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第十一章 トラウマ
08話
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廊下に出ると、ツカサはいつもみたいに少しの反動でドアから離れる。
その瞬間がちょっと好き……。
目が合えば、「遅い」と一言。待たせたうえに忘れていたとは言えない。ここはしっかり頭を下げて謝っておこう。
「ごめんなさい」
「……頭を下げられるほど怒ってない」
ツカサはスタスタと歩きだした。その後ろ姿を追うと、
「さっき何話して――やっぱなんでもない」
ツカサが言いかけてやめるのは、ものすごくらしくない。
「さっき、何……?」
「いや……何話してたのかと思って。後ろで海斗や簾条が俺を見て笑ってたから」
河野くんとの会話のことかな……?
私は桃華さんたちに背を向けた状態で話していたため、みんなが笑っていたことは知らなかった。
「河野くんがね、ツカサと付き合い始めたのかって訊くから、違うよって話をしていたの。名前を呼び捨てにするとそう思われるものなの?」
「……さぁ」
「ツカサ先輩に戻したほうがいいのかな?」
瞬時にツカサの歩く速度が上がった。
「ちょっと待ってっ! 足の長さが違うんだからそのあたり考慮してよっ」
一年A組の前を通り過ぎ、テラスへと続くドアを目の前にしてツカサがピタリと足を止めた。
「何?」
「ルート間違えた」
「え?」
間違えたって……テラスに出てそのまま歩いていけば図書棟のはずだけど……。
「いいから、こっち……」
校舎内の階段を下りて一階に着くと、桜林館の外周廊下へと歩みを進める。
屋外へ出ると、むわっとした空気に呑まれる。
さっき保健室から教室へ戻る途中に感じた、昇降口付近の熱気よりも数倍熱い感じ。
始業式前はもう少し涼しかった気がするんだけどな……。
「あ――二階のテラスはもっと暑かったよねっ?」
少し前を歩くツカサに追いついて顔を見上げると、
「たぶんね……。別に翠のためじゃない、俺だって暑いよりは涼しいほうがいい」
ツカサは私が言う前に答えをくれることが多い。時に、言いたいことを言わせてもらえないというか……。
「ありがとうくらい言わせてくれてもいいのに……」
「あぁ、それなら今からでもかまわないけど?」
シニカルな笑みを浮かべる様はちっとも残念がってないし、むしろ楽しそう……。
そんなツカサの表情を見るのは久しぶりな気がした。
「司くんっっっ」
突如、目の前に数人の女子が躍り出た。
本当はもっと違う現れ方だったのかもしれないけれど、ツカサの顔を見ていた私には突然現れたようにしか見えなかった。
「何か用?」
面倒くさそうにツカサが応じると、
「夏休みに毎日図書館でデートしてたって……本当なの?」
一年生は「司くん」とは話しかけないだろう。そこからすると、この人たちは二年生か三年生。
うちの学校は防犯の一環として、校章や制服では学年がわからないようになっているため、身なりを見ても、藤宮の生徒であることしか確認できない。それ以上を求める場合は学生証が必要になる。
「その場を見ていた人間がいるなら、デートとは思わないはずだけど? それに毎日じゃない」
ツカサは端的に答えた。
図書館でデート――思い当たることはひとつ。家庭教師、だ。
夏休み最後に宿題を教えてもらう際、「このくらいならまだ教えられる」とツカサが漏らした。
その言葉が何を意味するのかと尋ねたら、珍しくひとりの女の子のことを愚痴りだした。
前の日に教えたものを翌日には忘れいている最悪な頭の持ち主だとか、宿題もやらなければ予習復習もしてこない、教わる姿勢が全く見えない云々――
どうやら、おうちの関係で蔑ろにはできない女の子の家庭教師を期間限定ですることになった、とそんな話だったと思う。
「でも、確かめた人なんていないし……。噂、すごく広まっているし……」
と、左端の先輩が口にする。
「噂をいちいち確認しに来られるのは迷惑だ。でも……何をどう思われてもかまわないけど、アレだけは噂で勘違いされるのも不愉快」
そう言うと、ツカサはスタスタと歩くことを再開した。
「えっ? ツカサっ!?」
置き去りにされそうになって慌てて追いかける。
「なんでこんなことまでいちいち訊かれなくちゃいけないんだっ」
ツカサの機嫌は最高潮に悪そうだ。さっきの不機嫌なんてかわいすぎる。今の不機嫌度合いは全然かわいくない。むしろ怖い。
