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30~45 Side 司 10話
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恋愛とは、感情のコントロールが難しいものらしい。
ものがなんであろうと、苦手なものは是が非でも克服する。
できるだけ短時間で……。
今までずっとそうしてきた。
克服できないものなど、攻略できないものなどないと思ってきた。
初めて知った。「現実逃避」という言葉の意味を。
あまりにも難解で攻略できるのか見通しすら立たないとき、人は現実逃避に走るものなのかもしれない。
しかし、現実から目を背けるわけにはいかない。
都合よく記憶がなくなるわけではないし、逃げ帰るような無様な真似を許される家に育ってはいない。
結果、俺は逃げることも諦めることもできない人間になった。
今までは、執着するものがなかっただけに諦める必要などなかったわけだが、今は固執する対象がある。
見つけてしまった。出逢ってしまった。
諦められない、どうしても――
敗北は己が認めない。敵前逃亡など自分が許さない。
――ならば、立ち向かうのみ。
先日のふたり――藤山の私道を翠と秋兄が並んで歩く姿が脳裏から離れなかった。
まるで自分から翠が遠ざかっていくような錯覚を起こし、恐怖感を覚えた。
その残像をかき消すのに数日を要した。
昼になり、俺はいつものように弁当を持って翠のクラスへ向かう。
一年B組の人間のほとんどが、俺が来ることをなんとも思わなくなっており、好奇の目を向けられることもなくなった。
ただ、ほかのクラスの人間が面白がって見にくることは続いている。
俺がいることが原因なのか、知らない人間がこの光景を見に来ることが原因なのか、翠はいつだって緊張の面持ちで弁当を食べていた。
救いだったのは、俺が行くようになってから三日目で弁当を食べ始めてくれたこと。
最初の二日間はサーモスタンブラーに入ったスープしか飲んでいなかった。
もともと体力のある人間でもないのにそんなことを続けられたらたまらない。
もしこのままスープしか飲まないようなら、ここで弁当を食べるのはやめよう――そう思った日から、翠は弁当を広げ固形物を口にし始めた。
だから、俺はやめることなくこのクラスへ足を運んでいる。
「なぁ、司……。来るだけ来て、翠葉と話さないのか? それとも、話さなくても翠葉の顔を見ればそれでいいとか?」
海斗に訊かれるくらい、俺と翠の間に会話はない。
理由は、翠が食べるのが遅いから、というものであり、決して顔を見られればそれでいいと思っているわけではない。
「食べている最中、翠に話かけるとどうなるか知っているか?」
「は?」
間抜けな顔をしている海斗に、翠という人間の生態を説く。
「口にものが入っているときに話しかければ慌てて口の中のものを飲み下す。返答に困ったとき、『考える』という作業が加わった時点で翠の手は止まる。そんなことを続けてみろ。昼休み中に翠が弁当を食べ終わるわけがない」
海斗はポカンと口を開けて聞いていたが、
「御見それいたしました」
すぐに頭を垂れた。
代わりに簾条が、
「そこまで観察されてるのって……翠葉、気持ち悪くないの?」
余計なことを言ってくれる。
俺の観察の成果を踏みにじってくれるな。
翠は、「気持ち悪くはないけど」と前置きをしてから、語気を強めてこう言った。
「しょうがないでしょっ? 食べるのが遅いのはもとからだし、口にものが入っているときは喋っちゃだめって言われて育ったんだものっ」
俺は海斗に少しだけ感謝する。
こんなふうに話す翠に会えたのは久しぶりだった。
それと、うちにはうちの躾というものがあるけれど、翠の家にも翠の家流の躾があることを知った。
改めて、「食べている最中は話しかけまい」と思ったわけだけど、さっきからずっと気になっているものがある。
それは、机の上に置いてある携帯。
「最近見かけないと思ったら……」
携帯には秋兄がプレゼントしたと思われるストラップと、俺が買ってきたお土産のとんぼ玉。
それから、見たことのない鍵が同じチェーンに通してあった。
紅葉祭を境に、とんぼ玉を見ることはなくなった。
時期的には翠が記憶を取り戻したころと重なり、とんぼ玉ひとつとっても相当戸惑っているであろうことは予想していたが、まさか携帯につけていたとは……。
じっと見つめるも、バランスが悪い、の一言に尽きる。
