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終章
for myself
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何だろう?
ゆでたまごが腐ったような強烈な臭いが鼻を刺激して目が覚める。
おまけに暑苦しい。
目覚めとしては最悪だ。
(……ここ、どこや?)
記憶がスッポリ抜けている。
あんな夢を見た直後なので、自分が今まで何をしていたのか思い出せない。
目を開けてみる。
まず最初に映ったものは脚だ。
包帯でもなく子供用のグリーブでもない。
母――サナコのグリーブをつけた自分の脚である。
(脚? 寝てたのに何で脚が……あ! ウチ、座ったまま寝てたんか?)
おまけに道着が裂けるようにボロボロに破れている。
下半身だけではない。
腕も上半身も全身ひどい有様だ。
よく見ればグリーブにも深い傷がついている。
それでいて体は無傷である。
道着は真っ赤に染まっているというのに……。
(コレって、血……やな)
「あッ! そうやッ!」
何もかも思い出した。
「ウチ……主城の見張り塔で竜に咥えられて……それから、口先をカタリウムの紐で縛ったんや。竜はそれをクイーンに解かせようと火山島に向かった。絶望したウチは為す術なく舌を噛んで死んだ……て、死んでないしッ! 舌も切れてへんし膝も手のひらも痛ないッ! あんだけボロボロやった体調も嘘みたいにパワーみなぎってる! 何でぇ? ワケわからん……」
そこであることに気づいたヒエンは、カッと目を見開いて立ち上がった。
「竜ッ! 竜はどこやッ? どっか飛んで行ったんか? ここが火山島として島主のクイーンもおらんやんけ! てか……この椅子……マッキンキンのゴールドやん! え? えええええええぇッ? こ、これってあかんヤツちゃうん? ウチが今の今まで座ってたこの椅子って……クイーンの不老の椅子ちゃうんか? ほんなら、ウチは……ウチはクイーンになってもうたんか? ど、どないなってんねんッ? 誰か説明してくれえぇッ!」
見渡す限り誰もいない。
振り返ると濛々と黒い噴煙が上がっていて、自分が立っているこの場所は緩やかな傾斜になっている。
どう考えても、ここが火山島であることは覆しようがない。
目の前には血痕が点々と続いている。
(この血はウチのか? 舌噛んだだけでこの出血はあり得んしな。……道着がこんだけ裂かれてるんは竜の歯でできたと考えるんが自然や。竜の口先から出た時、ウチの体はその前歯に傷つけられて大量に出血した……。その出血や怪我も、この黄金の椅子に座ったから完全に癒えた……。一応、辻褄は合う。合うけども、どうやってウチは竜の口先から出れたんや? クイーンがカタリウムの紐解いたんやったらウチは傷だらけにならん。クイーンが強引にウチを引っ張り出したか、竜が舌で押し出した? そのどっちかやろうけど、竜もクイーンもおらんから確かめようがない)
とりあえず、ここでボーッと立っていても埒が明かない。
少しでも現状を把握するべく、ヒエンは血痕を辿って傾斜を下る。
すると、すぐに陰惨な現場が視界に入ってきて思わず絶句してしまう。
(海トカゲ……ペシャンコやん!)
数えてみると、十四体ものシーリザードが何者かに押し潰されて死んでいた。
どす黒い体液と共に脳と目玉と内臓が飛び出している。
竜が踏み殺したのだろうが理由がわからない。
「ウチが気ぃ失ってる間に何が起こったんや? 竜もクイーンもおらん。出兵前の海トカゲも親に殺されてる……。今のウチはホンマにここで独りぼっちなんか?」
そう問いかけてみても答える者は誰もいない。
自分の血痕はこの場所でとまっている。
クイーンがカタリウムの紐を解いたとしたら、それはどこにあるのだろう?
