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第八章 自己との対峙
24話
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痛みがひどくなると、痛覚にしか神経が使われていないのではないか、と思うほど、ほかのことが何も考えられなくなる。自分が何を発しているのか、それすらもわからなくなる。
十七歳になってようやく、自分に今余裕があるのかないのかを把握できるようになった。でも、それがわかったところでコントロールができるわけではない。
湊先生が注射を打ってくれたあとのことはまったく覚えていなかった。気づいたら外が真っ暗という程度には時間が経っていたし、先生と栞さんの姿が見えなければお父さんの声も聞こえはしなかった。
左手の点滴も抜針が済んでいる。キッチンからリズミカルは包丁の音が聞こえてくるところから察すると、お母さんが夕飯の支度をしているのだろう。蒼兄と唯兄は二階だろうか。
「……少し起きよう」
あえて声に出して身体を起こす。軽い眩暈を感じつつ、ベッドサイドに置かれたお水を口にした。
デスクに置かれたままのノートパソコンを起動させると、身に覚えのないソフトが起動される。
「……何?」
ウィンドウの中には蒼兄と唯兄の名前があって、次々と文章が表示される。
蒼:起きたのか?
唯:痛みは? ご飯まであと少しみたいだけど
これはなんだろう……。
恐る恐るタイピングしてみると、自分の文字が画面上に表示された。
翠:おはようございます
翠:今はそんなに痛くないよ
翠:少し眩暈がするけど身体起こしたくて
蒼:パソコンは目にくるからあまり長時間はよくない
唯:あんちゃん、俺一日これに向かってるんですけど
蒼:それについてはノーコメント
翠:これ、なぁに?
蒼:チャットとかメッセンジャーって呼ばれる類
翠:ふーん……なんか文章で会話するのって変な気分ね?
翠:私、少し考えごとしたいからバイバイ
そこで私はウィンドウを閉じ、メモ帳を立ち上げた。
本当は真っ白な紙に書き出したかったけれど、今は右手に筆記用具を持つのもつらいから。それならパソコンを利用しようと思った。
実際に打ってみて、タイピングのほうがまだ楽な気がする。
蒼兄たちには考えごとと話したけれど、実際は頭の中を少し整理したかっただけ。
私が今望んでいることと、何をどうしなくちゃいけないのか。それから周りの人のことも考えなくてはいけない。
考えられるときに考えないと……。
何を一番に優先させたいのか、させなくてはいけないのか。自分が譲れないものが何なのか。
私はまだ大人目線のことなんて考えられはしないだろう。だから、本当のところはお父さんやお母さんが現場を抜けて家へ帰ってくることがどのくらい大変なのか、想像しかできない。でも、目一杯想像して誇大妄想するくらいがちょうどいいと思う。
私が両親にかける心配と、両親が仕事で関わる人たちにかける迷惑はまるで違うものだから。
私は想像をしなくてはいけない。私のどんな行為が誰にどんな迷惑を及ぼすのか。どこまで被害を及ぼすのか。そのうえで、わがままを言っていいのか悪いのか――
こういうこと、相談できる誰かがいたらよかった。でも、誰もいないのが現状。
私の周りは優しい人ばかりだから、そういう人たちの意見では意味がない。常に公平で、常に冷静で、私を甘やかさない人じゃないとだめ。
そういう意味では静さんはそういう人かもしれなかった。けれど、忙しい人にこんな小さな相談ごとはできない。まずは自分の力で――
何から考えたらいいだろう。……まずは自分がいる場所から考えよう。
私がいられる場所は二ヵ所あった。自宅とマンションの二ヵ所。
そのふたつのメリットデメリットを考えて自宅へ帰ってきたけれど、もう一度考えよう。
自宅に戻ってきたのは本当に正しかったのか……。
マンションは学校と病院に近い。湊先生や楓先生が近くにいる。ほかの人に会う機会も多い。
けれども、秋斗さんがいる。正直、まだどう接したらいいのかがわからない。
普通に接するのは難しい気がするけれど、マンションにいれば会う機会は多くなる。それに、今はこんな状態だからこそ体調を気遣われるのがつらい。