ひとつは精巧なつくりで現代らしいアクセサリー。
そのとなりにあるとんぼ玉は粗雑なつくりのガラス玉。
そして、もうひとつはアンティーク加工が施された、トルコ石がはめ込まれた鍵。
どこからどう見てもアンバランス。
色味も何もかもが噛み合わない。
でも、持っていてくれたことが嬉しかった。
「この鍵は?」
この鍵だけは見たことがない。
翠は携帯を手に取り、
「これは唯兄からもらったものなの」
愛おしそうに鍵を見ては、人差し指でそっと触れる。
とても大切なものに触れるように。
指でつついたくらいじゃ壊れるはずもないのに、触れたら壊れる、みたいな様子で。
「ふーん……」
なんでもなさそうに答えたけれど、実のところはあまり面白くなかった。
秋兄が渡したストラップには負ける。
でも、鍵ととんぼ玉なら価値的には五分五分。
なのに、鍵の隣にあるとんぼ玉に翠が一度も触れなかったから。
視線を感じたのか、翠は携帯をポケットにしまった。
そして、「湊先生のところに行かなくちゃ」と席を立ち教室を出ていく。
週に一度、月曜の昼休みに保健室で診察、というのは未だ続いているようだ。
翠がいないのならこの場にいる意味もない。
俺は早々に翠のクラスをあとにした。
階段を上がりながら思う。
「携帯、ね」
翠のことだ。
携帯にはロックも何もかけていないだろう。
御園生さんから聞かされてきた情報からすると、翠は機械にはとことん疎いようだから。
なんでも、ウイルスソフトを入れずにパソコンをネットにつなごうとしていたくらいには機械に疎い。
携帯さえ手に入れば、中は簡単に見ることができるだろう。
あの携帯には藤宮の人間のデータも入っている。
静さんに限って仕事の話をメールでしているとは思わないし、藤宮の人間の番号を入手したところでうまく利用できる人間がどれほどいることか。
が、可能性がないわけではない。
ならば、早急に手を打つべきだ。
この手のことを任せるとしたら唯さんなわけだけど、俺の指令は秋兄を通すことになっている。
だから、すぐに秋兄に電話をした。
唯さんに、翠には気づかれないように携帯のバックアップを取っておくように、と――
唯さんは毎日のようにバックアップを取っていてくれた。
さらには、「器がだめになることもあるよね」と携帯本体も別のものに取り替えたと言う。
そこまで考えていなかっただけに、どこまでマニアックな視点を持っているものか、と心底呆れた。
呆れた反面尊敬もしたけど……。
唯さん曰く、守るべきは翠がもともと持っていたものであり、壊れたからといって真新しいものに交換するのでは意味がないという。
翠の携帯にはこれといった飾り付けがされていなかったため、この工作は簡単に済むはずだったが、どうやらそれは間違いらしい。
もとの携帯と区別ができないようにするということは、普通に使用してついた傷を施す必要があるという。
そこまでする必要があるのか、と思いはしたが、唯さんが手を抜くことはなかった。
まず、同じ機種の携帯を用意し、その外観に翠の携帯とまるきり同じに傷をつける。
傷をつけるというよりは加工。
これはかなり骨の折れる作業だっただろう。
そのあとは、中の基盤に翠の携帯から取り出した情報をそっくりそのまま上書きする。
それにストラップを付け替えて完成――そのはずだった。
しかし、唯さんはさらなるトラップを仕掛けた。
翠の携帯をコピーしようとしたり、翠の携帯に登録されていないアドレスにデータを転送しようとすると、転送先のパソコンやモバイル、メモリが壊れるというウイルスを仕込んだ。
ご丁寧にも、すぐにばれないように、とウイルスが作動するまでには適度なタイムラグが儲けられている。
ウイルスは作動するだけで相手方のネットワークすべてに拡散する仕組み。
一番手っ取り早い赤外線通信は使えないようにプログラムを書き換えたらしい。
もともとこういうことが得意なだけあって、やることが半端ない。
えげつないとも言えるが、静さんや秋兄に仕事ができると認められているのにはこういった素質も必要とされるのだろう。
うちの一族が好みそうな人種であることに間違いないと思った。
ほかにも色々と仕掛けがしてあり、何がどう転んでも情報漏洩だけは防げる絶対的な自信があった。
唯一、携帯ストラップに通されていた三つのアイテムだけはレプリカを用意する時間が取れず、現物を使っている。
けれど、翠が今まで使っていた携帯――オリジナルは唯さんの手元で保管されているわけで、ある意味それが俺の強みでもあった。