でも、あんな言い方しなくてもいいのにな……。
「だいたいにして、あんな人間と二度と会うかっ」
吐き捨てると同時、図書棟の一階に着きエレベーターに乗り込んだ。
このエレベータは本来生徒が使っていいものではない。でも、ツカサが迷わずに乗り込んだから私もあとに続く。
マンションのエレベーターよりも格段に狭い四角い箱。ふわん、とエレベーター特有の浮遊感を感じたとき、
「さっきの先輩たちは知りたかっただけだと思うよ? ……普通に、期間限定家庭教師、って教えてあげたら良かったのに……」
「……翠、課題テストや全国模試の準備できてるのか? もしできてないなら、俺が面倒見るけど?」
にこりと笑ったこの人は、間違いなく氷の女王だと思うの――
図書室にはまだ誰も来ていなかった。
「今日は何をするの?」
生徒会役員になってからというもの、こういう場に自分が参加するのは初めてのことだと思う。
生徒総会のときも、私は準備に携わらなかった。当日は誘導されるままに動いて、渡された資料を読み上げたのみ。
そのため、ここでどんな仕事をするのか、私には未知の領域だった。
「今日は二学期にある行事に関する打ち合わせ。全国模試と課題テストが終わったあと、二十四日には球技大会がある。それ自体は学期ごとに必ずあるイベントだから準備することは少ない。十月の中間考査が終わると月末には紅葉祭がある。そっちはハロウィンパーティーとも絡めるから決めることもそれなりにある。今日話し合うのは紅葉祭に関することだろうな」
ツカサがパソコンを立ち上げていると、カウンター奥のドアが開き、秋斗さんが出てきた。
本当にここでお仕事をしているのね……。
話には聞いていたけれど、なんだかしっくりとこなかったのだ。
「翠葉ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「体調は大丈夫?」
「はい。秋斗さんはこれからお出かけですか?」
手にはアタッシュケースとスーツの上着を持っていた。
「これから本社で会議があるんだ。それさえなければ翠葉ちゃんをお茶に誘うんだけどね」
クスリ、と笑う笑顔が甘い。声も甘い。
甘いは秋斗さんの標準装備。
秋斗さんの背後で大きなスライドドアが静かに閉まる。
ドアの入り口には認証システムらしきものがついているけれど、ほかに鍵はついていないみたい。
「どうかした?」
「あ……アナログの鍵はないんだな、と思って……」
さっき図書室に入るときは指紋認証で入るとツカサが教えてくれた。それまではカードキーだったことも教えてくれた。
「ここに入るには声紋認証と指紋認証、網膜認証が必要。俺が中にいればインターホンっていう手もあるけどね」
秋斗さんは、ドア脇にあるカメラ付きインターホンを指差した。
アナログの鍵はなかったけれど、やっぱり見た目どおりの厳重セキュリティだった。
「その先は未知の空間ですね?」
私の言葉を秋斗さんは笑う。
「そうでもないかもよ?」
どういう意味だろう……?
「今度、未知の空間に招待するよ。じゃ、司、あとの戸締りは頼む。俺が戻るのは六時を回るから」
秋斗さんはツカサに戸締りをお願いして図書室を出た。
「ねぇ、ツカサ……? どうして戸締りがツカサなの?」
「雇われてるから」
「え……?」
「俺のバイト先、そこだから」
ツカサは未知の空間を指差した。
「そういえば、昇さんが秋斗さんのところでお仕事お手伝いしてるって言ってた……」
「それ」
「戸締りがお仕事?」
ツカサはパソコンのタイピングをやめてこちらを見る。
「そんなわけないだろ? ほかの仕事のついでが戸締り。別に毎日じゃないし、秋兄がいれば俺がやる必要はない」
そう答えてから、また黙々とパソコンに向かってキーを打ち始めた。
その数分後、海斗くんと桃華さん、サザナミくんが入ってきた。
一度ドアが閉まり、またすぐに開いて二年メンバーと三年メンバー全員が揃った。
その瞬間がちょっと好き……。
目が合えば、「遅い」と一言。待たせたうえに忘れていたとは言えない。ここはしっかり頭を下げて謝っておこう。
「ごめんなさい」
「……頭を下げられるほど怒ってない」
ツカサはスタスタと歩きだした。その後ろ姿を追うと、
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ツカサが言いかけてやめるのは、ものすごくらしくない。
「さっき、何……?」
「いや……何話してたのかと思って。後ろで海斗や簾条が俺を見て笑ってたから」
河野くんとの会話のことかな……?
