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第6章
チルの会議 7
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長い眠りから目覚めた時、ベッドの横に腰掛けて書物を開くチルを確認したヒエン。
不思議と違和感を抱かなかった。
むしろ予感めいたものさえあった。
カーテンは開いたままだった。
そこから朝日が無遠慮に射し込んでいる。
「お目覚めいかがですか?」
書物を閉じたチル、微笑みながらヒエンに声を掛ける。
昨日までとは打って変わって、まるで聖母のような優しい笑顔だ。
気のせいかもしれないが、そこからは好意さえ感じられる。
「サイアクや。標本にされたみたいな眠りやった」
ヒエンは起き上がらないまま、天井を見てそう呟く。
「ずっと激しくうなされていましたよ」
「オマエが横におったからやろ」
ヒエンの嫌味に毒はない。
何の感情もそこには含まれていなかった。
「すまんな。道着のままで寝てしもたわ。まあ、コレ脱いで肌着でも臭いけどな」
「それくらい別にかまいませんよ。ユージン・ナガロックはそこで嘔吐しましたから」
(ア、アイツ……)
ヒエンは思わず顔をしかめる。
それを聞いてすぐにでもベッドから離れたかったが、気だるい虚脱感でなかなか起き上がれない。
標本の延長である。
すぐ側にはチルがいる。
昨日までは殺したいくらい憎たらしかった女だ。
だが、今朝のヒエンに殺意はない。
それが何故だかわかるような気がする。
チルに昨日までの強烈なオーラがないからだ。
彼女はもはや抜け殻同然だった。
どこにでもいる女中と同じように、優しさ、弱さ、儚さしか感じられない。
「静かな朝やな」
「さっきまで城内は騒然としていました。竜が主城に来ることなど、そうそうありませんものね」
「オマエのやりたいことは全部終わったんか?」
ヒエンの問いかけに、チルは「終わりました」と素直に答える。
「あなたはもう用済みです。そして、この私も……」
チルの小胆な発言に、ヒエンは今こそ本音で語り合える気がした。
「オマエの本当の狙いは何や? 正直、人類の行く末とか、シバルウ王朝の繁栄とかどうでもええんやろ?」
チルはクスクス笑う。
「やはり、バレていましたか。……そうですよ。私はクイーンの手下として、主城に乗り込んだ工作員です。"世界の均衡"とは精霊と竜が暮らしていた時代のことで、聖生神に仕えながら人類を滅亡に追い込むように動いていたのです」
「ヤヨロス教徒か?」
「違います。宗教は人類が安らぎを求めるために作り出した弥縫策の産物です。そのようなものに私は傾倒しません」
「皮肉な話やな。オマエを巫女頭に据えた聖生神が聞いたら即死モンやで」
「実際はしぶとく生きてますけどね。あの男も所詮は俗物です。子供だった私を玩具にしてさんざん楽しみました。"巫女頭"とは慰み者の代表という地位……工作活動の一環とはいえ、私はそれを死ぬほど恥じているのです」
チルの目に鋭さが戻る。
だが、それはほんの一瞬だった。
「失言や。身分が国王やなかったら、ウチのオカンを襲ったヤツらと大して変わらんな」
ヒエンの発言にチルは目を潤ませる。
「今でも忘れたことはありません。あなたのお母さん――サナコ・ヤマトは私にとって永遠のヒロインなのです」
「……ッ!?」
ヒエンがハッとしてチルの方に顔を向ける。
「オ、オマエ、もしかして……オカンが漁村に助けに行った女の子か?」
「気づいていなかったのですか?」
チルは逆に驚いたが、すぐ我に返る。
「私の本名はミチルです。ミチル・ハヤテ……ナニワームでハヤテ姓はたくさんいます。あなたが私をナニワーム出身だと指摘したあの時、私は心臓が止まりそうでした。それに、最初にあなたを見た時も……。あなたは私の思い描いていたヒロインの生き写しでした」
それを聞いたヒエンは唖然としたものの、すぐにそれを信じることはできなかった。
「その憧れやったウチのオカンを強姦に襲われるよう陥れたんか?」
「とんでもない! 違います!」
興奮したチル――ミチル・ハヤテは思わずムキになって立ち上がる。