自宅は自分の家だから落ち着く。ほかの人の介入が少ない分、人に気を遣わないですむ。会う人が限られているのも楽。基本的には痛みと対峙をすればいいだけ。でも、病院は遠くなるし学校には通えない。それから、蒼兄と唯兄、両親や栞さんだけに負担がかかる。
これだけ見れば、自宅に帰ってきて正解だったと思える。気持ち的には自宅にいるほうが断然楽なのだ。
人がたくさんいると、楽しいことも多い反面、その人たちを意識せずに生活をすることはできない。
マンションでの暮らしは常に誰かの手を借りながらの生活だった。主には栞さんであり、司先輩や湊先生。時には美波さんやコンシェルジュの方たちにもお世話になってしまう。
自宅なら差し出される手が限られる。その分、その手にかかる負担も大きくなる。
それはわかっているけれど、それでも自宅の方が気持ちがとても楽……。
両親は大好き。楽しそうに仕事をしている両親が好き。
自分のせいで仕事に影響が出るようなことだけは避けたい。
痛くてどうしようもないとき、完全に余裕がなくなったとき、私が言いたくない言葉を口にしてしまいそうだから側にいられると困る。
蒼兄も大好き。
私にばかり手がかかって蒼兄の時間が少なくなることが嫌。大学にはちゃんと通っていてほしい。それから、桃華さんと会う時間だってきちんと確保してほしい。
唯兄も大好き。
他人だけど兄妹で、一緒にいるのが苦にならない人。でも、病院に入ることを望んでいる気がする。それを勧められることが怖い。
栞さんも大好き。でも、今は体調が心配。
栞さんも優しい人だから――傷つけたくない。
病院は嫌……。大嫌い。
私はここにいたいけど、そうすることで必ず蒼兄と唯兄、それから栞さんには負担がかかる。
ただ負担がかかるのではなく、集中して負担がかかる。今はお母さんがいるけれど、それも三、四日のこと。
お母さんにとっては現場へ戻ることは本意ではないのだろう。たとえ現場に戻ったとしても心配はするのだろうし、ここに残ったとしても現場を気にするのだろう。
けれども、仕事上ではたくさんの人とお金が動くと聞いた。私のせいで悪影響が出てしまうのは嫌。
責任が私ではなくお母さんにくるのが嫌……。
仕事と子どものどちらを取るのか、なんて選択をさせたら、たいていの親は子どもを取るのだろう。それはお母さんもお父さんも例に漏れず……。
でもね、お母さん、お父さん。私は内臓疾患で痛みが出てるわけではないみたいだから、この痛みで死ぬことはないのよ。
生死に関わるものではない――
もちろん、そんな言葉はなんの救いにもならないし、誰を納得させることもできないのだろうけれど……。
でも、私は死なないのだ。無くなりはしない。でも、仕事は違うでしょう?
信頼や信用を失えば仕事は無くなるに違いない。だから、無くなる可能性があるものを優先してほしい。
これも私のわがままで、エゴでしかないのかな――
十七歳になってようやく、自分に今余裕があるのかないのかを把握できるようになった。でも、それがわかったところでコントロールができるわけではない。
湊先生が注射を打ってくれたあとのことはまったく覚えていなかった。気づいたら外が真っ暗という程度には時間が経っていたし、先生と栞さんの姿が見えなければお父さんの声も聞こえはしなかった。
左手の点滴も抜針が済んでいる。キッチンからリズミカルは包丁の音が聞こえてくるところから察すると、お母さんが夕飯の支度をしているのだろう。蒼兄と唯兄は二階だろうか。
「……少し起きよう」
あえて声に出して身体を起こす。軽い眩暈を感じつつ、ベッドサイドに置かれたお水を口にした。
デスクに置かれたままのノートパソコンを起動させると、身に覚えのないソフトが起動される。
「……何?」
ウィンドウの中には蒼兄と唯兄の名前があって、次々と文章が表示される。
蒼:起きたのか?
唯:痛みは? ご飯まであと少しみたいだけど
これはなんだろう……。
恐る恐るタイピングしてみると、自分の文字が画面上に表示された。
翠:おはようございます
翠:今はそんなに痛くないよ
翠:少し眩暈がするけど身体起こしたくて
蒼:パソコンは目にくるからあまり長時間はよくない
唯:あんちゃん、俺一日これに向かってるんですけど
蒼:それについてはノーコメント
翠:これ、なぁに?
蒼:チャットとかメッセンジャーって呼ばれる類
翠:ふーん……なんか文章で会話するのって変な気分ね?
