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30~45 Side 司 04話
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部室棟を離れた俺は、庵から道場に戻ってきたときよりも幾分かゆっくりと歩いていた。
桜香苑を抜け梅香苑に抜ける。
くねくねと曲がる道をショートカットすることなく、道の流れに身を任せるようにして歩いていた。
開けた場所に出ると、照明が少し賑やかになる。
そこは大学の敷地内で、同じ時間でも高等部よりは人の行き来が多い。
右側に梅香館があり、正面にはカフェがある。
俺はカフェと校舎の間を突っ切り藤宮の私道へと足を向けた。
ケンから越谷まりあの情報はいくらか得ることができた。
何が起こるかはわからない。
何も起こらないかもしれないし、何かが起きるかもしれない。
もし、何かが起こるとしたら、その矛先はやはり翠に向けられるのだろう。
翠には警護がついているのだから、大きな問題が起こるとは思いがたい。
学校の行き帰り、病院の行き帰り、ホテルの行き帰りに問題が起こることはないだろう。
学校外でのことは警護班がすべて請け負う。だとしたら、さっきじーさんに言われたとおり、俺に課せられているのは学園内でのことのみ。
学園内でできることはそう多くないはずだ。
越谷の単独行動として考えるのなら、命に関わるようなことにはならないだろう。
一高校生が、見合いが流れたくらいの私怨で人を殺すとは思いがたい。もっと言うなら、それで得るものは何ひとつない。
誘拐は物理的に考えて無理がある。
女ひとりで車も使わず学園内から翠を運び出すことは不可能だ。
越谷が孤立しているというのなら、手を貸す生徒もいはしない。
本気で翠に手を出すということは、藤宮に盾突くことも同然。
うちの学園にそこまでバカなやつはそういない。
仮に越谷家の人間が手伝ったとしても、学園に立ち入るのには警備のチェックを受ける必要がある。よって、必ず履歴が残る。
そんな状況で翠を誘拐したところで俺たちに何を要求することもできはしない。
警察に通報されて終わるのがオチだ。
殺し、誘拐の類は考えなくていい。
危害を加えるという意味でなら、怪我を負わされる程度のことは考慮するべきか――
だが、そのくらいのことなら風紀委員がなんとかできるレベルでもある。
じーさんが口にした言葉を思い出して歩みを止める。
「学園警備を好きに使え……?」
つまり、風紀委員ではカバーできない部分があるということか?
――情報が足りない。
俺は携帯のメール画面を起動し、ケンにメールを送った。
件名 :学園内の噂
本文 :今年度に入ってからのものを教えてくれ。
漏れなく全部だ。
返信はすぐに来た。
件名 :Re:学園内の噂
本文 :任せとけ!
分量が多いから家に帰ったらメールする。
メール画面を消し、着信履歴からじーさんにかける。
『なんじゃ?』
「さっきのファイル借りたいんだけど」
『それならすでに真白に届けておるわ。……ところで、お嬢さんには知らせるのかの?』
「どれだけの危険要素があるのか、見通しが立ってから決める」
『そうか』
「用件はそれだけ」
越谷だけではなく、雅さんが絡んでいるとなると少し厄介だ。
雅さんが今まで頭の悪そうな行動をとっていたのはすべて見せかけ。
人を欺くためだったのか、自分を欺くためだったのかはわからない。
けれど、それが本来の雅さんの姿ではなかったことは明白。
一族に表立って情報が流れなかったのは、彼女が藤宮に対して無関心だったからだけだろうか。
うちの大学に進めるだけの学力はあった。それを選ばなかったのは雅さん本人。
他大学ともなれば、それまでとは違って情報は入ってきづらくなる。
そこまで考えてのことだったのか――
雅さんの一貫した問題行動自体がすべてのカモフラージュだった可能性は高い。
雅さんに関して俺が知っていることといえば、朔さんと愛人の間にできた子どもであること。
子どもができなかった本妻が雅さんを引き取ったという話だったが、詳しい経緯や真相までは知らない。
ただ、引き取るだけ引き取って、とくに親らしいことをしてきたわけではないらしいが……。
夫婦仲はとうに冷めていた。それは今も変わらない。
秋兄の家は海斗が生まれるまで育児放棄に近い状態だったという。
海斗が生まれても紅子さんの外出率はとても高く、海斗も秋兄も学校から帰ってくると自宅ではなくうちへ来ていた。
朔さんのところとは違い、夫婦仲だけは良かったわけだけど、それが救いになるのかなんて俺にはわからない。
ふと秋兄の目を思い出す。
ずいぶんと前に見た空ろな目を――
幼心に、「寂しそう」という言葉では言い表せないと思った。
人の気配がすると、す、と消える目の翳りを忘れることができなかった。
「なんで今思い出すかな……」
秋兄と海斗にはうちの両親やばーさん、俺たちがいた。
でも、雅さんには兄妹もいなければ親身になってくれる人間もいなかっただろう。
きっと、周りにいたのは強欲な大人ばかり。
雅さんからしてみれば、翠は自分が持っていないものをすべて持っていることにはならないだろうか。
あたたかな家庭、絆の強い家族。愛されて育った人間――
雅さんが欲して止まないのは愛情と家族……?
