イルカノスミカ

よん

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月曜日

終末が月曜日 3 

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 やっと出たその言葉。
 あたしは無言で母さんを見て発言を促す。

「イル……ごめんなさい」

 申し訳なさそうにまた頭を下げる。
 そのちょっとした仕草に妙な色気を感じる。
 自分の母親からメスの香りがして、当然ながらあたしは不快な気分になった。
 感情的になってキッチンを飛び出したかったが、それで安堵するのはこの人達だ。
 それがあたしにはとても悔しい。
 ならば、あえて喋らせる。
 喋るのがツラくて仕方ないこの人達に、あたしは耳にしたくないことを逆にズカズカと訊いてやる!

「父さん」
「何だ?」
「相手はどんな人?」
「どんな人って……」

 困ってる。不倫したクセに困るってどんだけ自己中だよ!

「名前とか年齢とか……一人娘としていろいろ知る権利がある」

 そう言ってから、あたしは母さんを捉える。
 次はそっちだからというカミングスーンの睨みだ。
 不倫したクセに怯む母さん。
 何なの、コイツら! 潔さのカケラもない。

「相手の人の名前は……吉本よしもと弓子ゆみこさんだ」
「幾つ?」

 後ろめたさに黙る父さん。

「幾つなの?」

 語気を強めて訊くと、か細い声で「……二十八」と答えた。
 若すぎる!
 え? あたしが産まれた時、ユミコまだ小五?
 幻滅……自分で訊いといて何だけど、もうヤだ。
 これ以上訊きたくない。
 なのに、あれだけ口が重たかった父さんは勝手にスイッチが入ってしまった。

「弓子さんは派遣社員で、事務職を希望して面接を受けに来たんだ。当時オレは人事課にいた。おとなしくて声が小さかったが、真面目そうだったので採用した。仕事はできたが、うまく職場に馴染めなかったようだ。彼女は陰湿なイジメに遭っていて、それで給湯室で泣いていたところをオレがたまたま通りかかって」「そのままラブホに連れ込んだ」

「ち、違……」

 動揺した父さんが口をパクパクさせている。

「もういいってば。その間が三十分だろうが三年だろうが、過程なんてどーでもいいの。とどのつまり、ユミコとヤッたんでしょ?」

 父さん、下向いたまま小さく頷く。……不潔だわ。

「はい、終わり。しばらく黙ってて。――次、母さんの番」
「え……あ、あの……」
「名前は? ホセ? ミゲル? フェルナンド? アントニオ?」
「何でスペイン人限定なの?」
「その赤い服! もう日本人の感覚なくなってんじゃん! それ絶対ヘンだよ!」

 母さん、両方の肩口をつまんでチラチラ確認してる。

「そんなにおかしい?」
「名前!」

 凄んでみせると、母さんもか細い声で「アレハンドロ・ルイス・サンチェス」と答える。

「……長すぎ」
「でしょ? だから母さん『アレちゃん』て呼んでるの」
「そこまで訊いてないから。で、幾つ?」
「えっとね」

 母さん、恥ずかしそうに髪をいじりながら目を逸らす。

「五十八……かな?」

 ジジイじゃん! あと二年でガチ還暦じゃん! 情熱の赤いちゃんちゃんこ着るんじゃん!
 何なんだコイツら! せめて歳の差考えて相手チョイスしろ!

「アレちゃんはね、麻布でスペイン料理のお店を」「もういいって! てか、フラメンコ教室の人じゃないの?」
「フラメンコ教室の先生の知り合いにアレちゃんを紹介してもらったのよ」
「ふーん」

 我ながら何でそんなの訊いたんだろ?
 スペイン人のネットワーク知ったところで、事態が好転するワケでもないのに。
 質問を変えよう。

「で、あたしはどーなんの?」
「入果は何も悪くない」

 当たり前だ。これであたしが悪者だったら、この国の仕組みそのものがおかしい。

「だから、入果は基本、このまま今の学校に通ってもらう」
「この家は?」
「父さんと……その何だ、弓子さんが暮らす。母さんはアントニオのところへ」
「アレハンドロよ!」
「どっちでもいいし!」

 怒鳴るたびに吐きそうになる。
 ヤバイ……。
 胃液が喉のすぐそこまで上がってきてる。
 麦茶を飲もうと思ったけど、既にグラスは空っぽだった。

「さっきも言ったんだが」

 父さんがあたしの目をじっと見ながら説明する。

「オレ達は入果の決断に異議を唱えるつもりはない。今まで通り父さんとこの家で暮らすか、それとも母さんと新しい生活を送るか、それとも……」
「それとも?」
「そのどっちもイヤだったら、入果が一人暮らしを始めるかだ。生活費は父さんと母さんで工面するから心配いらない」
「三択なの?」
「今のところは……」
「離婚を考え直すとかは?」
「それはない」
「ないわ」

 父さんも母さんも真剣な目でそう告げた。
 二人とも、完全に薔薇色の未来しか見えてない。
 この家で三人揃って暮らした思い出なんて、もう燃えカスでしかないんだね。

 あっそ。

 二人はそれでもいいよ。どうぞ末永くお幸せに。
 でも、あたしはまだ十七歳になったばかりなんだよ?
 幼稚園に入る前から水泳一筋で生きてきてさ、この歳で初恋すらしてこなかったあたしの人生って一体何なの?
 あたしを置き去りにしてどんどん話進めていきなり三つの中から好きなの選べって、アイスクリーム屋さんでフレーバー選ぶのとワケが違うんだから!
 牛丼を超早食いしていきなりどこに住むかなんて決められないって!
 あたしはそれを声に出して言いたかった。
 身勝手な両親に向かって、この怒りと不満を全てぶちまけたかったの。
 でも、そんな元気はもうなかった。
 いろんな意味で気分が悪い。
 あたしにとってそんな想像もできない未来よりも、明日の朝錬の方が大事に思えて仕方なかった。
 学校に行けば、こんなドロドロした家族なんて忘れられるだろうから。

 家族?

 もうすぐ家族じゃなくなっちゃうけどさ。
 立ち上がって、空のグラスを流しに置いた。

「今日はもういい。ハミガキして寝るし……」

 そう言うと、二人ともそれ以上口を開かなかった。
 即決なんて最初から想定してなかっただろうし。

 うぅ……。

 限界だった。
 洗面所に行ってウガイしようとした時、あたしはとうとう我慢しきれなくなって大量のゲロを吐いてしまった。

「オ、オイ! 大丈夫か?」
「イルちゃん!」

 異変に気づいた二人が洗面所に駆けつける。
 あたしは自分でも驚くくらい冷静だった。

「来ないで」

 嘔吐によるもの……そして、それ以外の何かで出た涙を手の甲で拭いながら二人に言う。

「まだ吐き気が残ってるから。ドア閉めてくれる?」

 すまなそうな顔で父さんが指示に従う。
 あたしは前を向く。
 洗面所の大きな鏡がひどい顔の女を映してる。
 真っ黒に日焼けした肌、バサバサに傷んだ茶髪でゲロまみれ、いかり肩で胸はナシ……。

 何コレ? 殆ど妖怪じゃん。

 そして、二度目の吐き気を催す。
 まるで自分のブサイクな顔見て吐いてるみたい。

 あながち間違ってもないけどね。



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