グルリと見回すもその辺に落ちている様子はない。
(クイーンがソレ持ってどっか行ってるとか? もしくは、まだ竜の口に結ばれたまんまか……それもわからんな。わからんことだらけや)
そこで、ヒエンはもう一つ重大な謎に気づいた。
(そや……。ウチはここに来た時、瀕死状態やった。出血量から判断してそれはほぼ間違いないんやけど、そんなウチがここから自力であの黄金の椅子まで這っていけるやろか? 無理やな。第一、椅子の場所さえ知らんかったし、そこに行った記憶もない。……そうなると、誰かが何らかの意図を持ってウチをあそこまで連れてったとしか考えられん)
となれば、その相手はやはり竜かクイーンしか思いつかない。
(ウチをクイーンにして誰が得するんや? 竜はハーレムでも形成するつもりか? 元々ここにおるクイーンとウチがクイーズ・ブレスで人間を海トカゲにしたら、人間に倍の脅威を与えることができる。……そやけど、竜も倍働かなあかんやん。能力的に、竜は一日一人しか咥えられへんやろ? ほんなら、クイーン二人おっても意味ないやん)
と、ここまで考えてから、ヒエンは自分の右太ももに血の手型が付着しているのに気づいた。
太ももだけではない。
よく見ると、右肩や膝の裏にも同じ肩がついている。
そして、その手型には水掻きがハッキリ確認できる。
(竜もミチルも言うてた。クイーンはただの人間……水掻きなんかあらへん。なるほどな。ウチを椅子まで運んだんは竜でもなければクイーンでもない。……海トカゲや!)
ヒエンはもう一度、踏み潰されたシーリザードを見る。
(こん中の誰かがウチを椅子まで運んだ後、竜に踏み潰されたんかな? けど、おかしい。椅子まで運んでから、わざわざ踏み潰されるために普通ここまで戻るか?)
もしかしたら、とヒエンは考える。
(ウチを助けた海トカゲは少なくとも、この十四体の中にはおらん。生きてるか死んでるかはわからんけど……て言うか、何でその海トカゲはウチを食わんかったんや? 死ぬほど腹減ってるやろうに……まだ、人間としての理性が残ってたってことか?)
大海原に出ず火山島に留まっていたくらいだから、おそらくそうなのだろう。
グレンナでのモブラン追跡時のように、自分が逆の立場ならばどうするかを推測してみる。
(もし、ウチが海トカゲにされてもうたとして……ここに……たとえば、キラースが竜に連れて来られて死にかけやったとする。キラースを助けるチャンスがあるとすれば、ウチは迷うことなく助ける。そやけど、理性にも限度がある。海に出てしまえば他の人間を襲うやろうし、ここに留まればいつかはキラースを食べてしまう。……ウチなら、絶対に海トカゲのまま死ぬことを選ぶな。……そやけど、どこで死のう……)
ヒエンが何気なく背後を振り返る。
「――ッ! あ、あるやん! 絶好の身投げポイントが!」
頂きから次々と出てくる毒ガスのような噴煙を、ヒエンは改めて観察する。
(すっごい迫力やな。あそこから落ちたら、さすがに黄金の椅子に座ったウチでも助か……も、もしかして、クイーンも……ん? あああああぁ――ッ! マ、マジかッ?)
ヒエンが噴煙の中に何か動くものを見つけた。
クイーンか?
それとも、自分を助けた者だろうか?
或いはそれ以外か?
(何でもええ! たとえ敵であっても!)
今の自分にはその噴煙の向こうにいるものが唯一コミュニケーションを取れる存在なのだ。
ヒエンは全力で走る。
手遅れにならないように。
その誰かが噴火口の中に落ちてしまう前に……。
ボロボロの黒帯が解ける。
自然と道着がはだけるが、結び直す時間なんてない。
ヒエンは躓きそうになりながらも、固いデコボコの坂道をトップスピードで駆け上がった。
「待てええええええぇ―ッ! そこのオマエ待てええええええええぇ――ッ!」
噴煙の中に入ったヒエンは、そこで一体のシーリザードを発見した。
既に火口の端に足を踏み入れていたシーリザードは驚いてヒエンを見ている。
ハァハァと息を乱しながら、ヒエンは相手を見つめ返す。
「……オマエやな? ……オマエが……オマエがウチを助けてくれたんやな?」
喚くことならできるが、シーリザードは言葉を話せない。
それでも、ヒエンはかまわずに一方的に話し続ける。
「オマエの胸や腕にベッタリ血が着いてる。それはウチの血やろ。オマエが抱っこして瀕死のウチ……」
―――――――ッ!!!!!!
