光のもとで1

葉野りるは

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第十章 なくした宝物

15話

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 ツカサの背を見たら急に心細くなり、自然ととんぼ玉を握る力が強まる。
 病室にふたりきりになると、一切の音がなくなった。空気がピリッとしていて、硬水の中にいる感じ。
 秋斗さんを見ると、にこりと笑顔を見せてくれた。でも、その笑顔の中にも緊張が見て取れて、余計に自分も緊張する。
 たぶん、この空気を作り出しているのは自分。今度は私の緊張が秋斗さんに伝染してしまったのだ。
「……最初から話そうと思う」
 秋斗さんは両手を顔の前で組み、祈るような格好で口にした。
「最初って……どこですか?」
 私は最初がどこを指すのかすらわからなかった。
「そうだな……翠葉ちゃんと俺が出逢ったいきさつとか、その辺から全部、かな」
 気にはなる。でも――
「あのっ、私、本当に話していただいても思い出せるわけではないのでっ――」
「うん、わかってる」
 秋斗さんは少し寂しそうに見えたけれど、同時にほっとしているようにも見えた。
 本当は、どっちなのかな……。
「あの、話してもらわなくても、大丈夫ですよ? 私、記憶がなくてもあまり困らないみたいで……」
 今になって怖くなってきた。
 私、自分の過去から逃げたいの……?
 ふと、そんな思いが心をよぎる。
 だって、みんながみんな話したがらないから……。
 なのに、急に教えてもらえるとなると怖くなる。
 私、すごく自分勝手だ……。
「……俺は話したいし、話したほうがいいと思う。君は知っていたほうがいいと思うんだ。……それに、知っていてもらわないと困る人たちも出てくる」
「……え?」
「翠葉ちゃん、静さんに写真提供するお仕事をもらったの覚えてる?」
「……はい。ふとすると忘れちゃいそうになるんですけど……」
 苦笑して答えると、
「その件で、俺との記憶がないと使えない写真が多々出てくるらしい」
「……そうなんですか?」
「うん、だから……そういう意味も含めて、知っておいたほうがいいと思う」
 それなら、聞こう……。ちゃんと、聞こう。
 ツカサや栞さんが心配する理由はわからない。でも、ツカサの言った一言がどうしようもなく気になっている。「会わなくちゃだめだと思う」という一言が――
 会うこと事体に意味があるのか、会って過去を知ることに意味があるのか。
 私にはわからないけれど、それでも何かしら関係がある気がした。

