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24~25 Side 秋斗 01話
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栞ちゃんの作ったビーフシチューに舌鼓を打っていると、蒼樹がリビングに戻ってきた。
自然とみんなの視線が蒼樹を向く。
「先輩、今なら話せるかも。翠葉、アンダンテのものを食べているときは頬が緩むから」
「……大丈夫なの?」
「たぶん」
「……栞ちゃん、ごめん。食事中だけど一度席を立つね」
「いいわよ。あとであたためなおしてあげる」
快く了承してくれ、俺はそのまま席を立った。
彼女の部屋に足を踏み入れると、彼女はすごく慌てた感じで蒼樹に訊く。
「そ、蒼兄っ、ひとつだけ教えてほしいっ」
「何?」
「あのっ、謝るときって、横になったままでも失礼じゃないっ!?」
……何? なんだって?
……あぁ、横になったまま謝ったら失礼じゃないか、ってそういうこと?
くっ……律儀だし真面目な子だとは思っていたけど、どこまで真面目なんだか。
だめだ、これはちょっとツボった……。
ところが、俺よりも蒼樹のほうがひどい有様だった。壁に手をついて大笑いしている。
これはちょっと訊いてみなくてはいけないだろう。
「翠葉ちゃん、ちょっと訊きたいんだけど、何がどうしてそういう質問だったのかな?」
「だって……ごめんなさいとお辞儀はセットでしょう?」
「くっ、そういうことか……」
きっと家でそういうふうに躾けられているのだろう。
再び笑いがこみ上げてくる。
「どうしてこんなに笑われなくちゃいけないの?」
彼女は困りきった顔で口にした。
「ちょっと俺たちにはツボだったんだ」
やっと笑いがおさまったらしい蒼樹が涙を拭きながら彼女に近づくと、
「翠葉、今は身体起こせないだろう? 身体が起こせるようになるのを待っていたら当分は謝れなくなっちゃうよ。それに、先輩は翠葉の状態を知っているわけだから、お辞儀がセットじゃなくても問題ないよ。確かにうちでは人と話すときは人の目を見て、とか、謝るときは頭を下げて心から謝るって躾けられているけれど、すべてがその限りじゃないよ」
「そうなの……?」
「そう。先輩がね、翠葉にプリン食べさせたいって言うから、俺はあっちにいるよ」
「え……!?」
「大丈夫だよ。もう一度、ちゃんと話してみな」
それはどこを取ってもお兄さんの顔だった。対して、彼女は困った顔のまま沈黙していた。
「翠葉ちゃん、もう一度話をしよう」
彼女は俺の顔を見て、「はい」と小さく答えた。
蒼樹が出ていくとドアは閉められ部屋にふたりきりになる。
日中と同じ状況だけど少し違う。今は彼女が起きている。
ただ寝顔を見るのではなく、今は顔を合わせて話ができる。
「プリンは冷たいほうが美味しいと思うんだ。だから、まずはこれを食べるのが先決ね」
プリンを口へ運び、「美味しい?」と訊けば「はい」と答えてくれる。けれど、やはり俺ではだめなのだろう。
彼女の頬が緩むことはない。
「でも、やっぱり俺だと緊張しちゃうんだね。蒼樹がさ、アンダンテのものを食べてるときは緊張ほぐれるだろうから、って言ってたんだけど……」
「……だって、蒼兄は慣れてるけど、秋斗さんに食べさせれもらうのは今日が初めてだもの……」
彼女は恥ずかしそうに答える。
「そっか……じゃ、何度も食べさせて慣れてもらうしかないね」
そうだ、この子は嘘がつける子じゃない。口にする言葉はすべて本心だろう。
嘘をつくくらいなら黙ってしまうような、そんな子だった。
今さらながらに気づけば後悔だってする。
少し冷静になればわかることだった。
だけど、言質は取らせてもらおうかな。
「もう一度訊くね。さっき聞かせてくれた理由も、俺を振ったときに言った理由も、全部本音?」
彼女は思案顔で口を閉じた。
いつもは考えたあとに出した答えしか聞くことができない。でも、それでは今までと何も変わらない。
考えていることをそのままに教えてほしい。
「……雅さんに会わなければ難しいことは考えなかったかもしれません。でも、知ってしまったら
――聞かなかったことにはできなかったし、考えずにはいられなかった。……すごく不安になりました」
