115 / 1,060
Side View Story 03
16~17 Side 蒼樹 01話
しおりを挟む
秋斗先輩との森林浴から帰ってきた翠葉は様子がおかしかった。
いつもなら、楽しかったことや嬉しかったことをすぐに話してくれる。寝る時間になっても、「あのね、それでね」と全部話し終えるまでは目をキラキラさせながら話す。
が、昨日はそれがなかった。
ただ疲れているだけかとも思ったけど、洋服も着替えずにベッドに横になるなんて翠葉らしくない。
いつもなら、せめてルームウェアには着替える。
何かあったのかを訊いても答えは得られなかった。
――「何があったのか、どうしたのか、わからないの……。だから、何も話せない」。
そう、困惑した顔で口にした。
――無理に話させるものじゃない。
以前、湊さんから言われたこともあり、それ以上は追求しなかった。
森林浴へ行って心行くまで写真を撮ってきたはずだし、帰りはウィステリアホテルで特注のディナーを食べてきたはず。
そのあたりで先輩が何かとちるようなことはないだろう。
けど、八時前後に突如頻拍し始めた翠葉の脈――
それだけがひどく引っかかる。
その直後、秋斗先輩から連絡があり、帰りが少し遅くなると言われた。
間違いなく、「何か」はあったのだろう。
それが何であるのかはわからない。
まさか、秋斗先輩が翠葉に手を出したとは思いたくないが、否定しきれるわけでもない。
翠葉のあの顔――明らかに許容量を越えた出来事があったはず。
何があった……?
翠葉のことが気がかりで、なかなか寝付けなかった。
ベッドに横になり、携帯を見ては天井を見るの繰り返し。
けど、それで良かったと思う。
翠葉の熱が急に上がり始め、一時間と経たないうちに三十九度近くまで上がった。
様子を見にいけば、帰ってきたままの状態で、布団にも入らずベッドに横になっていた。
体温以外に異常を示すものはなく、少しほっとする。
「知恵熱、かな……」
起こすのがかわいそうだったから、自分の部屋に戻って毛布を持って下りた。
今が五月で良かったと思う。
これが寒い季節だったら知恵熱に輪をかけて風邪をひいていただろう。
毛布をかけ、熱い額に冷却シートを貼ると、翠葉の部屋を出た。
自室に戻り気がつけば四時を回っていた。
今日は走りに行くのはやめておこう。
少し仮眠をとって、栞さんが来たら大学へ行くか……。
片付けなくちゃいけないレポートもいくつかあるし、午後からは講義で抜けられなくなる。
昼休みには秋斗先輩を訪ねよう。
何があったのか吐いてもらう――
図書室の入り口、つい先日変えたばかりのセキュリティをパスして中へ入る。
仕事部屋へ通じるドアのセキュリティもひとつひとつ解除し、鉄製のドアが静かに開く。
中にはいつもと同じように仕事をしている秋斗先輩がいた。
入り口左にあるパソコンカウンターでは司もパソコンに向かっている。
生徒会の雑用か、秋斗先輩の仕事を手伝っているのだろう。
開校記念日で休みだというのにご苦労なことだ。
「あれ? 蒼樹、こんな時間にどうしたの?」
不思議がられるのも当然のこと。
通常、俺は大学が終わったあとにしか顔を出さない。
「今日は来る予定じゃなかったんですけど、ちょっと気になることがありまして」
「何? 昨日のこと?」
すでに何を訊きにきたのかわかっているような口ぶりだ。
「えぇ……願わくば、昨日何があったのかぜひともお聞かせ願いたい」
笑顔で返せば、秋斗先輩も笑顔を返してくる。
司も気になったのか、こちらを振り返った。
「でも、蒼樹がここに来たっていうことは、翠葉ちゃんが話してくれなかったってことでしょう? それを俺が話してもいいのかな?」
「……当人、あまりにもいっぱいいっぱいになってるもので」
「相変らず過保護だな」
と、軽く笑われた。
「理由はふたつあると思うけど……。俺が絡んでるほうだけ教えてやるよ」
ふたつのうち、ひとつ……?
