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02 Side 美波 01話
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今日、翠葉ちゃんたちがゲストルームへ戻ってくることはヒデから聞いて知っていた。
翠葉ちゃんのことは心配していたし、あの日以来、碧さんと話をしていないことも気になってはいた。
今日はゲストルームに家族が揃うのだろう。
翠葉ちゃんの顔を見て安心したいと思った。本当はお見舞いにも行きたいと思っていたけど、碧さんにあんなことを言ってしまった手前、どうしても行くことができなかった。
私は――時間が経った今でも、間違ったことを言ったとは思っていない。
子どもが病気で人の手が必要なとき、親が仕事をしていていいわけがない。私は何度も流産をしてやっと拓斗を授かることができたから――無事に生まれてきてくれたとき、自分以上に大切にしようと思った。
何よりも愛しい存在……。碧さんもそう思っていると思っていた。
仕事の合間にランチで会うとき、たいていが子どもの話だった。
そういう付き合いをしてきたからこそ、あんなに苦しんでいる翠葉ちゃんを息子ひとりに押し付けて、遠く離れた場所で仕事をしている碧さんが信じられなかった。
あの日、ベランダに出たとき、耳を疑う話し声が聞こえてきた。
うちの隣の部屋は楓くん、その隣はゲストルーム。そこから声が聞こえてきたからだ。
その声はほかの誰でもなく、紛れもなく碧さんと楓くんのものだった。
「……体調は大丈夫なんですか?」
「えぇ、なんとか……」
「でも、顔色悪いですよ?」
「ふふ、大丈夫。今日、現場近くの病院で点滴を打ってもらったから」
「でも、どうしてここに?」
「静が視察で来ていたから、車に同乗させてもらったの」
「あ、なるほど……。幸倉へは?」
「…………」
「そうですか……。大丈夫です。いざとなれば姉が動きますから」
「……すみません」
もう、ここに翠葉ちゃんはいないのに、どうしてここへ帰ってくるのかわからなかった。
突如こみ上げてきたのは怒り――
でも、感情のままに怒鳴り込んでいいことはないだろう。そう思ったから自分なりに冷却期間を設けてみた。けれど、一日経っても二日経っても怒りはおさまらなかった。
もしかしたら、もう幸倉へ帰っているかもしれない。そう願ってゲストルームのインターホンを押した。
しかし、私の期待は裏切られ、インターホンに応答するでもなく玄関が開かれた。
そこには、げっそりとやつれた碧さんが立っていた。
その姿にも、ここにいることにも、どうしようもない怒りが抑えきれなかった。
「……上がって? ……とは言っても、何もないのだけれど」
玄関でする話でもないと思い、上がらせてもらった。
部屋はきれいに片付いている。……というよりは、人がいた形跡がないくらいに何も動いていない。ただ、窓が無造作に開いているだけ。気温は三十度を超えているというのに、エアコンすらつていない。
「何やってるんですかっ!?」
私は急いで窓を閉め、エアコンを入れた。
「あ、ごめんなさいね。暑いわよね……」
この暑い部屋にいたにも関わらず、碧さんは汗すらかいていなかった。
「水分は摂ってますよねっ!?」
キッチンに直行して冷蔵庫を開けると、ポカリスエットとゼリー飲料が入っているものの、ゴミ箱にはひとつもゴミがない。流しにはお皿もグラスも何ひとつ出ていない。もちろん、テーブルの上にだって食べ物と思えるものは何ひとつ置かれていなかった。置かれているのはノートパソコンと携帯のみ。
ほかはボストンバッグがソファにふたつ置かれていた。
この親にしてあの子ども――そう思った。
翠葉ちゃんは今すぐにでも入院するべきだと思ったけど、彼女がそれを拒否していると聞いてる。碧さんは子どもの側についているでなければ、自分の面倒も見れてはいない。
腹が立った――ただ、それだけだった。
あとは、どうしてそうなんだ、と詰め寄ることしかできなかった。
すぐに水分を摂らせようとしたけれど、
「ごめんなさい、戻しちゃうの……」
水分を摂ってもすぐに戻すようなら脱水症状を進行させるだけだ。ならば、すぐにでも病院で点滴を打つべきじゃないのか。
この人は四十五にもなって、そんなこともわからないのか――そう問い質せば、「病院へ行ったら携帯が使えなくなる」と言う。
携帯で見ることのできるバイタルを気にしているのだとすぐにわかった。次の言葉を発しようとしたとき、玄関が開く音がした。
廊下から現れたのは蒼樹くん。
「母さん、遅くなった。美波さん、ご無沙汰しています」
信じられない――この子、碧さんがここにいることを知っていたのっ!? あんた、出来が良すぎるのよっ。だから、碧さんも零樹さんも甘えるんでしょっ!?