「信用してもらえないでしょうが、私はとても凛々しいサナコ先生に憧れていて、ヤマト流捕縄術の道場に通っていた過去もあるのです。……実家が貧しすぎて指導料は払えませんでしたが、代わりに網に入れた寄せ集めの海草や僅かばかりの小魚を受け取ってもらい、特別に稽古をつけていただいたのです。そんな私にでさえ、サナコ先生はとても優しくとても丁寧に接してくれました。短い間でしたが、あの道場でサナコ先生から直接指導を受けた日々は、私の生涯で最も幸せな時期でした」
目を閉じたミチルは重ね合わせた両手を胸に当てて当時を懐古している。
ミチルは読書などしていなかった。
ヒエンの寝顔をずっと覗き込んで、サナコの思い出と照らし合わせていたのだった。
「……疑って悪かったな」
ヒエンはようやく起き上がったものの、依然としてベッドから離れられない。
まだ眠り薬が効いているのか、手足が自由に動かせない。
ミチルは涙を浮かべながら告白を続ける。
「あの頃はこんな私でもまだ人間の心を持っていたのです。しかし、あのおぞましき事件を目の当たりにした時から、生きる希望の全てが私の中で崩落してしまいました。私のせいで、あなたのお母さんは廃人になってしまったのですから。そして、サナコ先生があなたを産んだ直後に自殺してしまったことを知った時、私はもう生きていくのがイヤになり、竜に訴えたのです。まさか、本当にやって来るとは思ってもいませんでしたが……」
「クイーンの手下になったんはいつからや?」
「聖生神に仕えた頃からです。クイーンズ・ブレスを浴びてシーリザードに変身した時、既にサナコ先生の人生を奪った私は、意地でもこれ以上人間に危害を加えないようにしようと心に誓ったのです。だからこそ無人島での餓死を望んだのですが、皮肉なことに、私はそこで人の姿へ戻ってしまいました。そして私はまたもや、人間の醜さに触れてしまうのです。真顔で人身売買する海賊達、単なる変態親父でしかない名ばかりの聖生神、主城内における賎劣な権力闘争……。人間である私がどんなに人間を気遣っても、彼らは私にどんどん卑しい一面を見せてくるのです。……想像できますか? 救いようのない絶望感に打ち拉がれていた孤独な私が、初めてクイーンから言葉を授かった時の喜びを……。裏切られ続けた人間に対する私の思いを、クイーンは全て肯定して下さったのです。私は決めました。竜とクイーンにこの命の全てを捧げようと……」
ヒエンは黙ったままだった。
これほどまでに壮絶な人生を過ごしてきた彼女に対して一体何が言えるだろうか。
どんな美辞麗句を並べたところで、それは中身のない音声でしかない。
「そして、私はそのクイーンからも捨てられました。……用済みの今の私にもはや言葉を授けては下さりません」
あれほど敵対していたヒエン以外、それを打ち明ける相手がミチルにはいなかった。
まさに悲劇の女である。
彼女はポタポタと涙をこぼしていたが、そんな時でさえ薄ら笑いを浮かべている。
気丈に生きてきた彼女は、きっと最期の時でも笑って迎えるのだろうとヒエンは思った。
「ナニワームの女は強いな」
慰めでも皮肉でもない。
それは自分自身に対して投げ掛けた言葉でもあった。
「訊いてええか?」
ミチルは手で涙を拭って頷く。
「ダストのことや。……アイツはもう、夜明けには竜に咥えられて行ってしもたんやな?」
「ええ。あの少年はこう言いました。『僕の方が適任です。ヒエンは口が悪いから、交渉役には向きませんよ』と……。私は了承しました。クイーンにしてみれば誰でもよかったのです。それにこんなことを言ったら叱られるでしょうが、差し出す生贄があなたではなく、あの少年でよかったと個人的には思っています」
「ウチにしたら、また死に場所探さなあかんから残念やけどな。……生贄がウチでもダストでも、クイーンは交渉なんか最初から応じるつもりなかったんやろ?」
「その通りです」
ミチルはもう泣いていなかった。
「明日にでも、竜はあの少年と共にシバルウーニ大陸へと戻ってきます。咥えてではなく、背中に乗せて……。ナニワームを経由して、イニア、テフランド、ザール、そしてここシバルウ王国直轄領……その少年の凱旋を見せつけるように竜が高々と舞うのです。人々は歓喜することでしょう。竜は人と通じ合えたのだ、もう我々は竜に咥え連れ去られる心配をせずに済むんだ、ノロシや角笛を気にせず待避壕へ逃げることもなくなったんだ……愚かな人類はそう錯覚するでしょう。そこで、あの少年は無残にも大空から地面へと落とされるのです。骨は折れ内臓が四方八方に飛び散ることでしょう。人類が抱いた希望は一瞬にして打ち砕かれるのです」
それを聞いても、ヒエンは無反応のままだった。
何も言わないヒエンに、首謀者の一人であるミチルが訊ねる。
「友人が死の危機に瀕しているのですよ。ショックではないのですか?」
「ウチ、うなされてたんやろ? まさにその夢見てたんや。そやから、オマエにソレ聞かされても『やっぱりな』くらいの感想しかない。ホンマやったら、ウチがペチャンコに潰される役やったのに……」
ミチルは何も言わない。
「ほんで、オマエはどうなんねん?」
「私は見せしめにギロチン刑に処せられます。そして、そこから恐怖政治時代、そして全面戦争へと突入して人類は自ら破滅の道へと一気に突き進む……これが竜の描いた完璧なシナリオです。もうどうにも阻止できません」
「完璧か……。癪に障るな。ほんなら阻止したろか」
「え……」
「ウチはあきらめてない。ダストが竜から転落せん限り、アイツの命はウチが救ってみせる」
ヒエンは気合いを入れてベッドから飛び下りると、戸惑うミチルの顔を凝視した。
「オマエもな」
ミチルにはその意味がわからなかった。
「私がどうしたと言うのです?」
「まだギロチンて決まったわけちゃうやろ?」
「そうですけど……おそらくそういう流れです」
「流れなんか変えてナンボやろッ! 死刑になる前から死ぬこと考えるアホがおるかッ!」
そこまで言われても、ミチルにはヒエンの真意が読めなかった。
「何故、私を助けようとするのです? 私はあなたに憎まれることばかりしてきたのですよ」
「何でやろな。ウチにもハッキリわからんわ。多分、オマエのことが嫌いやなくなってきたからやと思うけど。……ただ、期待せんといてな。勝算ゼロのハッタリでデカいこと言うてるだけやから。策は今から考えるんや」
「……」
サナコ以来のことだ。
素っ気ないながらも、こんなに温かい言葉を贈られたのは……。
ミチルは感極まってヒエンに抱きついてしまう。
「うわッ! や、やめぃ!」
絶世の美女に擁されて、同性のヒエンもさすがに真っ赤になって離れようと慌てふためく。
「ウチに触ったらオマエの綺麗なドレスが汚れるやんか!」
「かまいません! あ、あなたは……あなたもサナコ先生と同じ私のヒロインです! だからお願いッ! あなたまで私のためにサナコ先生のようにならないでッ! どうか、このままナニワームへと帰って下さい!」
ミチルのその言葉に、ヒエンは彼女の体を優しく引き離す。
「ウチは逃げん。オカンのことを誇りに思ってるから、ウチも仲間を救いに行く」
「誇り?」
「そう、誇り。……オカンは十一歳の少女を救うことができた。結果的に廃人になって首吊ってしもたけども、その前にウチを産んでくれた。オカンにとって生き続けるんは地獄やったんやろうな。そやけど、オカンの勇気によって二つの命が今ここにあるんや。それはオカンが自分の命を犠牲にしてまで得た、この世に残した誇りやと思う」
そう言ったヒエン自身、今の発言に矛盾を感じていた。
(……あれ、ウチはオカンの年齢になるまで死のうと考えてたんちゃうんか? それやのに、ウチを産んでくれたオカンに感謝の言葉を述べてる。もしウチが自殺したら、ウチを産むまで苦しみながら生き続けたオカンはどう思うやろ? ……ウチの命はオカンの誇り? 強姦されてできた命やのに……何かわからんようになってきた)
黒帯を締め直しながら、ヒエンはとりあえず自分が行くはずだった見張り塔に行こうと考えた。
そこで竜との接触を試みるつもりだが、ダストを救う策はまだ何も浮かばない。
「ミチル、オマエにはまだ臣長としての権力はあるんやな?」
「はい……。竜があの少年を墜死させない限り」
「ほんなら、今すぐウチを見張り塔へ連れてって」
ヒエンはそう頼むと、二本のカタリウムの紐、それに一本しか残っていない麻縄を黒帯に挟んで寝室を出て行く。
ミチルは慌ててヒエンの後を追った。
不思議と違和感を抱かなかった。
むしろ予感めいたものさえあった。
カーテンは開いたままだった。
そこから朝日が無遠慮に射し込んでいる。
「お目覚めいかがですか?」
書物を閉じたチル、微笑みながらヒエンに声を掛ける。
昨日までとは打って変わって、まるで聖母のような優しい笑顔だ。
気のせいかもしれないが、そこからは好意さえ感じられる。
「サイアクや。標本にされたみたいな眠りやった」
ヒエンは起き上がらないまま、天井を見てそう呟く。
「ずっと激しくうなされていましたよ」
「オマエが横におったからやろ」
ヒエンの嫌味に毒はない。
何の感情もそこには含まれていなかった。
「すまんな。道着のままで寝てしもたわ。まあ、コレ脱いで肌着でも臭いけどな」
「それくらい別にかまいませんよ。ユージン・ナガロックはそこで嘔吐しましたから」
(ア、アイツ……)
ヒエンは思わず顔をしかめる。
それを聞いてすぐにでもベッドから離れたかったが、気だるい虚脱感でなかなか起き上がれない。
標本の延長である。
すぐ側にはチルがいる。
昨日までは殺したいくらい憎たらしかった女だ。
だが、今朝のヒエンに殺意はない。
それが何故だかわかるような気がする。
チルに昨日までの強烈なオーラがないからだ。
彼女はもはや抜け殻同然だった。
どこにでもいる女中と同じように、優しさ、弱さ、儚さしか感じられない。
「静かな朝やな」
「さっきまで城内は騒然としていました。竜が主城に来ることなど、そうそうありませんものね」
「オマエのやりたいことは全部終わったんか?」
ヒエンの問いかけに、チルは「終わりました」と素直に答える。
「あなたはもう用済みです。そして、この私も……」
チルの小胆な発言に、ヒエンは今こそ本音で語り合える気がした。
「オマエの本当の狙いは何や? 正直、人類の行く末とか、シバルウ王朝の繁栄とかどうでもええんやろ?」
チルはクスクス笑う。
「やはり、バレていましたか。……そうですよ。私はクイーンの手下として、主城に乗り込んだ工作員です。"世界の均衡"とは精霊と竜が暮らしていた時代のことで、聖生神に仕えながら人類を滅亡に追い込むように動いていたのです」
「ヤヨロス教徒か?」
「違います。宗教は人類が安らぎを求めるために作り出した弥縫策の産物です。そのようなものに私は傾倒しません」
「皮肉な話やな。オマエを巫女頭に据えた聖生神が聞いたら即死モンやで」
「実際はしぶとく生きてますけどね。あの男も所詮は俗物です。子供だった私を玩具にしてさんざん楽しみました。"巫女頭"とは慰み者の代表という地位……工作活動の一環とはいえ、私はそれを死ぬほど恥じているのです」
チルの目に鋭さが戻る。
だが、それはほんの一瞬だった。
「失言や。身分が国王やなかったら、ウチのオカンを襲ったヤツらと大して変わらんな」
ヒエンの発言にチルは目を潤ませる。
「今でも忘れたことはありません。あなたのお母さん――サナコ・ヤマトは私にとって永遠のヒロインなのです」
「……ッ!?」
ヒエンがハッとしてチルの方に顔を向ける。
「オ、オマエ、もしかして……オカンが漁村に助けに行った女の子か?」
「気づいていなかったのですか?」
チルは逆に驚いたが、すぐ我に返る。
「私の本名はミチルです。ミチル・ハヤテ……ナニワームでハヤテ姓はたくさんいます。あなたが私をナニワーム出身だと指摘したあの時、私は心臓が止まりそうでした。それに、最初にあなたを見た時も……。あなたは私の思い描いていたヒロインの生き写しでした」
それを聞いたヒエンは唖然としたものの、すぐにそれを信じることはできなかった。
「その憧れやったウチのオカンを強姦に襲われるよう陥れたんか?」
「とんでもない! 違います!」
興奮したチル――ミチル・ハヤテは思わずムキになって立ち上がる。
「信用してもらえないでしょうが、私はとても凛々しいサナコ先生に憧れていて、ヤマト流捕縄術の道場に通っていた過去もあるのです。……実家が貧しすぎて指導料は払えませんでしたが、代わりに網に入れた寄せ集めの海草や僅かばかりの小魚を受け取ってもらい、特別に稽古をつけていただいたのです。そんな私にでさえ、サナコ先生はとても優しくとても丁寧に接してくれました。短い間でしたが、あの道場でサナコ先生から直接指導を受けた日々は、私の生涯で最も幸せな時期でした」
目を閉じたミチルは重ね合わせた両手を胸に当てて当時を懐古している。
ミチルは読書などしていなかった。
ヒエンの寝顔をずっと覗き込んで、サナコの思い出と照らし合わせていたのだった。
「……疑って悪かったな」
ヒエンはようやく起き上がったものの、依然としてベッドから離れられない。
まだ眠り薬が効いているのか、手足が自由に動かせない。
ミチルは涙を浮かべながら告白を続ける。
「あの頃はこんな私でもまだ人間の心を持っていたのです。しかし、あのおぞましき事件を目の当たりにした時から、生きる希望の全てが私の中で崩落してしまいました。私のせいで、あなたのお母さんは廃人になってしまったのですから。そして、サナコ先生があなたを産んだ直後に自殺してしまったことを知った時、私はもう生きていくのがイヤになり、竜に訴えたのです。まさか、本当にやって来るとは思ってもいませんでしたが……」
「クイーンの手下になったんはいつからや?」
「聖生神に仕えた頃からです。クイーンズ・ブレスを浴びてシーリザードに変身した時、既にサナコ先生の人生を奪った私は、意地でもこれ以上人間に危害を加えないようにしようと心に誓ったのです。だからこそ無人島での餓死を望んだのですが、皮肉なことに、私はそこで人の姿へ戻ってしまいました。そして私はまたもや、人間の醜さに触れてしまうのです。真顔で人身売買する海賊達、単なる変態親父でしかない名ばかりの聖生神、主城内における賎劣な権力闘争……。人間である私がどんなに人間を気遣っても、彼らは私にどんどん卑しい一面を見せてくるのです。……想像できますか? 救いようのない絶望感に打ち拉がれていた孤独な私が、初めてクイーンから言葉を授かった時の喜びを……。裏切られ続けた人間に対する私の思いを、クイーンは全て肯定して下さったのです。私は決めました。竜とクイーンにこの命の全てを捧げようと……」
ヒエンは黙ったままだった。
これほどまでに壮絶な人生を過ごしてきた彼女に対して一体何が言えるだろうか。
どんな美辞麗句を並べたところで、それは中身のない音声でしかない。
「そして、私はそのクイーンからも捨てられました。……用済みの今の私にもはや言葉を授けては下さりません」
あれほど敵対していたヒエン以外、それを打ち明ける相手がミチルにはいなかった。
まさに悲劇の女である。
彼女はポタポタと涙をこぼしていたが、そんな時でさえ薄ら笑いを浮かべている。
気丈に生きてきた彼女は、きっと最期の時でも笑って迎えるのだろうとヒエンは思った。
「ナニワームの女は強いな」
慰めでも皮肉でもない。
それは自分自身に対して投げ掛けた言葉でもあった。
「訊いてええか?」
ミチルは手で涙を拭って頷く。
「ダストのことや。……アイツはもう、夜明けには竜に咥えられて行ってしもたんやな?」
「ええ。あの少年はこう言いました。『僕の方が適任です。ヒエンは口が悪いから、交渉役には向きませんよ』と……。私は了承しました。クイーンにしてみれば誰でもよかったのです。それにこんなことを言ったら叱られるでしょうが、差し出す生贄があなたではなく、あの少年でよかったと個人的には思っています」
「ウチにしたら、また死に場所探さなあかんから残念やけどな。……生贄がウチでもダストでも、クイーンは交渉なんか最初から応じるつもりなかったんやろ?」
「その通りです」
ミチルはもう泣いていなかった。
「明日にでも、竜はあの少年と共にシバルウーニ大陸へと戻ってきます。咥えてではなく、背中に乗せて……。ナニワームを経由して、イニア、テフランド、ザール、そしてここシバルウ王国直轄領……その少年の凱旋を見せつけるように竜が高々と舞うのです。人々は歓喜することでしょう。竜は人と通じ合えたのだ、もう我々は竜に咥え連れ去られる心配をせずに済むんだ、ノロシや角笛を気にせず待避壕へ逃げることもなくなったんだ……愚かな人類はそう錯覚するでしょう。そこで、あの少年は無残にも大空から地面へと落とされるのです。骨は折れ内臓が四方八方に飛び散ることでしょう。人類が抱いた希望は一瞬にして打ち砕かれるのです」
それを聞いても、ヒエンは無反応のままだった。
何も言わないヒエンに、首謀者の一人であるミチルが訊ねる。
「友人が死の危機に瀕しているのですよ。ショックではないのですか?」
「ウチ、うなされてたんやろ? まさにその夢見てたんや。そやから、オマエにソレ聞かされても『やっぱりな』くらいの感想しかない。ホンマやったら、ウチがペチャンコに潰される役やったのに……」
ミチルは何も言わない。
「ほんで、オマエはどうなんねん?」
「私は見せしめにギロチン刑に処せられます。そして、そこから恐怖政治時代、そして全面戦争へと突入して人類は自ら破滅の道へと一気に突き進む……これが竜の描いた完璧なシナリオです。もうどうにも阻止できません」
「完璧か……。癪に障るな。ほんなら阻止したろか」
「え……」
「ウチはあきらめてない。ダストが竜から転落せん限り、アイツの命はウチが救ってみせる」
ヒエンは気合いを入れてベッドから飛び下りると、戸惑うミチルの顔を凝視した。
「オマエもな」
ミチルにはその意味がわからなかった。
「私がどうしたと言うのです?」
「まだギロチンて決まったわけちゃうやろ?」
「そうですけど……おそらくそういう流れです」
「流れなんか変えてナンボやろッ! 死刑になる前から死ぬこと考えるアホがおるかッ!」
そこまで言われても、ミチルにはヒエンの真意が読めなかった。
「何故、私を助けようとするのです? 私はあなたに憎まれることばかりしてきたのですよ」
「何でやろな。ウチにもハッキリわからんわ。多分、オマエのことが嫌いやなくなってきたからやと思うけど。……ただ、期待せんといてな。勝算ゼロのハッタリでデカいこと言うてるだけやから。策は今から考えるんや」
「……」
サナコ以来のことだ。
素っ気ないながらも、こんなに温かい言葉を贈られたのは……。
ミチルは感極まってヒエンに抱きついてしまう。
「うわッ! や、やめぃ!」
絶世の美女に擁されて、同性のヒエンもさすがに真っ赤になって離れようと慌てふためく。
「ウチに触ったらオマエの綺麗なドレスが汚れるやんか!」
「かまいません! あ、あなたは……あなたもサナコ先生と同じ私のヒロインです! だからお願いッ! あなたまで私のためにサナコ先生のようにならないでッ! どうか、このままナニワームへと帰って下さい!」
ミチルのその言葉に、ヒエンは彼女の体を優しく引き離す。
「ウチは逃げん。オカンのことを誇りに思ってるから、ウチも仲間を救いに行く」
「誇り?」
「そう、誇り。……オカンは十一歳の少女を救うことができた。結果的に廃人になって首吊ってしもたけども、その前にウチを産んでくれた。オカンにとって生き続けるんは地獄やったんやろうな。そやけど、オカンの勇気によって二つの命が今ここにあるんや。それはオカンが自分の命を犠牲にしてまで得た、この世に残した誇りやと思う」
そう言ったヒエン自身、今の発言に矛盾を感じていた。
(……あれ、ウチはオカンの年齢になるまで死のうと考えてたんちゃうんか? それやのに、ウチを産んでくれたオカンに感謝の言葉を述べてる。もしウチが自殺したら、ウチを産むまで苦しみながら生き続けたオカンはどう思うやろ? ……ウチの命はオカンの誇り? 強姦されてできた命やのに……何かわからんようになってきた)
黒帯を締め直しながら、ヒエンはとりあえず自分が行くはずだった見張り塔に行こうと考えた。
そこで竜との接触を試みるつもりだが、ダストを救う策はまだ何も浮かばない。
「ミチル、オマエにはまだ臣長としての権力はあるんやな?」
「はい……。竜があの少年を墜死させない限り」
「ほんなら、今すぐウチを見張り塔へ連れてって」
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ミチルは慌ててヒエンの後を追った。
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貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
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