「俺、翠葉ちゃんに告白したから。っていうか、お試しで付き合ってみないか提案してみた」
「「はっ!?」」
思わず口にした言葉が見事に司と重なる。
ふたりして顔を見合わせたものの、それどころではない。
「秋斗先輩、翠葉には手を出さないでくださいっ」
「秋兄が相手にしてきた女とは人種が違うだろっ!?」
司と俺が同じ意図のもと口にした言葉が面白かったのか、先輩はひとりくつくつと笑っている。
「秋兄っ!?」
俺よりも先に痺れを切らした司が、先輩にどういうことなのか話せとせっつく。
「安心していいよ。遊びのつもりはないから」
その一言をどう捉えたらいいのかがわからなかった。
真意が見えない。
先輩はいつだって核心めいたことは触れずに話す。
だから、本気なのか冗談なのかが読み取れない――厄介な。
「蒼樹、そんな怖い顔しなくていいよ。はい、これ。昨日解約してきた俺の携帯。中、見るならどうぞ」
そう言って差し出された携帯に飛びついたのは司だった。
「御園生さんは知ってるか知りませんが、こっちの携帯は女の連絡先しか入ってないんです」
あぁ……確か、先輩はふたつの携帯を使い分けている。
ひとつは仕事回線と言っていた気がする。
「秋兄、これ――」
「うん。もういらないから解約した。一応個人情報の宝庫だったからデータ類は全部消去済み」
「……本気、なんですか?」
「その携帯以外にどうやったらそれを証明できるかな? なんだったらこっちのノートも調べる?」
先輩が差し出したのはプライベート用のノートパソコン。
学生のころから、プライベート用のノートパソコンだけは誰にも触らせたことがない。
そのパソコンをこちらに向ける。
「かまわないよ? 中に入っている連絡先に関しては、訊かれればすべて明白にできる」
後ろ暗いことは何もないとでも言うような物言いに、呆気に取られたものの、先輩なりの真剣さが見えた気がした。
司はよほど衝撃的だったのか、珍しくも整った顔を固まらせている。
俺はひとつため息をつき、
「ただ理解できないのは、なんでお試しで付き合うなんて話に?」
どうしても納得のいかない部分を説明してもらいたい。
先輩なら好きだと思えば「付き合おう」と言うのではないだろうか。
それをなぜ――
「その理由は言えない。けど、翠葉ちゃんは人を好きになるっていうことがどういうことかわかってないみたいだから、あとに引ける状態を用意しただけ。翠葉ちゃんにはクーリングオフ期間を設けるって話したけどね」
余裕の笑みで言われる。
「それって……先輩があとに引けるっていう意味じゃないですよね?」
わかってはいるつもりだけど、確認せずにはいられない。
「心外だな。純粋に翠葉ちゃんが俺からいつでも手を引けるように、と思ったまでだよ。年の差もある。加えて、翠葉ちゃんは恋や愛がどんなものかわかっていないからね。俺からしたら『恋愛ごっこ』だけど、それでもいいかなって思えたんだ。翠葉ちゃんが側にいてくれるならそれでいいかな、って」
「――本気ってこと?」
やっと司が口を開いたかと思えば、その声はわずかに震えていた。
「そうだな……。もうほかの女が要らないと思える程度にはね」
こんな答え方をするのは秋斗先輩の癖だろう。
「……なんで翠だった?」
司の目が泳いで見えた。
その様に、「動揺」という言葉が脳裏に浮かぶ。
「……どうして、か。難しいな……。けど、あの子はそこらの女と違って駆け引きをしないしずるくもない。加えて、『藤宮』という家をまったく意識していない。何より、彼女が笑うと嬉しいと思う。衝撃的だったよ……。ずっとその笑顔を見ていたいなんてさ。それに、時々言ってくれるわがままがひどく愛しいと思う。人を好きになるってこういうことなんだって思えた」
屈託なく笑う先輩は嘘をついているようには見えなかった。
何かを含んだ物言いでもなく、ただ純粋に翠葉を好いてくれているように思えた。
――それならいい。あとは翠葉の気持ちしだいだ。
いくら兄バカとは言え、翠葉が好きになる相手にまでどうこう言うつもりはない。
そして、その相手の本気が見えるなら、俺がしゃしゃり出ていく必要はないし、何を言える立場でもなくなる。
ふと、隣に立つ司に視線をやるも、茫然自失といった様子だった。
「司……?」
司ははっとした表情をすぐに改め、
「……午後から部活だから」
と、仕事部屋を出ていった。
その姿を見送ると、
「蒼樹も気づいたか?」
後ろから先輩の声がして振り返る。
「たぶんだけど、司も翠葉ちゃんのことを好きだと思うよ。あいつがそれに気づいているのか気づいていないのかはわからない。でも、気づいているのだとしたら、昨日のアレを見られたのは失敗だったな」
「……え?」
昨日のアレ……?
