光のもとで1

葉野りるは

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第五章 うつろう心

08話

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「どこに行ってたの?」
 教室に戻ると飛鳥ちゃんに訊かれた。
「司先輩のクラス」
「またなんで……」
 桃華さんが予想を裏切らずに嫌そうな顔を見せる。
「土曜日に具合が悪くなって、そのときにミネラルウォーターを買ってもらったの。そのお代、返してなかったからお礼を兼ねて……」
「で? なんで海斗が不機嫌そうな顔してるわけ?」
 佐野くんに訊かれて首を傾げる。
「訊いてみたんだけど、内緒みたい」
「なんだそりゃ……」
「海斗が不機嫌なんて珍しいわね?」
 桃華さんが私の前の席を覗き込み、飛鳥ちゃんが「海斗ー?」と声をかけるも、
「あとにして。次の授業受けたら元に戻る」
 海斗くんはこちらを見ずに答えた。
 一限が終わったときは普通だったし、司先輩を呼ぶときも普通だった。いったいいつ機嫌が悪くなる出来事があったのだろう……。
 手紙を渡したあとの先輩の一言? でも、あんなことは日常茶飯事だし――
 だめだ、わからないや。
 自分のせいかとも思ったけれど、如何せん心当たりが見つからない。
 本当にこの授業が終わったら元に戻るのだろうか……。
 久しぶりに人がイライラしているところを目にした気がした。
 中学のときは、クラス中に溢れていた負の感情――けれども、このクラスにはそれを感じたことがない。
 ……優しい人が多い以前に、心が安定している人が多いのかもしれない。
 ふと、そんなふうに思った。
 現国が終わると、海斗くんは何事もなかったように笑っていた。
 切り替えが早い……。少し、羨ましいな。
 私は落ち込んだり何かマイナスのことが起こると短時間ではうまく切り替えができないから、とても羨ましい――
 でも、それにはきっと努力が必要なのだろう。
 気持ちを切り替えられるだけの精神力。それがないとできないことだと思うから。
 こうやって周りの人を見るたびに尊敬の項目が増えていく。そして、私に足りないものが如実に浮かび上がるのだ。
 私に足りないもの――それは精神力以前に心の強さなのかもしれない。
 強くなれなくても、せめて竹のようなしなやかさがあればいいのに――

 三限が始まる前にメールが届いた。
「あ、司先輩……」
 その言葉に海斗くんが振り向く。
「なんだって?」
 少し不機嫌な声音に顔を上げる。
「んと……寝る時間は一時前くらいって」
「……は? それなんの話?」
「あ、昨夜日付が変わる直前に電話があって、おめでとうって言ってくれたの。それで、私もお返しがしたくてさっきの手紙で寝る時間を訊いたのだけど、そのお返事……?」
 海斗くんは「くっ」と笑いだした。
「……今の、どのあたりに笑いの種あったかな?」
 机に身を乗り出して訊くも、「内緒」と楽しそうに隠された。
 今日の海斗くんはなんだか秘密主義者だ。
「でも、司の誕生日ってもう終わってるけど? あいつ四月六日だもん」
「今朝蒼兄から教えてもらってショック受けたんだけど、大丈夫。ちゃんと対策練るから」
 クスリ、と笑うと海斗くんは目を丸くした。
「過ぎた日に対して対策も何もなくね?」
「ふふ、内緒」
 もう一度携帯のディスプレイに目を落とす。


件名 :寝る時間
本文 :基本的には十二時過ぎから一時の間。
   でも、なんで?


 疑問文で終わっているメールに返事を打つ。
「それは内緒です」と。
 ちょっと海斗くんの真似……。
 そのあとはとくにメールの返信もなく時間が過ぎた。

 四限が終わるとホームルーム。
 今日は試験前日だから午前授業なのだ。
 ホームルームが終わると携帯が鳴り出した。
 ディスプレイには「藤宮秋斗」の文字。その文字を見るだけで心臓が飛び跳ねる。
 少し震える手で携帯の通話ボタンを押すと、
「もしもし……?」
『翠葉ちゃん、ホームルーム終わった?』
「はい」
『じゃ、駐車場で待ってるから』
「あ、はい。すぐに行きます」
 短い会話で通話を切る。
 電話って緊張する……。
 声が耳にダイレクトに届くのが、なんていうか――耳元で囁かれている気がしてしまうのだ。
 遅れてやってきた頬の熱さにうろたえていると、
「何、蒼樹さん?」
 飛鳥ちゃんに訊かれると、私が答える前に佐野くんが口を開く。
「いや、違うでしょ。蒼樹さんが相手であの受け答えはない」
 なんて的確な考察なんだろう……。
「察するに秋斗先生ね? ほら、赤くなってるし」
 と、桃華さん。
 みんながみんな、鋭い観察力の持ち主で困ってしまう。
「今日はなんなの?」
 飛鳥ちゃんに訊かれ、
「あの……誕生日のお祝いにランチをご馳走してくれるって――」
 熱を持った頬を押さえ答えると、
「良かったわね」
 桃華さんがにこりと笑った。
「あの、待たせてるのは嫌だからもう行くねっ」
 若干逃げ出すように教室をあとにした。
 かばんにはピルケースもミネラルウォーターも入っている。
 十二時になって薬を飲めば、ひどい痛みは回避できるはず……。
 ある程度の目算を立て、図書棟裏の駐車場へと向かった。