雅さんが狙うとしたら翠とその家族。
思考がそこにたどり着いたとき、目の前に家のドアがあった。
ドアレバーに手をかける前にドアは開かれる。
こうやって母さんが出迎えてくれるのはいつものこと。
小さいころからそれが当たり前。俺にとっては日常的なことだった。
「おかえりなさい」
「じーさんからファイル届いてる?」
「えぇ……。司の部屋の机に置いてあるわ」
「そう」
「司……」
「何?」
「……ううん、なんでもないわ。夕飯、食べるでしょう?」
「着替え終わったらすぐ下りてくる」
「わかったわ」
俺はハナの歓迎をかわし、廊下の奥にある階段へ向かう。
背中に母さんの視線を感じていた。
何か言いたくて、でも何も言えない――そんな顔をしていた。
ファイルを見たのだろう。
そして、俺がじーさんに何か命じられたことを察した。
何を命じられたのか、俺に訊いたところでどうできるものでもない。
だから口にしない。
母さんはそうやって自分が藤宮の人間であることを負い目に感じる。
どうにもならないことを負い目に感じて、感じ続けて――
「家なんて選んで生まれてこれるわけじゃない」
そんなことならとうの昔に自覚済み。
誰が悪いわけじゃない。誰が悪いわけでもない――
自室のドアを閉めると父さんに連絡を入れた。
『急ぎか?』
「父さんにとっては?」
この一言で母さんに関することだと伝わるだろう。
『話せ』
「できるだけ早くに帰ってきて」
『具合が悪いのか?』
「身体じゃなくて心のほう』
『……誰に何があった?』
こんな訊き方も、「らしい」と思う。
母さんが気に病むとしたら俺たちに何かがあったときだ。
「そこは考えなくていい」
『司か……。会長に試練でも出されたか』
「そんなところ」
『わかった。……あと一時間で帰る』
「よろしく」
母さんとふたりで夕飯を済ませたあと、リビングでハナの相手をしているとガレージで音がした。
父さんが帰宅したのだろう。
「あら? 涼さん、今日は帰りが遅いようなことを言ってらしたのに……」
母さんは不思議そうな顔をして玄関へと向かった。
「ほら、ハナも行って。一家の大黒柱のお帰りだ」
ハナに玄関へ行くように促すと、俺は二階へと上がった。
時計を見れば九時。
「中途半端な時間……」
病院に行って帰ってきて、夕飯を食べたら風呂……。
翠の行動を考えると、この時間は恐らく風呂に入っているだろう。
電話をかける約束をしていたが、今はかけても無駄。
それなら、と自分もシャワーを浴びることにした。
シャワーから出てくると九時半だった。
すぐにパソコンを起動させ、無駄だろうと思いながら翠の携帯にかける。
携帯の側にいないことを想定してコールを鳴らすも、やっぱり出ることはなかった。
携帯をベッド脇の充電器に置くとすぐにパソコン前に戻る。
ケンからメールが届いていた。
メールにはエクセルが添付されており、四月からの噂が俺と翠のもの、その他のものに分けてまとめられていた。
それらにざっと目を通すと、同じエクセル上にシャワーを浴びながらリストアップしていたものを書き出した。
桜香苑を抜け梅香苑に抜ける。
くねくねと曲がる道をショートカットすることなく、道の流れに身を任せるようにして歩いていた。
開けた場所に出ると、照明が少し賑やかになる。
そこは大学の敷地内で、同じ時間でも高等部よりは人の行き来が多い。
右側に梅香館があり、正面にはカフェがある。
俺はカフェと校舎の間を突っ切り藤宮の私道へと足を向けた。
ケンから越谷まりあの情報はいくらか得ることができた。
何が起こるかはわからない。
何も起こらないかもしれないし、何かが起きるかもしれない。
もし、何かが起こるとしたら、その矛先はやはり翠に向けられるのだろう。
翠には警護がついているのだから、大きな問題が起こるとは思いがたい。
学校の行き帰り、病院の行き帰り、ホテルの行き帰りに問題が起こることはないだろう。
学校外でのことは警護班がすべて請け負う。だとしたら、さっきじーさんに言われたとおり、俺に課せられているのは学園内でのことのみ。
