光のもとで1

葉野りるは

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第六章 葛藤

19話

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 翌朝、ポーチのドアを開ける音で目が覚めた。
 外はもう明るい。
 何時だろう……。
 頭の脇に置いてある携帯を手に取ると、六時を回ったところだった。
 玄関のドアを静かに閉じる音がして、ゆっくりと部屋のドアが開かれる。
 ドアから頭だけを覗かせたのは蒼兄。
 目が合って「おはよう」と私から声をかけると、
「起こしちゃったか?」
「ううん。家にいたときはこの時間に目覚ましを鳴らしていたから」
「そっか」
「蒼兄はランニング?」
「そう。久しぶりに葵を誘って高校のトラックを走ってきた。葵、身体がなまってて全然ついてこれないんだ」
 蒼兄は嬉しそうに話す。
 きっと、久しぶりに会った友達と積もる話でもしながら走っていたのだろう。
「高崎さん、朝から災難だったね」
「どうかな? そういえば、学校で佐野くんと会ったよ」
 その言葉に、本当に六時過ぎには学校に来てるんだ、と少し驚く。
「心配してた。今日はみんなにメール送ってあげな」
「うん、そうする」
「じゃ、俺はシャワー浴びてくる」

 枕元で基礎体温計のアラームが鳴る。
 六時二十五分、か……。
 六時起きでは早い気がして六時二十五分という中途半端な時間に設定したのは昨夜のこと。
 本当は七時でも良かったのだけど、家に戻ったときに七時の習慣が身体に付いてしまうときつくなるから……と思ってこんな時間設定。
 体温計を口に入れて考えることと言えば、今日の過ごし方。
 まだ身体を起こしていないから身体の状態がどんな具合かはわからないけれど、昨日と大差ないことは想像に易い。
 一日寝たきりは嫌なんだけどな。
 それに髪の毛……。洗いたいけど洗えないし、お風呂にも入っていないからなんだか気持ち悪い。
 ピピ、と音がして基礎体温を計り終える。
「三十七度二分……身体が少し熱いわけだよね」
 またしても私の身体は体温調節をさぼっているらしい。
「少しくらい働いたほうが主人のためなんだけど」
 と、自分の自律神経に文句を口にすると、玄関ポーチを開ける音がした。
 部屋のドアを見ていると、そっと開いて栞さんが入ってきた。
「おはよう。具合はどう?」
「まだ身体を起こしてないからなんとも……。でも、基礎体温上では微熱です」
 栞さんの手が額に伸びてくると、
「あらやだ……。結構熱いわよ?」
 栞さんはそのまま私の首や肩、腕や足などを触り始める。
「翠葉ちゃん、全身が熱いけど……」
「なんか体温調節さぼられちゃってるみたいです」
「相変らず怠慢な自律神経さんね。アイスノン持ってくるからちょっと待ってて?」
 と、部屋を出ていった。

 直後、また人がやってくる。
 今度は湊先生だった。
「おはよう。よく眠れた?」
「はい。おかげさまでぐっすりと」
 ステンレストレイをベッド脇に置き腕に触れると、
「あんた身体熱いわよ?」
 すぐにかばんからモバイルディスプレイを取り出す。
「発熱か……」
「今、栞さんがアイスノン用意してくれています」
「この程度なら薬は使わない。点滴、朝と夜の二回で一リットル入れるけど、経口摂取は努力しなさい。なんでもいいから飲む、食べる。いい?」
「はい」
 栞さんが戻ってくると、程なくして蒼兄も部屋に入ってきた。
「翠葉ちゃんが良ければなんだけど、ここで朝食にしてもいいかしら?」
「全然かまわないですよ?」
「じゃ、みんなで朝食にしましょう」
 と、また部屋を出ていった。
 もしかしたら、私に気を遣ってくれているのかもしれない。ひとりで過ごす時間が多くならないように、と。
「栞は十二時過ぎにはここを出るけど、午後には秋斗が顔を出すって言ってた。何かあればそのときに言いなさい」
 湊先生に言われて固まる。
「秋斗さん、ですか?」
「……困るって顔してるけど?」
「……困るというか――いえ、困るんです」
「なんでだ?」
 湊先生と蒼兄とふたりして不思議そうな顔をしている。
「だって……私、パジャマだし……髪の毛ぐちゃぐちゃだし、汗たくさんかいたけどお風呂入ってないし――」
 言うと、ふたりは顔を見合わせた。
「そっか、そうだった。翠葉、女の子だもんな。気になるよな」
 不覚、といった顔をする蒼兄に対し、湊先生はケラケラと笑っていた。
「大丈夫よ。栞のことだから、美波さんから在宅介護用のシャンプー台くらい借りてきてると思うわ。身体はあとで拭いてくれるわよ」
「……在宅介護用のシャンプー台?」
 尋ねると、トレイを手にした栞さんが戻ってきた。
「あぁ、昨日のうちに借りてきてあるからあとでサッパリしましょうね」
 さも当たり前のように言われて、今度は話についていかれない私と蒼兄が顔を見合わせる。
「髪の毛洗って身体拭いたらルームウェアに着替える。ほら、問題なし」
 と、何も問題のないフラットな状態にされてしまう。
「それでも困る?」
 湊先生に訊かれたけれど即答はできなかった。
「側にいるくらい許してやんなさい。アレを避けて通るのは至難の業よ? そんなことに労力使わず、空気くらいに思っておけばいいのよ」
 それができたら苦労しません……。
「翠葉、大丈夫だよ。先輩だって仕事があるだろうから、そうそう翠葉にかまってばかりもいられないはずだ」
 そう言われて少しほっとした。