「うん」
「でも、断わったときにお話ししたことは本心です。こんな状態の私は見られなくないです。見てほしくないです……。でも、どうしてか側にいてほしいと思う気持ちもあって、自分の気持ちなのに上手に折り合いがつけられない――」
「……そうだったんだね」
やっとだ……やっと、俺が聞きたかった部分を話してくれた。
さっきの栞ちゃんの言葉が効いているのかもしれない。
それからしっかりと視線を合わせて、
「さっきはひどいことを言ってしまってごめんなさい」
プリンのカップをサイドテーブルに置くと、彼女を正面から捉えるようにベッドに腰掛ける。
「それは自分以外の人を俺に勧めたこと?」
「はい……」
「……俺も謝らせてね」
「え……?」
君だけが悪かったわけじゃない。俺だって十分大人げなかった。だから、全部を自分のせいにはしないでほしい。
「俺はさ、蒼樹みたいに上手に説明することができなくて、すごくイラついてたんだ。翠葉ちゃんが不安になっているのはわかっていたのに……。声をかけることもできないくらいにね。……だから、ごめん」
すると、彼女は慌てて否定しだす。
「あのっ、それは秋斗さん悪くなくて、私が無知なだけで――」
本当に、こういう子なんだ……。
「翠葉ちゃん、俺はそういう部分も含めて君を好きになったんだよ。……翠葉ちゃん、ちゃんと聞いてて?」
前置きをすれば彼女はかまえる。
でも、今からとびっきりの告白をするから、そのくらいかまえてくれるくらいでちょうどいい。
「俺は……身体が起こせなくなるほど体調の悪い翠葉ちゃんも鈍感な翠葉ちゃんも、美味しい料理を作ってくれる翠葉ちゃんも、アンダンテのタルトが好きな翠葉ちゃんも、森林浴が好きな翠葉ちゃんも、カメラを持つと時間を忘れちゃう翠葉ちゃんも、俺の言葉に一挙一動してくれる翠葉ちゃんも、どんな翠葉ちゃんも好きなんだ」
あぁ、固まってる固まってる……。でもね――
「まだほかにもある。光を嬉しそうに見る翠葉ちゃんとか、髪の毛がきれいな翠葉ちゃんとか、無防備すぎる翠葉ちゃんとか、藤山で甘えてくれた翠葉ちゃんとか、いつも自分の身体と闘っている翠葉ちゃんとか――」
「それ以上言わないでくださいっ……」
案の定、途中で遮られたか。
そのうえ、手で顔を隠してしまった。それでも、首筋まで隠せるわけじゃない。
全部を隠せるわけじゃないのに、両手で必死に顔を隠す彼女が愛おしくて仕方がない。
彼女の両手に手を伸ばし、「これだけ伝えればわかってもらえる?」とその手を剥がす。
かなりの至近距離で逃げ場など作らずに視線を合わせる。と、彼女の目はゆるゆると揺らいでいたものの、視線はきちんと合わせていてくれた。
「――あの、ひとつだけ訂正してもいいですか?」
「……何?」
「……少し、じゃなくて……すごく、です」
「……え?」
訊き返したら、ぎゅっと目を瞑った。
……あのさ、翠葉ちゃん――
「少しじゃなくてすごくって……それにかかる言葉は『好き』でいいのかな?」
真っ赤な顔をして目を瞑ったままコクリと頷く彼女。
やばい……かなり嬉しいかも――
「じゃぁ、さっきのお詫びもらってもいい?」
俺、調子に乗ってるかもしれない。でも、我慢はできそうにない。
彼女の手を放し身体の両脇に手を付くと、マットが少し沈んだ。
それに驚いたのか、彼女が目を開ける。
「目、閉じて?」
言えば彼女は素直に目を閉じる。
本当に素直で無防備だ……。
彼女の血色の悪い唇に自分のそれを重ねる。ただ、軽く触れるだけのキス。
びっくりして目を開けた彼女に、
「仲直りのキスね」
と、笑いかければ目を見開く。
そして両手で顔を隠すんだ。
「翠葉ちゃん、もう『NO』とは言わせないよ。今から君は俺の彼女、恋人だからね」
待つつもりでいた。でも、思った以上に司は侮れない。
「もう、逃げないで?」
「逃げる、ですか……?」
彼女は不思議そうな顔をする。
「そう、色んな意味でね。自分の気持ちからも俺からも逃げていたでしょ?」
毎回毎回、俺が言う言葉を一生懸命に考える君。考えていることを無意識に口にしてくれたらもっと嬉しいのに。
「俺はね、君が隣にいてくれたらそれだけで満足なんだ」
彼女は何も答えない。
「何か話してくれないと、俺はこのまま甘いことばかり言い続けるけどいいのかな?」
