光のもとで1

葉野りるは

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第十二章 自分のモノサシ

33話

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 時計を見れば、すでに五時半を回っていた。
 唯兄に電話をかけると、
『ただいまっ! 待ってられなくて唯と一緒に迎えに来ちゃった』
「お母さん……?」
『駐車場にいるからゆっくりいらっしゃい」
 そう言われて通話を切る。
 逸る気持ちを抑えて駐車場へ行くと、そこにはやっぱり湊先生の車が停まっているわけで、お母さんは後部座席から手を振っていた。
 毎日のようにディスプレイ越しに話をしていたのに、会うことがものすごく久しぶりな気がして「おかえりなさい」を言うまでに少し時間がかかってしまった。
 お母さんはにこりと笑って「ただいま」と言う。とても元気で張りのある声で。
 その声を聞き笑顔を見て、やっと自分の足が地に着いた気がした。
 どうしてかわからないけれど、とてもほっとした。
「でも、『おかえり』を言うのは私のはずなんだけど?」
「あ……」
 思わず顔を見合わせて笑う。
「リィも後ろに乗ったら?」
「うん、ありがとう」
 唯兄の勧めもあり、助手席ではなく後部座席に座った。
「じゃ、唯? 安全運転でお願いね! 美しいお母様とかわいい妹君が乗ってるんだから!」
「う゛……急に車が重くなった気がする。あっ、ハンドルが重くて動かないっ!」
「なーに言ってるのよ。ラパンならうちのりっちゃんだってサクサクハンドル捌くわよ!」
「だって俺、そこらの女よりも女の子らしいものっ! 料理洗濯掃除オールクリア! いつでもお嫁に行けるよっ!」
「ぷっ……それは言えてる。今度唯を女装させたいわね」
「げっ、碧さん、それ冗談で言ってないでしょっ!?」
「当たり前じゃないっ! 思い切りかわいく仕上げてあげるわよ?」
「俺だけ女装なんてずるいよ。そのときはぜひあんちゃんも道連れに」
「えー? 蒼樹の女装なんてつまらないわよ。だって、あの身長で女装されてもね?」
 唯兄とお母さんは終始そんな会話をしていて、私は呆気に取られていたのだけど、途中から耐えられないくらいおかしくなって声を立てて笑った。
 三人とも、数分間の道のりをずっと笑いながら話していた。
「ほい、マンション到着! ってことで、リィは碧さんとここで降りちゃいな。俺、女装したらそこらの女の子に負けないくらいかわいくても、一応紳士だからね!」
 満面の笑みで紳士を強調しながらロータリーで降ろしてくれた。
「ゆ、唯兄っ」
「ん?」
「あのね、唯兄は中性的に見えるけど、でも、すごく格好いいと思うっ」
 直後、私の肩にお母さんの手がかかり、お母さんはお腹を抱えて笑い出した。そして唯兄も吹きだす。
「え? どうして……?」
「リィ、ありがと。でも、大丈夫。俺、ちゃんと自分が格好いいってこともちゃんと知ってるから。俺とリィが手ぇつないで街中歩いたら視線ふたり占めだよ?」
 視線ふたり占め……?
 それはおかしい。ひとり占めの間違いだと思う。

