光のもとで1

葉野りるは

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18 Side 秋斗 01話

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 病院から帰ってきた彼女は明らかに様子がおかしかった。
 病院では湊ちゃんが一緒だったはずだし、帰りは司が一緒だったはずだ。
 病院内ではひとりになる時間はほとんどなかったはずだが……。
 普通を装っているように見えたのは気のせいではないだろう。
 どこか遠くを見るように自分を見たあの目が気になる。今まで、そんな目で見られたことはなかった。
 しかも、お茶を全部飲み切る前に仮眠室で休みたいと言い出した。
 仕事が終わって声をかければすぐに返事があったし、あれは寝てはいなかっただろう。
 すぐ手の届くところまで近寄ってきてくれたかと思ったらこれだ……。
 俺がプログラミングに集中していたあの時間、いったい何があった?
「くそっ……」
 蔵元なんて放置して、病院へついて行けば良かった。

 彼女と一緒にマンションへ帰ったとき、書類を忘れてきたことに気づき、一度学校へ戻った。
 司がいれば司に訊こうと思っていたが、まだ部活をやっている時間帯だったこともあり、諦めてマンションへ引き返した。
 こういうことはあまりしたくないけれど、あとで病院の防犯カメラをチェックしたほうが良さそうだ。
 雅との接触とは考えたくないが……。
 コンシェルジュに渡された郵便物をチェックしながらエレベーターに乗り、十階でドアが開く。と、そこには壁に寄りかかる司がいた。
「司?」
 病院から帰ってきたあとは部活に戻ったんじゃなかったのか……?
「話があって」
「……珍しいな。うちでいいんだろ?」
 訊くと、無言で頷いた。

 司が俺を待ってエレベーターホールにいるなんて初めてだ。
 このご時勢、待ち伏せなどしなくても連絡なんていかようにも取れる。それをわざわざ話があって待っていた、ともなれば司の用件はなんとなくだが察しがつく。
 部屋に入るとキッチンでコーヒーメーカーをセットした。
「先にシャワー浴びてくる。コーヒー入ったら適当に飲んで」
 司をリビングに置き去りにして寝室へ行き、ジャケットを脱ぐと、そのままバスルームへ直行した。
 司の用は、今日何があったかの報告だろう。
 すぐに聞きたいのは山々だが、とりあえずは汗を流してさっぱりした頭で聞いたほうがいい。
 少し熱めのシャワーをざっと浴びて出た。