翠にとって携帯が大切なものであることは十分に理解しているつもりだった――
ものがなんであろうと、苦手なものは是が非でも克服する。
できるだけ短時間で……。
今までずっとそうしてきた。
克服できないものなど、攻略できないものなどないと思ってきた。
初めて知った。「現実逃避」という言葉の意味を。
あまりにも難解で攻略できるのか見通しすら立たないとき、人は現実逃避に走るものなのかもしれない。
しかし、現実から目を背けるわけにはいかない。
都合よく記憶がなくなるわけではないし、逃げ帰るような無様な真似を許される家に育ってはいない。
結果、俺は逃げることも諦めることもできない人間になった。
今までは、執着するものがなかっただけに諦める必要などなかったわけだが、今は固執する対象がある。
見つけてしまった。出逢ってしまった。
諦められない、どうしても――
敗北は己が認めない。敵前逃亡など自分が許さない。
――ならば、立ち向かうのみ。
先日のふたり――藤山の私道を翠と秋兄が並んで歩く姿が脳裏から離れなかった。
まるで自分から翠が遠ざかっていくような錯覚を起こし、恐怖感を覚えた。
その残像をかき消すのに数日を要した。
昼になり、俺はいつものように弁当を持って翠のクラスへ向かう。
一年B組の人間のほとんどが、俺が来ることをなんとも思わなくなっており、好奇の目を向けられることもなくなった。
ただ、ほかのクラスの人間が面白がって見にくることは続いている。
俺がいることが原因なのか、知らない人間がこの光景を見に来ることが原因なのか、翠はいつだって緊張の面持ちで弁当を食べていた。
救いだったのは、俺が行くようになってから三日目で弁当を食べ始めてくれたこと。
最初の二日間はサーモスタンブラーに入ったスープしか飲んでいなかった。
もともと体力のある人間でもないのにそんなことを続けられたらたまらない。
もしこのままスープしか飲まないようなら、ここで弁当を食べるのはやめよう――そう思った日から、翠は弁当を広げ固形物を口にし始めた。
だから、俺はやめることなくこのクラスへ足を運んでいる。
「なぁ、司……。来るだけ来て、翠葉と話さないのか? それとも、話さなくても翠葉の顔を見ればそれでいいとか?」
海斗に訊かれるくらい、俺と翠の間に会話はない。
理由は、翠が食べるのが遅いから、というものであり、決して顔を見られればそれでいいと思っているわけではない。
「食べている最中、翠に話かけるとどうなるか知っているか?」
「は?」
間抜けな顔をしている海斗に、翠という人間の生態を説く。
「口にものが入っているときに話しかければ慌てて口の中のものを飲み下す。返答に困ったとき、『考える』という作業が加わった時点で翠の手は止まる。そんなことを続けてみろ。昼休み中に翠が弁当を食べ終わるわけがない」
海斗はポカンと口を開けて聞いていたが、
「御見それいたしました」
すぐに頭を垂れた。
代わりに簾条が、
「そこまで観察されてるのって……翠葉、気持ち悪くないの?」
余計なことを言ってくれる。
俺の観察の成果を踏みにじってくれるな。
翠は、「気持ち悪くはないけど」と前置きをしてから、語気を強めてこう言った。
「しょうがないでしょっ? 食べるのが遅いのはもとからだし、口にものが入っているときは喋っちゃだめって言われて育ったんだものっ」
俺は海斗に少しだけ感謝する。
こんなふうに話す翠に会えたのは久しぶりだった。
それと、うちにはうちの躾というものがあるけれど、翠の家にも翠の家流の躾があることを知った。
改めて、「食べている最中は話しかけまい」と思ったわけだけど、さっきからずっと気になっているものがある。
それは、机の上に置いてある携帯。
「最近見かけないと思ったら……」
携帯には秋兄がプレゼントしたと思われるストラップと、俺が買ってきたお土産のとんぼ玉。
それから、見たことのない鍵が同じチェーンに通してあった。
紅葉祭を境に、とんぼ玉を見ることはなくなった。
時期的には翠が記憶を取り戻したころと重なり、とんぼ玉ひとつとっても相当戸惑っているであろうことは予想していたが、まさか携帯につけていたとは……。
じっと見つめるも、バランスが悪い、の一言に尽きる。
ひとつは精巧なつくりで現代らしいアクセサリー。
そのとなりにあるとんぼ玉は粗雑なつくりのガラス玉。
そして、もうひとつはアンティーク加工が施された、トルコ石がはめ込まれた鍵。
どこからどう見てもアンバランス。
