光のもとで1

葉野りるは

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第十一章 トラウマ

31話

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 車を降りると、白髪が目立つ初老の方と数人のベルボーイが出迎えてくれた。
「木田さん、久しぶりです。急な予約で無理を言ってすみません」
「秋斗様、翠葉お嬢様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
 木田さんと仰る方は私たちの後ろに視線を移すと、
「いらっしゃいませ、総支配人の木田と申します」
「今日明日とお世話になります」
 蒼兄が言うと、唯兄も揃って頭を下げた。そして、唯兄はカードケースから名刺を取り出す。
「広報部の若槻です。お目にかかれて光栄です」
「あなたが若槻くんでしたか。お噂はかねがねうかがっております」
 そっか……。唯兄にとっては職場違えど、同じ会社の人といってもおかしくないのだ。
「木田さん、お久しぶりですっ!」
 栞さんが木田さんに話しかけると、
「栞お嬢様、ますますおきれいになられたのでは?」
 木田さんは柔和な笑顔をたたえて口にした。
 一通り挨拶が済むと、昼食をどうするか尋ねられる。
「木田さん、自分と翠葉ちゃんは前回と同じように」
「かしこまりました」
「あ、俺の飲み物だけ変えてください。彼女と同じハーブティーに」
「それでは、のちほどお部屋の方へコーヒーをお持ちいたしましょうか」
「実は、コーヒーも酒もやめたんです」
 木田さんは少しびっくりした顔をしたけれど、すぐに表情を改め微笑んだ。
「さようですか。それではお部屋のお飲み物もハーブティーにお取替えいたしましょう」
 木田さんの視線が、私の手に持つラグへ移動する。と、
「翠葉お嬢様、ただいま森の中にはガラス張りの客室が建っておりますので、そちらのラグは不要かもしれません。暖房設備もございますので、どうぞごゆっくりお過ごしください」
 必要のなくなったトラベルラグは、ベルボーイの手に渡った。
「ほかの皆様、ランチはいかがなさいますか? レストラン、客室、敷地内の森林でお召し上がりいただくことができます」
「私と昇はレストランで」
 栞さんは即答。蒼兄たちは、
「唯、どうする?」
「栞さんたちが迷惑でなければレストラン、ご一緒させてもらってもいいですか?」
 唯兄がひょっこりと顔を出して栞さんたちに尋ねると、
「大歓迎よ」
 と、快諾してもらえたようだ。
「じゃ、いったん解散ね」
 秋斗さんがその場を締めたけれど、みんなが向かうのはチャペルだった。
 今日は一組のカップルが挙式を挙げているという。花嫁さんの姿を一目見ようと、みんなが足を向けたのだ。
 大理石の床はどこを見てもピカピカで、照明や採光の計算が絶妙。すてきな建物は歩いているだけでも飽きなかった。それは蒼兄も同じようで、ふたりして似たり寄ったりのところに視線が集る。
 少し開けたところに出ると円形の噴水があり、その向こうにチャペルが建っている。
 秋だというのに花が咲き乱れる庭園。
「きれい……」
「リィはこういうの好きそうだよね」
 隣に並んだ唯兄に顔を覗き込まれる。
「うん、大好き! 噴水もきれいね……。水がキラキラしてる」
 空に向かって伸びる水柱の先端には、流動性のあるガラス玉みたいな水がキラキラとはじけ飛ぶ。噴水にはバラの花びらや花そのものが浮かんでいて、とても華やかな演出をされていた。
 少しすると、参列者の人たちがチャペルから出てきて、一度チャペルのドアが閉まった。
 その数分後、カランカラン、と高らかに鐘が鳴り響き、花嫁さんと花婿さんが一緒に出てきた。
 参列者はバラの花びらとライスシャワーをふたりの前へ頭上へと降らせて色を添える。
 その場にいるひとたちがみんな幸せそうな顔をしていた。
 笑顔しかない場所。幸せと期待に満ちた時間。なんてきれいなんだろう……。
「秋斗さん、リィのカメラ」
 唯兄が持っていたものを秋斗さんに渡すと、秋斗さんはひょい、とそれを受け取った。
「あ、私持ちますっ」
 秋斗さんは私のハープを持ってくれている。カメラくらい自分で持つべきだ。けれど、
「このくらいなんともないよ」
 と、笑顔でかわされてしまう。
「さ、森へ行こうか。秋は春よりも日が沈むのが早いから」
 そう言われて、今度こそ蒼兄たちとは別行動になった。