その刹那、頭の中で激しい衝撃が起こる。
それは落雷が大木に落ちたような、全身を痺れさせるほどの強さだった。
(まさか……まさか……でも、間違いない! 抱かれた感覚……ウチの体がそう伝えてる!)
証拠はない。
証拠はないにもかかわらず、確信を持ってヒエンは言う。
「アンタ、ウチのオトン――タイルズ・ヤマトやろ!」
シーリザードはヒエンを見たままピクリとも動かない。
トカゲの面構えからは全く感情を読み取れないが、少なくともヒエンの話に耳を傾けていることはわかる。
「……そうか。オトンはあの"作品"をやっと完成させたんやな。自分があの絵の通りになることが、オトンにとっての完成やったもんな」
タイルズは愛するサナコを失った時点で世を捨てていた。
世捨て人でありながら、彼のライフワークとも言うべき竜に咥えられた自分自身をキャンバスに描きつつ、娘のヒエンの成長を遠くから見届けていたのだ。
サナコに求愛し、そして断られたタイルズ。
彼女が暴漢に襲われて廃人になってからも、愛する人を想う気持ちが変わらなかったタイルズはヤマト家に認められて結婚する。
しかし、ヒエンを出産してまもなく、サナコは新しくできた家庭に背を向けるように、自らその生涯を閉じてしまった。
タイルズは二度もサナコから拒絶されたのだ。
ヒエンがその真実を知ったのは、ソーウンから師範代として認められたその日だった。
夕刻の道場にヒエンとソーウンの二人きり。
十五歳になっていたヒエンは、八年前に岬の上で父と交わした言葉をそのまま祖父に伝えた。
ソーウンは頑なに口を閉ざしていたが、一歩も引かないヒエンに根負けしてしまう。
前年亡くなったヤエの遺言もあって、とうとう孫娘の出生について話すことに決めた。
ヒエンはそれを聞いても大して驚かなかった。
自分の中にケダモノの血が流れていることは受け入れがたかったが、それ以上に死んだ母の気持ち……それから父のつれない態度を、ソーウンの告白で全て納得できたことの方が大きかった。
そして、自分でも最も意外だったのが、タイルズと自分は血の繋がりがないということに安堵を覚えたことだった。
矛盾していると自分でも思う。
自分の中に流れているケダモノの血を憎み嘆きながらも、本当の父親がそれまで「オトン」と呼んでいた人物ではなかったことにホッとしている……。
ヒエンは一人になって、その矛盾について考えてみる。
自分の気持ちに嘘偽りなく……。
そして、結論に至る。
矛盾が矛盾ではなくなっていた。
十五歳のあの頃を思い出しながら、ヒエンはシーリザードに話す。
「ノロシが上がってみんな家や待避壕に避難してるのに、オトンはずっとあの絵を描き続けてた。オトンはずっと死にたがってたんやな。オカンがあんな風になって以降、全ての光を遮断してオトンは生きてきた。……そして、とうとう夢叶ってオトンは今、ここにおる。ウチまでここにおることは想定外やったやろうけどな」
泣きたくなる気持ちを堪えるよう、ヒエンはギュッと拳を握るが視線は逸らさない。
「まさか、ウチはオトンに助けられるとは思わんかったわ。オトンはウチのことをずっと憎んでると思い込んでたから。ウチが生まれたことでオカンは死んてもうたし、皮肉にもそのウチがオカンにそっくりやからな。そして、このウチにはオトンの血は流れてない。……ハッキリ言わせてもらう。ウチは真実を知ってからも、オトンのことを父親やと思うように自分の気持ちをごまかして生きてきた。けど、それは無理やった。オトンと呼び続けてた自分が今になって可哀そうに思えるわ」
いよいよ言ってしまう。
ヒエンはもう泣いていた。
「二度と泣くまい!」と誓った七歳のあの頃から、ずっと我慢し続けていた涙がとめどなく流れてしまう。
「覚えてるか? ウチの両脚が包帯だらけやった時、オトンは……オトンって言うのもうやめるわ。タイルズはウチを抱っこしてくれたな。あん時、初めて『お父さん』やなく、ナニワームの方言で『オトン』て呼んだんや。けど、ウチには違和感があった。それが何なのかわからんかったけど、十五歳になってオジイに全ての真実を告げられた時、ウチはやっとその違和感の意味がわかったんや。タイルズはウチの初恋の相手やったって……」
言ってしまった。
でも、後悔はしていない。
それどころか、この先どうなろうとも、意中の相手に本音を話せただけで自分は間違いなく完璧に救われたことを悟った。
竜だろうが世界の均衡だろうが、そんなものはもうどうでもいい。
タイルズに自分の想いをぶつけられたのだから……。
