光のもとで1

葉野りるは

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第八章 自己との対峙

05話

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 翌朝、蒼兄と唯兄と私三人揃っての朝食。
 一週間くらい前から、唯兄も朝起きてきて一緒に朝食を食べるようになっていた。
 司先輩が用意してくれたフルーツサンドと唯兄が作ってくれた野菜のドロドロスープを飲む。そして、薬箱から薬のチョイス。
 いつもの薬プラス痛み止め……。
 今日は左の鎖骨から肩、腕、手首までが痛い。まだ我慢はできるけれど、痛み止めは早めに飲むにこしたことはない。
 薬を飲みキッチンを出ようとすると、キッチンの入り口に蒼兄が立っていた。
「俺にまで隠さなくていいよ。痛みはどのくらい?」
「……レベル十がマックスなら、七か八くらい」
「……それでそんな普通を装わなくていい。家族の前でくらい素のままでいていいよ。学校ではもっとがんばらなくちゃいけないだろ?」
 じわりと目に涙が浮かぶ。でも、泣いてもいられない。
「うん、がんばらなくちゃ……」
「テストが終わったら連絡して?」
 蒼兄の後ろからひょっこりと顔を出した唯兄に言われる。
「三時間か四時間だろうからお昼前くらいでしょ? 高崎さんと迎えに行くからさ」
「あ……たぶん、十時までには終わらせるつもりなの」
「……は?」
 唯兄からは間の抜けた声が返ってきた。そして、蒼兄は何もかもわかったような顔で、「ぶっ通しか……」とため息をつく。
「ん……。時間が経つのが怖い。……痛みが出てくるのが怖いから、それなら一気に今日の分を終わらせて、人に会う前に帰ってしまえば問題ないと思うの。携帯は湊先生に預ければいいし、ここの固定電話も回線を抜いてしまえば人との連絡経路はなくなるでしょう? あ……ノートパソコンも、かな……」
 その会話に唯兄が表情を固まらせて入ってくる。
「ひょっとして三科目だか四科目を二時間で終わらせて帰ってくるつもりっ!?」
 唯兄の口角が引きつっている。
「……うん」
「もう何も訊くまい……。とにかく終わったら連絡ちょうだい」
「……ありがとう」
 ふたりに頭をわしわしと撫でられて、少し心が軽くなった。

