輩に飴もらったの」
「飴?」
「頭使うんだったら糖分摂れって」
「あら、司も言うようになったわね」
ソファに足を投げ出して座っている湊先生が鼻で笑う。
「湊ちゃん、そうは言うけどさ、本当にすごいんだよ? 翠葉、一時半から五時過ぎまで一度もテーブルから顔上げなかったんだから」
海斗くんが言うと、蒼兄が苦笑しながら頭を掻いた。
「確かに……翠葉は一度集中すると周りが見えなくなるんだよな」
その場の視線が自分に集るのを感じ、
「栞さん、何かお手伝いすることはありませんか?」
私はキッチンへ逃げ込んだ。
「あ、逃げたわ」
「「あ、逃げた」」
司先輩だけが何も言わず、文庫本を手にしていた。
そういえば……。
私服姿の海斗くんも司先輩も初めてだ。
海斗くんは赤いTシャツにベージュのハーフパンツ。司先輩は黒いTシャツに濃いブルーのジーパン。性格も対照的だけれど、洋服も対照的。けれども、ふたりとも良く似合っていた。
私はくるぶしまである水色のワンピース。襟ぐりには白い糸で凝ったお花の刺繍がしてあり、ウエスト部分は後ろで結べるようにリボンがついている。
白いサンダルが似合うこのワンピースもお気に入り。
「翠葉ちゃん、海斗くんと司くん見てどうかした?」
栞さんに声をかけられ、
「いえ、どうしてあんなに格好いいのかな、と思っただけです」
「そうね。ふたりとも魅力的な男の子ね」
視線に気づかれたのか、司先輩が「何?」とでも言うように眉間にしわをよせたけれど、私は何を答えることなく栞さんの影に隠れた。
今日の夕飯は散らし寿司だった。
鮭の散らし寿司にハマグリのお吸い物。ほうれん草のおひたしに五目豆。栞さん特性の厚焼き玉子にきゅうりとワカメとタコの酢の物もある。
「美味しそう……」
料理が並んだテーブルは、彩り豊かなテーブルになった。
「静さんは今日来ないの?」
湊先生が訊くと、
「昨夜来たんだけどね、今日は忙しくて無理みたい。明日には顔出すって言ってたわ」
「こっちも。楓は今日夜勤だって。明日はそのまま明け出勤でお昼過ぎには帰ってくるって言ってたから、そのあとの夕飯には顔出すって」
「楓さんって……楓先生?」
「そうよ? ……あぁ、そうか。翠葉は病院で会ってるのね」
訊かれて頷く。
「少しは医者らしくなったわよ」
なんて言うけれど、私には最初からお医者さんとして映っていたわけで……。
湊先生にかかったら、みんな子ども扱いされてしまいそうだ。
いつものお弁当箱を見ていればわかることなのだけど、海斗くんはよく食べる。それはもう、気持ちがいいくらいに。蒼兄は朝とお昼はしっかり食べるけれど、夜は控え目。司先輩は一人前強といったところ。湊先生と栞さんはほぼ一人前だった。
あんなにたくさんあったおかず類もあっという間になくなる。
呆然と見ていると、
「あんたの食べる分量が少なすぎるのよ」
と、隣に座っていた湊先生に小突かれた。すると、
「それ、どうにかならないの?」
司先輩が口を挟む。
「私も色々考えてはいるんだけど、なかなかね……。そういえば、秋斗から翠葉に預かり物してるわよ?」
湊先生がバッグから紙袋を取り出した。
受け取って中を見ると、ウォーカーのフィンガーショートブレッドが入っていた。
「好きなクッキー……」
一緒に入っていたカードには、「お勉強のお供に」という一言のみのメッセージ。
「秋斗も司と似たようなことを考えたんでしょうね」
湊先生が腕を組みながら椅子の背にもたれる。
そう言われてみれば、集中力に関しては秋斗さんにも何度か指摘されたことがあったかも……。そのたびにケーキを用意してくれたりクッキーを出してくれたり……。何か必ず洋菓子を出された気がする。
「お礼言わなくちゃ……」
きっと、ウォーカーのショートブレッドが好きというのはあらかじめ蒼兄から得ていた情報なのだろう。色んなことを知られているのは恥ずかしいけれど、好きなものをいただけるのは嬉しかった。
会食がお開きになってから秋斗さんにメールを送った。
件名 :ありがとうございます
本文 :ショートブレッド、湊先生から頂きました。
大好きなお菓子なのでとても嬉しかったです。
勉強のお供にいただきます。
お返事なのですが、
全国模試が終わるまで待っていただけますか?