「ウチとタイルズは他人やった。それを知って失望よりも喜びの方が……いや、喜びしかなかった。七歳のウチが初めて好きになった人が、血の繋がりがある本当の父親やなくて心から嬉しかったんや。……そやけども、タイルズはウチのことをオカンの子供として見てたんやな。当然や。まして、今のウチとオカンの見た目がそっくりなら尚更やわ。だから、ウチの一方的な片想いで終わらせるつもりやった。この気持ちは誰にも言わんと、墓場まで持って行くつもりやったんや!」
一度吐き出した感情はもう止まらない。
止める必要もない。
「ロクに子育てもせんし、一緒に誕生日すら祝ってくれんかった薄情な男を、ウチは絶対に、絶対に父親として認めんからッ! ウチとサナコが似てる? それがどうした? チャンチャラおかしいわ。――タイルズ、よう聞けッ! ウチはな、ヒエン・ヤマトはサナコの分身でも身代わりでもない。ウチはウチや! ウチが誰かを好きや思たらそれが正しいんや! タイルズにドン引きされても、ウチの想いをまんまぶつけることに恥もクソもない! サナコは死んだ! ウチは生きてる! タイルズッ! オマエはどうすんねん?」
もう満足だ。
どんな結末でもいい。
タイルズがどっちを選んでも、この満たされた気持ちは永遠に変わらない。
太陽と月がこの空に浮かび続ける限り……。
カタリウムがこの世界のどこかで歌い続ける限り……。
*
ヒエンは火口を離れて"不易の玉座"に向かって歩いていく。
「……ユージン」
噴煙も及ばない遥か彼方の大空を見上げ、絶海の孤島でヒエンは友のいる大陸に向かって呟く。
「ウチは手に入れたで。オマエの言うてた"グランド・フィナーレ"を……」
玉座にゆっくり腰掛けたヒエンは、傷だらけのグリーブを両脚から外す。
それを大事そうに抱きしめながら、ヒエンは七歳の頃に戻る旅へと出発する。
何だろう?
ゆでたまごが腐ったような強烈な臭いが鼻を刺激して目が覚める。
おまけに暑苦しい。
目覚めとしては最悪だ。
(……ここ、どこや?)
記憶がスッポリ抜けている。
あんな夢を見た直後なので、自分が今まで何をしていたのか思い出せない。
目を開けてみる。
まず最初に映ったものは脚だ。
包帯でもなく子供用のグリーブでもない。
母――サナコのグリーブをつけた自分の脚である。
(脚? 寝てたのに何で脚が……あ! ウチ、座ったまま寝てたんか?)
おまけに道着が裂けるようにボロボロに破れている。
下半身だけではない。
腕も上半身も全身ひどい有様だ。
よく見ればグリーブにも深い傷がついている。
それでいて体は無傷である。
道着は真っ赤に染まっているというのに……。
(コレって、血……やな)
「あッ! そうやッ!」
何もかも思い出した。
「ウチ……主城の見張り塔で竜に咥えられて……それから、口先をカタリウムの紐で縛ったんや。竜はそれをクイーンに解かせようと火山島に向かった。絶望したウチは為す術なく舌を噛んで死んだ……て、死んでないしッ! 舌も切れてへんし膝も手のひらも痛ないッ! あんだけボロボロやった体調も嘘みたいにパワーみなぎってる! 何でぇ? ワケわからん……」
そこであることに気づいたヒエンは、カッと目を見開いて立ち上がった。
「竜ッ! 竜はどこやッ? どっか飛んで行ったんか? ここが火山島として島主のクイーンもおらんやんけ! てか……この椅子……マッキンキンのゴールドやん! え? えええええええぇッ? こ、これってあかんヤツちゃうん? ウチが今の今まで座ってたこの椅子って……クイーンの不老の椅子ちゃうんか? ほんなら、ウチは……ウチはクイーンになってもうたんか? ど、どないなってんねんッ? 誰か説明してくれえぇッ!」
見渡す限り誰もいない。
振り返ると濛々と黒い噴煙が上がっていて、自分が立っているこの場所は緩やかな傾斜になっている。
どう考えても、ここが火山島であることは覆しようがない。
目の前には血痕が点々と続いている。
(この血はウチのか? 舌噛んだだけでこの出血はあり得んしな。……道着がこんだけ裂かれてるんは竜の歯でできたと考えるんが自然や。竜の口先から出た時、ウチの体はその前歯に傷つけられて大量に出血した……。その出血や怪我も、この黄金の椅子に座ったから完全に癒えた……。一応、辻褄は合う。合うけども、どうやってウチは竜の口先から出れたんや? クイーンがカタリウムの紐解いたんやったらウチは傷だらけにならん。クイーンが強引にウチを引っ張り出したか、竜が舌で押し出した? そのどっちかやろうけど、竜もクイーンもおらんから確かめようがない)
とりあえず、ここでボーッと立っていても埒が明かない。
少しでも現状を把握するべく、ヒエンは血痕を辿って傾斜を下る。
すると、すぐに陰惨な現場が視界に入ってきて思わず絶句してしまう。
(海トカゲ……ペシャンコやん!)