 駐車場へ行くと、車にはすでにエンジンがかけられていて、秋斗さんはその車に寄りかかるようにして立っていた。
「お待たせしました」
「そんなに待ってないから気にしないで」
 と、助手席のドアを開けてくれる。
 思い返してみるも、秋斗さんの車に乗るとき、自分でドアを開け閉めした記憶がない。
 いつも秋斗さんが開けてくれ、降りるときは蒼兄が開けてくれる。
 まるでどこかのお嬢様みたい。
 そんなことを考えると、頭をよぎった人がいた。
 ――雅さんだ。
 誰が見ても、どこから見てもお嬢様然としている女の人。
「どうかした?」
 運転席から秋斗さんに顔を覗き込まれる。
「え? 今何か言いましたか……?」
「今日、うちでランチにしようって言ったんだけど?」
「……え? 秋斗さんのおうちってマンションですか?」
「そう。澤村さんに無理を聞いてもらってデリバリーを頼んであるんだ」
 秋斗さんはにこりと笑うけど、ウィステリアホテルでデリバリー……?
 あまりにも似つかわしくない言葉でなかなか結びつかない。
「外で食べることも考えたんだけど、翠葉ちゃんの好みを考えるとこっちのほうがいいかな、と思って」
 あ、気を遣ってくれたんだ……。
「なんだかすみません……」
「そうじゃない。……せっかく気づいてくれたのなら、『ありがとう』って言ってもらいたいな」
「……ありがとう、ございます」
「いいえ、どういたしまして」
 秋斗さんは森林浴へ行くときにかけていたサングラスをかけ、いつものように緩やかに車を発進させた。
 サングラスをかけているところを久しぶりに見た。車に乗るときだけ、しかも晴れている日限定な気がする。
「サングラスをかけると、やっぱり眩しくないんですか?」
「そうだね、幾分かは楽だよ」
 私が不思議そうに見ていたからか、
「あとでかけてみる?」
「少し好奇心が……」
「それ、『すごく』の間違いじゃない?」
 秋斗さんにクスリと笑われた。
 マンションの敷地内に入ると、いつも蒼兄が止めている場所よりもさらに奥へ行く。
 そこには、マンションとは別棟の立体駐車場があった。
 立体駐車場とマンションの間には渡り廊下もある。
 駐車場に着くと、渡り廊下前にショッピングカートが数台置かれていた。
 カートの脇にはインターホンがついており、「コンシェルジュ直通」と書かれている。
 カートで運びきれないときはコンシェルジュが駆けつけてくれるのかもしれない。
 なんて至れり尽くせりなマンションなのだろう。
 それらを横目にエレベーターホールまで歩き、
「あ……そういえば、話していなかった気がするんですけど」
「ん?」
「私、今週はずっと栞さんのおうちにお泊りなんです」
「……それは聞いてなかったな」
「なので、一度着替えに戻ってもいいですか?」
「いいよ」
 十階に着くと一度別れ、栞さんの家へ帰った。
 鍵を渡されてはいるけれど、その前にインターホンを押す。すると、すぐに栞さんが出てくれた。
「秋斗くんとランチは?」
「それが、ウィステリアホテルにデリバリーをお願いしてあるらしくて、秋斗さんのおうちで食べることになっていて……」
「あのホテル、デリバリーなんてしてたかしら?」
 小首を傾げながら迎え入れてくれる。
「なので、制服を着替えに帰ってきました」
「秋斗くんとふたり?」
 首を傾げたままに訊かれる。
「ほかに誰が来るとは聞いてないです」
 以前使った客間に通されると、そこには私の荷物が運び込まれていた。
「大丈夫かしら……」
「……何がですか?」
「ううん、こっちの話。美味しいものを食べていらっしゃい」
「……はい」
 疑問は残るものの、秋斗さんを待たせていることが気になり、ボストンバッグの中から慌てて洋服を取り出す。
 持ってきた二着のうち一着は秋斗さんの前で着たことがある洋服。
「でも、紺のワンピースは六日に着たいし……」
 悩んだ結果、ルームウェアのお気に入りを着て行くことにした。
 リネン素材のベージュの無地。七部袖だけれど、ベルスリーブなのであまり暑さは感じない。
 携帯とピルケース、ミネラルウォーターをチビバッグに入れて部屋を出た。
「栞さん、いってきます!」
「はい、いってらっしゃい」
 携帯を片手の栞さんに笑顔で見送られた。
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