いつ返事をすると約束していなければ、ゆっくり考えてくれればいいとだけ言われている。
期限を示すものは一切ない。でも、それはあまり良くない気がする。
私が秋斗さんの立場だったら、ずっと宙ぶらりんのままでどこにも落ち着けない気がするから。
本当はすぐに答えられたらいいのだろう。けど、返事になりそうな答えはまだ自分の中にない。
だから、自分に期日を設けることにした。
試験が終わったらちゃんと考えよう……。
件名 :待ってるよ
本文 :本当に急がなくていいんだ。
ちゃんと考えてほしいから。
翠葉ちゃん、人は誰もが正しいと思って
道を歩いているわけじゃないよ。
時には間違えて軸道修正することもある。
そんなときのためのクーリングオフ期間だから、
そんなに難しく考えないで。
軸道修正――
なんだかたくさん逃げ道を用意してもらっているようで申し訳なくなってしまう。
秋斗さんは私にお試し期間だと言った。けれども、自分は本気だと……。
それは海斗くんからも蒼兄からも聞いているのに、私はクーリングオフ期間まで提示してもらっている。
人の優しさはとても甘くて、時に残酷なものに思える。私は、この甘く優しい申し出をどうするのだろう……。
「No」と言えないのは、どこかで恋愛というものに興味を持っているから。
「Yes」と言えないのは、この優しさに甘えてしまうことに躊躇しているから。
どちらも自分に対する甘さ――
「とりあえずは勉強しなくちゃ……」
気分を変えるためにお風呂に入ったけれど、お風呂の中でも同じようなことをうつらうつらと考えていた。
せっかく持って入ったクリアファイルなどほとんど見もしなかった。
冷水のシャワーを手足に浴びせ、だめだな、と自嘲する。
お風呂から出たら蒼兄に電話しよう。
少しお話しをすればリセットできる気がする。
栞さんはというと、私の行動に干渉してくることはない。
ご飯やお風呂といったことには部屋をノックして知らせに来てくれるけど、それ以外はノータッチ。
自宅でもそうだったので、そのスタンスは変えずにいてくれる。
ただ、栞さんが寝る前には部屋に顔を出し、
「先に休むけど、翠葉ちゃんも早く休むのよ?」
と、言う程度。
蒼兄の番号にかけると、コール音三回目で蒼兄が出た。
『どうした?』
「ん? 蒼兄の声が聞きたくなっただけ」
『勉強は?』
「順調、かな?」
『そっか、来週がテストっていうことは、今暗記科目に手をつけてるところ?』
「ピンポン。でも、なんだか頭の中すっきりしなくて……。気づくと秋斗さんの返事のことを考えてる」
『……そんなときもあるよ。答えは出そう?』
「来月頭にある全国模試が終わるまで待ってもらうことにしたの。私、秋斗さんの優しさに甘えてばかり……」
『男はさ、好きな子に甘えてもらえたら嬉しいと思うものなんだよ』
携帯から聞こえる声に魔法がかかっているみたいだった。
「そう、なの?」
『そう。ワガママだってかわいく思えるだろうな』
まるで、誰かを想像しながら話しているように思えた。
『ひとつ言えることは、翠葉が「No」と答えたとしても、秋斗先輩は諦めないってことかな?』
「……そうなの?」
『たぶんね。断られたからといってそれで終わりにできるようなら、それは本気の想いじゃないと思う。中には断腸の思いで告白する人もいるのかもしれないけど』
それに近いことを佐野くんが言っていた。
同じ意見の人がふたりいると、すんなりと納得できる。
「そう、なのね……」
『秋斗先輩はかなり手強いよ? 翠葉も大変な人に好かれたもんだな』
電話の向こうでくつくつと笑っているのがわかった。
「よくわからないけど……でも、言われたときの困惑した気持ちは今はあまりなくて、少し嬉しいと思っているみたい」
『先輩が時間は惜しまないって言ってるんだから、よく考えればいい』
その言葉に安心したのか、少し頭がすっきりした感触を得た。
「勉強に専念できそう」
『それは良かった。でも、もう十二時回るから一時までには寝ろよ?』
「うん、お話聞いてくれてありがとう。おやすみなさい」
栞さんの家にはすでに湊先生と蒼兄がいた。
「蒼兄っ!」
「翠葉、隣で勉強してたんだって?」
「うん。司先輩に飴もらったの」