私は桃華さんたちに背を向けた状態で話していたため、みんなが笑っていたことは知らなかった。
「河野くんがね、ツカサと付き合い始めたのかって訊くから、違うよって話をしていたの。名前を呼び捨てにするとそう思われるものなの?」
「……さぁ」
「ツカサ先輩に戻したほうがいいのかな?」
瞬時にツカサの歩く速度が上がった。
「ちょっと待ってっ! 足の長さが違うんだからそのあたり考慮してよっ」
一年A組の前を通り過ぎ、テラスへと続くドアを目の前にしてツカサがピタリと足を止めた。
「何?」
「ルート間違えた」
「え?」
間違えたって……テラスに出てそのまま歩いていけば図書棟のはずだけど……。
「いいから、こっち……」
校舎内の階段を下りて一階に着くと、桜林館の外周廊下へと歩みを進める。
屋外へ出ると、むわっとした空気に呑まれる。
さっき保健室から教室へ戻る途中に感じた、昇降口付近の熱気よりも数倍熱い感じ。
始業式前はもう少し涼しかった気がするんだけどな……。
「あ――二階のテラスはもっと暑かったよねっ?」
少し前を歩くツカサに追いついて顔を見上げると、
「たぶんね……。別に翠のためじゃない、俺だって暑いよりは涼しいほうがいい」
ツカサは私が言う前に答えをくれることが多い。時に、言いたいことを言わせてもらえないというか……。
「ありがとうくらい言わせてくれてもいいのに……」
「あぁ、それなら今からでもかまわないけど?」
シニカルな笑みを浮かべる様はちっとも残念がってないし、むしろ楽しそう……。
そんなツカサの表情を見るのは久しぶりな気がした。
「司くんっっっ」
突如、目の前に数人の女子が躍り出た。
本当はもっと違う現れ方だったのかもしれないけれど、ツカサの顔を見ていた私には突然現れたようにしか見えなかった。
「何か用?」
面倒くさそうにツカサが応じると、
「夏休みに毎日図書館でデートしてたって……本当なの?」
一年生は「司くん」とは話しかけないだろう。そこからすると、この人たちは二年生か三年生。
うちの学校は防犯の一環として、校章や制服では学年がわからないようになっているため、身なりを見ても、藤宮の生徒であることしか確認できない。それ以上を求める場合は学生証が必要になる。
「その場を見ていた人間がいるなら、デートとは思わないはずだけど? それに毎日じゃない」
ツカサは端的に答えた。
図書館でデート――思い当たることはひとつ。家庭教師、だ。
夏休み最後に宿題を教えてもらう際、「このくらいならまだ教えられる」とツカサが漏らした。
その言葉が何を意味するのかと尋ねたら、珍しくひとりの女の子のことを愚痴りだした。
前の日に教えたものを翌日には忘れいている最悪な頭の持ち主だとか、宿題もやらなければ予習復習もしてこない、教わる姿勢が全く見えない云々――
どうやら、おうちの関係で蔑ろにはできない女の子の家庭教師を期間限定ですることになった、とそんな話だったと思う。
「でも、確かめた人なんていないし……。噂、すごく広まっているし……」
と、左端の先輩が口にする。
「噂をいちいち確認しに来られるのは迷惑だ。でも……何をどう思われてもかまわないけど、アレだけは噂で勘違いされるのも不愉快」
そう言うと、ツカサはスタスタと歩くことを再開した。
「えっ? ツカサっ!?」
置き去りにされそうになって慌てて追いかける。
「なんでこんなことまでいちいち訊かれなくちゃいけないんだっ」
ツカサの機嫌は最高潮に悪そうだ。さっきの不機嫌なんてかわいすぎる。今の不機嫌度合いは全然かわいくない。むしろ怖い。
でも、あんな言い方しなくてもいいのにな……。
「だいたいにして、あんな人間と二度と会うかっ」
吐き捨てると同時、図書棟の一階に着きエレベーターに乗り込んだ。