 秋斗さんは過去を思い返すように、少し遠くを見ながら話し始める。
「俺と司と翠葉ちゃんは、入学式の日に出逢ったんだよ。入学式やホームルームが終わったら、図書室で待っているように蒼樹が翠葉ちゃんに話していたんだ。君は重い荷物を持って図書室の入り口で途方に暮れていてね、そこに俺が来たんだ。中に入ってしばらくしたら司が来た。最後には蒼樹が来て四人でお茶を飲んだ。そのときに、君の身体のことを少しだけ知っているという話をした」
 まるで、何かのお話を聞いているような感覚だった。思い出すとか、そういう感覚とは無縁……。
 携帯にGPSを仕込まれていたとか、バングルを作るいきさつとか、そういう細かいことまですべて教えてくれた。それから、ブライトネスパレスへ連れていってもらったことも。
 静さんが使いたい写真に、そのとき撮ったものが数枚含まれるらしい。
 そのときの写真はノートパソコンに保存してあった。
 写真を見れば自分が好きな構図であることはわかるけれど、それを自分が撮ったのか、と訊かれると、そんなところへ行った覚えも、そんな景色を目にした覚えもなく、なんともいえない気分になる。
「思い出そうとしなくていいよ。今はとりあえず、俺たちがどんなふうに四月から関わってきたのかをわかってくれればそれでいいんだ」
 蒼兄以外の人と出かけるなんて、今まではなかった。そう考えると、私は秋斗さんにとても心を許していたのだと思う。
 心を開いていたかはわからない。でも、安心して接することができる人だったのは確かだ。
「良かった……」
「え?」
「秋斗さんが怖い人じゃなくて良かったです」
 ほっとして頬が緩む。逆に、秋斗さんは緊張の面持ちになった。
「……秋斗さん?」
「……どうして怖いと思ったの?」
「夢を見たとき、どうしてか怖いと思ったんです。でも、間違いだったみたい」
 笑って答えると、「そう」と声のトーンが落とされた。
「……秋斗さん?」
「……俺はね、あまりいい人じゃないから。いい人でも優しい人でも大人でもなく、いつも君を困らせてばかりいたんだ」
 秋斗さんの表情が苦く歪んでいく。
「ツカサと同じ……。記憶の話をするとき、つらそうな顔をするんですね」
 それは私が何かをしたからなのだろうか。私は、何をしてしまったのだろう。
「翠葉ちゃん、違うよ。君が悪いことをしたわけじゃなくて、俺が間違えたんだ」
 唇をきゅっと真一文字に引き締めた秋斗さんは、覚悟を決めたような顔をした。
「……秋斗さん、それは怖いこと?」
「……怖いこと、かな。翠葉ちゃんは怖い?」
 自問自答して、さらには尋ねられる。
「知りたいのに怖いと思うのはどうしてでしょう……」
 とんぼ玉を握る力がいっそう強くなる。
「誰かが言ってたよね。真実は甘くないって……。だからじゃないかな」
 真実は甘くない――
「でも、俺にとってはとても大切な思い出だったり出来事なんだ」
 そう口にした秋斗さんは、心がほわっとあたたかくなるような表情をした。
「楽しいことや嬉しいこと、それだけじゃない。でも、つらいことも何もかも、全部ひっくるめて大切な出来事で、俺の過去なんだ」
 そう言った秋斗さんの顔は、苦いものを食べたときの顔。でも、そのあとには少しはにかんだような笑顔になった。
「その出来事の中に私がいるんですか?」
 秋斗さんはゆっくりと大きく頷いた。
「その中心に翠葉ちゃんがいる」
 真っ直ぐに見つめられ、少し困る。心臓がぴょん、と飛び跳ねた気がしたから。
 どう説明したらいいのかはわからない。でも、ずっと見られているとドキドキする。
 私はそれまで以上に強くとんぼ玉を握りしめ、心を落ち着けようと努力した。
「どうして――どうして、その中心に私がいるんですか?」
「それを教えるために全部を話したいんだけど……いいかな?」
 私はすぐに答えることができなかった。
「……やっぱり怖い?」
 気遣うような目で見られる。
「怖いけど……知らないのはもっと怖い気もするんです」
「そうだね……。俺が翠葉ちゃんでもそう思うのかもしれない」
 秋斗さんは少し深めに呼吸をすると、
「話をさせてもらえるかな?」
 嫌、と答えることはできなかった。
「その前に飲み物くらい用意しようか」
 秋斗さんがスツールから立ち上がる。
「ごめんなさい、冷蔵庫の中は空っぽなんです」
「大丈夫、自販機で買ってくるから。翠葉ちゃんのは栞ちゃんにハーブティーを淹れてもらうからちょっと待っててね」
 言うとすぐに病室を出ていった。

「……緊張しているのは私だけじゃない?」
 ポツリ、と零すとツカサが病室に戻ってきた。
「平気?」
 いつもの静かな声で訊かれる。
「うん、大丈夫……」
「泣きそうな顔してるけど?」
 泣きそう……?
「本当?」
「……なんとなく」
「……でもね、秋斗さんも泣きそうな顔をしてた。すごくつらそうだった……」
 ツカサはなんともいえないような顔をしていた。
「でも、会わなくちゃだめなんだよね?」
「……そう」
「それは会うことを意味していたの? それとも、会って話を聞くことを指していたの?」
 ツカサは少し黙ってから、
「会うことも、話をすることも、話を聞くことも……全部必要なことだと思う」
 ひとつひとつ区切って話したことに深い意味はあるのだろうか。
 わからないけれど、聞いている私にはどの言葉にも意味があるように思えた。
 ……きっと、避けて通ってはいけない場所なんだ。
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