学園内でできることはそう多くないはずだ。
越谷の単独行動として考えるのなら、命に関わるようなことにはならないだろう。
一高校生が、見合いが流れたくらいの私怨で人を殺すとは思いがたい。もっと言うなら、それで得るものは何ひとつない。
誘拐は物理的に考えて無理がある。
女ひとりで車も使わず学園内から翠を運び出すことは不可能だ。
越谷が孤立しているというのなら、手を貸す生徒もいはしない。
本気で翠に手を出すということは、藤宮に盾突くことも同然。
うちの学園にそこまでバカなやつはそういない。
仮に越谷家の人間が手伝ったとしても、学園に立ち入るのには警備のチェックを受ける必要がある。よって、必ず履歴が残る。
そんな状況で翠を誘拐したところで俺たちに何を要求することもできはしない。
警察に通報されて終わるのがオチだ。
殺し、誘拐の類は考えなくていい。
危害を加えるという意味でなら、怪我を負わされる程度のことは考慮するべきか――
だが、そのくらいのことなら風紀委員がなんとかできるレベルでもある。
じーさんが口にした言葉を思い出して歩みを止める。
「学園警備を好きに使え……?」
つまり、風紀委員ではカバーできない部分があるということか?
――情報が足りない。
俺は携帯のメール画面を起動し、ケンにメールを送った。
件名 :学園内の噂
本文 :今年度に入ってからのものを教えてくれ。
漏れなく全部だ。
返信はすぐに来た。
件名 :Re:学園内の噂
本文 :任せとけ!
分量が多いから家に帰ったらメールする。
メール画面を消し、着信履歴からじーさんにかける。
『なんじゃ?』
「さっきのファイル借りたいんだけど」
『それならすでに真白に届けておるわ。……ところで、お嬢さんには知らせるのかの?』
「どれだけの危険要素があるのか、見通しが立ってから決める」
『そうか』
「用件はそれだけ」
越谷だけではなく、雅さんが絡んでいるとなると少し厄介だ。
雅さんが今まで頭の悪そうな行動をとっていたのはすべて見せかけ。
人を欺くためだったのか、自分を欺くためだったのかはわからない。
けれど、それが本来の雅さんの姿ではなかったことは明白。
一族に表立って情報が流れなかったのは、彼女が藤宮に対して無関心だったからだけだろうか。
うちの大学に進めるだけの学力はあった。それを選ばなかったのは雅さん本人。
他大学ともなれば、それまでとは違って情報は入ってきづらくなる。
そこまで考えてのことだったのか――
雅さんの一貫した問題行動自体がすべてのカモフラージュだった可能性は高い。
雅さんに関して俺が知っていることといえば、朔さんと愛人の間にできた子どもであること。
子どもができなかった本妻が雅さんを引き取ったという話だったが、詳しい経緯や真相までは知らない。
ただ、引き取るだけ引き取って、とくに親らしいことをしてきたわけではないらしいが……。
夫婦仲はとうに冷めていた。それは今も変わらない。
秋兄の家は海斗が生まれるまで育児放棄に近い状態だったという。
海斗が生まれても紅子さんの外出率はとても高く、海斗も秋兄も学校から帰ってくると自宅ではなくうちへ来ていた。
朔さんのところとは違い、夫婦仲だけは良かったわけだけど、それが救いになるのかなんて俺にはわからない。
ふと秋兄の目を思い出す。
ずいぶんと前に見た空ろな目を――
幼心に、「寂しそう」という言葉では言い表せないと思った。
人の気配がすると、す、と消える目の翳りを忘れることができなかった。
「なんで今思い出すかな……」
秋兄と海斗にはうちの両親やばーさん、俺たちがいた。
でも、雅さんには兄妹もいなければ親身になってくれる人間もいなかっただろう。
きっと、周りにいたのは強欲な大人ばかり。
雅さんからしてみれば、翠は自分が持っていないものをすべて持っていることにはならないだろうか。
あたたかな家庭、絆の強い家族。愛されて育った人間――
雅さんが欲して止まないのは愛情と家族……?
