光のもとで1

葉野りるは

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45 Side 司 02話

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 マンションに入ると、フロントにいたコンシェルジュが俺たちに気づき、カウンター内に用意されていた大きな包みを持ってきた。
「司様、翠葉お嬢様、おかえりなさいませ。翠葉お嬢様、こちらは唯芹様からお届けものです」
「ありがとうございます」
 翠は首を傾げながら包みを受け取り両腕に抱える。
 大きさ的にはクッションよりやや大きいくらいだが、持ち手がないため大変持ちづらそうに見える。
「持つけど?」
「これくらいなら大丈夫。大きいけど重くはないの」
 確かに重そうではないが……。
「そっち持つから……」
 俺は翠の手から強引にかばんを取り上げエレベーターホールへ向かった。
「大丈夫なのに……」
 翠は口を尖らせていたが、エレベーターに乗るときには「ありがとう」と笑顔を見せた。
 ゲストルーム前で別れ十階へ移動すると、海斗が秋兄の家から出てきたところだった。
「どこへ行く?」
「え、あ……少々カフェラウンジなぞ――」
「なら、俺がコーヒーを淹れてやる」
「ややややっ、俺が食いたいのはバナナをまるっとクレープで包まれたケーキのようなアイテムでだなっ!」
「なら、それっぽいものを作ってやる」
「えええええっ!? 俺ごときの空腹で司の手を煩わせるなんて恐悦至極すぎて俺死んじゃうからっ」
「なら死ね……」
 そのまま海斗を引き摺って姉さんの家へ入る。
「もぉさぁ……夕飯まであと一時間切ってるんだから勉強はそのあとでもいーじゃん」
「時は金なり――三十分あれば問題用紙一枚くらいはいけるだろ」
 自室であって自室ではないその部屋に真っ直ぐと向かい、かばんを置くと手洗いうがいを済ませる。それからキッチンに行き湯を沸かし、ふてくされている海斗に冷蔵庫の中身でクレープを作った。
 今、姉さんのマイブームはバナナチョコ生クリームクレープらしい。
 食べるのは決まって朝で、たまに飽きたり気が向いたときにはそれっぽい朝食を作るとか作らないとか。
 医者としてどうなんだ、とは思う。
 野菜は入っていないし糖分過多な点が否めない。が、カロリーや栄養バランスは思っていたよりも悪いものではなかった。
 脳が必要とするブドウ糖やビタミンB群も入っていればミネラルも豊富。
 冷蔵庫にはクレープの皮を焼いたのもが数枚とその他の材料も問題なく揃っていた。
「なんでそんなのがあんの?」
「姉さんの朝食」
「げっ、それって食っていいのっ!?」
「了承は得てない。強いて言うなら食べるのは海斗だから、怒られる可能性があるのは海斗のみ」
「をぃ……」
 数分後、ダイニングテーブルにコーヒーとクレープを出してやると、海斗は「怖い」と言いながらもぺろりとたいらげた。
 海斗ならわかるだろうか……。
「翠のことを訊きたいんだけど」
「は……? 何っ!? 明日雨か何かっ!? ……司にわからないことが俺にわかるとは思えないんだけど」
「翠が言ってること、思ってること。それが何かはわかっていても、根底から理解するのが俺には難しい」
「……そんな漠然とした話の仕方じゃなんの話されてるのかわらかないよ」
 つまり、翠が何に苦しんでいて、何の狭間で葛藤しているのかはわかっても、葛藤しなくちゃいけない理由までは理解ができてないということ。
「人と行動できないって、そんなに苦痛なもの?」
 俺にはそれがわからなかった。
 身体に無理をさせてまで、なんで人と一緒に行動したいと思うのか。それがどうして「最後の葛藤」になり得るのか。
 俺は今まで、生徒会に属そうが部に属そうが、基本はひとりだった。翠と関わるまで、人と共に行動するなんてことはほとんどしてこなかった。
 今だってそうだ。生徒会の人間やケンはただまとわりついてくるだけで、俺が率先してそのグループに入っているわけではないし、学校外で会うことはまずない。どちらかというならば、ひとりでいるほうが楽。
 その点、目の前にいる海斗はクラスの人間とも部の人間とも学校外での関わりを持つ。
 翠の葛藤の理由――その意味を違えずに理解できなかったら、俺はこれからも先もずっと、翠の体調しだいでは行動に制限をかけてしまうだろう。
「なるほど……そういうとこさ、司と秋兄って似てるよね?」
 秋兄……?