「やっ、それは困りますっ……」
両手を前に突き出して拒否された。
「くっ、全力で拒否か」
時々すごく困るし何を考えているのか理解不能に陥りもする。けれど、彼女のリアクションすべてが愛おしい。
「前にも話したけど、付き合うからって何かが変わるわけじゃない。今までと一緒でいいんだ。森林浴へ行ったり散歩をしたり、時々翠葉ちゃんの手料理が食べられたりお茶を飲んだり。そういう時間を一緒に過ごせるだけで幸せなんだよ」
「……本当に?」
不安そうに訊いてくるその目に頷いてみせる。
「君は何も返せないって言うけれど、ちゃんと返してもらってる。ほかにも色々と返してもらえるものはあるんだけど、それはいつか、ね」
「……え?」
何かあるのなら知りたい、そんな目で見られた。でも……。
「今はわからなくていいよ。そのうち教えてあげるから」
と、彼女の艶やかな髪を弄ぶ。
本当は色々したいよ。でも、今は君の体調が一番だ。
何よりも、今彼女を抱いてしまったら、俺が溺れきってしまうだろう。それこそ、仕事どころではなくなってしまう。
「この髪は切らないでね?」
「どうして……?」
「俺が好きだから」
「――はい」
とても素直な彼女は抱いたらどんな反応をするだろう。それはしばらく先の楽しみに取っておこう。
俺、我慢できるかな……。
「そういえば……秋斗さん、夕飯の途中じゃ?」
「あぁ、そうだったね。でも、もうお腹いっぱいかな」
栞ちゃんには申し訳ないが、かなり満腹な気分だ。
彼女は、「え?」と不思議そうな顔をしている。
「欲しいものが手に入るとさ、ほかのものってどうでもよくなったりしない?」
「……だめです。ちゃんとご飯は食べてきてください」
俺はまだ君と話をしていたいんだけどな……。
「……プリン、ありがとうございました。美味しかったです」
「どういたしまして」
彼女と話していると自然と頬が緩む。かわいい彼女をじっと見ていると、
「秋斗さんっ、ちゃんとご飯食べてきてくださいっ」
珍しく少し強い口調で言われたから、おとなしく言うことを聞くことにした。
翠葉ちゃん、明日も明後日も明々後日も、毎日君に好きだと伝えよう。君が不安がらないように、君が何か誤解しないように。俺は怠ることなく君に好きだと伝えることにする。
自然とみんなの視線が蒼樹を向く。
「先輩、今なら話せるかも。翠葉、アンダンテのものを食べているときは頬が緩むから」
「……大丈夫なの?」
「たぶん」
「……栞ちゃん、ごめん。食事中だけど一度席を立つね」
「いいわよ。あとであたためなおしてあげる」
快く了承してくれ、俺はそのまま席を立った。
彼女の部屋に足を踏み入れると、彼女はすごく慌てた感じで蒼樹に訊く。
「そ、蒼兄っ、ひとつだけ教えてほしいっ」
「何?」
「あのっ、謝るときって、横になったままでも失礼じゃないっ!?」
……何? なんだって?
……あぁ、横になったまま謝ったら失礼じゃないか、ってそういうこと?
くっ……律儀だし真面目な子だとは思っていたけど、どこまで真面目なんだか。
だめだ、これはちょっとツボった……。
ところが、俺よりも蒼樹のほうがひどい有様だった。壁に手をついて大笑いしている。
これはちょっと訊いてみなくてはいけないだろう。
「翠葉ちゃん、ちょっと訊きたいんだけど、何がどうしてそういう質問だったのかな?」
「だって……ごめんなさいとお辞儀はセットでしょう?」
「くっ、そういうことか……」
きっと家でそういうふうに躾けられているのだろう。
再び笑いがこみ上げてくる。
「どうしてこんなに笑われなくちゃいけないの?」
彼女は困りきった顔で口にした。
「ちょっと俺たちにはツボだったんだ」
やっと笑いがおさまったらしい蒼樹が涙を拭きながら彼女に近づくと、
「翠葉、今は身体起こせないだろう? 身体が起こせるようになるのを待っていたら当分は謝れなくなっちゃうよ。それに、先輩は翠葉の状態を知っているわけだから、お辞儀がセットじゃなくても問題ないよ。確かにうちでは人と話すときは人の目を見て、とか、謝るときは頭を下げて心から謝るって躾けられているけれど、すべてがその限りじゃないよ」
「そうなの……?」
「そう。先輩がね、翠葉にプリン食べさせたいって言うから、俺はあっちにいるよ」
「え……!?」
