光のもとで1

葉野りるは

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最終章 恋のあとさき

53話

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 会場の入り口で蒼兄と唯兄が待っていてくれた。
 ふたりの姿を見て「あれ?」と思う。
 蒼兄と唯兄のネクタイとポケットチーフが藤色。事前に用意していたものとは違う。
 近づいてわかったことといえば、ネクタイの色は同じだけれど生地の織り方が異なるため、模様の浮き上がり方に微妙な違いがある。さらには、ネクタイピンが真白さんの帯留めと似たモチーフだ。
 そんな観察をしていると、蒼兄が涼先生に頭を下げた。
「翠葉がお世話になりました」
「いいえ、とくに何をしたわけでもございません。それより、連日身内の祝いに出席していただきありがとうございます」
 涼先生と真白さんに頭を下げられ、私たちも慌てて頭を下げた。すると、
「翠葉ちゃん、何もないところだけど、また遊びに来てもらえるかしら?」
 真白さんに頭を上げるように促され、
「はい。ぜひ、うかがわせていただきます。涼先生、ありがとうございました」
 意を決して涼先生の顔を正面から見ると、
「またすぐに会えますよ」
 にこりと笑顔を返され、瞬時に全身が固まる。
「お忘れではありませんよね? パレスから帰ったら検査、ということを」
 今度は違う意味で全身が固まった。
「……忘れていません」
 ほぼ忘れていたとはとても言えそうにない笑顔だった。
 ふたりの背中を見送ると、
「おっかねぇ……正真正銘司っちのおとんだな」
 唯兄の言葉に振り返る。
「「「それ」」」
 三人の声が重なり、指の先々には藤色があった。
 言いたいことは三人とも同じみたい。
「今日のドレスや靴は静さんからの贈り物なの」
「俺らの小物もそう」
「俺、オーナーにこんな扱いされたらどんだけ奉仕しなくちゃいけないのか、末恐ろしくて考えたくないよ……」
 蒼兄たちと話して少し気がほぐれたけれど、周りからは容赦なく視線が飛んでくる。気にするな、と言われても無理なくらい。
「さすがにこれは痛いよな」
 蒼兄が苦笑して見せた。
「仕方ないよ」
 あっけらかんと答えたのは唯兄。
「この場で藤色を身に着けてるってことは、現会長もしくは次期会長のお気に入りってハンコ押されたも同然」
 喉から手が出るほどに羨まれる品だと言いながら、そんなたいそうなものを指でコンコンとはじいて見せる。
 そして、突如ぎゅっと抱きしめられた。
 耳元でトーンを落とした声が言う。
「リィに関してはどっちが良かったのかな……」と。
 どういう意味なのか知りたくて、唯兄の顔を見ようとすると、
「おー! 翠葉かわいいなー」
 唯兄ごとお父さんに抱きしめられた。間に挟まった唯兄が、「痛い痛い」と文句を言うけれど、お父さんは力を緩めるつもりはないようだ。
「零ー? あまりしつこいと嫌われるわよ?」
 クスクスと笑いながら現れたのはお母さん。お母さんも藤色のワンピースを着ていた。そして、首には金糸で縁取られた深紫のリボンチョーカーをつけている。
「えー? こんなことくらいじゃ嫌いにならないよねぇ?」
「嫌いにはならないけど、狸だとは思ってます」
「どうしてー? 俺、まだそこまでお腹出てないと思うんだけど」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
 ようやく私たちから離れたお父さんは、スーツの中に着ているベストが藤色で、お母さんと同じ深紫のアスコットタイをしている。それを留めるラペルピンは藤の花びらをモチーフにしたものだった。ポケットには唯兄たちと同様、藤色のポケットチーフが彩りを添えている。
「ん? これか?」
 お父さんは私の視線に気づくと身に着けているものを指でつまみ、
「さすがに付き合いが長いともらったもので全身コーディネートできるくらいになるぞ?」
 お父さんはいつもと何も変わらない。藤色を纏っていても、気負っている感じがまったくしない。
「だからさ、そういうところ。狸でしょ?」
 唯兄がじとりと睨んだ。
「俺、零樹さんと碧さんがオンシ所有者っていうのは初耳だったからねっ?」
「あら、言ってなかったかしら?」
「さぁ……とくに言うようなことでもないしなぁ?」
 お父さんとお母さんはきょとんとした顔で首を傾げる。
 唯兄が口にした「オンシ」は、「恩賜」という漢字で間違いないだろう。しかし、それを賜ることはそんなにも大変なことなのだろうか。
 尋ねてみると、
「リィが持ってるホテルのフリーパスより上っ。これさえ所持してれば藤宮の系列ホテル、並びにデパートでもどこでもこれ以上ないビップ待遇を約束されますっ」
 唯兄は理解しやすいように説明してくれたと思う。けれども、ピンとくるかこないか、と訊かれれば後者なわけで……。
「前に俺が話したこと覚えてる?」
 違う声が割り込んだ。声の主は秋斗さん。
「フリーパスは一族の人間であってもそうそう手に入るものじゃない。これは、フリーパスを具現化したようなものなんだ」
 秋斗さんの首にも藤色のアスコットタイがあり、藤の花びらを模したラペルピンが留まっていた。
「ちょっと、秋斗さん近寄んないでくださいよっ」
 唯兄は私と秋斗さんの間に割って入った。
 いつも思う。秋斗さんは唯兄の上司だよね、と。
「ただでさえ目立つのに、秋斗さんが近くに来たら余計目立つでしょっ!?」
 唯兄の散々な物言いに両親が、「何を今さら」と声を揃えた。そして、秋斗さんも「ですよね」と笑う。
「ざっと見て回ったけど、藤の精は翠葉だけみたいだし……」
「秋斗くんが縁談を片っ端から断わりだして半年。意中の令嬢がいるって噂は俺たちの耳にも入るようになった。だとしたら……」
「この場にその『令嬢』が来ると踏んでる人は多いわよね。だから静と湊先生の件、このタイミングで漏れるように情報操作したんじゃない? 違う?」
 お母さんが秋斗さんに訊くと、
「さすがですね。お察しのとおりです」
「さらには招待客においても面倒な人間は午前には呼んでないんじゃないかしら?」
「碧さんの観察眼には恐れ入ります。そのとおりです。面倒な人間はこぞって第三部、夕方以降に招待してありました」
「やっぱな~……。そんなことだと思ったよ。で、招待客リストにまでしっかり目を通してるあたりが君なのかな?」
 お父さんがにこやかに尋ねると、
「曲がりなりにも警備会社の人間ですから」
 秋斗さんもにこやかに答え、私に視線を向けた。
「翠葉ちゃんは安心していいよ。君には優秀な護衛がついているから。普段は近接警護ではないけれど、怪しい動きがあればすぐさま警備体制は切り替わる」
 そうは言われても、私は言葉を返すことはできなかった。すると、
「そう言われて翠が安心するとでも? ありがとうございますなんて言葉が返ってくると思っているなら、考えを改めて出直してくることを勧める」
 秋斗さんの背後から現れたのはツカサだった。
 こちらはブラックスーツの胸ポケットに藤色のポケットチーフ、襟に藤のピンブローチをつけている。
 暢気に観察などしてしまった自分がいけなかった。
 顔に視線を移した瞬間に目が合い、思い切り逸らす羽目になる。
 どうしようかと思っていると、
「会が始まる」
 ツカサは短く言い放ち、両親に会釈をすると私を見ることなく背を向けた。