「昨日、帰りの時間を少し遅らせてもらっただろ?」
「はい。……それと司が何か関係あるんですか?」
「それがもうひとつの理由。司がどこぞの令嬢をエスコートしてホテルにいた。双方両親が揃っているところを見ると、見合いだったかもしれない。そんな噂を聞かなかったわけでもないし、まだ裏は取れてないけどね。あとで湊ちゃんにでも訊いてみる」
それでなんで帰宅時間が遅くなった……?
……もしかして、昨日、翠葉の脈拍が速くなったのは司を見て動揺したから?
「蒼樹の察しどおりだよ。翠葉ちゃんは司を見て動揺した。そういうの隠せる子じゃないしね。もしかしたら司を好きなのかもしれない。だから司の前では言わなかった」
「それは翠葉を思って? それとも――」
「後者のほうが濃厚。ただ、司に知られたくなかった。……翠葉ちゃんがあれだけ動揺する相手に嫉妬したってところかな」
この秋斗先輩が嫉妬なんて――
座り心地の良さそうな、大きな椅子に身体を預ける先輩をまじまじと見てしまう。
「そういうところ兄妹そっくりな?」
「あー……すみません。嫉妬してる先輩なんて想像できなかったもので」
素直に謝ると、
「そうだね。今まで人に対して嫉妬なんてしたことなかったよ。自分、割となんでもできる要領のいい人間だし、人が欲するものはたいてい最初から手の内にある。だから、俺にとっては初めての感情――思ったよりも、ぞっこんみたい」
まるで他人事のように話す。
「翠葉が傷つくようなことだけはしないでください。それだけは――」
「……心得てるよ。何があっても彼女が傷つくようなことはしない。実のところ、結婚を考えちゃうくらいには本気だから。婚約するまではキス以上のこともしないと約束する」
それはつまり――
「だから、キスまでは許せ……ですか?」
「ま、そういうことかな?」
「……わかりました。あとは翠葉しだいなので……。俺、大学戻ります」
来たときよりは幾分か軽くなった足取りで部屋を出る。
初めて見た秋斗先輩の本気。
自分の従弟であり、九歳も年下の男に嫉妬したという先輩。
もし翠葉が先輩を選んだとしても大きな不安はない。
先輩が本気なら、なんの問題もない。
ただ、司と翠葉の気持ちが気になる。
司は自分の気持ちに気づいているのだろうか……。
翠葉は昨日の動揺をどう消化するのだろう。
起きた出来事を知りすぎるというのも問題かもしれない。
さすがに翠葉の感情にまで口を出す筋合いはない。
それでも気になるのは、どこまでもかわいい妹だから。
これはしばらく堪えて堪えて静観を決め込まなくていけなさそうだ。
果たして、俺にそんな忍耐力があるのだろうか……。
情けなくも少し不安になる。
翠葉のこととなるとだめだな……。
そんな自分を笑いながら大学へと続く桜香苑を歩いた。
いつもなら、楽しかったことや嬉しかったことをすぐに話してくれる。寝る時間になっても、「あのね、それでね」と全部話し終えるまでは目をキラキラさせながら話す。
が、昨日はそれがなかった。
ただ疲れているだけかとも思ったけど、洋服も着替えずにベッドに横になるなんて翠葉らしくない。
いつもなら、せめてルームウェアには着替える。
何かあったのかを訊いても答えは得られなかった。
