光のもとで1

葉野りるは

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第五章 うつろう心

26話

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 ブースに入ると荒川先輩が涙の痕を拭き取ってくれ、違和感がないようにおしろいで押さえてくれた。
「ほら、行っておいで」
 ブースを出ると、澄んだ声が聞こえてくる。
「きれい――妖精が歌っているみたい……」
「会場へ戻ろう」
 待っていてくれた司先輩に左手を差し出され、その手に自分の手を重ねる。
 最近、こういう手に慣れ始めている自分が怖い。
 この手はいつなくなるともしれないのに、その手を頼りにして歩いている自分が、ひどく頼りないものにく思えた。
「またくだらないことを考えてないか?」
「……先輩にとってはくだらないことかもしれないけれど、私にとっては大事なことなんです」
 先輩は何か言いたそうにしていたけれど、何を言うでもなく歩き始めた。
 特等席は会場の一等地にあり、里見先輩は二曲歌い終わると私の側までやってきた。
「翠葉ちゃん、共演しよう!」
 にっこりと笑われる。
「え……でも、何を?」
「エーデルワイスがいいな。知ってるでしょう?」
 知っているけど……。
「即興で適当に伴奏して? ハ長調でいこう!」
 両手で右手を引張られ、出ないわけにはいかない状況になりステージへと上がった。
 ドの音を鳴らすと、里見先輩は音を取ってコクリと頷く。私は少し考え、
「頭五小節前奏を入れます」
 小声で伝えると、茜先輩は背に手を回し、OKサインをつくってみせた。
 ソの音から前奏を始めると、あたりに響くピアノの音にはっとする。
 外で演奏するのって、こんなに気持ちがいいものだったのね……。
 さっきはそんなことを感じる余裕すらなかった。
 人と一緒にステージに上がっただけで、ステージ上の空気やピアノの向こうに広がる景色が違って見えた。
 五小節の前奏が終わると里見先輩の歌が始まる。
「っ……!?」
 自分が伴奏しているのに鳥肌が立つ。声とピアノの音が共鳴していた。
 すごく気持ちがいい……。
 普段、人と音楽をすることなんてなかったから、こんな感覚は知らなかった。
 ベーゼンドルファーの繊細な音が、里見先輩の透き通った声をより引き立てる。
 やっぱり、すてきなピアノ――またいつか機会があったら弾きたいな。
 そう思っているうちに短い曲は終わりを迎えた。
「翠葉ちゃん、ありがとう!」
「こちらこそ、ありがとうございます」
 里見先輩に右手を差し出され、握手を交わす。と、その場に拍手が沸き起こった。
「茜先輩、マイクっす!」
 どこかで聞いたことのある声がすると、茜先輩は片手にマイクを握っていた。
『ご清聴いただきありがとうございました。――それでは! これから第三十八回生徒会就任式を行います!』
 え? 生徒会就任式……?
 私の手はまだ里見先輩にしっかりと握られている。そこに現生徒会メンバーが集ってきて、気づけば私の隣には海斗くんが立っていた。
「やっほー」
 やっほーじゃなくて、これは何……?
 海斗くんの隣には何度か会ったことのあるサザナミくんが立っていた。そして、その隣には桃華さん。
『はいっ! それでは一年の新メンバーをご紹介!』
 と、茜先輩が私を見た。
『まずひとり目は姫こと御園生翠葉さん! 彼女は会計です。お隣、藤宮海斗くん! 彼は書記担当です。お隣、漣千里くん。そしてクラス委員と生徒会を兼任することになった簾条桃華さんっ! ふたりは機動部隊です!』
 そこまで茜先輩が話すと、
『異議のある人はここで申し出てくれるー?』
 加納先輩の手にもマイクが握られていた。
『さすがに全校生徒の挙手は確認取れないよねぇ……。じゃ、異議がなければ拍手をっ!』
 言った途端、広場にいる人たちやテラスからこちらを眺めている人たちからの拍手が沸き起こった。
「もう逃げられないからね?」
 右手を握ったままの里見先輩に微笑まれる。
「あの……でも――できません」
「こんなにたくさんの人たちにOKもらったのに?」
 それでも――
「私にはできません」
「どうしてか訊いてもいいかしら?」
 珍しく里見先輩に訊かれる。いつもなら、言いたくないことは言わなくていいと言ってくれる人が……。
「私、学校にきちんと通ってこれるかわからないので……。仕事が忙しいときに穴は開けたくないです。それに、私以上の適任者がいるはずです」
「じゃぁ、誰? 推薦してくれる?」
 誰……? そんなのわからない……。
「候補をひとりもあげられないようじゃだめね。翠葉ちゃん、いいのよ。学校に来られなくても私たちが行けば済むことだし、このご時世通信手段だって複数あるわ」
「でもっ、申し訳ないですっ」
「うちの生徒会、私の意見が絶対なの。私が法律、私が校則よ?」
 蕩けてしまいそうなほどかわいい笑顔を向けられる。
「翠葉、茜先輩には逆らわないほうがいいと思うぞ?」
 海斗くんに言われてちょっと困る。
「翠葉が動けないときのための私よ? クラス委員も生徒会も変らないわ。この男の指図を受けるってことにおいてはね」
 桃華さんは嫌そうな顔で司先輩を見て私に視線を戻す。
「それなら翠葉の助けになるほうがよっぽどいいわ」
「事情は知らないけど、うちの生徒会結構楽しいよ?」
 サザナミ君にも声をかけられた。
「……全部わかってて、それでも受け入れてくれるんですか?」
 里見先輩に訊くと、
「そうよ。だって、うちのメンバーみんな翠葉ちゃんに首っ丈なんだもの」
 茜先輩に微笑まれ、私の隣に司先輩が立った。
「バックアップ体制は整ってる。あとは翠の気持ちしだい」
 どこか挑発的な目で見られた。
「やりたい――それなら、やってみたい」
「じゃ、決まり!」
 美都先輩が口にし、メンバー全員が加納先輩に視線を移すと、加納先輩はにっこりと微笑んだ。
『それでは、本人の承諾もいただけましたので、これにて新メンバーの就任式を終わらせていただきます!』
 そのすぐあと、飛鳥ちゃんの元気な声がスピーカーから流れてくる。
『ここからはパーティーの続きをお楽しみください! ご存知かとは思いますが、本日の料理は調理部皆さんのお手製です。テーブルにかけられているクロスは手芸部洋裁部門の作品となっております。さ、吹奏楽部のすてきな演奏が再スタートですっ!』
 演奏が始まると、
「これから飛鳥もこっちに来るわ」
 と、桃華さんが教えてくれた。
「桃華さん、すごく……すごく驚いた。今日、何度心臓が止まりそうになったのか数えきれないくらい」
 桃華さんは嬉しそうにクスリ、と笑う。
「だから、驚かせる自信はあるって言ったでしょう?」
 こういうのを企むのが上手な人っているんだな、と思っていると、気づかないうちにクラスメイトがステージの周りに集っていた。そこへ飛鳥ちゃんが息を切らせてやってくる。
 飛鳥ちゃんが到着と同時に「せーの!」と掛け声をかけると、
「ハッピーバースデイ、翠葉っ!」
 クラス全員の声に包まれた。
 こんな大勢の人に祝われたことなんてない。たぶん、この先はもうないんじゃないかと思う。
「あり、がとう……」
 さっきとは違う種類の涙が溢れてくる。
「これ、クラスのみんなからのプレゼント」
 海斗くんから渡されたのはCDだった。ケースの裏には曲名とアーティスト名が記されている。
「それ、みんなが御園生に聞いてほしいって思った曲なんだ」
 佐野くんに言われてまじまじとCDケースを見ていた。
「普段、インスト以外はあまり聴かないんでしょ?」
 飛鳥ちゃんに訊かれてコクリと頷く。
「恋愛小説を読むよりもっとダイレクトに伝わりそうな歌詞がある」
 海斗くんに言われて、
「そう、なの……?」
 訊けばクラス中が頷く。
「ありがとう……」
 もう一度口にすると、
「お礼ならピアノが聴きたいわ。せっかくここにピアノがあるんですもの」
 桃華さんに言われて、背後にあるピアノを振り返る。
 ひとりで演奏するのはなんとなく抵抗があり、里実先輩の姿を探すと数メートル離れたところに姿を見つけた。
「……里見先輩、歌、歌ってもらえますか?」
「何? なんの曲?」
「星に願いを、なんてどうでしょう?」
「あ、好き!」
「さっきと同じ調で大丈夫ですか?」
「大丈夫!」
 深呼吸をひとつして前奏を始める。
 ピアノの音に里見先輩の歌が乗り、桜の葉がそよぐ音まで音楽の一部に聞こえた。
 楽器を演奏して、こんなにも気持ちがいいと感じたのは初めてかもしれない。
 忘れないようにしよう。この感覚を、ずっと忘れずにいよう――
 演奏が終わると拍手が起こる。さっきと同じように、里見先輩に手を差し出され、その手を取ると一緒にお辞儀をした。