雅さんが狙うとしたら翠とその家族。
思考がそこにたどり着いたとき、目の前に家のドアがあった。
ドアレバーに手をかける前にドアは開かれる。
こうやって母さんが出迎えてくれるのはいつものこと。
小さいころからそれが当たり前。俺にとっては日常的なことだった。
「おかえりなさい」
「じーさんからファイル届いてる?」
「えぇ……。司の部屋の机に置いてあるわ」
「そう」
「司……」
「何?」
「……ううん、なんでもないわ。夕飯、食べるでしょう?」
「着替え終わったらすぐ下りてくる」
「わかったわ」
俺はハナの歓迎をかわし、廊下の奥にある階段へ向かう。
背中に母さんの視線を感じていた。
何か言いたくて、でも何も言えない――そんな顔をしていた。
ファイルを見たのだろう。
そして、俺がじーさんに何か命じられたことを察した。
何を命じられたのか、俺に訊いたところでどうできるものでもない。
だから口にしない。
母さんはそうやって自分が藤宮の人間であることを負い目に感じる。
どうにもならないことを負い目に感じて、感じ続けて――
「家なんて選んで生まれてこれるわけじゃない」
そんなことならとうの昔に自覚済み。
誰が悪いわけじゃない。誰が悪いわけでもない――
自室のドアを閉めると父さんに連絡を入れた。
『急ぎか?』
「父さんにとっては?」
この一言で母さんに関することだと伝わるだろう。
『話せ』
「できるだけ早くに帰ってきて」
『具合が悪いのか?』
「身体じゃなくて心のほう』
『……誰に何があった?』
こんな訊き方も、「らしい」と思う。
母さんが気に病むとしたら俺たちに何かがあったときだ。
「そこは考えなくていい」
『司か……。会長に試練でも出されたか』
「そんなところ」
『わかった。……あと一時間で帰る』
「よろしく」
母さんとふたりで夕飯を済ませたあと、リビングでハナの相手をしているとガレージで音がした。
父さんが帰宅したのだろう。
「あら? 涼さん、今日は帰りが遅いようなことを言ってらしたのに……」
母さんは不思議そうな顔をして玄関へと向かった。
「ほら、ハナも行って。一家の大黒柱のお帰りだ」
ハナに玄関へ行くように促すと、俺は二階へと上がった。
時計を見れば九時。
「中途半端な時間……」
病院に行って帰ってきて、夕飯を食べたら風呂……。
翠の行動を考えると、この時間は恐らく風呂に入っているだろう。
電話をかける約束をしていたが、今はかけても無駄。
それなら、と自分もシャワーを浴びることにした。
シャワーから出てくると九時半だった。
すぐにパソコンを起動させ、無駄だろうと思いながら翠の携帯にかける。
携帯の側にいないことを想定してコールを鳴らすも、やっぱり出ることはなかった。
携帯をベッド脇の充電器に置くとすぐにパソコン前に戻る。
ケンからメールが届いていた。
メールにはエクセルが添付されており、四月からの噂が俺と翠のもの、その他のものに分けてまとめられていた。
それらにざっと目を通すと、同じエクセル上にシャワーを浴びながらリストアップしていたものを書き出した。
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