人を咥えて竜が舞う

よん

文字の大きさ
上 下
31 / 57
第5章

テフスペリア大森林 7

しおりを挟む
 三日目の午後、四人は順調に歩を進めていたかに思えたが、やはり相手は仕掛けてきた。
 変わらない景色に重くのしかかる疲労がパーティを寡黙にさせていたが、

「――ッ! 来るッ!」

 カッと目を見開いたダストが矢継ぎ早に続ける。

「三人の盗賊がものすごい勢いでこっちに走……い、いや、それだけじゃない! 彼らを殺そうとしている何かが吠えながら追いかけてるッ! 大きいッ! そして早いッ!」

 一行に戦慄が走る。

「見て来るにゃ!」

 ブーツから短剣を抜いたモブラン、あっという間に三人を残して駆けていく。

「おそらく熊だな」

 そう呟くユージンにダストも同意して頷く。

「おかしいぜ。熊の扱いに慣れてる森の住民が三人も揃って……」

 言葉を切ってからユージンは気づいた。

「わかった! 三人揃ってオレ達の居所に熊を誘導してやがるんだ!」
「ウチらの始末は熊に任せて、当人らは高みの見物ってわけやな」
「ああ」

 ユージンはそう返事しながら、背中のバックパックと鍋盾を地面に置いて戦闘態勢に入る。
 ヒエンもマントとバックパックを背中から外し、黒帯から一束の麻縄を手に取った。
 ダストはロング・ボウを地面に置き、背中の矢筒から矢を一本抜いてショート・ボウに番える。

「下がってろ」

 ユージンは二人を背にして立つ。

「オマエらの出番は他にあんだろ? 折角だが、麻縄や弓矢は熊に通じねぇよ」

 ユージンの言う通りだった。
 ヒエンは麻縄なんかで熊と対峙しようとした自分が恥ずかしくなる。
 しかし、ダストは弓を構えたまま「援護射撃くらいならできる!」とアピールする。

「よしな。逆に怒らせるだけだ」

 ユージンがそう言った途端、目の前に三人の盗賊が必死な形相で風の如く現れる。
 彼らは見事に役目を果たした。
 機敏な動きで一人、また一人とそれぞれ身近な木の枝へ身軽に登って一仕事終えた涼しげな顔でユージン達を見下ろしている。
 しかし、三人目がそれに続こうとした時、茂みに潜んでいたモブランがいきなり飛び出して相手の首筋をバゼラードで斬り裂いた。
 真っ赤な鮮血に驚く暇もない。
 不意討ちを食らって倒れた盗賊の頭をグシャリと踏みつけた巨大な熊が、大鎌のような五本の爪でモブランを襲う。
 モブランはそれを間一髪のところでかわすと、リスのような動きで二人の盗賊のように別の木の枝に避難した。
 ヒエンとダストは悔しそうに咆哮するその熊の大きさにも驚いたが、それ以上に熊の体中に刺さった無数の矢の数に言葉を失ってしまった。
 三人の盗賊に攻撃されたのだろうが、その熊は怒り狂っているだけで少しもダメージを受けていないように見える。

「……な?」

 ユージンは振り向きもせずにダストに言った。
 ダストの両手がガクガク震えている。
 狩りの最中、稀に熊と遭遇することはあったが、これほどの大物はいまだかつて見たことがない。
 熊が棲息しないナニワーム生まれのヒエンも、その迫力に恐怖を感じずにはいられなかった。
 シーリザードより断然大きい。
 熊は二本足で立ち、なおも木の上のモブランに前足を伸ばして襲いかかる。
 盗賊ほどではないが、熊も木登りは得意である。

「オイ、熊公! オメエの相手はこっちだぜ!」

 ユージンがそう叫ぶと、熊の両耳はピクリと動いて新たな標的に大きな体を向けた。
 熊は逃げる者を追いかける習性があり、盗賊団は巧みにそれを利用したのだが、逆に相手に目を向けられると一瞬動きを躊躇する。
 元来、臆病な熊の頭によぎるのは苦しまぎれに相手を襲うかそれとも逃亡するかだが、この場合は怒りで我を忘れているので攻撃の一択となる。
 ユージンの方からジリジリと間合いを詰めていく。
 熊はむしろ後ずさりしている。
 固唾を呑んで見守っているのはダストやモブランだけではない。
 木上の盗賊達もユージンの動きに注目している。
 そんな中、ヒエンだけがこの状況を歯がゆい思いで見ていた。

(……クソ、何でウチはこんなに無力やねん! ウチにできること、ウチにしかできんことはないんかッ?)