色味も何もかもが噛み合わない。
でも、持っていてくれたことが嬉しかった。
「この鍵は?」
この鍵だけは見たことがない。
翠は携帯を手に取り、
「これは唯兄からもらったものなの」
愛おしそうに鍵を見ては、人差し指でそっと触れる。
とても大切なものに触れるように。
指でつついたくらいじゃ壊れるはずもないのに、触れたら壊れる、みたいな様子で。
「ふーん……」
なんでもなさそうに答えたけれど、実のところはあまり面白くなかった。
秋兄が渡したストラップには負ける。
でも、鍵ととんぼ玉なら価値的には五分五分。
なのに、鍵の隣にあるとんぼ玉に翠が一度も触れなかったから。
視線を感じたのか、翠は携帯をポケットにしまった。
そして、「湊先生のところに行かなくちゃ」と席を立ち教室を出ていく。
週に一度、月曜の昼休みに保健室で診察、というのは未だ続いているようだ。
翠がいないのならこの場にいる意味もない。
俺は早々に翠のクラスをあとにした。
階段を上がりながら思う。
「携帯、ね」
翠のことだ。
携帯にはロックも何もかけていないだろう。
御園生さんから聞かされてきた情報からすると、翠は機械にはとことん疎いようだから。
なんでも、ウイルスソフトを入れずにパソコンをネットにつなごうとしていたくらいには機械に疎い。
携帯さえ手に入れば、中は簡単に見ることができるだろう。
あの携帯には藤宮の人間のデータも入っている。
静さんに限って仕事の話をメールでしているとは思わないし、藤宮の人間の番号を入手したところでうまく利用できる人間がどれほどいることか。
が、可能性がないわけではない。
ならば、早急に手を打つべきだ。
この手のことを任せるとしたら唯さんなわけだけど、俺の指令は秋兄を通すことになっている。
だから、すぐに秋兄に電話をした。
唯さんに、翠には気づかれないように携帯のバックアップを取っておくように、と――
唯さんは毎日のようにバックアップを取っていてくれた。
さらには、「器がだめになることもあるよね」と携帯本体も別のものに取り替えたと言う。
そこまで考えていなかっただけに、どこまでマニアックな視点を持っているものか、と心底呆れた。
呆れた反面尊敬もしたけど……。
唯さん曰く、守るべきは翠がもともと持っていたものであり、壊れたからといって真新しいものに交換するのでは意味がないという。
翠の携帯にはこれといった飾り付けがされていなかったため、この工作は簡単に済むはずだったが、どうやらそれは間違いらしい。
もとの携帯と区別ができないようにするということは、普通に使用してついた傷を施す必要があるという。
そこまでする必要があるのか、と思いはしたが、唯さんが手を抜くことはなかった。
まず、同じ機種の携帯を用意し、その外観に翠の携帯とまるきり同じに傷をつける。
傷をつけるというよりは加工。
これはかなり骨の折れる作業だっただろう。
そのあとは、中の基盤に翠の携帯から取り出した情報をそっくりそのまま上書きする。
それにストラップを付け替えて完成――そのはずだった。
しかし、唯さんはさらなるトラップを仕掛けた。
翠の携帯をコピーしようとしたり、翠の携帯に登録されていないアドレスにデータを転送しようとすると、転送先のパソコンやモバイル、メモリが壊れるというウイルスを仕込んだ。
ご丁寧にも、すぐにばれないように、とウイルスが作動するまでには適度なタイムラグが儲けられている。
ウイルスは作動するだけで相手方のネットワークすべてに拡散する仕組み。
一番手っ取り早い赤外線通信は使えないようにプログラムを書き換えたらしい。
もともとこういうことが得意なだけあって、やることが半端ない。
えげつないとも言えるが、静さんや秋兄に仕事ができると認められているのにはこういった素質も必要とされるのだろう。
うちの一族が好みそうな人種であることに間違いないと思った。
ほかにも色々と仕掛けがしてあり、何がどう転んでも情報漏洩だけは防げる絶対的な自信があった。
唯一、携帯ストラップに通されていた三つのアイテムだけはレプリカを用意する時間が取れず、現物を使っている。
けれど、翠が今まで使っていた携帯――オリジナルは唯さんの手元で保管されているわけで、ある意味それが俺の強みでもあった。
翠にとって携帯が大切なものであることは十分に理解しているつもりだった――
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