「秋兄は外面はいいけどやっぱり学校を出てまで人と付き合うってことをしてたとは思えないし、今だってごく限られた人間としか付き合ってない」
 確かにそういう意味では同じなのかもしれない。
 ということは、秋兄も翠の葛藤までは理解できていないのだろうか。
「たぶんさ、翠葉は周りの人間と一緒に行動できなくなったら、集団の中で自分が浮くと思ってるんだ。そのこと自体が翠葉の中でも『仲間はずれ』とか『いじめ』に直結してるんだよ」
 藤宮に来る前に植えつけられた思考回路ってことか……。
「それだけじゃなくて、俺らと一緒にいるのが楽しいからって思ってくれると嬉しいんだけどね。司は翠葉の中学の話とか聞いてる?」
「いや、詳しくは聞いてない」
 訊こうとすら思わなかった。
 球技大会のときにインカムから聞こえてきた内容でどんないじめにあっていたのかなら触り程度には知っているが、それがすべてではないだろう。
 海斗はすでに食べ終わったプレートを前に、「ごちそうさま」と手を合わせ、それらを片付け始めた。
 キッチンから戻ってくると、
「あっちの部屋に行こうよ」
 海斗の要求に応じ、コーヒーを持って自室へと場所を移した。

 俺はデスクチェアに座り、海斗はベッドを背にして胡坐をかく。
「一学期始めのころ、翠葉が身体のことを話してくれたときにこんなことを言ってた。体育の授業でさ、夏はみんなが汗だくになってるのに、自分はエアコンのきいた部屋でレポート。冬はみんなが寒い中持久走してるのに、自分はあたたかい部屋でレポート。そういうのがひんしゅくを買う経緯にあったみたい」
 海斗は言いながら背を反らせ天井を見る。
 そんなの――
「仕方ないじゃんなぁ?」
 海斗の言葉に口を噤む。
「確かにさ、涼しいところにいられるのもあたたかいところにいられるのも事実だけど、それと引き換えにできないことだって翠葉にはたくさんある。そっちがいいとかどっちがいいとか、そういう問題じゃないけど、理解できないやつはできないんだ」
 それが、そんなことが翠が中学でいじめにあっていた理由? 低次元すぎやしないか?
「いじめなんてさ、きっかけは些細なことなんじゃん? 藤宮の初等部低学年にもこんないじめは普通にあるけど、司は我関せずだからなぁ……クラスで起きたいじめとか覚えてないだろ?」
 その辺の記憶はかなり怪しい……。
 海斗は「やっぱりな」といった顔をして先を続けた。
「学校っていう場所はさ、どこも同じで勉強のほかに協調性を学ばせるための場だと思うけど、それがあまりにも考えなしの『右向け右』だといいことないよね。いじめって現象を『右向け右』されちゃうと、それは集団いじめになる。うちの学校はいじめを始めた人間よりもそれに便乗した人間のほうを問い詰める傾向にあるから、高学年になればほとんどなくなる。中等部に上がるころには単独から三、四人で誰かに嫌がらせ、ということはあっても、それ以上の集団にはなり得ない。うちの学校ってそのあたりは徹底してるし考えてると思う」
 集団における心理伝染、ね。
 藤宮学園は己が「集団」の中の「個」であることを常に意識させ学ばせる。周りに流されることと協調性は別物――
 藤宮の生徒はひとりひとりの個性が強いと思われがちだが、皆が皆、最初からそうだったわけではない。
 幼稚部から初等部、中等部、と時間をかけ個性を伸ばす場を与えられ、伸びるような教育を受けてきているだけのこと。だからといって、協調性に欠けるかといえばそんなことはない。
 それぞれが意思を持って右を向いたならば、それはその場に流されて右を向いている集団よりも固い結束となる。つまり、意思のあるなしに関わらずの「右向け右」はあってないような協調性でしかなく、ただ単に自分で自分の歩く道を決められない人間であり、自分の意思を口にすることができない人間の集り。そこにリーダーの素質がある人間が立てば、人ひとりの意思が規範となった烏合の衆のできあがり。
 うちの学園においてグループプレッシャーをかけられる人間がいるとしたら、それは生徒会や風紀委員くらいなものだろう。意思のある「個」を自分の意思で「枠内」へ戻す――それが風紀委員ならば、意思のある「個」を偏りのない規範のもとに率いる人間が生徒会だ。
「うちの学校、『出る杭打たれる』なんてことはめったにないからね」
 人の上に立つことを約束されている人間が、自分の意見を口にできないなんて論外。
 うちの学校はそういう人間が数多く集る場所だからなおのこと。