 横のダストはまだ震えが止まる様子がない。
 モブランは熊のすぐ後ろの木上で戦況を見守っている。
 それから数本先の手前の左右の木に一人ずつ、敵の盗賊がモブラン同様に熊とユージンの次なる動きを注視している。

(ウチだけが全体を見れてる……。ウチに熊は絶対に倒せん。倒せるんならアイツらやな)

 しかし、ヒエンにはそのアイデアが浮かばない。
 ユージンと熊は膠着状態が続いている。
 これ以上ユージンが前に出れば、熊も突進してきそうなギリギリの距離感で睨み合っている。
 その時、ヒエンはユージンが右のガントレットで何かを包み隠しているのに気づいた。
 それはヒエンも目にしたことがある物だ。

(ユージンの作戦読めたでッ! 勝てるッ! ウチが考えなあかんのはその後……クソ、クソ、何か出てこい!)

 相変わらずダストは弓を構えたままだが、熊に圧倒されてとても放てそうにない。
 背中の矢筒にはまだ大半が残っているが、それも射なければ無意味である。

(……敵は?)

 ふと、ヒエンが二人の盗賊の矢筒を見る。
 すると、そこには一本も矢が残っていなかった。

(熊や! アイツら、熊に全部使うてしもたんや!)

 彼らにしてみれば、矢を使い果たしたのは計算外だったろう。
 それだけ熊の威圧感に圧倒されて、無駄な矢を射てしまったのだ。
 だとしたら、接近戦に持ち込めば勝機は大いにある。
 ただ、その方法が相変わらずヒエンには浮かんでこない……。
 ヒエンが思案している最中、膠着状態に痺れを切らした熊が森中に轟くほど哮り立ち、ユージン目掛けて猛烈なスピードで突っ込んでいった。
 だが、ユージンは動かない。
 ギリギリまで相手を引きつけた上で、ユージンは右手のレッドペッパーが入った小瓶を熊の双眼に向けて振りかけた。
 必然、大きな喚き声を上げて熊の動きが止まる。

(今だッ!)

 ユージンの左手が熊の急所である鼻っつらを掴み、何と力任せにそれをもぎ取った。
 熊がのたうち回って苦しんでいる。
 もはや戦意喪失の熊の背後に素早く回ったユージンは、太い腕で熊にバックチョークを極める。
 熊がもがけばもがくほど、ユージンの腕が深く食い込んでいく。
 既に鼻を失った熊は、更に気管を締められて全ての呼吸の術を失っている。
 やがて、熊は徐々に口から泡を吹き出した。
 勝負あったと、ヒエンは次にやるべきことを本能的に思いついた。

「ダスト! 右のヤツを射ろ!」

 涙目のダストは震えながら首を振る。

「……ダ、ダメだ。絶対に当たらないよ」
「むしろ外せ! 射るのはウチが動いた瞬間……それッ!」

 その合図に、混乱のままダストはろくに狙いも定めず弦を引いた。
 思った通り見当違いの方向に矢は飛んだが、標的にされた盗賊は陰惨な熊の殺戮劇を目の当たりにして完全に無防備状態だった。
 矢が飛んできた時、下りる必要もないのに反射的に木から飛び降りてしまう。
 と、相手の動きを読んでそこに先回りしていたヒエンが、盗賊の脇腹に強烈な左ミドルをお見舞いした。