 今日明日とテストを受けると日曜日。週明けの水曜日に期末考査は終わる。水曜日にはここを出られるように荷物をまとめておこう。
 桃華さんたちにはいつ話そうかな……。水曜日の朝のホームルームのときでいいだろうか……。
 蒼兄の車で学校まで行くと、今日は昇降口まで一緒に来ると言われた。
「湊先生には痛みのこと話してあるのか?」
「うん……例年みたいに痛み止めを常用し始めたことは話してある」
「そうか……」
 蒼兄はどこかほっとしたような顔をした。
 昇降口で別れ、後ろ姿の蒼兄の背中を見ては申し訳なくなる。
「本当はね、全部は言えてないの――」
 でも、話したらきっとみんなが困惑すると思う。だって、今も昔も、私の痛みは原因不明で打つ手が対症療法しかないのだから……。
 だから、我慢できるうちは言わない。
 我慢できなくなって言うときは、きっとペインクリニックで処置を受けることになる。
 あの注射だけは嫌だな……。痛いのに、さらに痛い注射を打たれる。すごく、怖い――
「翠葉ちゃん?」
 急に人に声をかけられてびっくりした。
「そんなにびっくりした顔しないでよ。っていうか、どうしたの? 目、真っ赤だけど?」
 隣のクラスの美乃里さんだった。
「あ、えと……目にゴミ、かな」
「目にゴミかなって何だそりゃ」
 美乃里さんの後ろからサザナミくんが現れた。それはお化けか何かがぬぼっと現れるような感じで。
 少し感謝。驚きすぎて涙が引っ込んだ。
「上まで一緒に行こう?」
 美乃里さんに誘われ、三人で二階へ上がる階段を上っていると、少し遅れて理美ちゃんが猛ダッシュでやってきた。
「千里ひどいっ! 一、二分待っててって言ったのに先に行くしっ」
「きっかり二分は待ったぜ? 五分かかりそうだったから先に行ったの」
 二分と五分……。朝の五分と夜の五分はなぜか長さが違うような気がする。朝の一分は秒単位で貴重な時間で、夜の一分は分単位。同じ六十秒なのに、どうしたことか……。
 だから、その三分イコール一八〇秒がとても貴重な時間という捉え方はわからなくもなく――
 理美ちゃん、ごめん……。私、サザナミくんに一票かも。
「今回はどんな具合?」
 サザナミくんに訊かれてなんの話だろう、と思う。
「テストテスト」
 言われて、あぁ、と思う。
「今回はライバル視しないで? 勉強量が全然足りてないの」
「そんなの信じられっかよ……」
 あからさまに疑いの目を向けられる。
 そうは言われても、本当に自信なんてないんだけどな。
「まぁ、そうだよね。前回堂々の三位だもん。ほとんど点数の差もなかったし」
 美乃里さんの言葉にも苦笑いだ。
「美乃が五位転落したのはびっくりだったよ」
 理美ちゃんが言うと、
「それは言うなーーー!」
 美乃里さんが理美ちゃんをくすぐり始めた。
「詰まるところ、御園生さんがこの学校にいなかったら美乃里が五位転落することもなかったんだよな」
 サザナミくんの一言に、さ、と何かが引く思いがした。
 そう、なの……?
 恐る恐る美乃里さんを見ると、
「そういうこと言うなっ」
 理美ちゃんがサザナミくんを軽く突き飛ばした。
「理美の言うとおりよ。千里、誰かがいなかったらなんて使っていい言葉じゃないでしょ。それに、私が五位転落したのは自分に力がなかったからほかならない。人のせいにするつもりなんてさらさらないわ」
「こんなやつ放っておいて行こうっ」
 すぐさま理美ちゃんに手を引かれたけれど、頭の中にはサザナミくんの言葉がずっと響いたままだった。
 ――「御園生さんがこの学校にいなかったら」。
 きっとサザナミくんには他意も悪気もない。でも、その言葉は私にとって聞き流せる類の言葉ではなかった。
 私がいなかったら――家族にはどんな生活があったのだろう……。
 大きく変わるのはそこだけな気がした。私がいなければ、私はこの学校に来ることだってなく、クラスメイトの記憶に残ることもない。私という人間がひとりいなくなったところで、何かが滞ったり、誰かが困ることなど何ひとつない気がした。
 私が一年前に死んでいたとして――
「翠ちんっ!」
 理美ちゃんの大きな声に思考が遮断される。
「ごめんっっっ。幼馴染の代わりに私が謝るから、だからあの言葉はなしにしてっ!? 都合よすぎるのわかってるけど、でも、あんな言葉、私嫌いっ」
 目の前で理美ちゃんが懇願している。
「あ……大丈夫だよ。全然気にしてないから……」
「翠ちん、嘘下手……。あんなこと誰が言われたってショックだよ」
 誰が言われてもショック……。
 私はショックというか、別のことを考えてしまったのだ。
「私は翠ちんがこの学校に来てくれて嬉しかったし、いきなりいなくなったらやだからねっ!?」
 その言葉に私は絶句する。
「……どうして黙るの?」
 理美ちゃんは不安そうな顔でしゃがみこみ、私の顔を見上げてくる。
 理美ちゃんは一七〇センチ近い身長だから、いつもは私が見上げる姿勢になるのだけど今は違う。理美ちゃんが下にいた。
「あのね、少しびっくりしたの……。そんなふうに言われたことあまりないから」
 正直な気持ちだった。以前、桃華さんにも言われたことがあるけれど、それ以来だった。
「うちのクラスの人なら誰もが思ってるよっ!?」
 理美ちゃんは必死になって伝えてくれる。その気持ちが嬉しい。
「ありがとう……。すごく、嬉しい」
「……良かった、普通の笑顔で……」
 消えてしまいそうな理美ちゃんの言葉を訊き返す。
「え……?」
「また、ごめんなさいって感じの遠慮した笑顔されたらどうしようかと思った」
 理美ちゃんが半泣き状態でどうしようか焦っていると、桃華さんがやってきた。
「話は美乃里から聞いてきたわ。理美が泣くほど謝る必要はなしっ!」
 桃華さんはしゃがみこんでいる理美ちゃんの頭を軽く小突いたけれど……桃華さん、ちょっと違うの。
「私が泣かせちゃったみたい……」
 桃華さんは、「まさか」という顔をする。
「私が上手に笑えないから泣いちゃったというか、普通に笑えたから泣いちゃったというか……」
 上手に説明ができないでいると、
「何よそれ」
 桃華さんは訝しげに首を傾げる。
「うーん……なんだろう。でも、私が泣かせちゃったのはたぶん嘘じゃないの」
「……翠ちん、それも語弊がありすぎだよぅ」
 まだ涙目の理美ちゃんが鼻声で言う。
「そうかな……? でも、ごめんね。それから、ありがとう」
 周りには飛鳥ちゃんや海斗くんもみんな揃っていたけれど、誰が何を言うでもなく、その場を見守っていてくれた。
 ホームルームが終わると私は保健室へ向かう。
「川岸先生……私、ノンストップで試験受けられませんか?」
「……どういう意味だ?」
「休憩なしで二時間。たぶん、身体を起こしていられるのはそれが限界なんです」
「……女帝と相談して、校長の許可が下りれば可能だが、試験時間が大幅に短くなるぞ?」
「今回はもともと自信がないので、時間があってもなくても解けないものは解けません」
「でも、おまえ、二十位切ると生徒会が……」
「……そうですね。こんな早期に除名される役員は珍しいのかな」
 私は先生との会話を笑ってやり過ごした。