 自分の意見を言うことが必ずしも場の空気が読めない人間ということにはならない。むしろ、人を賛同させるにはその場の空気を読む器量もタイミングを図る器量も併せ持たなければならない。
「そもそも、中学の同級生が翠葉の病気を理解していたとは思えない。翠葉さ、友達に病気のことをちゃんと話したのは俺たちが初めてみたいだったから」
「この年じゃ病名や数値を聞いて理解できる人間は少ないと思う。それでも、身体が弱いことを察するくらいはできたはずだ」
「……『特別扱い』ってさ、『いいな』って思われる対象でもあるだろ? それも妬みの原因っぽいよ」
「……それが、翠が『特別扱い』を嫌がる理由?」
「だと思う。『疎外感感じる』って言ってた」
 なるほどね……。翠が人と共に行動することへこだわる理由はこれか……。
「司」
 海斗が俺を真っ直ぐに見た。
「俺らは翠葉の気持ちを想像することはできても、理解するには及ばないと思う。ましてや翠葉がどれくらいそれを怖がっているかなんて――」
「推し量ることは不可能――わかったところで共感はできない。それに、できるけどやらないのと、できないからやれないの意味は違いすぎる」
「そう……俺がクラスの人間だとか部の人間とつるんでて、用事があるからその日に行けないとかたまたま風邪をひいて参加できないとか、そういうのとはわけが違う。根本が違う。だいたいにして、それで仲間はずれにされるとかいじめの対象になるとか、そんなことはないわけだからさ。だから、俺にもわかんないよ。これはさ、翠葉がわかってくれないとだめなんだ。中学のときに周りにいたやつらと俺たちは違うって――俺らはそれをわかってもらえるように行動することしかできない」
 その意見には賛成だが――
「翠が理解する前に倒れたら?」
「それをセーブするのが俺たちの役目なんじゃない?」
「そのたびに『葛藤』させてる」
「翠葉のネックがそこなら、何度でも『葛藤』させて考えさせて、わからせるしかないでしょーが。何言ってんだか、まったく……」
 まるで刷り込まれた条件反射をさらなる条件で上書きしている気分だ。
「これだけはさ、俺たちの特権ぽくね? 年上組にはできないこと」
 海斗の言葉に意表をつかれた。
「俺たちはまだ十六、七で経済力も社会的地位なんてものもないけれど、翠葉と同じステージには立てるわけで……そこでしかできないことって結構あるよね? 大人の包容力で包み込んで守っちゃうんじゃなくてさ、対等の立場で、同じ目線でここは違うって教えられる。諭すとかそういうことじゃなくて、言わば実地訓練」
 そんな言葉にふ、と笑みが漏れる。
「司、六時! 飯食いに行こうっ!」
 海斗はひとり先に部屋を出ていく。
 俺は今一度考えをまとめるためにその場に留まっていた。
 翠の気持ちを想像して補ったところで翠が楽になるわけではない。どちらにしろ、俺は「葛藤」そのものに共感することはできないし、翠がそれを望んでいるわけでもない。
 翠はその気持ちを察してほしいわけじゃない。葛藤していることは話しても、それ以上のことを話そうとしないのはそういうことなのだろう。
 だから、翠本人に訊けなかった。人と行動することにどうしてそこまでこだわるのか――
「翠は色々難しすぎる」
 でも、難しいものほど攻略のし甲斐はある。
 冷めたコーヒーを飲みくだす際、出逢ったころの翠を思い出した。
 極力人に関わらないように、目に付かないようにしていたと思う。
 クラスでも誰かに話しかけられなければ自分から話しかけることはなかったのかもしれない。
 誰と会ってもまずは観察から……。
 言葉を交わし始めても触れられたくない部分に話が及ぶと、一線引いて警戒しているのがわかった。それは、人と関わりたくないのではなく、人と関わることが怖かったからなのだと今ならわかる。
 体調のことを知られるのを怖がったのも、中学でのことが原因なのか……。
 なんだか色々と腹が立つ。
 翠の周りにいた中学の連中にも翠自身にも。
「そんなことが原因なら俺は翠をセーブすることはやめられない。翠が考えを改めるべきだ――」
 だいたいにして、翠は『右向け右』に混ざれる思考回路を持ち合わせてはいないだろ?
 翠は自分の中に確固たる考えを持ってる人間で、納得もせずにその場に流されるような人間じゃない。
「なのに、こんなことにいちいちこだわるな」
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