 チャペルの脇から伸びている細い小道を歩けば森の入り口にたどり着く。
 ここへ来るのは二度目ということだけど、私の記憶からはきれいさっぱり削除されていて、初めての景色に周りをきょろきょろ見ながら歩いていた。すると、
「危ないから手をつなごう」
 秋斗さんを見ると、ハープもカメラケースも右肩に持っていて、左手が空いていた。
 私ではそうはいかないな、なんて思いつつ、差し出された手に自分の右手を重ねる。
「……良かった」
「え……?」
「手を……取ってもらえなかったらどうしようかって、そんなことまで考えちゃうんだ」
 秋斗さんは苦笑する。
「あの……私、そんなに不安になるようなことしていますか……?」
「違うよ。俺が自業自得なだけ。普段の行いが悪いとこういうことになるんだなぁ、って改めて実感」
 秋斗さんはそう言って自嘲気味に笑い、私はあたたかく大きな手に誘われるように小道を進んだ。

 十分くらい歩くと開けた場所に出る。
「これはまた――すごいもの作ったなぁ……」
 秋斗さんの後ろからその建物を見ると、全面ガラス張りの建物があった。
 四角錐の建物は、まるでピラミッドのようだ……。
「ガラス張りだけど、透明なガラスではないんですね?」
「おいで。たぶん、外から中が見えないようにしてあるだけで、中からは外がきれいに見えるはずだよ」
 建物の入り口まで行くと、秋斗さんがセキュリティシステムに自分の携帯をつなぐ。と、ロックが外れてしまった。
「秋斗さん、それ……」
「うん? 普通の携帯だよ」
 にこりと笑った秋斗さんを信じられない、と思ったのは言うまでもない。
 建物の中には、南西部分にソファセットがあり、その手前、東南部分にはキングサイズと思しきベッドが置かれている。室内にある円柱のレトロなストーブは全部で三つ。
 広さ的には二十畳くらいだろうか。入り口の右側、北側の壁面にはドアがひとつついている。
 その先はトイレとかかな……?
 周りにはそこかしこに水に浮かべられたキャンドルやオイルランプがある。照明や暖房に電気が使われていないということは、もしかしたら電気は通っていないのかもしれない。
「あ――」
 さっきロビーでいただいたパンフレットに、このゲストルームの名前がステラ、と書かれていた。
 それはもしかしたら、星空を臨むためのゲストルームという意味なのかもしれない。だとすれば、明るすぎる照明は必要ないどころか、邪魔にしかならない。
 納得……。
 秋斗さんはジャケットを脱いでソファにかけ、私は部屋から見える景色を窓際からじっと見ていた。
「楓と紅葉(もみじ)って何が違うんでしょう……」
 ふとした疑問だった。
 白樺に巻きつく蔦の紅葉こうようも見事なものだけど、やっぱりよりいっそう赤く色づくものに目がいく。
紅葉もみじと楓は植物分類上では区別されないんだ。どちらもカエデ科カエデ属。一般的には、カエデ属の中でとくにきれいな葉、小さく真っ赤に紅葉しているものを紅葉もみじっていう。園芸上では葉の切れ込み数や切れ込み具合によってきちんと区別される。葉が五つ以上に切れ込みが入っているものを紅葉もみじ。切れ込みが三つ程度のものは楓」
「初めて知りました。秋斗さん、詳しいですね?」
「俺は草木について詳しいわけじゃないよ。ただ、楓って従弟がいるからね。真白さんや祖母に聞かされて育ったんだ」
 そこに秋斗さんの携帯が鳴った。
 ここ、山の中なのに携帯が通じるのね……?
「はい。――お願いします」
 通話を切ると、
「木田さんがランチを届けにきてくれるって」
「……ランチ、楽しみです」
「うん、そうだね……」
「秋斗さん……?」