数えてみると、十四体ものシーリザードが何者かに押し潰されて死んでいた。
どす黒い体液と共に脳と目玉と内臓が飛び出している。
竜が踏み殺したのだろうが理由がわからない。
「ウチが気ぃ失ってる間に何が起こったんや? 竜もクイーンもおらん。出兵前の海トカゲも親に殺されてる……。今のウチはホンマにここで独りぼっちなんか?」
そう問いかけてみても答える者は誰もいない。
自分の血痕はこの場所でとまっている。
クイーンがカタリウムの紐を解いたとしたら、それはどこにあるのだろう?
グルリと見回すもその辺に落ちている様子はない。
(クイーンがソレ持ってどっか行ってるとか? もしくは、まだ竜の口に結ばれたまんまか……それもわからんな。わからんことだらけや)
そこで、ヒエンはもう一つ重大な謎に気づいた。
(そや……。ウチはここに来た時、瀕死状態やった。出血量から判断してそれはほぼ間違いないんやけど、そんなウチがここから自力であの黄金の椅子まで這っていけるやろか? 無理やな。第一、椅子の場所さえ知らんかったし、そこに行った記憶もない。……そうなると、誰かが何らかの意図を持ってウチをあそこまで連れてったとしか考えられん)
となれば、その相手はやはり竜かクイーンしか思いつかない。
(ウチをクイーンにして誰が得するんや? 竜はハーレムでも形成するつもりか? 元々ここにおるクイーンとウチがクイーズ・ブレスで人間を海トカゲにしたら、人間に倍の脅威を与えることができる。……そやけど、竜も倍働かなあかんやん。能力的に、竜は一日一人しか咥えられへんやろ? ほんなら、クイーン二人おっても意味ないやん)
と、ここまで考えてから、ヒエンは自分の右太ももに血の手型が付着しているのに気づいた。
太ももだけではない。
よく見ると、右肩や膝の裏にも同じ肩がついている。
そして、その手型には水掻きがハッキリ確認できる。
(竜もミチルも言うてた。クイーンはただの人間……水掻きなんかあらへん。なるほどな。ウチを椅子まで運んだんは竜でもなければクイーンでもない。……海トカゲや!)
ヒエンはもう一度、踏み潰されたシーリザードを見る。
(こん中の誰かがウチを椅子まで運んだ後、竜に踏み潰されたんかな? けど、おかしい。椅子まで運んでから、わざわざ踏み潰されるために普通ここまで戻るか?)
もしかしたら、とヒエンは考える。
(ウチを助けた海トカゲは少なくとも、この十四体の中にはおらん。生きてるか死んでるかはわからんけど……て言うか、何でその海トカゲはウチを食わんかったんや? 死ぬほど腹減ってるやろうに……まだ、人間としての理性が残ってたってことか?)