「飴?」
「頭使うんだったら糖分摂れって」
「あら、司も言うようになったわね」
ソファに足を投げ出して座っている湊先生が鼻で笑う。
「湊ちゃん、そうは言うけどさ、本当にすごいんだよ? 翠葉、一時半から五時過ぎまで一度もテーブルから顔上げなかったんだから」
海斗くんが言うと、蒼兄が苦笑しながら頭を掻いた。
「確かに……翠葉は一度集中すると周りが見えなくなるんだよな」
その場の視線が自分に集るのを感じ、
「栞さん、何かお手伝いすることはありませんか?」
私はキッチンへ逃げ込んだ。
「あ、逃げたわ」
「「あ、逃げた」」
司先輩だけが何も言わず、文庫本を手にしていた。
そういえば……。
私服姿の海斗くんも司先輩も初めてだ。
海斗くんは赤いTシャツにベージュのハーフパンツ。司先輩は黒いTシャツに濃いブルーのジーパン。性格も対照的だけれど、洋服も対照的。けれども、ふたりとも良く似合っていた。
私はくるぶしまである水色のワンピース。襟ぐりには白い糸で凝ったお花の刺繍がしてあり、ウエスト部分は後ろで結べるようにリボンがついている。
白いサンダルが似合うこのワンピースもお気に入り。
「翠葉ちゃん、海斗くんと司くん見てどうかした?」
栞さんに声をかけられ、
「いえ、どうしてあんなに格好いいのかな、と思っただけです」
「そうね。ふたりとも魅力的な男の子ね」
視線に気づかれたのか、司先輩が「何?」とでも言うように眉間にしわをよせたけれど、私は何を答えることなく栞さんの影に隠れた。
今日の夕飯は散らし寿司だった。
鮭の散らし寿司にハマグリのお吸い物。ほうれん草のおひたしに五目豆。栞さん特性の厚焼き玉子にきゅうりとワカメとタコの酢の物もある。
「美味しそう……」
料理が並んだテーブルは、彩り豊かなテーブルになった。
「静さんは今日来ないの?」
湊先生が訊くと、
「昨夜来たんだけどね、今日は忙しくて無理みたい。明日には顔出すって言ってたわ」
「こっちも。楓は今日夜勤だって。明日はそのまま明け出勤でお昼過ぎには帰ってくるって言ってたから、そのあとの夕飯には顔出すって」
「楓さんって……楓先生?」
「そうよ? ……あぁ、そうか。翠葉は病院で会ってるのね」
訊かれて頷く。
「少しは医者らしくなったわよ」
なんて言うけれど、私には最初からお医者さんとして映っていたわけで……。
湊先生にかかったら、みんな子ども扱いされてしまいそうだ。
いつものお弁当箱を見ていればわかることなのだけど、海斗くんはよく食べる。それはもう、気持ちがいいくらいに。蒼兄は朝とお昼はしっかり食べるけれど、夜は控え目。司先輩は一人前強といったところ。湊先生と栞さんはほぼ一人前だった。
あんなにたくさんあったおかず類もあっという間になくなる。
呆然と見ていると、
「あんたの食べる分量が少なすぎるのよ」
と、隣に座っていた湊先生に小突かれた。すると、
「それ、どうにかならないの?」
司先輩が口を挟む。
「私も色々考えてはいるんだけど、なかなかね……。そういえば、秋斗から翠葉に預かり物してるわよ?」
湊先生がバッグから紙袋を取り出した。
受け取って中を見ると、ウォーカーのフィンガーショートブレッドが入っていた。
「好きなクッキー……」
一緒に入っていたカードには、「お勉強のお供に」という一言のみのメッセージ。
「秋斗も司と似たようなことを考えたんでしょうね」
湊先生が腕を組みながら椅子の背にもたれる。
そう言われてみれば、集中力に関しては秋斗さんにも何度か指摘されたことがあったかも……。そのたびにケーキを用意してくれたりクッキーを出してくれたり……。何か必ず洋菓子を出された気がする。
「お礼言わなくちゃ……」
きっと、ウォーカーのショートブレッドが好きというのはあらかじめ蒼兄から得ていた情報なのだろう。色んなことを知られているのは恥ずかしいけれど、好きなものをいただけるのは嬉しかった。
会食がお開きになってから秋斗さんにメールを送った。
件名 :ありがとうございます
本文 :ショートブレッド、湊先生から頂きました。
大好きなお菓子なのでとても嬉しかったです。
勉強のお供にいただきます。
お返事なのですが、
全国模試が終わるまで待っていただけますか?