――「何があったのか、どうしたのか、わからないの……。だから、何も話せない」。
そう、困惑した顔で口にした。
――無理に話させるものじゃない。
以前、湊さんから言われたこともあり、それ以上は追求しなかった。
森林浴へ行って心行くまで写真を撮ってきたはずだし、帰りはウィステリアホテルで特注のディナーを食べてきたはず。
そのあたりで先輩が何かとちるようなことはないだろう。
けど、八時前後に突如頻拍し始めた翠葉の脈――
それだけがひどく引っかかる。
その直後、秋斗先輩から連絡があり、帰りが少し遅くなると言われた。
間違いなく、「何か」はあったのだろう。
それが何であるのかはわからない。
まさか、秋斗先輩が翠葉に手を出したとは思いたくないが、否定しきれるわけでもない。
翠葉のあの顔――明らかに許容量を越えた出来事があったはず。
何があった……?
翠葉のことが気がかりで、なかなか寝付けなかった。
ベッドに横になり、携帯を見ては天井を見るの繰り返し。
けど、それで良かったと思う。
翠葉の熱が急に上がり始め、一時間と経たないうちに三十九度近くまで上がった。
様子を見にいけば、帰ってきたままの状態で、布団にも入らずベッドに横になっていた。
体温以外に異常を示すものはなく、少しほっとする。
「知恵熱、かな……」
起こすのがかわいそうだったから、自分の部屋に戻って毛布を持って下りた。
今が五月で良かったと思う。
これが寒い季節だったら知恵熱に輪をかけて風邪をひいていただろう。
毛布をかけ、熱い額に冷却シートを貼ると、翠葉の部屋を出た。
自室に戻り気がつけば四時を回っていた。
今日は走りに行くのはやめておこう。
少し仮眠をとって、栞さんが来たら大学へ行くか……。
片付けなくちゃいけないレポートもいくつかあるし、午後からは講義で抜けられなくなる。
昼休みには秋斗先輩を訪ねよう。
何があったのか吐いてもらう――
図書室の入り口、つい先日変えたばかりのセキュリティをパスして中へ入る。
仕事部屋へ通じるドアのセキュリティもひとつひとつ解除し、鉄製のドアが静かに開く。
中にはいつもと同じように仕事をしている秋斗先輩がいた。
入り口左にあるパソコンカウンターでは司もパソコンに向かっている。
生徒会の雑用か、秋斗先輩の仕事を手伝っているのだろう。
開校記念日で休みだというのにご苦労なことだ。
「あれ? 蒼樹、こんな時間にどうしたの?」
不思議がられるのも当然のこと。
通常、俺は大学が終わったあとにしか顔を出さない。
「今日は来る予定じゃなかったんですけど、ちょっと気になることがありまして」
「何? 昨日のこと?」
すでに何を訊きにきたのかわかっているような口ぶりだ。
「えぇ……願わくば、昨日何があったのかぜひともお聞かせ願いたい」
笑顔で返せば、秋斗先輩も笑顔を返してくる。
司も気になったのか、こちらを振り返った。
「でも、蒼樹がここに来たっていうことは、翠葉ちゃんが話してくれなかったってことでしょう? それを俺が話してもいいのかな?」
「……当人、あまりにもいっぱいいっぱいになってるもので」
「相変らず過保護だな」
と、軽く笑われた。
「理由はふたつあると思うけど……。俺が絡んでるほうだけ教えてやるよ」
ふたつのうち、ひとつ……?