 エントランスでは高崎さんが出迎えてくれた。
 高崎さんは「ちょっと待ってね」とカフェフロアの方へ視線を移す。
 そこには髪の毛をセンターで分け、顎のラインで切りそろえた女の人が紙を手に何かのチェックをしていた。
「今、お姉が振り分け作業してるんだけど……」
 高崎さんは苦笑いで言葉を濁す。
「あ、収支報告のファックスですか?」
「そう。あれ、俺と空太の姉。要領はいいんだけど、何分ドジっ子体質でねぇ……」
 高崎さんと空太くんのお姉さん……?
「お母さん、すぐに上がるから、先に帰ってて?」
「じゃ、かばんだけ預かるわ」
「ありがとう」
 お母さんの背を見送ると、高崎さんに「ごめんね」と言われた。
「え……?」
 咄嗟に振り返ったけれど、高崎さんが申し訳なさそうな顔をしている意味がわからない。
「私は高崎さんがフロントにいたら『ありがとう』を伝えたかったんですけど……?」
 今度は高崎さんが不思議そうに訊き返してくる。
「昨日、学校から届いたファックスの仕分けをしていただいていたので……。それから、一番後ろにあった用紙に書かれた言葉がとても嬉しかったので」
 高崎さんは少し驚いた顔をしてから、ふ、と笑みを浮かべた。
 人の優しさや思いやりは心にしみる。その優しさを痛いとはもう感じない。
 ただただ、心があたたかくなる。
「今日もその予定だったんだけど……」
 と、高崎さんは再度カフェフロアへと視線を向け、私の背中に手を添え、そちらへ行くようにと促した。
「お姉、こちら御園生翠葉ちゃん。蒼樹の妹さんだよ。で、こっちが俺と空太の姉の里実さとみ
「わっ! 実物本物っ!?」
 飛びつく勢いで見られ、ほんの少し身を引く。
「蒼樹くんが溺愛するのも頷けるわぁ……。写真すら見せてくれなかったんだから! でも、これじゃお嫁に出せないわねぇ……」
 テンションが高いかと思えばため息をついたり、なんだかとても表情が豊かな人だ。
「初めまして、御園生翠葉です。あ……えと、蒼兄ともお知り合いなんですか?」
「あ、ごめん。挨拶が先だよね。高崎里実です。いつも弟たちがお世話になってます」
「いえっ、あの、お世話になってるのは私のほうでっ――」
 里実さんはにこりと笑った。
「質問の答えなんだけどね、蒼樹くんはひとつ下の後輩なの。で、生徒会では二年間一緒だったよ」
 年上の人に失礼かもしれないけれど、里実さんは笑うととても幼く見える。
 無表情でプリントに向かっていたときとは別人のように見えた。
「お姉は書記で書類整理が主な仕事だったけど、要領いいくせにたまにあり得ないポカをするんだ。そのサポートをしてくれていたのが生徒会で一番仕事量の多い会計だった蒼樹」
「ひっどいなぁ……ま、本当のことなんだけどね」
「……高崎さんも生徒会だったんですか?」
 里実さんへ向けていた身体をくるり、と反転させ高崎さんを見上げる。
「違うよ。俺は万年風紀委員。俺の代わりに鈴代環(すずしろたまき)ってやつが生徒会にいたよ。環は今でも大学院で蒼樹と一緒のはず。聞いたことない?」
「ないです……」
 私は蒼兄の学校のお話をほとんど聞いたことがない。
 レポートが大変とか学会とか教授の講演とか、そういった話しか聞いたことがなく、友人関係に関しては秋斗さんと高崎さんしか知らなかった。
「そういえば、前にそんな話をしたよね。蒼樹の学生時代の話をしようって」
「はいっ」
 つい……本当につい――勢い良く返事をしてしまったら、高崎さんと里実さんに笑われた。
「蒼樹くんの妹らぶっぷりも相当なものだったけど、翠葉ちゃんもお兄ちゃんらぶか」
「……はい、大好きです」
 少し恥ずかしくて俯いて答えると、
「私も妹が欲しかったよー」
「今は琴がいるんだからいいでしょ? それよりそれ、並べ直せたの?」
「今、自己最終チェック中」
 テーブルの上に視線を戻す。と、里実さんが手にしていたのは収支報告書と申請書のプリントだった。
「ごめんね。これ、葵が振り分け済みだったのに、私がぶちまけちゃったの」
 なるほど……ドジっ子さんとはこういうことか。
「葵、ダブルチェック!」
「了解」
 葵さんは一通り目を通し、一番最後にテーブルでトントン、と端を合わせてダブルクリップで留めた。
「翠葉ちゃん、お待たせ。これで大丈夫だよ」
 手渡された紙の厚みに驚きつつ、ふたりにお礼を言って浅めに頭を下げた。
 そこへ唯兄が来て、
「リィの声がすると思ったら、まだいたの? あ、里実さん発見」
「え? 若槻さん? 何っ!? とうとうオーナーの巣の住民になっちゃいましたっ!?」
 あ、れ……? ここも面識あり?
「まぁ、そんなとこです」
 唯兄は私を見て、
「里実さんは陶芸作家でね、作品の販売や展示をウィステリアグループが斡旋してるんだ。で、広報部の人間と打ち合わせしていた里実さんが、コーヒーカップを落として割ったときに俺の足にかかった、というのが初対面でしたよね」
 唯兄がにこりと笑うと、
「若槻さ~ん……そこまで詳細に話さなくてもいいじゃないですか。その節はご迷惑おかけしました」
 そんなふたりのやり取りに高崎さんが割って入った。
「お姉はそろそろ家へ帰って夕飯作らなくちゃでしょ? 翠葉ちゃんもそろそろ帰ったほうがいい」
「あ、はい。里実さん、高崎さんありがとうございました」
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