光のもとで1

葉野りるは

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32 Side 零樹 01話

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 時計を見れば一時を回っていた。
 俺はこれから昼飯だ。しかも、今現在の雇い主――オーナーでもある親友もご一緒に。
 その前に翠葉にメールでも送るかな?
 白野は紅葉し始め。こっちは見ごろ。
 そんな感じ。


件名 :紅葉はきれいか?
本文 :こっちはかなりきれいだぞー!


「翠葉ちゃんにメールか?」
「そう、今ごろあっちで楽しんでるといいんだけどね」
「栞たちもついているし、問題はないだろう」
「だといいよね」
 すると、携帯から軽やかなメロディが流れ出した。
 エルガー作曲の「愛の挨拶」は翠葉専用の着信音。
「さて、どうしたもんかな?」
 通話ボタンを押し電話に出る。
「メール届いたかー?」
『うん、届いた。とってもきれいね? ここはそこほど色づいていないけど、やっぱり紅葉もみじがきれい。緑と赤が半々くらいでね、真っ赤なのもきれいなのだけど、この入り混じったアンバランスなのもきれいだよ』
 声と一緒にザザザ、と風の音も聞こえてきた。
 外、かな。
「そうか。……で、何かあったか?」
『え……?』
「翠葉は基本、メールにはメールを返すだろう?」
 悲しいことに、この着信音が鳴ることはめったにないのだ。
 娘は相手のことを考えるあまり、リアルタイムでつながることのできる電話というアイテムを避ける節がある。
 何か用があるときでも、基本はメール。もちろん、メールに対しての返事もメール以外はあり得ない。
 そんな娘が電話をかけてきた。
 何もないわけがない。
『あのね……』
 それはそれは小さな声だった。
 気をつけて聞いていないと、こちらで吹いている風の音にかき消されてしまいそうなくらい小さな声。
『ブライトネスパレスに来ているのに、すごくきれいな景色を見ているのに、写真が撮れないの。どうしよう……これ、お仕事なんだよね?』
 最後は泣きそうな声をしていた。
 今、そのきれいな景色を目の前に携帯をつないでいるのだろう。
「……なるほどなぁ。撮れないか」
『うん……でも、撮らなくちゃ……』
 こうなることは多少なりとも予想はしていた。
「翠葉、そういうのはさ、撮ろうと思って撮れるもんでもなかろ?」
『でも、お仕事……』
 もう深みにはまっちゃったんだな。
「強迫観念」に囚われているかのごとくだ……。
「翠葉、静はこう言わなかったか? 焦って撮りためる必要はないって」
 翠葉はプレッシャーというものにとても弱い。
 それは小学生のころ、ピアノのコンクールに出してよくわかった。
「何か」を目の前にすると、それまで意識せずできていたこともできなくなってしまう。
 あのときは、ついていた先生との反りが合わなかったっていうのもあるんだろうけれど……。
『でも、ここの宿泊料もタダって……』
 そういえば、ロイヤルスイートなんて上等な部屋に泊るなんて話をさっき静から聞いたばかりだった。
 普通のデラックスでも良かったんだけど、それだと兄妹三人で泊るのにひとりが簡易ベッドになってしまう。
 そんな理由からロイヤルスイートになったらしい。
 でも、そんな理由ならエグゼクティブでも良かったんじゃないの、とも思ったけれど、そこはホテル側の配慮なのだろう。
 ゆえに、それらがさらなるプレッシャーになったか……。
「父さんが静に出した条件はひとつ。翠葉に必要以上のプレッシャーを与えるな、そう言った」
『え……?』
 祠にたどり着くと、結構寒かった。
 祠にしか陽があたっていないのだから当たり前か……。
 でも、なんとなくここへ足を向けちゃうんだよな。
 いつものように石に座り話を続ける。
「期日に追われた仕事ってのはさ、あまりいいものじゃなかったりするんだよ。たまたま思いついたものを形にしてみた。そしたらいいものだった。父さんの仕事もそんなことが多い」
 それで今回のコンペに通ったなんて話は、いつ静にカミングアウトできるかわかったものではない。
 まさに、楽しいことだけを考えて碧と挑んだコンペであり、俺たちは見事ふたり揃って勝ち残ってしまったのだ。
「……父さんは、音楽も写真もインテリアも似たようなものだと思ってる。プロはそれをクリアできてこそプロだと思うんだ。でも、翠葉はプロじゃない。それを担ぎ出そうとしている静には、そこを配慮してくれって言った。静は仕事の鬼だからさぁ……下手したら翠葉のことだって追い詰めかねないと思って。ついつい釘刺しちゃったんだ」
 すると、上から手が伸びてきて携帯を奪われた。
「ったく強引なヤツだなぁ……」
 まぁなんていうか、雇い主である静と少し話したほうがいいのは事実だ。
「翠葉ちゃん、それはなしだよ」
「翠葉~、すまんっ、静に携帯を奪われた」
 携帯の向こうにいる娘に自分の声が届くことを祈って声を発する。
 静、俺の目の前で翠葉をいじめたら許さんぞー。
 そんな視線を送りつつ、ビニール袋から弁当をふたつ取り出す。
 俺の分と静の分。
 何かの拍子に落としちゃいました、というのは勘弁だから、ここまで来るときは必ずビニール袋に入れて持ってくる。
「そもそも、どうしてそんな話に?」
 言いながら、静は自分の携帯を取り出し、ディスプレイに何かを表示させて俺によこす。
 電話をしながら、とは器用なものだ。
 携帯を受け取りディスプレイを見ると、そこには秋斗くんの名前と番号が表示されていた。
 なるほど、かけろってことかな。
 この近距離じゃさすがにまずいか……。
 立ち上がり、石に弁当を置くと静から三メートルほど離れて電話をかける。と、二コールで電話がつながった。
「あ、秋斗くん?」
『失礼ですが、この携帯は静さんの携帯ですよね』
 そっかそっか、まずは名乗らねばならんかった。
 でも、察しのいい君ならわかるよね?
「あぁ、俺の携帯、今静に拉致られてるから静の携帯を借りたんだ」
 正しくは押し付けられたわけだけど、これはこれで間違っていないと思う。
『どうして携帯――』
 と、口にした次の瞬間には気づいたようだ。
 もしかしたら彼は翠葉のかなり近くにいるのかもしれない。
 でも、声の届かない場所……?
「秋斗くんって今、翠葉の側にいるのかな?」
『はい、目の届くところには……』
 やっぱり。
 でも、俺や静のような近距離というわけでもないようだ。
 この電話から風の音は聞こえてこない。つまり、翠葉は外で彼は屋内。
『もしよろしければ、すぐに電話を切って彼女のところへ行きたいのですが……』
「うん、そうしてほしいんだけど、もう少し待ってもらえる?」
 静の話はまだ少しかかりそうだから。
「今、静と仕事の話をしてるんだ」
『彼女、泣いているように見えるんですが……』
「うん、声が泣いてたね。……写真がさ、撮れないんだと」
 小さく、「え?」という声が聞こえた気がした。
「きれいな景色が目の前にあるのに、撮れないんだとさ」
『スランプ……?』
「ははっ! そんな大そうなものじゃないよ。翠葉は『仕事』って言われて写真を撮ったことなんてないんだ。だから、写真を撮る前に『仕事』ってものを意識しすぎてるだけ。スランプよりはプレッシャーかな? それと、記憶がないってことが相当なストレスになってるんだろうね」
 身体症状には表れていないものの、「記憶喪失」というものがもたらすストレスの大きさは計り知れないと相馬先生から聞いた。
 失った直後はそれほどでもなかったのに、ここ最近はストレスの脈が強く出ているとも聞いている。
「あぁ、秋斗くんを責めているわけじゃないよ? 言っておくけど、俺、ネチネチ派じゃなくて、その場でザックリ派だから。もともと君のせいだなんて思ってないしね」
 彼は少し黙ったあと話しだした。
『さっき、記憶に関する話を少ししました。そのあと、なかなかカメラを手にしない彼女に写真を撮りに行かないのかと勧めたのは自分です』
 この子もまだ迷走中かなぁ……。
「だからさ、それが何? 悪いことじゃないでしょ? 別に思い出せと言ったわけではないだろうし、仕事なんだから写真を撮れと言ったわけでもない。違う?」
『はい、ですが……その話題を出されるだけでもストレスになる可能性は――」
 一度傷つけると怖くなるよね。
 大切な人が傷つく姿を見たら、臆病にもなるってものだ。でもね――
「秋斗くん、俺は言ったよね? もう、囲って守って――ってそれだけをするつもりはないって。ストレスだってさ、ある程度は耐性をつけておかなくちゃ。それはこれからの翠葉に必要なものだからね」
『でも、彼女にとってストレスは――』
「ストレスに弱すぎるのも問題なんだよ。少しずつ慣れさせなくちゃ。気分は海に入ったことのない子どもを大海原に放り込む親の心境だけどもね」
 そう言うと、乾いた笑いが漏れる。
 俺だって怖くないわけじゃないんだよ。
 ただ、このままじゃいけないと思うからこそ、今までと少し違う対応を心がけているだけのこと。
「あ、静の話が終わったようだ。ちょっと待ってね」
 静に返された携帯はすでに通話が切られていた。
「なんでっ!?」
 ちょっと、静、ひどいんじゃない!?
 俺、もうちょっと翠葉と話したかったのにっ!
 翠葉からの電話ってすっごく貴重なんだよっ!?
 そんな俺の視線をよそに、静は秋斗くんは話し始める。
「秋斗、彼女のフォローを頼む。カメラは彼女の見えないところに置いてくれ。明日は挙式の予定はないが、あまりにもひどく緊張しているようならチャペルには行かなくてもかまわない」
 そう言うと、携帯を胸ポケットにしまった。
「……なんだ?」
 涼しい顔をして訊いてくる。
「なんだじゃないよ、翠葉との通話切っちゃうしさ」
「今ごろ秋斗が迎えに行っているはずだ」
 ま、そうだけど――
「静、うちの子食い物にしたら許さないよ? 信じてるけどさ」
「そんなつもりはない」
「うん、わかってる。ただ言っただけ」
「…………」
 もといた石に座り、今度こそ弁当の蓋を開ける。
 周防があたためなおしてくれたそれは、微々たるぬくもりすら残っていない。
 でも、弁当っていうものはよくできたもので、温かくても冷めてしまっても美味しく食べられるようにできている。
 今日は鮭弁当だ。
 毎回思うんだけど、この鮭の焼き加減が絶妙。つまりはうまい。
「まさか、静が翠葉を専属契約するなんて考えもしなかったんだよ。一度きりの採用、そう考えてた」
「反対だったのか?」
 同じように弁当の蓋を開けた静が、若干目を見開いて顔を上げる。
「いや、そうでもない。どちらかというといい経験になるかな、と思った」
「その割にはそんな顔をしていないけどな」
「親ってのは複雑なんだよ。翠葉はさ、将来ってものにえらい不安を抱いている子でね……。でも、うちは自営業だからさ、最終的には俺たち親元に就職できるわけだよ。けど、それじゃぁ翠葉は『外』を見ることはできないんだ」
 こんなこと、高校に通い始めるまでは考えもしなかったんだがなぁ……。
 あまりにも嬉しそうに碧と電話している翠葉を見ていたら、もっと外の世界を見せてあげたくなった。
 静に翠葉の写真を見せたらどうか、と碧に勧めたのは俺自身。
「最終的にはどこに落ち着いてもかまわない。それが仕事だろうが永久就職よろしく結婚だろうが。とりあえず、一度は『外』を見せてあげたかったんだよね。それが、自分の親友のとこなら安心してられるだろ? うちの取引先へ使いに出すことはできてもそれじゃ意味がないんだ。親っていう庇護下を出ないから。『外』っていうのは俺たち家族の『外』っていう意味でもあるからさ」
「……おまえがひどく立派な親に見えるから不思議だ」
「ひどいなぁ……一応二十三年間は親やってるんだから、いわばおまえの先輩だよ? オムツの取り替え方とかなんでも聞いてよ」
「結構だ……。そんなのは栞で慣れている。それに、おまえと碧にオムツの取り替え方を教えたのは俺のはずだが?」
「あぁ、そうだった。ちょっと失念。その節はお世話になりました」
 ぺこりと頭を下げる。
 そんな話をしながら弁当を食った。
 陽も当たらない風だけが吹く寒い場所で、親友とふたり、見事なまでの紅葉(もみじ)を見ながら。
「翠葉、熱出さんといいなぁ……」
 携帯のディスプレイに表示される体温を覗き見れば、そこには三十七度一分と表示されている。
「知恵熱ってやつか?」
「まぁ、そんなところ。基本、なんにでも全力投球したい子なんだよ」
 出来ること、出来ないことがあるにしても――
「その辺は碧の子らしいな」
「そうなのよ。猪さんを止めるのは結構大変なのよ? ……そういえば、唯からこの間連絡があってさ、蒼樹ががんばって翠葉離れをしようと試みてるそうだよ」
「ほぉ……どういった心境の変化かな?」
「蒼樹も色々と考えるところがあるんだろう。……こぉさ、根底は変わらずに形だけ変化させていけたらいいよね。たとえば、敷地面積は変わらないし、建蔽率もかわらないんだけど、その中でいかに内容の濃いものを作るか、って感じで」
 そんなふうに家族が変化していけたらいい。
 枠にはまったままでも自由自在に変化するからくり屋敷のように。
「だからおまえの建てる家はいつも仕掛けだらけなのか……。ほら、とっとと立て。戻って仕事だ。周防と澤村も混ぜて話し合うことがあるのだろう? 俺はこのあとのスケジュールにも空きはない」
 静は先に立ち上がり、慣れた足取りでその小道を歩いていく。
「忙しないやつだねぇ~……」
 言いながら、俺はその背を追いかけた。
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