「俺、翠葉ちゃんに告白したから。っていうか、お試しで付き合ってみないか提案してみた」
「「はっ!?」」
思わず口にした言葉が見事に司と重なる。
ふたりして顔を見合わせたものの、それどころではない。
「秋斗先輩、翠葉には手を出さないでくださいっ」
「秋兄が相手にしてきた女とは人種が違うだろっ!?」
司と俺が同じ意図のもと口にした言葉が面白かったのか、先輩はひとりくつくつと笑っている。
「秋兄っ!?」
俺よりも先に痺れを切らした司が、先輩にどういうことなのか話せとせっつく。
「安心していいよ。遊びのつもりはないから」
その一言をどう捉えたらいいのかがわからなかった。
真意が見えない。
先輩はいつだって核心めいたことは触れずに話す。
だから、本気なのか冗談なのかが読み取れない――厄介な。
「蒼樹、そんな怖い顔しなくていいよ。はい、これ。昨日解約してきた俺の携帯。中、見るならどうぞ」
そう言って差し出された携帯に飛びついたのは司だった。
「御園生さんは知ってるか知りませんが、こっちの携帯は女の連絡先しか入ってないんです」
あぁ……確か、先輩はふたつの携帯を使い分けている。
ひとつは仕事回線と言っていた気がする。
「秋兄、これ――」
「うん。もういらないから解約した。一応個人情報の宝庫だったからデータ類は全部消去済み」
「……本気、なんですか?」
「その携帯以外にどうやったらそれを証明できるかな? なんだったらこっちのノートも調べる?」
先輩が差し出したのはプライベート用のノートパソコン。
学生のころから、プライベート用のノートパソコンだけは誰にも触らせたことがない。
そのパソコンをこちらに向ける。
「かまわないよ? 中に入っている連絡先に関しては、訊かれればすべて明白にできる」
後ろ暗いことは何もないとでも言うような物言いに、呆気に取られたものの、先輩なりの真剣さが見えた気がした。
司はよほど衝撃的だったのか、珍しくも整った顔を固まらせている。
俺はひとつため息をつき、
「ただ理解できないのは、なんでお試しで付き合うなんて話に?」
どうしても納得のいかない部分を説明してもらいたい。
先輩なら好きだと思えば「付き合おう」と言うのではないだろうか。
それをなぜ――
「その理由は言えない。けど、翠葉ちゃんは人を好きになるっていうことがどういうことかわかってないみたいだから、あとに引ける状態を用意しただけ。翠葉ちゃんにはクーリングオフ期間を設けるって話したけどね」
余裕の笑みで言われる。
「それって……先輩があとに引けるっていう意味じゃないですよね?」
わかってはいるつもりだけど、確認せずにはいられない。
「心外だな。純粋に翠葉ちゃんが俺からいつでも手を引けるように、と思ったまでだよ。年の差もある。加えて、翠葉ちゃんは恋や愛がどんなものかわかっていないからね。俺からしたら『恋愛ごっこ』だけど、それでもいいかなって思えたんだ。翠葉ちゃんが側にいてくれるならそれでいいかな、って」
「――本気ってこと?」
やっと司が口を開いたかと思えば、その声はわずかに震えていた。
「そうだな……。もうほかの女が要らないと思える程度にはね」
こんな答え方をするのは秋斗先輩の癖だろう。
「……なんで翠だった?」
司の目が泳いで見えた。
その様に、「動揺」という言葉が脳裏に浮かぶ。
「……どうして、か。難しいな……。けど、あの子はそこらの女と違って駆け引きをしないしずるくもない。加えて、『藤宮』という家をまったく意識していない。何より、彼女が笑うと嬉しいと思う。衝撃的だったよ……。ずっとその笑顔を見ていたいなんてさ。それに、時々言ってくれるわがままがひどく愛しいと思う。人を好きになるってこういうことなんだって思えた」
屈託なく笑う先輩は嘘をついているようには見えなかった。
何かを含んだ物言いでもなく、ただ純粋に翠葉を好いてくれているように思えた。
――それならいい。あとは翠葉の気持ちしだいだ。
いくら兄バカとは言え、翠葉が好きになる相手にまでどうこう言うつもりはない。
そして、その相手の本気が見えるなら、俺がしゃしゃり出ていく必要はないし、何を言える立場でもなくなる。
ふと、隣に立つ司に視線をやるも、茫然自失といった様子だった。
「司……?」
司ははっとした表情をすぐに改め、
「……午後から部活だから」
と、仕事部屋を出ていった。
その姿を見送ると、
「蒼樹も気づいたか?」
後ろから先輩の声がして振り返る。
「たぶんだけど、司も翠葉ちゃんのことを好きだと思うよ。あいつがそれに気づいているのか気づいていないのかはわからない。でも、気づいているのだとしたら、昨日のアレを見られたのは失敗だったな」
「……え?」
昨日のアレ……?