 リビングへ戻ると、カップに注がれたコーヒーがテーブルに載っていた。
「で、話って?」
「雅さん、翠に接触したけど?」
 ……やっぱり。
「なるほど。で、何があったかおまえは知っているのか?」
「一応は」
 と、言葉を区切る。
「でも、それは翠が秋兄に知られたくないと思ってることだから言いたくはない」
 ふーん……。翠葉ちゃんが俺に知られたくないこと、ね。
「例えば、俺に相応しくないとかそんなところだろ」
 司の眉間のしわが深まった。当たり、か。
「少し調べればわかることだ……」
 雅と翠葉ちゃんのGPSの記録を調べ、病院の防犯カメラとデータを照らし合わせれば裏は取れる。けど、帰って来た彼女に外傷は見られなかった。接触と言っても話をした程度だろう。それも、湊ちゃんと司が側についていないというかなりの短時間。
「……司は絶対に手に入れたいものってある?」
 司はさらに眉間のしわを深めた。
 俺はさ、おまえのこともかわいいんだよね。でも、彼女だけは譲れないんだ。
「俺たちはさ、基本的にどんなものでも手に入れられるし、世間一般の人間と比べたら最初から手のうちにあるもののほうが多かったりする。でも、物理的なものや地位でもない、たとえば、人の心――人の心はさ、ちゃんと自分から手を伸ばさないと手に入らないんだよな。でもって、どんなに手を伸ばしても、やっと手に届くところに来たと思ったのに、次の瞬間には全然違うところにある」
 そこまで言って司を見ると、
「それって翠のこと?」
「そう。それでも諦められないんだよね」
 笑みは見せずに口にする。
「秋兄が翠のことを本気なのはわかった。……ならっ、どうして今日に限って側を離れたっ!?」
「それには何も言い返せない。俺の落ち度だ」
「……話の全容は、俺も詳しくは知らない。たぶん、翠は全部を俺に話していないと思うから。けど、ひどく傷ついたことは確かだし、泣いてた。翠はこのことを知られるのを嫌がると思う。だから秋兄に話してないんだろ? それでも調べるっていうなら時間と場所を教える」
 知られたくないから話さなかった、か……。そのうえ距離まで置く、ね。
「時間にしたら二、三分。四時四十分から四十五分の間、中庭で雅さんと接触したと思う。翠をみつけたときには目に涙を溜めていた。それと、表玄関でを出て行った黒塗りの車の運転手に見覚えがあった。このふたつがなければ雅さんが接触したことにすら気づかなかったかもしれない」
 涙……穏やかじゃないね。
 彼女は人に何かを言われてすぐに泣く子じゃない。嬉し泣きはよくするけれど、つらいことがあってもなかなか泣けない。必死で我慢するから。
 よほどのことでない限りは、言われたことをしっかりと咀嚼して消化しようとする。
 つまり、それをする余裕がないくらいには、何か衝撃的なことを言われたのだろう。
 さすがは司だな。時間と場所さえ押さえていてもらえれば、膨大な情報量の一部をチェックするだけで見たいものが見られる。
 携帯を取り出し、若槻に連絡を入れる。
「悪い、頼まれて」
『秋斗さん、それ、お願いじゃなくて強制でしょ』
 と、嫌そうな声が聞こえてきた。
「雅が翠葉ちゃんに接触した、今日の四時四十分から五十分くらいの間。藤宮病院の中庭で。データ出してすぐに送信して」
『了解です。それ、オーナーには?」
「報告しておいて」
『はいはい』
 やっぱり若槻を静さんのもとへおいたのは正解だった。
 こういうときにメインコンピューターへのアクセスを容易にできるのも、すべてはこいつがそこにいるからだ。
 しばらくして送られてきたデータには、しっかりと雅嬢と翠葉ちゃんの姿が映し出されていた。
 中庭の外灯に設置してあるカメラがまるでコレを映すためだけに設置されていたかのようにきれいに録画をしていた。
 録画された画像の雅の口元をクローズアップさせ、再生させる。
 このくらいはっきり移っていれば読唇するのも難しくはない。