大海原に出ず火山島に留まっていたくらいだから、おそらくそうなのだろう。
グレンナでのモブラン追跡時のように、自分が逆の立場ならばどうするかを推測してみる。
(もし、ウチが海トカゲにされてもうたとして……ここに……たとえば、キラースが竜に連れて来られて死にかけやったとする。キラースを助けるチャンスがあるとすれば、ウチは迷うことなく助ける。そやけど、理性にも限度がある。海に出てしまえば他の人間を襲うやろうし、ここに留まればいつかはキラースを食べてしまう。……ウチなら、絶対に海トカゲのまま死ぬことを選ぶな。……そやけど、どこで死のう……)
ヒエンが何気なく背後を振り返る。
「――ッ! あ、あるやん! 絶好の身投げポイントが!」
頂きから次々と出てくる毒ガスのような噴煙を、ヒエンは改めて観察する。
(すっごい迫力やな。あそこから落ちたら、さすがに黄金の椅子に座ったウチでも助か……も、もしかして、クイーンも……ん? あああああぁ――ッ! マ、マジかッ?)
ヒエンが噴煙の中に何か動くものを見つけた。
クイーンか?
それとも、自分を助けた者だろうか?
或いはそれ以外か?
(何でもええ! たとえ敵であっても!)
今の自分にはその噴煙の向こうにいるものが唯一コミュニケーションを取れる存在なのだ。
ヒエンは全力で走る。
手遅れにならないように。
その誰かが噴火口の中に落ちてしまう前に……。
ボロボロの黒帯が解ける。
自然と道着がはだけるが、結び直す時間なんてない。
ヒエンは躓きそうになりながらも、固いデコボコの坂道をトップスピードで駆け上がった。
「待てええええええぇ―ッ! そこのオマエ待てええええええええぇ――ッ!」
噴煙の中に入ったヒエンは、そこで一体のシーリザードを発見した。
既に火口の端に足を踏み入れていたシーリザードは驚いてヒエンを見ている。
ハァハァと息を乱しながら、ヒエンは相手を見つめ返す。
「……オマエやな? ……オマエが……オマエがウチを助けてくれたんやな?」
喚くことならできるが、シーリザードは言葉を話せない。
それでも、ヒエンはかまわずに一方的に話し続ける。
「オマエの胸や腕にベッタリ血が着いてる。それはウチの血やろ。オマエが抱っこして瀕死のウチ……」
―――――――ッ!!!!!!
その刹那、頭の中で激しい衝撃が起こる。
それは落雷が大木に落ちたような、全身を痺れさせるほどの強さだった。
(まさか……まさか……でも、間違いない! 抱かれた感覚……ウチの体がそう伝えてる!)
証拠はない。
証拠はないにもかかわらず、確信を持ってヒエンは言う。
「アンタ、ウチのオトン――タイルズ・ヤマトやろ!」
シーリザードはヒエンを見たままピクリとも動かない。
トカゲの面構えからは全く感情を読み取れないが、少なくともヒエンの話に耳を傾けていることはわかる。
「……そうか。オトンはあの"作品"をやっと完成させたんやな。自分があの絵の通りになることが、オトンにとっての完成やったもんな」
タイルズは愛するサナコを失った時点で世を捨てていた。
世捨て人でありながら、彼のライフワークとも言うべき竜に咥えられた自分自身をキャンバスに描きつつ、娘のヒエンの成長を遠くから見届けていたのだ。
サナコに求愛し、そして断られたタイルズ。
彼女が暴漢に襲われて廃人になってからも、愛する人を想う気持ちが変わらなかったタイルズはヤマト家に認められて結婚する。
しかし、ヒエンを出産してまもなく、サナコは新しくできた家庭に背を向けるように、自らその生涯を閉じてしまった。
タイルズは二度もサナコから拒絶されたのだ。
ヒエンがその真実を知ったのは、ソーウンから師範代として認められたその日だった。
夕刻の道場にヒエンとソーウンの二人きり。
十五歳になっていたヒエンは、八年前に岬の上で父と交わした言葉をそのまま祖父に伝えた。
ソーウンは頑なに口を閉ざしていたが、一歩も引かないヒエンに根負けしてしまう。
前年亡くなったヤエの遺言もあって、とうとう孫娘の出生について話すことに決めた。
ヒエンはそれを聞いても大して驚かなかった。
自分の中にケダモノの血が流れていることは受け入れがたかったが、それ以上に死んだ母の気持ち……それから父のつれない態度を、ソーウンの告白で全て納得できたことの方が大きかった。
そして、自分でも最も意外だったのが、タイルズと自分は血の繋がりがないということに安堵を覚えたことだった。
矛盾していると自分でも思う。