 保健室に入り、湊先生と川岸先生が話し合う。
「確かに、最近の調子じゃもっても二時間が限度かしらね……。間違いなく三時間はもたない」
「そうか……。だからと言って早退させるわけにもいかないんだよなぁ……」
「あ、問題用紙は置いて帰りますし、携帯も湊先生に預けます」
 口を挟んでみたけれど、
「今はパソコンも使える世の中だから、それだけじゃ不十分なんだ」
 と、川岸先生が苦笑した。
 やっぱりそうだよね……。
「なら、テストが終わり次第ここで点滴打って休ませておくわ。三限が始まったら連絡の取りようがないでしょうから、その時点で点滴が終わっていれば早退扱いで」
「それなら問題ないだろう。あとは校長の許可だな」
「それは私が連絡する」
 湊先生が内線を手に取ると、
「修司おじ様? 湊です。御園生翠葉の試験の件なのですが。――はい、休憩なしの二時間で三教科です。――その後、点滴投与に入りますので、三限までほかの生徒との接触はありません。――ありがとうございます。失礼いたします」
 受話器を置くと、
「大丈夫みたいだな」
「そ、快諾もいいところよ。翠葉、良かったわね」
「ありがとうございます」
 頭を下げると、「やめなさい」と行動を制された。
「無暗に体勢変えないの。血圧に響く」
「はい……」
「そんなことですら、血圧が変動するのかっ!?」
 川岸先生が驚くと、
「じゃなかったらこんなに苦労してないわよ。ほら、あんたもとっとと担当クラスに行くっ」
 湊先生に追い出されるようにして川岸先生は保健室を出ていった。
「翠葉はテストのことだけ考えなさい。足を下げているのがつらいなら椅子の上に上がりこんでもいいから」
「はい」
 白いテーブルに着いて、筆記用具の準備をする。かばんから肉厚なハンドタオルを取り出し、
「先生、このタオルをチェックしてください」
「……なんでタオル?」
「今回あまり勉強できなくて、すごく緊張してて手に汗をかきそうなの」
 私は事前に用意しておいた言い訳を口にする。
「そう……」
 先生はタオルを手に取り、裏表を適当にチェックした。
「っていうか、あんたがカンニングなんてするわけじゃないいじゃない」
 タオルを返されると、先生は茶封筒から問題用紙と答案用紙と取り出した。
 デスクの上に乗っている時計を私の目の前に置いてくれる。
「チャイムが鳴ったら始めなさい。終わったら次の科目を出すから声をかけて。基本は一科目五十分が制限時間。こっちではそれを計るだけ。いいわね」
「はい」
 私はシャーペンをタオルで包むようにして手に持った。
 赤い半月型をした時計が九時を指し、問題用紙を表に返して問題を解き始める。
 できるだけのことをやる。今は、それだけ――
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