「昨日、帰りの時間を少し遅らせてもらっただろ?」
「はい。……それと司が何か関係あるんですか?」
「それがもうひとつの理由。司がどこぞの令嬢をエスコートしてホテルにいた。双方両親が揃っているところを見ると、見合いだったかもしれない。そんな噂を聞かなかったわけでもないし、まだ裏は取れてないけどね。あとで湊ちゃんにでも訊いてみる」
それでなんで帰宅時間が遅くなった……?
……もしかして、昨日、翠葉の脈拍が速くなったのは司を見て動揺したから?
「蒼樹の察しどおりだよ。翠葉ちゃんは司を見て動揺した。そういうの隠せる子じゃないしね。もしかしたら司を好きなのかもしれない。だから司の前では言わなかった」
「それは翠葉を思って? それとも――」
「後者のほうが濃厚。ただ、司に知られたくなかった。……翠葉ちゃんがあれだけ動揺する相手に嫉妬したってところかな」
この秋斗先輩が嫉妬なんて――
座り心地の良さそうな、大きな椅子に身体を預ける先輩をまじまじと見てしまう。
「そういうところ兄妹そっくりな?」
「あー……すみません。嫉妬してる先輩なんて想像できなかったもので」
素直に謝ると、
「そうだね。今まで人に対して嫉妬なんてしたことなかったよ。自分、割となんでもできる要領のいい人間だし、人が欲するものはたいてい最初から手の内にある。だから、俺にとっては初めての感情――思ったよりも、ぞっこんみたい」
まるで他人事のように話す。
「翠葉が傷つくようなことだけはしないでください。それだけは――」
「……心得てるよ。何があっても彼女が傷つくようなことはしない。実のところ、結婚を考えちゃうくらいには本気だから。婚約するまではキス以上のこともしないと約束する」
それはつまり――
「だから、キスまでは許せ……ですか?」
「ま、そういうことかな?」
「……わかりました。あとは翠葉しだいなので……。俺、大学戻ります」
来たときよりは幾分か軽くなった足取りで部屋を出る。
初めて見た秋斗先輩の本気。
自分の従弟であり、九歳も年下の男に嫉妬したという先輩。
もし翠葉が先輩を選んだとしても大きな不安はない。
先輩が本気なら、なんの問題もない。
ただ、司と翠葉の気持ちが気になる。
司は自分の気持ちに気づいているのだろうか……。
翠葉は昨日の動揺をどう消化するのだろう。
起きた出来事を知りすぎるというのも問題かもしれない。
さすがに翠葉の感情にまで口を出す筋合いはない。
それでも気になるのは、どこまでもかわいい妹だから。
これはしばらく堪えて堪えて静観を決め込まなくていけなさそうだ。
果たして、俺にそんな忍耐力があるのだろうか……。
情けなくも少し不安になる。
翠葉のこととなるとだめだな……。
そんな自分を笑いながら大学へと続く桜香苑を歩いた。
5
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。
四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……?
どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、
「私と同棲してください!」
「要求が増えてますよ!」
意味のわからない同棲宣言をされてしまう。
とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。
中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。
無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる