人を咥えて竜が舞う

よん

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第6章

チルの会議 3

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 ヒエンはその意味が本当にわからなかった。
 目の前の女は高慢だが、人をからかうような性格ではない。
 混乱するヒエンに「もしかして!」と目を丸くさせたのはダストだった。

「ヒエン! 護身術のことを言ってるんじゃない?」
「あッ!」
「あなたはなかなか聡明ですね」

 チルはニコリと笑って、ダストの頭を撫でようとする。

「触んな、汚らわしいッ!」

 虫酸が走ったヒエンはその手を乱暴に叩き、

「どけッ! 誰がオマエなんかに教えるかッ!」

 チルを押しのけた。
 よろめいたものの、気丈なチルはなおも扉の前に立ちふさがる。

「あなたはナニワームで手紙を読み、護身術を私に教えると承諾したからここへ来たのでしょう? ならば、それを実行なさい」
「護身術はタダの口実やろ! ウチはそれわかってて連絡船乗ってここまで来たんや。ウチらはオマエが望む通り、海トカゲを生け捕りにした! もうそれでお役御免やろがいッ!」
「私はこの城内ではとても敵が多いのです。今回の件でその敵は一気に増えて、いよいよいつ暗殺されてもおかしくないところまできています」
「その前にウチが殺したろか?」

 殺気立つヒエンの表情に、チルはやや顔を引きつらせる。

「……穏やかではありませんね」
「ウチはもう何の抵抗もなく人を殺せる。テフスペリアでそんくらいの経験してきたんや。……そもそも、オマエは腹くくって勝手に行動してたんちゃうんか? 敵が多いとか今更何ビビッとんねん!」

 喋れば喋るほど、目の前の女に対して怒りが増してくる。
 ユージンが離れてしまった今、ヒエンを止めるのはダストしかいない。
 けれども、年少のダストは女同士の言葉による応酬に口をはさめないでいた。

「あなたに言われるまでもありません。近いうちに何らかの形で私は死ぬでしょう。ただし、それが今であっては絶対にならないのです。理解していただけますか?」
「知ったこっちゃない。それはオマエの問題であってウチの問題やない。さんざん好き勝手にやっといて、この期に及んで保身を図ろうなんて虫がよすぎるとは思わんか?」

 チルは探るように、ヒエンの覚悟に満ちた目を見つめている。

「……なるほど、あなたは私同様に死を意識している。自暴自棄での発言ではありませんね」
「分析通りや。むしろ死に場所を探してるくらいやし。ここでオマエと道連れでもかまわん」

 それを聞き、悲壮な顔でダストはヒエンにしがみついた。

「ヒエン! ダメだよ、そんな風に考えちゃ! いろいろあったけど、僕達は今こうして生き残ってるんだ! だったら、もっと自分の命を大切にしないと!」
「……ダスト」

 一転、ヒエンは優しい顔つきになって、今にも泣きそうなダストのサラサラ髪を撫でてやる。

「ありがとな。でも、もう自分の中では答えが出てるんや。あの"生死の境界"でダストが言うたよな。……その通り。ウチはもう死ぬ覚悟ができてる。ウチはオカンが死んだ年齢を越えたくない。予定よりちょっと早まったけど、それを残念とは思わん。オマエが幸せに生きてくれたらウチもこの世に未練はない」
「ヒエン! 死んじゃイヤだッ!」

 ヒエンにワッと抱きつくダスト。
 それを見たチルは口元を隠してクスクス笑う。

「ヒエン、あなたは本当に愚かですね。わざわざ自分の弱点を晒すとは」
「……どういう意味や?」
「あなたが今、自分の口で言いました」

 チルはダストを指さす。

「私に従わなければ、その少年を殺します」
「……な、何やてッ?」
「当然、あなたが先に私を殺してもその少年は生きてここを出られないでしょう。……それでもかまわないならば、どうぞ好きになさい」

 そう言い終えると、扉の前から離れたチルは涼しげな顔でヒエンの出方を待っている。
 選択肢はなかった。
 あれだけ滾っていた怒りも、小動物のように自分を見つめているダストを思えばここは相手に合わせるより他はない。
 チルには到底敵わない……。
 屈服したヒエンは何も言えず、その場に力なくしゃがみ込んだ。

「安心してください」

 ヒエンに勝利したチルは、その余韻に浸ることなく話を進めていく。

「二人を拘束する日数はさほど長くありません。護身術云々はあなたが城内にいる名目上の理由に過ぎず、実際は私がこの居館を離れる時に警護するだけでいいのです。……それに」

 チルは立ち上がれないヒエンの前に立った。

「シーリザードが人に返れば私はその日のうちに会議を招集し、そこで世界が引っ繰り返るような重大発表をします。二人には特等席でそれを聞いてもらうことになるでしょう。……場合によっては、ヒエンが望む最高の品を提供できるかもしれませんよ」

 含みを持たせるチル。
 それがどういう意味なのか、今のヒエンには考える余裕もなかった。

「奥に寝室があります。ベッドは二つ。この客間同様、好きに使いなさい。私と行動する以外、あなた達はこの扉の外に出ることを禁じます。ミリが細かい世話をします」

 まくしたてるように一気に話すとチルは扉を開け、控えていた衛兵に導かれて自室へと下がっていった。

 チルと入れ替わるように、ミリという中年の女が入って来た。
 ヒエンが最初にここへ来た時に一度会っている。
 真っ白な絹の服と金の装飾品を体中に巻きつけた従者だ。
 そのミリが無愛想に皮肉を述べる。

「蜂蜜酒をご用意しましょうか?」

 呆然としゃがみ込んだヒエンの代わりに、ダストが「いえ」と首を振る。

「用ができたら呼びます。今は大丈夫」

 ダストのその言葉に、ペコリと一礼してからミリは扉を閉めて退室する。
 目線が合うようにその場にひざまずいたダストは、魂が抜けてしまったようなヒエンを抱きしめて詫びた。

「ヒエン、ごめん。僕のせいで……。でも、僕は絶対にヒエンを死なせたくないんだ。だから、チル臣長には感謝してる」
「……悔しいんや。ただただ悔しい」

 ヒエンはやっと声を出した。
 精神的支柱であるユージンを失った直後、年上の女にいいように蹂躙されたことで、ヒエンは生きることが本気でイヤになっていた。
 それでいて、チルの策略とダストの懇願で死ぬことすら阻まれている。
 ヒエンはダストを離してゆっくり立ち上がる。
 よろよろと寝室へ向かうヒエンの後ろ姿に、ダストは自分の弱さを痛感する。

(こんな時、ユージンやフィルクならどうしていただろう。大好きな人を慰めることさえできないなんて……)
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