「碧さんと零樹さんの気が知れない」
「なぁに? なんのこと?」
 憤り気味の唯兄に、お母さんがのんびりとした口調で答える。
「だって、藤宮に関わるだけでもリスク高いのに、こんなところに恩賜纏わせて娘献上するなんてさっ」
「おいおい、さすがに献上した覚えはないぞー?」
「似たようなもんじゃないですかっ」
「そうねぇ、そういう見方もあるわねぇ……。でも、中途半端に関わるよりも、ガッツリ関わってしっかり守られてるところ見せつけて、手ぇ出さないほうが身のためよ、って教えてあげたほうが親切だと思わない?」
「敵に向かって親切も何もないでしょうっ!?」
「あら……ずいぶん弱気ね? 天下の藤宮警備が」
 ヒールの靴を履いていても、お母さんの身長は唯兄よりも低い。物理的にはお母さんのほうが低いのに、唯兄が見下ろされている気がするのはどうしてだろう。
 唯兄は完全に圧されていた。
「それはそれはそれは……弊社をそこまで買ってくださりありがとうございます」
「私、唯よりも藤宮警備との付き合いも静との付き合いも長いのよ。このくらいなんてことないわ。くれぐれも、翠葉のことよろしくね? 静には、翠葉に傷ひとつでもつこうものなら覚えておいてねって言ってあるの」
 悠然と笑うお母さんから唯兄は後ずさる。
 後ずさりつつも、
「それって具体的にどんな?」
 唯兄の質問に口を開いたのはお父さん。
「色々考えたんだけど、何しろ相手は静だろ? さすが次期会長だけあって、探せど探せど弱みらしい弱みがないんだよね。やんなっちゃうよ、俺なんてウィークポイントだらけだっていうのに」
「で、結局何提示したんですか……」
「ん? 万が一にも、なーんてことがあったら湊先生と離婚してねって言ってある。それだけじゃ足りないから、会長職こなしつつ俺の部下になってこき使われてね、とも言っておいた。会長権限を有した静が部下にいたら色々便利だと思わん?」
 お父さんの言葉にびっくりしたのは唯兄だけではない。私も口元を覆うくらいには驚いた。
「ずっと碧を好きだった静がようやく結婚を決めたんだ。湊先生のこと、中途半端な気持ちなわけないし。それにさ、あの静が人の下につくなんて考えられないだろ? しかも、俺の部下とか。いやー、あり得ないわ」
「そうよね? 絶対手放したくないものを手放してもらって、なおかつプライドが許さないようなことを選ばないと」
 ケラケラと笑うお父さんの腕に軽く身を預けて笑うお母さん。お父さんはそんなお母さんを自分の腕に収納し、「ね」とリズミカルに笑った。
 唯兄は絶句したまま蒼兄と私の影に隠れる。
「ねぇ……あそこに狸がいる。いや、もしかしたら狐かもしれない……。どうしよう……。笑顔であざといことする人間なら身近に結構いるほうだと自負してたし結構見てきたつもりなんだけど、ここまでアレなのは初めてかも……」
「唯……それって褒めてないよな?」
「いや、ある意味最上級の褒め言葉だと思う。超真面目にっ」
「いやいやいや……」
 頭上で繰り広げられる唯兄と蒼兄のやりとりを聞いていたら、会場の端から華やかな曲が流れ始めた。
 それはパーティーの始まりを意味していた。