「何?」
「なんか変です……。何が変とはわからないけど、でも――」
 秋斗さんに違和感を覚えた。
 まるで腫れ物に触るような接し方。そんなふうに思えてしまった。
 身体が弱いからそういう対応をされているわけじゃないということはわかるのに、何に対しておっかなびっくりなのかがわからない。
 私の行動……? それとも、反応?
 秋斗さんの甘い言葉や笑顔には困ってしまうけれど、それを抑えている秋斗さんは秋斗さんらしく思えない。
 それなら、私は自分が困るようなことを言ってほしいのか、と考えればそれも微妙で……。
 どうしたらいいのかな……。
「ごめんね。……どうしたらいいのかがわからないんだ」
「え……?」
「君を傷つけてしまうことが怖い。でも、君の近くにいたい。君と話をしたい。――前回来たときの話をどこまでしたらいいのかわからない。翠葉ちゃんの表情や仕草、行動を見ていると、すべてがあの日とかぶる。でも、今日っていうこれから起きる出来事を大切にしたいとも思っていて――どうしたらいいのかがわからないんだ」
 前回来たときの話――本来なら二度目のパレス。そして、今回の一泊旅行というイベント。
 それらが頭の中をぐるぐると回る。
 秋斗さんに視線を戻すと、つらそうな顔をしていた。今にも泣いてしまうんじゃないか、というような表情。
「――っ、翠葉ちゃん?」
 気づいたときにはソファの足元、毛足の長いラグに座り込み、秋斗さんの袖を掴んでいた。
「たくさんお話ししましょう? 私にできることは何もないから、だから……」
 記憶を取り戻すことが一番なのだと思う。でも、それは自分で意識して思い出そうと思って思い出せるものではないから……。
 だから、お話しをして新たにでもかまわないからこの人を知りたいと思う。自分が好きになったことのあるこの人を――
「秋斗さんは秋斗さんらしくいてください」
「……俺が俺らしくいると翠葉ちゃんが困ると思うんだけど」
「……では、私が記憶をなくす前の秋斗さんは私にどう接していたんですか? 私は、秋斗さんらしくない秋斗さんを好きになったんですか? ――少なくとも、私は自分に対しておっかなびっくり接する人を好きになるとは思えません」
「っ……」
「私が記憶をなくした経緯に何があったとしても、秋斗さんが秋斗さんでなくなる必要はないと思います。どんな秋斗さんが本当の秋斗さんなのかなんて私にはわかりません。でも、今の秋斗さんなら私はたぶん好きにはなりません。それだけはわかります」
「……翠葉ちゃん」
「だから……つらそうな顔をしないでください。あのですね、困るようなことを言われたら全力で困ることにします。対処しきれそうになかったら、全力で逃げることにします。これでどうでしょう?」
 これ以上の提案が今の私にはできない。
 秋斗さんはびっくりした顔から一変してクスリ、と笑みを零した。
「秋斗さん……?」
「俺につらそうな顔をしないでほしいって言ってる君がつらそうな顔をしてる」
 眉間を人差し指でつつかれた。そのつつかれた場所を自分の手でさする。
「じゃ、俺は遠慮なく君に好きだと伝えてもいいのかな」
「……覚悟します」
 口元をきゅっと引き結んで秋斗さんを見上げると、またクスクスと笑われてしまった。
「こんな翠葉ちゃんを俺も知らない。でも、どんな君も大好きだよ」
 飛び切り甘い笑顔でそう言われた。
 正面切ってそんなことを言われたら赤面しないわけがない。でも、これが秋斗さんなのなら、この秋斗さんを知る必要があると思う。
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