翠:私、少し考えごとしたいからバイバイ
そこで私はウィンドウを閉じ、メモ帳を立ち上げた。
本当は真っ白な紙に書き出したかったけれど、今は右手に筆記用具を持つのもつらいから。それならパソコンを利用しようと思った。
実際に打ってみて、タイピングのほうがまだ楽な気がする。
蒼兄たちには考えごとと話したけれど、実際は頭の中を少し整理したかっただけ。
私が今望んでいることと、何をどうしなくちゃいけないのか。それから周りの人のことも考えなくてはいけない。
考えられるときに考えないと……。
何を一番に優先させたいのか、させなくてはいけないのか。自分が譲れないものが何なのか。
私はまだ大人目線のことなんて考えられはしないだろう。だから、本当のところはお父さんやお母さんが現場を抜けて家へ帰ってくることがどのくらい大変なのか、想像しかできない。でも、目一杯想像して誇大妄想するくらいがちょうどいいと思う。
私が両親にかける心配と、両親が仕事で関わる人たちにかける迷惑はまるで違うものだから。
私は想像をしなくてはいけない。私のどんな行為が誰にどんな迷惑を及ぼすのか。どこまで被害を及ぼすのか。そのうえで、わがままを言っていいのか悪いのか――
こういうこと、相談できる誰かがいたらよかった。でも、誰もいないのが現状。
私の周りは優しい人ばかりだから、そういう人たちの意見では意味がない。常に公平で、常に冷静で、私を甘やかさない人じゃないとだめ。
そういう意味では静さんはそういう人かもしれなかった。けれど、忙しい人にこんな小さな相談ごとはできない。まずは自分の力で――
何から考えたらいいだろう。……まずは自分がいる場所から考えよう。
私がいられる場所は二ヵ所あった。自宅とマンションの二ヵ所。
そのふたつのメリットデメリットを考えて自宅へ帰ってきたけれど、もう一度考えよう。
自宅に戻ってきたのは本当に正しかったのか……。
マンションは学校と病院に近い。湊先生や楓先生が近くにいる。ほかの人に会う機会も多い。
けれども、秋斗さんがいる。正直、まだどう接したらいいのかがわからない。
普通に接するのは難しい気がするけれど、マンションにいれば会う機会は多くなる。それに、今はこんな状態だからこそ体調を気遣われるのがつらい。
自宅は自分の家だから落ち着く。ほかの人の介入が少ない分、人に気を遣わないですむ。会う人が限られているのも楽。基本的には痛みと対峙をすればいいだけ。でも、病院は遠くなるし学校には通えない。それから、蒼兄と唯兄、両親や栞さんだけに負担がかかる。
これだけ見れば、自宅に帰ってきて正解だったと思える。気持ち的には自宅にいるほうが断然楽なのだ。
人がたくさんいると、楽しいことも多い反面、その人たちを意識せずに生活をすることはできない。
マンションでの暮らしは常に誰かの手を借りながらの生活だった。主には栞さんであり、司先輩や湊先生。時には美波さんやコンシェルジュの方たちにもお世話になってしまう。
自宅なら差し出される手が限られる。その分、その手にかかる負担も大きくなる。
それはわかっているけれど、それでも自宅の方が気持ちがとても楽……。
両親は大好き。楽しそうに仕事をしている両親が好き。
自分のせいで仕事に影響が出るようなことだけは避けたい。
痛くてどうしようもないとき、完全に余裕がなくなったとき、私が言いたくない言葉を口にしてしまいそうだから側にいられると困る。
蒼兄も大好き。
私にばかり手がかかって蒼兄の時間が少なくなることが嫌。大学にはちゃんと通っていてほしい。それから、桃華さんと会う時間だってきちんと確保してほしい。
唯兄も大好き。
他人だけど兄妹で、一緒にいるのが苦にならない人。でも、病院に入ることを望んでいる気がする。それを勧められることが怖い。
栞さんも大好き。でも、今は体調が心配。
栞さんも優しい人だから――傷つけたくない。
病院は嫌……。大嫌い。
私はここにいたいけど、そうすることで必ず蒼兄と唯兄、それから栞さんには負担がかかる。
ただ負担がかかるのではなく、集中して負担がかかる。今はお母さんがいるけれど、それも三、四日のこと。
お母さんにとっては現場へ戻ることは本意ではないのだろう。たとえ現場に戻ったとしても心配はするのだろうし、ここに残ったとしても現場を気にするのだろう。
けれども、仕事上ではたくさんの人とお金が動くと聞いた。私のせいで悪影響が出てしまうのは嫌。
責任が私ではなくお母さんにくるのが嫌……。
仕事と子どものどちらを取るのか、なんて選択をさせたら、たいていの親は子どもを取るのだろう。それはお母さんもお父さんも例に漏れず……。
でもね、お母さん、お父さん。私は内臓疾患で痛みが出てるわけではないみたいだから、この痛みで死ぬことはないのよ。
生死に関わるものではない――
もちろん、そんな言葉はなんの救いにもならないし、誰を納得させることもできないのだろうけれど……。
でも、私は死なないのだ。無くなりはしない。でも、仕事は違うでしょう?
信頼や信用を失えば仕事は無くなるに違いない。だから、無くなる可能性があるものを優先してほしい。
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