『お久しぶり。御園生翠葉さん』
 雅が木陰の芝生に座る彼女に近寄る。
『あなた、なかなかひとりになってくださらないんだもの。私、困っちゃったわ』
 腰に手を当てクスリ、と笑った。逆に、彼女は小さく身を揺らした。
『あなた、自分が秋斗さんにつりあうとでも思っているのかしら?』
『それは――』
『まさか、思っていないわよね? 秋斗さんはゆくゆくは藤宮を統べる方だもの。いずれ跡取りだって必要になる。秋斗さんのお相手は健康な身体で子どもを産める方でないと……。あなたにはそれができるのかしら?』
 彼女は小さく口を開けたまま、何も言葉を発していないように見える。
『何も私は意地悪で申し上げているのはないのよ? のちに知るより、今教えてさしあげたほうが親切でしょう? あなた、バイタルをモニタリングされてるんですってね? そのうえGPSまでつけられているのだから、さぞかしお身体が弱いのではなくて?』
 それを聞いた彼女は大きくごくりと喉を動かした。
『かわいそうだけれど、その身体で秋斗さんの隣に並ぶのはどうかと思うわ。身の程をわきまえるのね。……秋斗さんのことは諦めなさい。一緒にいたらつらい思いするのはあなたよ。これは今私が話さずとも必ず誰かに言われることだわ。よく考えるのね』
 言うと、雅は背を向けて出口へと向かう。
 肩越しに顔だけで振り返ると、
『くれぐれもお身体お大事に』
 その言葉を最後に、雅は中庭から姿を消した。
 時間にして五分もなかった。
 残された彼女は自分を抱きしめるように腕を掴み、直後、指先の感覚を気にする素振りを見せた。
『身の程をわきまえる、か――』
 彼女は言われた言葉を噛み砕くことをせず呑みこんだ……。
 いや、噛み砕くこともできなかったのだろう。
 体調に纏わるものは、彼女にとって最大のコンプレックスなのだから。
 雅嬢、ずいぶんと効果的な言葉を彼女に浴びせてくれたじゃないか。
 これ以上にないくらい、彼女を傷つけるには十分すぎる言葉を使っていた。
 あの子は俺の地位やそんなものには興味がない。そこだけをつつかれる分には問題なかったはずだ。が、体調のことを持ち出され分不相応と言われれば話は別だ。
 彼女は間違いなく俺から手を引く――
 手を引くも何も、ようやく近くに寄って来てくれるようになった程度のものだったのに。
 よくもそれを邪魔してくれた。いったいどう報復してくれようか……。

「翠はさ、こんなことを言われても『なんでもない』って言うんだ。こんな、今にも泣きそうな顔をしているのに……」
「そういう子だよね」
「何があったか聞きだしたときには、『こんな身体の弱い人間は秋斗さんに相応しくないって言われちゃった』って笑って答えた。……あり得ないくらい端的な答え。もっとひどいことを言われたくせに」
 司の顔が怒りに歪む。
「あとひとつ……。翠は薬の飲み始めを三日遅らせることにした」
「え……?」
「日曜日の夜からは飲むからって姉さんに懇願してた」
 日曜日の夜って――つまりは俺と会ったあとっていうことか。
「……まいったな。あのお嬢さん、俺のこと振るつもりだ」
「……すごい好きみたいなのにね」
 司は苦笑した。
「本当に、こういう子なんだよねぇ……困ったことに」
「でも、俺はそこにつけこむから」
 切れ味抜群の視線が俺を見ていた。
「最近の翠は秋兄しか見てなくて取り入る隙もなかったけど、これで俺にもチャンスができそうだ」
 口元に笑みを浮かべた司はいつもの司だった。
「今ならいけそうって……おまえも大概黒いよな?」
 でも――
「それでも渡す気はさらさらないよ」
 挑発に乗ってやると、
「くっ……どっちが腹黒なんだか。とりあえず、秋兄は一度振られればいいと思う。コーヒーご馳走様」
 言うとカップを持って立ち上がり、キッチンでそれを洗うと玄関を出ていった。

 このあとは栞ちゃんちで夕飯だ。彼女は今どんな気持ちでいるのだろうか。
「一度振られればいいと思う、だって? それこそ想定外だ……」
 まぁ、それはそれでいい。あの天然記念物が恋というものを知ってくれたのだから。
 俺のことが本当に好きならここで諦めないでほしい。いや、こんなことで諦めるくらいなら、それは仮初めの恋だ。
「ただなぁ……相手はあの翠葉ちゃんだ」
 素直な子なだけに、本当に諦められてしまう気がして少し怖い。
 俺がこんなことで「怖い」と思うなんてね。
 女との駆け引きで負けたことはないけど、どうしてか彼女にだけは勝てる気がしないんだよな。
「これが惚れた弱みってやつかな」
 しばらくは自分の心境の変化にすら楽しめそうだ。
 翠葉ちゃん、俺が一度振られたくらいで諦めるとは思わないように。
 百回振られようとも食らいつくよ。
 この俺を振るんだ。そのくらいの覚悟はしてもらう――
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