 朗元さんの誕生パーティーは、昨日の披露宴よりも披露宴っぽい。
 祝辞があったり主役の挨拶があったりなんやかや……。
 彩り鮮やか、ところにより煌びやかな料理に着飾ったたくさんの人。
 香水をつけている人が多いのか、色々な香りが混じっている気がした。事、甘ったるいフローラルの香りと料理の香りが混ざるととても残念な気持ちになる。
「匂い酔いしそう」とは唯兄の言葉だけれど、私も蒼兄も同感だった。
 辟易する私たちを横目にお母さんが笑う。
「香水のつけすぎは若い子にありがちな失敗だけど、ここ数年は多い気がしなくもないわね。……たぶん、藤宮の独身男性の気を引きたいお嬢様が多いんだわ」
 辺りを見回すお母さんに続いて唯兄も周りを見回した。
「それがひとりふたりならまだしも、こう何人もいたらたまんないよ」
 唯兄が私に抱きつき、髪に顔を埋める。
 そこでおもむろに深呼吸を始めたものだから、
「唯……怪しすぎるからそれはやめとけ」
 蒼兄に力ずくで剥がされ、唯兄はとても残念そうな顔をした。

 ステーションの二階部分はパーティー会場が大部分を占めるため、収容人数はそれなり。お父さんの話しだと二〇〇人くらいは入るそう。
 立食パーティーとは言えど、壁際には疲れた人が休めるように椅子も用意されている。しかし、まだパーティーが始まったばかりということもあり、座っている人はひとりもいない。
 私と唯兄は、乾杯が終わると早々に会場の後方へ逃れた。蒼兄も一緒に離脱したがったけれど、唯兄が華麗な話術で牽制した。にこりと笑って、
「あんちゃんは兄妹代表で零樹さんたちと一緒に挨拶回りしたらいいと思うよ。さっきリィから引き剥がされた仕返し!」
 そんなやり取りを見てお父さんたちは笑っていたけれど、ちゃっかりと唯兄の意見に賛同し、以前お世話になった人や藤の会と会長の誕生パーティーでしか会う機会のない人たちへの挨拶へ連れて行くことにしたみたい。

 椅子に座って一息つくと、
「ねぇ、本当に知らなかったの?」
「何を?」
「碧さんと零樹さんが恩賜所有者だったこと」
「うん、知らなかったよ? ……そもそも、高校と大学が藤宮出身というのは知っていたけれど、静さんみたいな知り合いがいることは、私が高校に入ってしばらくするまで知らなかったし……」
 唯兄は顔を覆い、
「もうやだ……何も聞かなかったことにしたい」
 カックリとうな垂れたところに、
「お飲み物はいかがですか?」
 唯兄の半身脇に立ったのは御崎さんだった。
「っつか、なんで総支配人がウェイターしてんですか……」
「細かいことはお気になさらず」
 にこりと笑ってトレイに並ぶ飲み物の説明をしてくれる。
 唯兄には甘いカクテルとフルーティーな味わいの白ワインを、私にはクランベリーの果実酢を豆乳で割ったものを用意してくれていた。
「なんで俺の嗜好まで知ってるのかなぁ……」
 唯兄はこめかみのあたりを押さえる。
 御崎さんはクスクスと笑い、
「それは唯芹様が唯芹様であられるからではないでしょうか」
 御崎さんの視線の先には藤色のアイテムがあった。
「ビップ待遇ってされたら気分いいものだと思ってたけど、意外と胸焼けするものだったんだ?」
 うんざりとした顔で同意を求められ、私は曖昧な笑顔を返した。