いつ返事をすると約束していなければ、ゆっくり考えてくれればいいとだけ言われている。
期限を示すものは一切ない。でも、それはあまり良くない気がする。
私が秋斗さんの立場だったら、ずっと宙ぶらりんのままでどこにも落ち着けない気がするから。
本当はすぐに答えられたらいいのだろう。けど、返事になりそうな答えはまだ自分の中にない。
だから、自分に期日を設けることにした。
試験が終わったらちゃんと考えよう……。
件名 :待ってるよ
本文 :本当に急がなくていいんだ。
ちゃんと考えてほしいから。
翠葉ちゃん、人は誰もが正しいと思って
道を歩いているわけじゃないよ。
時には間違えて軸道修正することもある。
そんなときのためのクーリングオフ期間だから、
そんなに難しく考えないで。
軸道修正――
なんだかたくさん逃げ道を用意してもらっているようで申し訳なくなってしまう。
秋斗さんは私にお試し期間だと言った。けれども、自分は本気だと……。
それは海斗くんからも蒼兄からも聞いているのに、私はクーリングオフ期間まで提示してもらっている。
人の優しさはとても甘くて、時に残酷なものに思える。私は、この甘く優しい申し出をどうするのだろう……。
「No」と言えないのは、どこかで恋愛というものに興味を持っているから。
「Yes」と言えないのは、この優しさに甘えてしまうことに躊躇しているから。
どちらも自分に対する甘さ――
「とりあえずは勉強しなくちゃ……」
気分を変えるためにお風呂に入ったけれど、お風呂の中でも同じようなことをうつらうつらと考えていた。
せっかく持って入ったクリアファイルなどほとんど見もしなかった。
冷水のシャワーを手足に浴びせ、だめだな、と自嘲する。
お風呂から出たら蒼兄に電話しよう。
少しお話しをすればリセットできる気がする。
栞さんはというと、私の行動に干渉してくることはない。
ご飯やお風呂といったことには部屋をノックして知らせに来てくれるけど、それ以外はノータッチ。
自宅でもそうだったので、そのスタンスは変えずにいてくれる。
ただ、栞さんが寝る前には部屋に顔を出し、
「先に休むけど、翠葉ちゃんも早く休むのよ?」
と、言う程度。
蒼兄の番号にかけると、コール音三回目で蒼兄が出た。
『どうした?』
「ん? 蒼兄の声が聞きたくなっただけ」
『勉強は?』
「順調、かな?」
『そっか、来週がテストっていうことは、今暗記科目に手をつけてるところ?』
「ピンポン。でも、なんだか頭の中すっきりしなくて……。気づくと秋斗さんの返事のことを考えてる」
『……そんなときもあるよ。答えは出そう?』
「来月頭にある全国模試が終わるまで待ってもらうことにしたの。私、秋斗さんの優しさに甘えてばかり……」
『男はさ、好きな子に甘えてもらえたら嬉しいと思うものなんだよ』
携帯から聞こえる声に魔法がかかっているみたいだった。
「そう、なの?」
『そう。ワガママだってかわいく思えるだろうな』
まるで、誰かを想像しながら話しているように思えた。
『ひとつ言えることは、翠葉が「No」と答えたとしても、秋斗先輩は諦めないってことかな?』
「……そうなの?」
『たぶんね。断られたからといってそれで終わりにできるようなら、それは本気の想いじゃないと思う。中には断腸の思いで告白する人もいるのかもしれないけど』
それに近いことを佐野くんが言っていた。
同じ意見の人がふたりいると、すんなりと納得できる。
「そう、なのね……」
『秋斗先輩はかなり手強いよ? 翠葉も大変な人に好かれたもんだな』
電話の向こうでくつくつと笑っているのがわかった。
「よくわからないけど……でも、言われたときの困惑した気持ちは今はあまりなくて、少し嬉しいと思っているみたい」
『先輩が時間は惜しまないって言ってるんだから、よく考えればいい』
その言葉に安心したのか、少し頭がすっきりした感触を得た。
「勉強に専念できそう」
『それは良かった。でも、もう十二時回るから一時までには寝ろよ?』
「うん、お話聞いてくれてありがとう。おやすみなさい」
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