「うぐッ……」

 うつ伏せになって苦しんでいる盗賊の上に乗ったヒエンは、後ろに回した右手首と首、更に左足首を麻縄で縛って身柄の拘束に成功した。
 ヒエンの動きに機転を利かせたモブランも仕掛ける。
 もう一人の盗賊の首筋を自慢の改良型スティレットで難なく刺し殺す。
 皮肉にも彼らは自分達が持ち込んだ熊によって、逆に自分達の隙を相手に見せてしまう結果になった。

 静寂の中、ゴキリという鈍い音がする。
 とどめとばかり、熊の首の骨を折ったユージンは周囲を見回しながらゆっくり立ち上がると、仲間達の予想外の働きに感嘆してヒューッと息を吹いた。

「オメエら、なかなかやるじゃねぇか」
「ユージンほどやない。自分より一回り以上デカい相手に秒殺やんか」
「やり方としちゃ邪道だが、熊を仕留めるにはこれしかねぇんだよ。一撃食らった時点で致命傷は免れねぇからな」

 ユージンは改めてモブランが殺した二人の盗賊を見た。
 熊に踏み潰された方はわからないが、二人目は的確に急所を突いている。

(タダ者じゃないとは思っていたが、まさかここまでの腕前とはな……)

 その時、ヒエンに捕らえられた盗賊が「ククク……」と笑い出した。
 口髭を生やしているが肌はまだ若い。
 ヒエンとはそう年齢が離れていない。
 うつ伏せに縛られた男の視線は、眼鏡を掛けた童女に向けられていた。

「……まさかとは思ったが、やはりリナフじゃないか。生きてやがったのか? 目はどうやって回復したんだ?」

 昔の名前で呼ばれたモブランは大きい眼鏡を触りながらほくそ笑む。

「答える気はないね。それより兄さん方、揃いも揃って動きが鈍くなったんじゃない? 不摂生で腹が出てるよ」

 モブランは「にゃ」という語尾を使わずに発言した。
 まるで別人だ。

「オマエ達の目的は何だ? アギの親父を討ちに来たのか?」
「フン、アギなんざ眼中にもないよ。兄さん方が仕掛けて来なければ、こっちは盗賊団に刃を向けることもなかったのに」
「侵入者は例外なく排除する。それが我らのルールであることは知ってるだろう?」
「ルール無視の蛮族が何を言うんだ? そのルールに則れば、裏切り者の私が受けるべき罪は捕まったその場で絞首刑だったはず……」
「目玉を潰されたことを根に持ってるのか? それはリナフ、オマエ自身が選択したんだろ。おとなしく、オマエが逃した女の代わりにアギの親父に抱かれてりゃ殺されずにす……ウグウウウウウウゥッ!」

 我慢の限界だった。
 盗賊に馬乗りになっていたヒエンが渾身の力を込めて相手を絞殺し終えると、目の前のモブランを見て頭を下げた。

「……ごめん。オマエの代わりに殺してしもたわ」
「ヒエン、ありがとにゃ」

 モブランはすっかり元に戻って、ニコリと笑いながらヒエンに抱きつく。

「死んだリナフも喜んでくれてるにゃ」

 別人格として生きるために、モブランは意図的に今の喋り方になったのだとヒエンは悟った。
 ヒエンも笑いで応じながらいたいけな童女をギュッと抱きしめたが、その心中は穏やかでなかった。
 どういう理由であれ、自分は人を殺めてしまったのだ。

(もうウチにはケダモノの血ぃしか流れてない。とてもハタチまで待てんわ)

 ヒエンはハリネズミのように矢が刺さり、急所の鼻までもぎ取られた熊の無残な屍骸を見て心が痛んだ。
 自分自身が殺した男に対しては少しも哀悼の念を抱かなかったが……。