 パーティーがお開きになるころ、里見先輩に話しかけられた。
「翠葉ちゃんの音は真っ直ぐね? 悲しいのもつらいのも、何もかもが心にダイレクトに伝わるわ。そういうの、全部一緒に乗り越えられるような仲間になろう? で、いつか私とまたリサイタルしてね?」
「……場に相応しくない曲を弾いてしまってすみませんでした」
 毒にしかなり得ない演奏だった、と今ならわかる。でも、どうしても吐き出したかった……。
「でも、エーデルワイスも星に願いも、全然違う音で弾いてくれたでしょう? それで帳消し!」
 いつものように、花が綻ぶような笑みを見せてくれる。
「ありがとうございます」
「さ、着替えに戻ろう? らんが図書棟で待機してくれてるわ」
 手を取られ、今度は私が握り返した。
 ふたり仲良く手をつないで図書棟までの道のりを歩く。
「ドレスってなんだかウキウキするよね?」
「私、フルレングスのドレスは初めて着ました。それに、まだ自分の姿は見ていないし……」
「私はドレスが着たくて声楽を始めたの。……ねぇ、翠葉ちゃん。私とユニットを組まない?」
「え……?」
「本気よ? 考えておいてね?」
 里見先輩はにこりと笑って私の手を放す。そして軽やかに走り出し、先に図書棟へと入っていった。
 CDを出しているという里見先輩。それはどう考えても遊びの域ではないはずだ。
 ……ユニットって……?
 考えてみたところでクエスチョンマークしか頭に浮かばない。
 里見先輩、説明不十分にて受理いたしかねます……。
 テラスにはパーティーに参加できなかった生徒たちがたくさんいた。けれども、その人たちは腕章をしている人たちが規制してくれている。
 不思議な行事が多い学校だけれど、蓋を開ければきちんと規律だったものがある。そんなところに感心しながら図書室へ戻った。

 蒼兄……学校のイベントがびっくり箱みたい。ほかにはどんなイベントがあるのかな。
 色々あるのに、蒼兄は全部秘密にして私をここに入れてくれたのね。
 すごく嬉しい。すごく幸せ……。
 蒼兄が帰ってきたら報告することがいっぱいあるよ。
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