「大丈夫だよ。もう一度、ちゃんと話してみな」
それはどこを取ってもお兄さんの顔だった。対して、彼女は困った顔のまま沈黙していた。
「翠葉ちゃん、もう一度話をしよう」
彼女は俺の顔を見て、「はい」と小さく答えた。
蒼樹が出ていくとドアは閉められ部屋にふたりきりになる。
日中と同じ状況だけど少し違う。今は彼女が起きている。
ただ寝顔を見るのではなく、今は顔を合わせて話ができる。
「プリンは冷たいほうが美味しいと思うんだ。だから、まずはこれを食べるのが先決ね」
プリンを口へ運び、「美味しい?」と訊けば「はい」と答えてくれる。けれど、やはり俺ではだめなのだろう。
彼女の頬が緩むことはない。
「でも、やっぱり俺だと緊張しちゃうんだね。蒼樹がさ、アンダンテのものを食べてるときは緊張ほぐれるだろうから、って言ってたんだけど……」
「……だって、蒼兄は慣れてるけど、秋斗さんに食べさせれもらうのは今日が初めてだもの……」
彼女は恥ずかしそうに答える。
「そっか……じゃ、何度も食べさせて慣れてもらうしかないね」
そうだ、この子は嘘がつける子じゃない。口にする言葉はすべて本心だろう。
嘘をつくくらいなら黙ってしまうような、そんな子だった。
今さらながらに気づけば後悔だってする。
少し冷静になればわかることだった。
だけど、言質は取らせてもらおうかな。
「もう一度訊くね。さっき聞かせてくれた理由も、俺を振ったときに言った理由も、全部本音?」
彼女は思案顔で口を閉じた。
いつもは考えたあとに出した答えしか聞くことができない。でも、それでは今までと何も変わらない。
考えていることをそのままに教えてほしい。
「……雅さんに会わなければ難しいことは考えなかったかもしれません。でも、知ってしまったら
――聞かなかったことにはできなかったし、考えずにはいられなかった。……すごく不安になりました」
「うん」
「でも、断わったときにお話ししたことは本心です。こんな状態の私は見られなくないです。見てほしくないです……。でも、どうしてか側にいてほしいと思う気持ちもあって、自分の気持ちなのに上手に折り合いがつけられない――」
「……そうだったんだね」
やっとだ……やっと、俺が聞きたかった部分を話してくれた。
さっきの栞ちゃんの言葉が効いているのかもしれない。
それからしっかりと視線を合わせて、
「さっきはひどいことを言ってしまってごめんなさい」
プリンのカップをサイドテーブルに置くと、彼女を正面から捉えるようにベッドに腰掛ける。
「それは自分以外の人を俺に勧めたこと?」
「はい……」
「……俺も謝らせてね」
「え……?」
君だけが悪かったわけじゃない。俺だって十分大人げなかった。だから、全部を自分のせいにはしないでほしい。
「俺はさ、蒼樹みたいに上手に説明することができなくて、すごくイラついてたんだ。翠葉ちゃんが不安になっているのはわかっていたのに……。声をかけることもできないくらいにね。……だから、ごめん」
すると、彼女は慌てて否定しだす。
「あのっ、それは秋斗さん悪くなくて、私が無知なだけで――」
本当に、こういう子なんだ……。
「翠葉ちゃん、俺はそういう部分も含めて君を好きになったんだよ。……翠葉ちゃん、ちゃんと聞いてて?」
前置きをすれば彼女はかまえる。
でも、今からとびっきりの告白をするから、そのくらいかまえてくれるくらいでちょうどいい。
「俺は……身体が起こせなくなるほど体調の悪い翠葉ちゃんも鈍感な翠葉ちゃんも、美味しい料理を作ってくれる翠葉ちゃんも、アンダンテのタルトが好きな翠葉ちゃんも、森林浴が好きな翠葉ちゃんも、カメラを持つと時間を忘れちゃう翠葉ちゃんも、俺の言葉に一挙一動してくれる翠葉ちゃんも、どんな翠葉ちゃんも好きなんだ」
あぁ、固まってる固まってる……。でもね――
「まだほかにもある。光を嬉しそうに見る翠葉ちゃんとか、髪の毛がきれいな翠葉ちゃんとか、無防備すぎる翠葉ちゃんとか、藤山で甘えてくれた翠葉ちゃんとか、いつも自分の身体と闘っている翠葉ちゃんとか――」
「それ以上言わないでくださいっ……」
案の定、途中で遮られたか。
そのうえ、手で顔を隠してしまった。それでも、首筋まで隠せるわけじゃない。
全部を隠せるわけじゃないのに、両手で必死に顔を隠す彼女が愛おしくて仕方がない。
