光のもとで1

葉野りるは

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16~17 Side 秋斗 02話

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 彼女に教えてもらったとおりにお茶を淹れる。
 カップを彼女の前に置くと、彼女は「嬉しい」を引き摺ったまま「ありがとうございます」と口にし、カップに手を伸ばした。
 両手でカップを持つのは彼女の癖。
 何度かふーふーと息を吹きかけ、顔の筋肉を緩めてお茶を口にした。
「本当に嬉しそうだね」
「はい」
 彼女は嬉しさを隠さない代わりに、少しだけ恥ずかしそうな顔をした。
 そんな彼女を存分に堪能している俺の視線に気づくと、彼女は下を向き、髪の毛で顔を隠してしまう。
 もう少し加減してチラ見していたら、あと数分は見ていられただろうか。
「……私は、秋斗さんとどんなお話をしていたんでしょう」
 下を向いたまま口にして、そろそろと顔を上げる。
「会話の内容、ってことかな?」
 訊けばコクリと頷く。
「そうだな……。そんなに特別なことは話していなかったと思うよ」
 一瞬言葉を選んだ。
「大したことは」と言いそうになって、言葉を変えた。
「特別」が具体的に何を指すかはわからない。けど、君と話したことが「大したことがない」わけがない。
 俺が君を好きだと思う気持ちや、君が考えたこと、感じたことを言葉にしてくれる――ふたりの間で交わされる会話のすべてが「特別」だと言ったら、君は信じてくれるかな。
「藤山でデートしたときは、そこに咲いている花の話をした。紫陽花の何色が好きとかカサブランカの花言葉とか……」
 とても幸せな時間だったと思う。
 木陰のベンチに座って今日の最高気温が何度だとか、生前の祖母の話をしたり。
 この手に君を抱きしめてキスをして――
「でも、どうして?」
「……何を話したらいいのか、と考えてしまうんです。蒼兄とも七つ離れているけれど、秋斗さんは蒼兄よりも年上で、そんな大人の人と何を話したらいいのか――」
「……なんでも、なんでもいいんだ。その日の天気とか、その日にあったこととか。好きな音楽の話とか」
 さっきみたいに嬉しいと思ったことを話してくれたりね……。
「音楽……秋斗さんはどんな音楽を聴かれるんですか?」
 驚くと共に、嬉しいと思った。
 自分のことを訊かれたことが。
 ざっと音楽の好みを話すと、
「すごい――私は……」
 彼女は自分のことを話そうとしてやめた。
「……いえ、なんだか秋斗さんは私のことをなんでも知っている気がするから」
 ……なんでもは知らない。
 蒼樹から聞いて知ったことがほとんどで、君から教えてもらったことのほうが少ない。
「……言って? それが二度目でも三度目でも、俺は何度でも聞くし聞きたいよ」 
 君が話しかけてくれるなら何度でも、いつでも耳を傾ける。
 その声を聞けるなら、心にある言葉を口にしてくれるなら――
 お茶で喉を潤し、まだ淡いグリーンを保つ液体から視線を正面に戻すと、口元を押さえ目に涙を浮かべた彼女がいた。
「っ……どうかした!?」
 思わず席を立ってしまった俺に、「ごめんなさい」と一言。
 ポケットから手ぬぐいを取り出した彼女は、それを目に押し当て口元を引き結ぶ。そして、意識して口角を上げたかと思えばゆっくりと口を開いた。
「何度でもって言葉が――」
 声は努めて明るく、しかし、その口角は時折引くつく。
 それはきっと、無理をして作った表情だから。
「ここ最近、身近な人たちにたくさん言ってもらっている言葉で――」
 その先を聞くべきだったのかもしれない。
 でも、俺は黙ってはいられなかった。
「翠葉ちゃん、何かつらいことあった?」
「っ……!?」 
「翠葉ちゃん、目を押さえているのに口元だけ口角を上げても『大丈夫』には見えない。そんな顔は笑っているようには見えないんだよ」
 誰が見ても大丈夫には見えない。
 それでも、彼女は大丈夫だと言いたいのだろうか。
 彼女の脇に立ち、その頭を自分に引き寄せる。
 彼女は堰を切ったように泣きだし、片言の言葉を並べ話しだした。
 しゃっくりが邪魔してうまくは話せず、残念ながら彼女が言ったすべてを理解することはできなかった。
 きっと、すべてを話すのには量が膨大すぎるのだろう。
 そして、要約するにはまだ無理がある。
 彼女が持つ体調以外の悩み――傷を知った。
 彼女の話を聞きながら、湊ちゃんとの会話を思い出す。
「精神的に不安定」とは、このことなのかもしれない。
 ひとしきり泣いて話すと彼女は俺から離れ、
「私の心はまだ柔軟性には欠けていて、でも、大好きだから……みんなに大好きって伝えたいから、ひとつだけがんばることを決めたんです」
 不安定なりにも何か道標になるようなものが彼女の中にあるのだろうか。
「ひとつ?」
「はい……。全然自信はないけれど、でも伝わったら嬉しいな……。みんなにちゃんと伝えたい」
 そう言って俺を見上げた。
「秋斗さん、紅葉祭の一日目はお仕事ですか?」
「え? あぁ、ここいるけど……?」
 彼女がステージで歌うのを誰が見逃すものか。
 最初から紅葉祭の二日間は外での仕事は入れていない。むしろその日は学園警備に神経を使う必要がある。
「あの――第二部のステージを見にきてほしいんですっ」