 テーブルに朝食が揃うと、三人はご飯を食べ始めた。
 私はというと、やっぱり身体を起こすことはできなくて、横になりながら朝食の風景を眺めている。
 時折蒼兄の手が伸びてきて、口の中に果物を入れられていた。
 今日の果物はグレープフルーツ。
 瑞々しくて、甘酸っぱくて美味しい……。
「果物が食べられるようなら果物を食べなさい」
 湊先生に言われてコクリ、と頷く。
「そうね……。スープ以外だと果物かお雑炊。あとでこのグレープフルーツでゼリーを作るわね」
 朝食を食べている側から、「何を作ろう?」とウキウキしだす栞さん。
「栞は本当に料理が好きね」
 湊先生が言うと、
「だって、翠葉ちゃんって攻略のし甲斐があるのよ?」
 と、いたずらっぽく笑う。
 どうやら私は攻略対象のようだ。
「いつまでもアンダンテのタルトに負けているわけにはいかないのよ」
 と、栞さんのウィンクが飛んできた。
「アンダンテのタルトが食べられるなら、薄味のキッシュで油分控え目なら食べてもらえる気がするし……」
 と、頭の中のレシピを披露してくれる。
 それを聞きつつ朝の時間が緩やかに過ぎていった。

 八時になると蒼兄と湊先生が一緒に家を出て、私は食休み。栞さんは朝食の片付けや洗濯物をしている。
 私は思い立ったように携帯のメール作成画面を起動させた。


件名 :翠葉です
本文 :今週はお休みします。
   今はウィステリアヴィレッジのゲストルームにいます。
   しばらく間借りすることになったの。
   蒼兄も一緒で栞さんもいます。
   湊先生も来てくれるので安心してね。


 いざメールを送ろうと思ったら、こんな内容しか思いつかなかった。
 今はどうやっても元気とは言えないし、自分の現状を書いたところで心配をかけるだけ。
 メールの話題になりそうなものは何もなかった。
 でも、ここにいることは伝えたほうがいい気がして、あの文面になったけれども、ウィステリアヴィレッジのゲストルームという言葉は海斗くんにしか伝わりそうにない。
 これが今、私に話せる精一杯――
 だからそのまま送信した。
 しばらくすると佐野くんから返事があった。


件名 :了解
本文 :授業のノートは任せとけ!
   海斗には任せんっ!


 佐野くんらしい。
 ほどなくして桃華さんからも返信が届いた。


件名 :欠席日数の管理なら任せて
本文 :何もしてあげられないけど、
   こういう管理なら得意なの。


 なんて頼もしいのだろう……。
 次に届いたのは海斗くんのメールだった。


件名 :静さんち?
本文 :部活終わったら寄るよ。
   ゆっくり休め、ノートは任せろ!
   休み明けには俺と以心伝心できるようになっているはず!


 以心伝心――つまり、ノートの解読ができるようになるとかそういうことかな?
 クスリ、と笑みが漏れた。
「海斗くん、それはちょっとハードルが高い」
 最後に届いたのが飛鳥ちゃんからのメール。
 本文はなくて写真が添付されていた。
 ファイルを開くと、ディスプレイいっぱいにクラスメイトが写っている。
「すごい……」
 この枠によくおさまったものだ。
 しばらくはこれを待ち受け画面にしよう。
 すぐに設定を変え、改めてディスプレイを見る。
「早く学校に行きたいな……」
 そう思う気持ちと身体が比例してくれたらいいのに。そしたら、明日にでも元気になれる――
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