「ほら、これ見て?」
 手渡されたのはネクタイピン。ピンの裏面には三桁の数字が刻印されていた。
「恩賜にはシリアルナンバーが刻まれてる。服や布地にはシリアルナンバーが刻まれたプレートが縫い付けてある」
 そのシリアルナンバーから、何年何月何日に何代会長が誰に贈ったものなのかがわかるようになっているという。
 ふと思い立ち、唯兄にネクタイピンを返して自分のストールの裏側を見てみる。と、表地の裏にゴールドのプレートが縫いつけられていた。そこには唯兄の言うとおり、アルファベットとシリアルナンバーと思われる数字が刻印されている。
「間違いなく、ドレスの裏地にも同じプレートが縫い付けてあるはず。追加情報として――これは俺も認めたくないんだけど、通常、この手のものは一度にひとつ贈られるのが通例で、多くてもふたつ止まり。ネクタイピンにネクタイ、ポケットチーフと三点セットで贈られることはそうそうない。それから、三点以上身に着けている人もそうそういない」
 言われて少しの間、開いた口が塞がらなかった。
 三点以上というならお父さんとお母さんはどうなるのだろう。
 お父さんはベストにラペルピン、ポケットチーフ。お母さんはワンピースと毛皮のベストが淡い藤色だった。よくよく思い出してみると、エナメルのバッグとパンプスも藤色だったことに気づく。
「お父さんはともかく、お母さんは――」
 話の途中で唯兄に遮られた。
「リィ、零樹さんのアスコットタイは適用外だと思ってる?」
「え? 違うの? だって藤色よりは濃いし……」
「藤色を贈られるだけでも十分ビップ待遇なんだけど、紫紺は最上級の意味を持つ。藤色は次期会長にも贈れるものだけど、紫紺だけは現会長からしか贈られない」
 言われて思い出すのはお父さんのアスコットタイだけではない。お母さんの首に巻かれていたリボンも紫紺だった。
「ふたりが紫紺の恩賜を持ってるだけで眩暈起こしそうだったよ。しかも、あの口ぶりじゃ複数所持しててもおかしくない。もっとも、いくつ所持してるのかなんて知りたくもないけどさ」
 言うと、唯兄は持っていたグラスをぐいっとあおり、一気に飲み干した。

 本来なら誕生日である朗元さんにお祝いを言いに行かなくてはいけないのだろう。
 けれど、たくさんいる招待客を掻き分けて進む勇気はないし、今以上に人の視線を集めることにも耐えられそうにない。
 藤色を纏っているだけで人の視線を集めてしまうのに、藤宮の人の側へ行ったらどれほど好奇の目で見られることか……。考えただけでもぞっとする。
 今は会場の後方にいるからか、先ほどよりは見られる回数も減ってはきた。それでも、遅れて会場入りする人の目に留まると、「どちらのご子息ご令嬢でしょう?」と尋ねられるのだからたまらない。
「会長には申し訳ないけど、俺らはゲストルームで待機してようか?」
「そういうこともできるの?」
「できるできる。じゃ、移動するよー」
 唯兄と席を立ち会場をあとにする。と、出てすぐのところで御崎さんに声をかけられた。
「お嬢様、会長がお呼びです」
「え……?」
 まさかあの人だかりの中へ行かなくてはいけないのだろうか。
 出てきたばかりの会場を振り返ると、自然と口元が引きつった。
「会場ではございません。会長は休憩のため、一時的に退室なさっています」
「……今はどちらに?」
「レストランにいらっしゃいます」
「じゃ、俺も一緒に行く」
「申し訳ございません。会長よりお嬢様おひとりで、と承っております。レストランまでは私が責任を持ってお連れいたします」
 唯兄は御崎さんに視線を定めじっと見つめる。対する御崎さんは表情を変えることなく微笑んでいた。
 すると唯兄は息を長く吐き出し、
「リィ、ごめん……。この人、俺には突破できないっぽい。なんか、澤村さんと同じ匂いがする。俺、ゲストルームにいるから行っておいで」
 と見送られた。
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