彼女の両手に手を伸ばし、「これだけ伝えればわかってもらえる?」とその手を剥がす。
かなりの至近距離で逃げ場など作らずに視線を合わせる。と、彼女の目はゆるゆると揺らいでいたものの、視線はきちんと合わせていてくれた。
「――あの、ひとつだけ訂正してもいいですか?」
「……何?」
「……少し、じゃなくて……すごく、です」
「……え?」
訊き返したら、ぎゅっと目を瞑った。
……あのさ、翠葉ちゃん――
「少しじゃなくてすごくって……それにかかる言葉は『好き』でいいのかな?」
真っ赤な顔をして目を瞑ったままコクリと頷く彼女。
やばい……かなり嬉しいかも――
「じゃぁ、さっきのお詫びもらってもいい?」
俺、調子に乗ってるかもしれない。でも、我慢はできそうにない。
彼女の手を放し身体の両脇に手を付くと、マットが少し沈んだ。
それに驚いたのか、彼女が目を開ける。
「目、閉じて?」
言えば彼女は素直に目を閉じる。
本当に素直で無防備だ……。
彼女の血色の悪い唇に自分のそれを重ねる。ただ、軽く触れるだけのキス。
びっくりして目を開けた彼女に、
「仲直りのキスね」
と、笑いかければ目を見開く。
そして両手で顔を隠すんだ。
「翠葉ちゃん、もう『NO』とは言わせないよ。今から君は俺の彼女、恋人だからね」
待つつもりでいた。でも、思った以上に司は侮れない。
「もう、逃げないで?」
「逃げる、ですか……?」
彼女は不思議そうな顔をする。
「そう、色んな意味でね。自分の気持ちからも俺からも逃げていたでしょ?」
毎回毎回、俺が言う言葉を一生懸命に考える君。考えていることを無意識に口にしてくれたらもっと嬉しいのに。
「俺はね、君が隣にいてくれたらそれだけで満足なんだ」
彼女は何も答えない。
「何か話してくれないと、俺はこのまま甘いことばかり言い続けるけどいいのかな?」
「やっ、それは困りますっ……」
両手を前に突き出して拒否された。
「くっ、全力で拒否か」
時々すごく困るし何を考えているのか理解不能に陥りもする。けれど、彼女のリアクションすべてが愛おしい。
「前にも話したけど、付き合うからって何かが変わるわけじゃない。今までと一緒でいいんだ。森林浴へ行ったり散歩をしたり、時々翠葉ちゃんの手料理が食べられたりお茶を飲んだり。そういう時間を一緒に過ごせるだけで幸せなんだよ」
「……本当に?」
不安そうに訊いてくるその目に頷いてみせる。
「君は何も返せないって言うけれど、ちゃんと返してもらってる。ほかにも色々と返してもらえるものはあるんだけど、それはいつか、ね」
「……え?」
何かあるのなら知りたい、そんな目で見られた。でも……。
「今はわからなくていいよ。そのうち教えてあげるから」
と、彼女の艶やかな髪を弄ぶ。
本当は色々したいよ。でも、今は君の体調が一番だ。
何よりも、今彼女を抱いてしまったら、俺が溺れきってしまうだろう。それこそ、仕事どころではなくなってしまう。
「この髪は切らないでね?」
「どうして……?」
「俺が好きだから」
「――はい」
とても素直な彼女は抱いたらどんな反応をするだろう。それはしばらく先の楽しみに取っておこう。
俺、我慢できるかな……。
「そういえば……秋斗さん、夕飯の途中じゃ?」
「あぁ、そうだったね。でも、もうお腹いっぱいかな」
栞ちゃんには申し訳ないが、かなり満腹な気分だ。
彼女は、「え?」と不思議そうな顔をしている。
「欲しいものが手に入るとさ、ほかのものってどうでもよくなったりしない?」
「……だめです。ちゃんとご飯は食べてきてください」
俺はまだ君と話をしていたいんだけどな……。
「……プリン、ありがとうございました。美味しかったです」
「どういたしまして」
彼女と話していると自然と頬が緩む。かわいい彼女をじっと見ていると、
「秋斗さんっ、ちゃんとご飯食べてきてくださいっ」
珍しく少し強い口調で言われたから、おとなしく言うことを聞くことにした。
翠葉ちゃん、明日も明後日も明々後日も、毎日君に好きだと伝えよう。君が不安がらないように、君が何か誤解しないように。俺は怠ることなく君に好きだと伝えることにする。
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