自分の中に流れているケダモノの血を憎み嘆きながらも、本当の父親がそれまで「オトン」と呼んでいた人物ではなかったことにホッとしている……。
ヒエンは一人になって、その矛盾について考えてみる。
自分の気持ちに嘘偽りなく……。
そして、結論に至る。
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泣きたくなる気持ちを堪えるよう、ヒエンはギュッと拳を握るが視線は逸らさない。
「まさか、ウチはオトンに助けられるとは思わんかったわ。オトンはウチのことをずっと憎んでると思い込んでたから。ウチが生まれたことでオカンは死んてもうたし、皮肉にもそのウチがオカンにそっくりやからな。そして、このウチにはオトンの血は流れてない。……ハッキリ言わせてもらう。ウチは真実を知ってからも、オトンのことを父親やと思うように自分の気持ちをごまかして生きてきた。けど、それは無理やった。オトンと呼び続けてた自分が今になって可哀そうに思えるわ」
いよいよ言ってしまう。
ヒエンはもう泣いていた。
「二度と泣くまい!」と誓った七歳のあの頃から、ずっと我慢し続けていた涙がとめどなく流れてしまう。
「覚えてるか? ウチの両脚が包帯だらけやった時、オトンは……オトンって言うのもうやめるわ。タイルズはウチを抱っこしてくれたな。あん時、初めて『お父さん』やなく、ナニワームの方言で『オトン』て呼んだんや。けど、ウチには違和感があった。それが何なのかわからんかったけど、十五歳になってオジイに全ての真実を告げられた時、ウチはやっとその違和感の意味がわかったんや。タイルズはウチの初恋の相手やったって……」
言ってしまった。
でも、後悔はしていない。
それどころか、この先どうなろうとも、意中の相手に本音を話せただけで自分は間違いなく完璧に救われたことを悟った。
竜だろうが世界の均衡だろうが、そんなものはもうどうでもいい。
タイルズに自分の想いをぶつけられたのだから……。
「ウチとタイルズは他人やった。それを知って失望よりも喜びの方が……いや、喜びしかなかった。七歳のウチが初めて好きになった人が、血の繋がりがある本当の父親やなくて心から嬉しかったんや。……そやけども、タイルズはウチのことをオカンの子供として見てたんやな。当然や。まして、今のウチとオカンの見た目がそっくりなら尚更やわ。だから、ウチの一方的な片想いで終わらせるつもりやった。この気持ちは誰にも言わんと、墓場まで持って行くつもりやったんや!」
一度吐き出した感情はもう止まらない。
止める必要もない。
「ロクに子育てもせんし、一緒に誕生日すら祝ってくれんかった薄情な男を、ウチは絶対に、絶対に父親として認めんからッ! ウチとサナコが似てる? それがどうした? チャンチャラおかしいわ。――タイルズ、よう聞けッ! ウチはな、ヒエン・ヤマトはサナコの分身でも身代わりでもない。ウチはウチや! ウチが誰かを好きや思たらそれが正しいんや! タイルズにドン引きされても、ウチの想いをまんまぶつけることに恥もクソもない! サナコは死んだ! ウチは生きてる! タイルズッ! オマエはどうすんねん?」
もう満足だ。
どんな結末でもいい。
タイルズがどっちを選んでも、この満たされた気持ちは永遠に変わらない。
太陽と月がこの空に浮かび続ける限り……。
カタリウムがこの世界のどこかで歌い続ける限り……。
*
ヒエンは火口を離れて"不易の玉座"に向かって歩いていく。
「……ユージン」
噴煙も及ばない遥か彼方の大空を見上げ、絶海の孤島でヒエンは友のいる大陸に向かって呟く。
「ウチは手に入れたで。オマエの言うてた"グランド・フィナーレ"を……」
玉座にゆっくり腰掛けたヒエンは、傷だらけのグリーブを両脚から外す。
それを大事そうに抱きしめながら、ヒエンは七歳の頃に戻る旅へと出発する。
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【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
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【完結】海外在住だったので、異世界転移なんてなんともありません
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