「え?」
「……あの、時間の都合がついたら……そしたら、見にきてほしいんです」
 言われなくても行くつもりだったけど、ここはこう答えるべきかな。
「うん、楽しみにしてるね」
 笑みを添えて答えると、今日一番の「恥ずかしい」という顔で、
「たくさん泣いてしまってごめんなさいっ」
 さらに俺から離れる。
 その距離を残念に思っていると、
「お話……聞いてくれてありがとうございました」
 彼女はわずかに笑みを取り戻した。
 君は、そのステージから何を伝えてくれるのかな。
「みんなに伝えたいこと」の「みんな」に俺を入れてくれてありがとう……。
 でも、記憶を取り戻したとき、その中にいられるかは不明。
 ――今は考えるな。
 自分の思考をシャットアウトし、目の前にいる彼女に問いかける。
「ねぇ、翠葉ちゃん。俺は何か役に立てた?」
「え……?」
「前々から感じてはいたんだけど――翠葉ちゃんは自分にできることがとても少ないって思い込んでいるみたいだけど、そんなことはないんだよ。俺にハーブティーの淹れ方を教えてくれたのは翠葉ちゃんで、俺に人を好きになるっていう気持ちを教えてくれたのも翠葉ちゃんだ。心の底から『ありがとう』って口にできるようになったのも君に出逢ってからだと思う」
 俺の言葉がよほど意外だったのか、彼女は目を見開いたまま少し固まっていた。
「そんな翠葉ちゃんに俺が何をできるのか……。俺だって翠葉ちゃんと変わらない。常に暗中模索。俺は社会だとか会社に貢献をすることよりも、大切な人にどんなことができるのか、ってことのほうが大ごとみたい」
「あのっ……あの、お話しを聞いてもらえて少しすっきりして、心の中にあるモヤモヤ吐き出してみっともないところを見せてしまったけど――でも、あの、助けてもらえた気がします。落ち着くまで側にいてもらえたこと、とても嬉しかったし、感謝しています」
「良かった……つらいことがあったり何かあったとき、話せる相手として思い出してもらえたらもっと嬉しいと思う」
 少しだけわかったかもしれない。
 君が求めているものが。
「……頼ってほしいと思うよ。でもね、それは翠葉ちゃんが何を考えているのか、何を思っているのかが知りたいってことで、一方的に寄りかかってほしいって言ってるわけじゃないんだ」
 本当は頼ってほしいって思ってる。でも、そうは言わない。
「ただ、君と話す時間が欲しくて、君の声が聞きたくて、俺は君が話す内容がなんであってもかまわないみたいなんだよね。こう言うとひどく聞こえるかもしれないけれど、それが今みたいに君が泣いてしまうような内容であっても、さっき入ってきたばかりの嬉しいっていう内容であっても、俺にはなんの差もないんだ」
 ちゃんと意味が伝わっていないのか、しだいに彼女は首を傾げ出す。
「俺には君が必要ってこと。会話の内容がどうとかそういうことじゃなくて、君と過ごす時間が必要。君という存在が必要なだけで、会話にいたっては内容がなんであってもかまわない。どんな些細なことでも、天気の話でも『特別』に思える」
 君は「好き」という言葉より「必要」という言葉が欲しいんだよね? なら、俺はその両方をあげるよ。
「翠葉ちゃんが、好きだよ。君がいないと俺はすごく不安になるんだよね。それは君の体調が心配とかそういうことじゃなくて、俺の心が不安定になる。……意味、わかる?」
 傾げていた首を正規の位置へ戻し、数秒後、真っ赤な顔でコクコクと首を縦に振った。
 まるで首振り人形のようだ。
「良かった、わかってもらえて」
 にこりと笑ってそうは言うけれど、君はちゃんと意味がわかっているのかな。
 俺は自分の伴侶に君を指名しているんだよ。生涯のパートナーになってほしいって言ってるんだ。
 俺の不安定になる気持ちを安定させてほしい、とそう言っているんだよ。
 今、そこまではっきりとは言わないけれど……。
 でも、覚えていてほしいな。君が人に必要とされることで心の安定が保てるのなら、ここに君を必要としている人間がいることを覚えていてほしい。
「わ、わわっ――あのっ、心臓がうるさくて――どうしよう……」
 両手を胸元できゅ、と握りしめ、長い睫をバサバサとさせながら目を瞬かせる。
「全力で逃げちゃいたい?」
「っ……そこまでではっ――」
 咄嗟に俺を見上げては頬を上気させた。
 もっとドキドキして――もっともっと……。
 そうは思うけど、彼女には違うことを勧める。
「じゃ、横になって休めばいいと思うよ?」
「あ……そうしますっ――」
 くるりと背を向けた彼女を引き寄せる。
 思わず出そうになった右手を左手に変え、
「その前にこれは全部飲もうね?」
 右手で持ったカップを彼女の前方、口元へ運ぶ。
 もう湯気も立つことのないぬるくなったお茶を。
 俺の腕にすっぽりとおさまった彼女は、俺の手を避けるようにカップを支え、少し上を向いて促されるままにお茶を飲み干した。
 そして、ケホケホと少し咽ては、「では、寝ます」とカチコチした喋り方で俺から離れ、ソファの背に身を隠した。
 翠葉ちゃん、もっとドキドキして?
 ……なんて、これから寝なくてはいけない彼女に求めることではないけれど、もっと色んなことを話してほしい。
 もっと俺のことを知りたいと、その口で俺のことを訊いてくれないかな――
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