シスコンなのはこの際どうでもよかった。思わず、蒼樹くんを見る目すらきつくなる。
「あら、出来のいいご子息のお越しですよ」
「美波ちゃん、あなたの言うことはもっともだと思うわ。それでも、うちにはそうできない事情があるの」
姿勢を正した碧さんに言われる。
そんなのっ――
「どんな事情があるのか知りませんけど、子どもが具合悪いっていうのに仕事でずっと家を空けているわ、息子と他人にすべて任せきりだわ、私には全然理解ができませんっ。それに、今ここに留まっている理由も理解できないっ」
私には到底理解ができない。他人事だけど、よその家のことだけど、私は碧さんとそんなお粗末な付き合いをしてきたつもりはないっ。
「……美波さん、申し訳ないんですが、帰っていただけますか?」
蒼樹くんは静かに、私から母親を守るようにそう告げた。
「……本当によく出来た息子よね?」
本当は心配しているのに、それも言えない自分が嫌……。
この子は碧さんを病院へ連れていってくれるだろうか。私にはできなくてもこの子ならできるだろうか。
そんな思いが頭をよぎる。
「マンションにいた際、美波さんにはお世話になりました。本当に感謝しています。でも、うちのことをそんなふうに言われる義理はありません。さきほど母が申しましたように、うちにはうちの事情があります。それを他人のあなたにとやかく言われる筋合いはない」
「世話になったって言う割にはずいぶんな言いようね?」
こんなことを言うつもりはなかった。
碧さんの姿を見るまでは怒りに心が支配されていたと思う。でも、碧さんの姿を見てからは碧さんの身体が心配で仕方がなかった。
その思いに反して、碧さんは自分の体調を省みず、娘のことを気にしているくせに家には帰らない。その状況すべてに納得がいかなかっただけ……。
「恩人ならどんなことにでも口を出してもかまわないのでしょうか……」
蒼樹くんの陰にいたきれいな子が口を開く。でも、あなたの出る幕でもない。
「あなたこそ部外者でしょう?」
「目上の方に失礼かとは存じますが、あなたもまた部外者、ですよね?」
この子は頭が切れる。もしかしたら、蒼樹くんが幸倉へ連れていこうとしても、先に病院へ連れて行くように進言してくれるかもしれない。
そう思うくらい、私の目を真っ直ぐに見て言葉を発していた。
「何を言っても無駄ね」
完全にヒートアップしていた自分をどうすることもできずにゲストルームを出た。
自分の家のドアを閉めてその場にしゃがみこむ。
「私、今、どうしたって冷静になれないもの――あんな碧さん見てられない」
不覚だった。
自分は元介護福祉士だというのに。
脱水症状や熱中症のお年よりは年中見てきたのに。ただ、付き合いの長い、とても尊敬している人を前には何もできなかった。
「お願いだから――早く、病院へ連れて行って……」
翠葉ちゃんのことは心配していたし、あの日以来、碧さんと話をしていないことも気になってはいた。
今日はゲストルームに家族が揃うのだろう。
翠葉ちゃんの顔を見て安心したいと思った。本当はお見舞いにも行きたいと思っていたけど、碧さんにあんなことを言ってしまった手前、どうしても行くことができなかった。
私は――時間が経った今でも、間違ったことを言ったとは思っていない。
子どもが病気で人の手が必要なとき、親が仕事をしていていいわけがない。私は何度も流産をしてやっと拓斗を授かることができたから――無事に生まれてきてくれたとき、自分以上に大切にしようと思った。
何よりも愛しい存在……。碧さんもそう思っていると思っていた。
仕事の合間にランチで会うとき、たいていが子どもの話だった。
そういう付き合いをしてきたからこそ、あんなに苦しんでいる翠葉ちゃんを息子ひとりに押し付けて、遠く離れた場所で仕事をしている碧さんが信じられなかった。
あの日、ベランダに出たとき、耳を疑う話し声が聞こえてきた。
うちの隣の部屋は楓くん、その隣はゲストルーム。そこから声が聞こえてきたからだ。
その声はほかの誰でもなく、紛れもなく碧さんと楓くんのものだった。
「……体調は大丈夫なんですか?」
「えぇ、なんとか……」
「でも、顔色悪いですよ?」
「ふふ、大丈夫。今日、現場近くの病院で点滴を打ってもらったから」
「でも、どうしてここに?」
「静が視察で来ていたから、車に同乗させてもらったの」
「あ、なるほど……。幸倉へは?」
「…………」
「そうですか……。大丈夫です。いざとなれば姉が動きますから」
「……すみません」
もう、ここに翠葉ちゃんはいないのに、どうしてここへ帰ってくるのかわからなかった。
突如こみ上げてきたのは怒り――
でも、感情のままに怒鳴り込んでいいことはないだろう。そう思ったから自分なりに冷却期間を設けてみた。けれど、一日経っても二日経っても怒りはおさまらなかった。
もしかしたら、もう幸倉へ帰っているかもしれない。そう願ってゲストルームのインターホンを押した。
しかし、私の期待は裏切られ、インターホンに応答するでもなく玄関が開かれた。
