人を咥えて竜が舞う

よん

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第1章

角笛を聞く少年 3

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 待避壕では壕守兵がもどかしそうに二人の到着を待っていた。

(あの壕守兵も竜の飛来を告げる角笛は聞いてへん。むしろ寝てたかもしれんのに、少年コイツの存在に気づいて慌てて角笛を吹いた……。そんだけコイツの耳は信用されてるんやな)

 ヒエンが少年に続く。
 最後に待避壕の中へ入った壕守兵が、重い鉄扉てっぴを閉めてそこに閂を掛けた。
 扉には避難解除の角笛が聞こえるよう小さな複数の穴が開いている。
 当然、これは空気穴も兼ねている。

 大きく安堵の息をつく壕守兵、少年の肩をポンポン叩きながらヘラヘラ笑う。

「いやあ、ダスト。今日もありがとよ」

 ダストと呼ばれた少年はニコリとも笑わないが、壕守兵はおかまいなしだ。

「海岸警備を免れてここに配属が決まったのはラッキーだったが、こうしてただ竜を待ってるだけの仕事がこんなにツラいものとは夢にも思わなかったぜ」
「だからってアンタに毎日毎日居眠りされてたんじゃ、こっちはオチオチ畑仕事もできやしないよ」

 地べたに座り込んでいる太った農婦が、手拭いで首回りを拭きながら不平をぶつける。
 そうだそうだと周囲の人間が続く。

「こっちは居眠り兵を食わすために高い税金納めてんじゃねえぞ」
「イニア公に嘆願書でも出そうか? ゾルの野郎を減給にしろって」

 どっと笑いが起こる。
 彼らの抗議の声に憎しみは含まれず、親しみすらこもっている。

「いや、しかしこっちの身にもなってみろよ」

 壕守兵ゾルは悪びれた様子もなく弁解する。

「日中はこうして待避壕の前で立ちっぱなし、夜になれば新しいカミさんに興奮して立ちっぱなし、これじゃ疲れてウトウトするのも無理ねぇって」

 待避壕の中はまるで宴会場のように笑いの渦に包まれる。
 緊張感がまるでない。
 こうしている間にも、確実に一人の人間が竜に咥えられ連れ去られようとしているのに……。

 ゾルが着用している赤いサーコートだが、その心臓部には不穏な刺繍が施されてある。
 精霊を踏みつけた竜、そして竜を剣で突き刺す人間の腕、という構図だ。
 これは精霊と竜に打ち勝ったシバルウ王を称える紋章である。
 サーコートの染色はシバルウ王国に仕える四つの公国を表しており、赤はイニアで青はナニワーム、緑はテフランドで黒はザール、そしてシバルウ王国直轄領は白と定められている。
 紋章は人類の自己欺瞞の象徴でしかなく、実際にシバルウ王を含む人類の実力は竜や精霊に到底及ばない。
 けれど、シバルウーニ全土を制覇した時の王シバルウ一世は、それまでの精霊信仰を否定しヤヨロス教徒を弾圧さえした。
 自らを聖生神として唯一絶対の教祖となったシバルウ一族は、以来三百年以上も政教の頂点に君臨している。
 人類はただの人間に過ぎない存在を厳かに神として崇めるようになったのだ。

 その権威を示す紋章をつけたイニア兵が、卑猥な話で民衆の心を掴んでいる。
 竜の脅威に晒されながらも、感覚の麻痺した人類の代表格のような男だ。
 がさつなヒエンは上品とは程遠い女だが、それでいて艶笑譚は大嫌いだった。
 ゾルの猥談は不快でしかなかったが、彼女以上に横にいるダストはもっと辛そうだった。
 一刻も早くここから離れたがっているのは明白で、小動物のように震えながら扉の外を覗いている。

(妙やな)

 ダストこそが彼らを一足早く待避壕に導いた恩人であるのに、目下の危機が過ぎれば用なしなのか誰一人として彼に感謝の言葉を贈ろうとしない。
 礼を言ったゾルでさえも、ダストをまるで便利屋として扱っているのが手に取るようにわかる。
 彼に備わる人並み外れた聴力が仇となり、結果的にここにいるみんなから疎外されているのだろう。
 性格上、こうしたウジウジした雰囲気は大の苦手だった。
 