「熊には何の罪もねぇんだ。傲慢な人間の都合によってコイツの命は弄ばれちまった」

 ユージンもヒエンと同じ気持ちだった。

「せめて、コイツを供養するため熊鍋にして食ってやりてぇところだがそうもいかねぇな。すぐにでもこの場を離れねぇと、オレ達まで狼の餌食になっちまう」

 改めて周囲を見渡すと、そこは人と熊の血の海だった。
 狼や野犬がこの臭いを嗅ぎつけてやってくるのは時間の問題である。
 ヒエンは甘えるモブランを優しく離して、まだ硬直して動けないダストの前に立つ。

「衝撃が強すぎたか?」

 ダストの頬に涙が伝う。
 母親が死んで間もなく、変わり過ぎたこの環境に少年はついてくるだけで精一杯だったのかもしれない。

「ウチもこんな冒険は初めてや。道場で弟子相手に組み稽古してるんとは全然ワケが違う。だからオマエの気持ちがようわかるで」
「僕……無理だ。みんなのように戦えないよ」
「ユージンやモブランはこんな修羅場を何度も潜り抜けてきたんや。普通の人間と一緒にしたらあかん」
「でも、ヒエンは?」

 普通の人間だというヒエンはたった今、人を殺したじゃないか、という目。
 ヒエンはそれを真正面から受け止める。

「……前にも言うたけど、ウチは残された時間を強いまんま生きる。そのためには殺人もする」

 ダストは黙ったまま、ヒエンの言葉を待っている。

「そやけど、ダストにそれを強要するつもりはない。オマエはウチらの近くにおって聞こえることを教えてくれるだけで十分なんや」

 いつの間にか、モブランがダストの横に立って少年の手を握っている。

「ダストもありがとさんにゃ。みんな、モォの大切な仲間なのにゃ」
「モブラン……」

 と、そこに、

「おい、ダスト」

 熊の返り血を浴びたユージンが、ヒエンを押しのけてダストの前に敬礼のポーズで立った。

「オメエのおかげでこうして全員無事に喋ってられる。ザール兵に倣い、こうして感謝の意を表するぜ!」
「ユージン……」

 その振る舞いに感激するダスト。
 それを確認したユージンは踵を返し、バックパックと鍋盾を拾いながら訊く。

「……んで、ダストよ。腹を空かした狼の群れはこっちに向かってんじゃねぇのか? いつまでもメソメソしてんじゃねぇぞ!」

 その変わりようにダストは涙を拭って答える。

「大丈夫。今はユージンの凄まじさに脅えて近づけないみたいだよ。急ぐに越したことはないけど」
「ほんなら早いとこ退散や」

 バックパックとマントを身につけたヒエンはダストのロング・ボウを拾おうとしたが、

「いいよ、ヒエン」

 と、自分でそれを掴んだ。

「悔しいな。ヒエンの前で二度も泣いちゃった。……次はヒエンを泣かせてみせるから」

 ヒエンはフフンと鼻で笑う。

「ウチは手強いで。七歳の時に泣かんて決めたからな。次に泣くのもオマエやで」

 その金髪をグシャグシャにして、ヒエンは先を行く。
 ダストとモブランはずっと手を繋いだまま、この日が終わるまで歩き続けた。

「……フィルク」

 ダストがポツリとそう呟いた時、モブランは首を傾げて訊く。

「フィルクがどうしたにゃ?」
「いや……何でもないよ」

 何でもなくはない。
 ダストはそれがとても大事なことだと気づき始めているが、今のところどうしてもそれが思い出せないでいる。

(遠い遠い記憶を辿らないと……)
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

婚約破棄されたけど前世が伝説の魔法使いだったので楽勝です

sai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:4,174pt お気に入り:4,191

丸いおしりと背番号1と赤いサラサラ髪

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:13

龍馬暗殺の夜

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:1

規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,885pt お気に入り:144

婚約破棄させてください!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,388pt お気に入り:3,015

そうです。私がヒロインです。羨ましいですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:111

俺を裏切り大切な人を奪った勇者達に復讐するため、俺は魔王の力を取り戻す

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:4,587pt お気に入り:96

異世界迷宮のスナイパー《転生弓士》アルファ版

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:518pt お気に入り:584

処理中です...