このエレベータは本来生徒が使っていいものではない。でも、ツカサが迷わずに乗り込んだから私もあとに続く。
マンションのエレベーターよりも格段に狭い四角い箱。ふわん、とエレベーター特有の浮遊感を感じたとき、
「さっきの先輩たちは知りたかっただけだと思うよ? ……普通に、期間限定家庭教師、って教えてあげたら良かったのに……」
「……翠、課題テストや全国模試の準備できてるのか? もしできてないなら、俺が面倒見るけど?」
にこりと笑ったこの人は、間違いなく氷の女王だと思うの――
図書室にはまだ誰も来ていなかった。
「今日は何をするの?」
生徒会役員になってからというもの、こういう場に自分が参加するのは初めてのことだと思う。
生徒総会のときも、私は準備に携わらなかった。当日は誘導されるままに動いて、渡された資料を読み上げたのみ。
そのため、ここでどんな仕事をするのか、私には未知の領域だった。
「今日は二学期にある行事に関する打ち合わせ。全国模試と課題テストが終わったあと、二十四日には球技大会がある。それ自体は学期ごとに必ずあるイベントだから準備することは少ない。十月の中間考査が終わると月末には紅葉祭がある。そっちはハロウィンパーティーとも絡めるから決めることもそれなりにある。今日話し合うのは紅葉祭に関することだろうな」
ツカサがパソコンを立ち上げていると、カウンター奥のドアが開き、秋斗さんが出てきた。
本当にここでお仕事をしているのね……。
話には聞いていたけれど、なんだかしっくりとこなかったのだ。
「翠葉ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「体調は大丈夫?」
「はい。秋斗さんはこれからお出かけですか?」
手にはアタッシュケースとスーツの上着を持っていた。
「これから本社で会議があるんだ。それさえなければ翠葉ちゃんをお茶に誘うんだけどね」
クスリ、と笑う笑顔が甘い。声も甘い。
甘いは秋斗さんの標準装備。
秋斗さんの背後で大きなスライドドアが静かに閉まる。
ドアの入り口には認証システムらしきものがついているけれど、ほかに鍵はついていないみたい。
「どうかした?」
「あ……アナログの鍵はないんだな、と思って……」
さっき図書室に入るときは指紋認証で入るとツカサが教えてくれた。それまではカードキーだったことも教えてくれた。
「ここに入るには声紋認証と指紋認証、網膜認証が必要。俺が中にいればインターホンっていう手もあるけどね」
秋斗さんは、ドア脇にあるカメラ付きインターホンを指差した。
アナログの鍵はなかったけれど、やっぱり見た目どおりの厳重セキュリティだった。
「その先は未知の空間ですね?」
私の言葉を秋斗さんは笑う。
「そうでもないかもよ?」
どういう意味だろう……?
「今度、未知の空間に招待するよ。じゃ、司、あとの戸締りは頼む。俺が戻るのは六時を回るから」
秋斗さんはツカサに戸締りをお願いして図書室を出た。
「ねぇ、ツカサ……? どうして戸締りがツカサなの?」
「雇われてるから」
「え……?」
「俺のバイト先、そこだから」
ツカサは未知の空間を指差した。
「そういえば、昇さんが秋斗さんのところでお仕事お手伝いしてるって言ってた……」
「それ」
「戸締りがお仕事?」
ツカサはパソコンのタイピングをやめてこちらを見る。
「そんなわけないだろ? ほかの仕事のついでが戸締り。別に毎日じゃないし、秋兄がいれば俺がやる必要はない」
そう答えてから、また黙々とパソコンに向かってキーを打ち始めた。
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