「ウチはヒエンや。ヒエン・ヤマト」

 いきなりの自己紹介にダストは面食らう。

「……僕に言ってるの?」
「当たり前や。オマエしかおらんやないか」

 ゾルはみんなの前で夜の営みについて熱く語り、更なる卑劣な笑いを取っている。
 誰も便利屋とよそ者のことなど眼中にない。

「ダストはナニワームに行ったことあんの?」
「な、ないけど」
「そか。……ちょい見して」

 ヒエンはダストを押しのけて、鉄扉の小さな穴を覗き見た。

「竜、見えんな」
「見たいの?」
「アホ、見たいわけないやろ。飛び去る姿をこの目で確認したいだけや。ウチはこんな陰気くさい場所とこはよ出たいねん」

 アホ……。
 初対面なのに何て失礼な言い草だ。
 ムッとして黙り込むダスト。
 しかし、無神経なヒエンは矢継ぎ早に言う。

「ナニワームは島国やから、竜の飛来は角笛やのうてノロシで知らせるんや。何でかわかるか?」

 無視しようとしたもののダストはつい圧倒されて、

「え? な、何だろうね?」

 そう答えてしまった。
 この中途半端な返事はヒエンのお気に召さなかった。

「はぁ? 『何だろうね』て何やねん! ウチがクイズ出したってんのにちょっとは真面目に考えんかい!」

 ダストはためらいながらも懸命に答えを絞り出そうとする。

「え、えーっと、竜が来るのがノロいからノロシ……とか?」
「ダジャレちゃうわ! こっちはマジのマジでクイズ出しとんねん!」
「え、あ……何だろうね?」

 イラッとしたヒエンはダストの胸倉を掴んで耳元で囁く。

「次、それ言うてみぃ。グーで殴ったる」

 固く握りしめたヒエンの拳に恐れつつあれこれ考えてみるが、ダストはやはり答えを見出せなかった。

「……ヒ、ヒントないの?」
「ヒントて! 何ちゅうあきらめの早いやっちゃ。もうえぇわ。ウチもそこまでクイズ引っ張るつもりなかったし」

 ダストを乱暴に放したヒエンは腕組みしながら教えてやる。

「ナニワームは小さな島やから波風がすごいんや。イニア港と比べもんにならんくらいうるさいから角笛なんか聞こえへん。そやからノロシ上げて竜の飛来を知らせるんや。……まあ、ダストの聴覚やったらナニワームでも角笛は通用するやろけどな」

 ダストはそれについて感心したような表情を見せたものの発展性のない無言を貫いたので、イラついたヒエンは再び右拳を固めた。

「わからんか? そっちが黙ってしもたら場が気まずうなるやろ! ウチは別にお喋りやないしオマエなんかと仲良うなりたくもないけど、喋り掛けられたら喋り返さんとここから出てサヨナラするまで間が持たんやんけ!」

 最初に喋り掛けてきたのは相手の方である。
 この勝手な言い分に、ダストもムッとせずにいられなかった。

「だ、だったら僕に声なんか掛けなきゃいいじゃない!」
「お、生意気に口答えすんのか? オマエ幾つやねん?」
「十三」

 ダストはぶっきらぼうに答える。

「見た目通りやっぱし年下やんけ。ウチは十八や。目上の人間には敬語つかわんかい」

 そう指摘するヒエン自身、敬語で喋った経験はゼロなのだが……。
 ダストはそっぽ向いて不平を洩らす。

「イヤだよ。僕は誰とも話したくないし、そもそもそっちから話し掛けてきたんじゃないか」
「忘れたんか? 最初の最初に話し掛けたんはオマエの方やで」

 あっ、とダストは思い出した。
 確かに避難するよう最初に接触したのは自分だった。
 だからと言って、あの状況とこの場は全くの別物だ。
 人命救助による声掛けは必要だが、時間潰しの雑談など無駄口でしかない。
 反論すべく、ダストが言葉をまとめようとしていた矢先である。

「ウサギでも狩るんか?」

 これまたヒエンの先制攻撃を食らってしまう。
 拍子抜けしたダストは、もはや腹を立てることが馬鹿らしくなった。

「アナグマとかリスもね」

 ヒエンはダストの弓を奪い取り暫し観察した後、持ち主に「ん」と返す。

「よう使い込んでるな」
「僕が獲物を捕まえないと母さんが困るんだ。夕食を提供できないから」
「飯屋?」
「宿がメインだよ。ひどいオンボロだけど」

 ふぅんと相槌を打ったヒエンは、再び扉の穴を覗き込んだ。

「もうすぐ日が暮れてまう。……う~ん、しゃあないな。ここ出たら今晩はダストんとこ泊まったるわ」
「え……」

 思わず絶句する。
 客は大歓迎だが、こんなデリカシーのない人間はお断りだ。
 物静かな母さんだっていい顔はしないだろう。
 ダストはヒエンの宿泊を遠回しに拒絶しようとしたタイミングで、扉の外から避難解除の角笛が聞こえてきた。

「お、これって解散の合図やんな?」
「そうだけど……」

 ん~、と大きく伸びをしたヒエン。
 驚くべきことに、壕守兵以外は外してはいけない閂を勝手に外し、開けてはいけない鉄扉を勝手に開けてしまった。

「ほな、行こか」
「……ちょ、ちょっと待ってよ!」

 それまで談笑していた壕守兵や避難民が振り返った時、ヒエンとダストの姿は既になかった。
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