そこには、げっそりとやつれた碧さんが立っていた。
その姿にも、ここにいることにも、どうしようもない怒りが抑えきれなかった。
「……上がって? ……とは言っても、何もないのだけれど」
玄関でする話でもないと思い、上がらせてもらった。
部屋はきれいに片付いている。……というよりは、人がいた形跡がないくらいに何も動いていない。ただ、窓が無造作に開いているだけ。気温は三十度を超えているというのに、エアコンすらつていない。
「何やってるんですかっ!?」
私は急いで窓を閉め、エアコンを入れた。
「あ、ごめんなさいね。暑いわよね……」
この暑い部屋にいたにも関わらず、碧さんは汗すらかいていなかった。
「水分は摂ってますよねっ!?」
キッチンに直行して冷蔵庫を開けると、ポカリスエットとゼリー飲料が入っているものの、ゴミ箱にはひとつもゴミがない。流しにはお皿もグラスも何ひとつ出ていない。もちろん、テーブルの上にだって食べ物と思えるものは何ひとつ置かれていなかった。置かれているのはノートパソコンと携帯のみ。
ほかはボストンバッグがソファにふたつ置かれていた。
この親にしてあの子ども――そう思った。
翠葉ちゃんは今すぐにでも入院するべきだと思ったけど、彼女がそれを拒否していると聞いてる。碧さんは子どもの側についているでなければ、自分の面倒も見れてはいない。
腹が立った――ただ、それだけだった。
あとは、どうしてそうなんだ、と詰め寄ることしかできなかった。
すぐに水分を摂らせようとしたけれど、
「ごめんなさい、戻しちゃうの……」
水分を摂ってもすぐに戻すようなら脱水症状を進行させるだけだ。ならば、すぐにでも病院で点滴を打つべきじゃないのか。
この人は四十五にもなって、そんなこともわからないのか――そう問い質せば、「病院へ行ったら携帯が使えなくなる」と言う。
携帯で見ることのできるバイタルを気にしているのだとすぐにわかった。次の言葉を発しようとしたとき、玄関が開く音がした。
廊下から現れたのは蒼樹くん。
「母さん、遅くなった。美波さん、ご無沙汰しています」
信じられない――この子、碧さんがここにいることを知っていたのっ!? あんた、出来が良すぎるのよっ。だから、碧さんも零樹さんも甘えるんでしょっ!?
シスコンなのはこの際どうでもよかった。思わず、蒼樹くんを見る目すらきつくなる。
「あら、出来のいいご子息のお越しですよ」
「美波ちゃん、あなたの言うことはもっともだと思うわ。それでも、うちにはそうできない事情があるの」
姿勢を正した碧さんに言われる。
そんなのっ――
「どんな事情があるのか知りませんけど、子どもが具合悪いっていうのに仕事でずっと家を空けているわ、息子と他人にすべて任せきりだわ、私には全然理解ができませんっ。それに、今ここに留まっている理由も理解できないっ」
私には到底理解ができない。他人事だけど、よその家のことだけど、私は碧さんとそんなお粗末な付き合いをしてきたつもりはないっ。
「……美波さん、申し訳ないんですが、帰っていただけますか?」
蒼樹くんは静かに、私から母親を守るようにそう告げた。
「……本当によく出来た息子よね?」
本当は心配しているのに、それも言えない自分が嫌……。
この子は碧さんを病院へ連れていってくれるだろうか。私にはできなくてもこの子ならできるだろうか。
そんな思いが頭をよぎる。
「マンションにいた際、美波さんにはお世話になりました。本当に感謝しています。でも、うちのことをそんなふうに言われる義理はありません。さきほど母が申しましたように、うちにはうちの事情があります。それを他人のあなたにとやかく言われる筋合いはない」
「世話になったって言う割にはずいぶんな言いようね?」
こんなことを言うつもりはなかった。
碧さんの姿を見るまでは怒りに心が支配されていたと思う。でも、碧さんの姿を見てからは碧さんの身体が心配で仕方がなかった。
その思いに反して、碧さんは自分の体調を省みず、娘のことを気にしているくせに家には帰らない。その状況すべてに納得がいかなかっただけ……。
「恩人ならどんなことにでも口を出してもかまわないのでしょうか……」
蒼樹くんの陰にいたきれいな子が口を開く。でも、あなたの出る幕でもない。
「あなたこそ部外者でしょう?」
「目上の方に失礼かとは存じますが、あなたもまた部外者、ですよね?」
この子は頭が切れる。もしかしたら、蒼樹くんが幸倉へ連れていこうとしても、先に病院へ連れて行くように進言してくれるかもしれない。
そう思うくらい、私の目を真っ直ぐに見て言葉を発していた。
「何を言っても無駄ね」
完全にヒートアップしていた自分をどうすることもできずにゲストルームを出た。
自分の家のドアを閉めてその場にしゃがみこむ。
「私、今、どうしたって冷静になれないもの――あんな碧さん見てられない」
不覚だった。
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