イルカノスミカ

よん

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火曜日

傷心で火曜日 9

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 普段、何気なく使ってたシャンプーとコンディショナー、この日ほどロッカーに入れといてよかったと思ったことはない。
 念入りに体と髪を洗う。

 さて、どうしよう……。

 下着だけでも近所のスーパーで買ってくる?
 そんなお金持ってないじゃん。
 買えるとしたら百均のパンツとブラ……ここらへん百均あるっけ? 円安でどこも潰れたし。
 それとも、今夜はノーパンノーブラで寝よっかな。
 あたしが涙で濡らしたシーツと枕カバー、ミユキ先生が学校の洗濯機で洗うって言ってたから一緒にそこ放り込んでさ。

 あ……ブラジャーネットないや。
 スポーツブラだからネットなしでも……いやいや! そんなギャンブルできないって。
 あ~、気持ち悪い。
 家に帰ったミユキ先生が羨ましい。ミユキ先生、貸してくれないかな……て、サイズ違いすぎんだろ。
 セームタオルで体を拭いて着替える。下着のことはまた後で考えよう。

「あッ!」

 下着なんてまだいいじゃん。中に隠せるから。
 水着やシリコンキャップも手洗いでいい。
 すぐ乾くし、むしろ洗濯機に入れたら縮んじゃう。
 問題はスクールシャツだ。
 これは次の日そのまま着たら汗臭いぞ!
 てか、既にほんのり香ばしい。

 どうする? 購買?
 絶対閉まってるよ!
 まさか、こんなくだらないことで壁にぶつかるなんて話になんない!
 家出って思いつきでするもんじゃないね。
 ちゃんと計画立てないとマジ心折れるって。
 それにさ、近所のコインランドリーで洗濯と乾燥……それ待ってる間、あたしマッパか?
 百均でパンツとTシャツとブラジャーネット……洗剤もいるし。
 あわわわわわわわ……あ、あたし所持金幾らだ?
 消費税八パーって地味にキツイっすよアベさん。
 コインランドリーってどれくらいお金いるの?
 学校の洗濯機使ったとしてどこで干す?
 屋上行っても今からじゃ乾かないし……ひいいいいいいいいぃ、ど、どうすりゃいいんだッ!

 ゲッソリしながら部室を出ると、水泳部女子全員があたしを待っててくれた。
 友情は嬉しいけども、今日に限って言えば一人にしてほしかった。

「あ、ごめん。先に帰っててくれてよかったのに」
「イルカ先輩、まだ具合悪いんですか? 顔色が真っ青ですぅ」
「……いや、だから真っ黒に焼けてるって」
「うんにゃ、青黒いよ。腐ったナスの漬物みたい」
「イル、紫団だからね」

 美鈴の指摘にぎゃははははと盛り上がる一同。……おのれら、こっちはノーパンノーブラの修羅場迎えてんだぞ!

 そんな中、すぐ素に戻ったノン様があたしの顔を心配そうに覗き込む。

「イルたん、明日は朝練休んじゃいなよ? きっと今はそういう時期なんだよ」
「大丈夫だって。多分、明日も一番乗りだと思う」

 だって、ずっと学校にいるからね。


     *


 やっと一人になれた。
 そしてずっと一人で自転車を漕ぎ続けてる。
 漕ぐ。漕ぎまくる。漕ぎ疲れた……。

 今、何時だろ? 真っ暗だ。

 そこにいきなりケータイが鳴った。
 アニメのじゃない。だいぶ前にダウンロードした水泳大会の曲だ。
 漕ぐのをやめる。

「もしもし」
「瀬戸、どこだ?」
「今、絶賛迷子中です……。ミユキ先生、助けて! あたしどこにいるかわかりません!」
「近くに何が見える?」
「え? え~と、野球場があります。グラウンドとかじゃなく本格的な」
「そりゃ平塚だな」
「え、マジでッ?」
「逆走して戻って来い。ちなみに、何しに平塚まで行ったか訊いておこうか?」
「来たくて来たんじゃないもん! 百均で下着とブラジャーネットとTシャツと洗剤を買おうと思ったら、こんなところまで来ちゃったんです!」
「着替えならある。補導されんうちに戻って来い」

     *

 結局、最初の一日は無駄に過ぎてしまった。
 せっかくシャワーを浴びたのに意味もなく平塚まで自転車を漕いだせいで、余計に汗だくになってしまった。
 学校に戻ってミユキ先生の顔を見たのはもう九時を大きく過ぎていた。
 貴重なミユキ先生との時間が……こんなはずじゃなかったのに。

「ほれ、着替え。もう一度シャワー浴びてこい」

 体育祭の準備で何人かは居残ってたみたいだけど、さすがにこんな時間になると学校にはあたしとミユキ先生二人きり。……ちなみに、ミユキ先生はスッピンだった。
 まあ、もう寝るだけだし、素顔見るのあたしだけだもんね。
 ノーメイクのミユキ先生、意外と幼い顔してた。人って化粧であれだけ色っぽくなるんだ。

 シャワー室でミユキ先生が渡してくれたアパレルのショッピング袋の中身を見て、あたしは驚愕した。
 白のラメ入りTシャツはいいとして、黒の妖艶なランジェリー!

 無理だ。

 さすがにこれは無理。明日、体育あるのに……。
 仕方ない。
 とりあえず、今晩だけ我慢してコレ履こう。……下だけね。
 てか、コレ殆ど紐じゃん!
 ブラはサイズが違いすぎるし!
 つけなくてもわかる。
 あたしのいかり肩と平たい胸に合うわけない。
 ストラップがキツキツなのにカップがスカスカって、同じ女として屈辱すぎるわ。
 早朝にコインランドリーへ直行しなきゃ!
 ブラジャーネットはあきらめるしかない。
 スポーツブラが傷まないよう祈るのみだ。
 そして、授業が終わったらイヤだけど家に戻って三日分の下着とブラジャーネットを持ってこよう。
 着替え用のスクールシャツと体操着もいる。
 Tシャツと短パン、ソックス……衣類はそんなもんか。
 ドライヤー、鏡、旅行用のハミガキセット、ケータイの充電器……お金もあるだけ持ってこなくちゃ。
 今の所持金、二千円ちょっとしかない。

 それにしても、あたし何やってんだろ。全部が空回りしてる。
 ビッグサイズのポテトチップス食べてから運気が下がってく一方だ。
 これで乾燥機が生乾きとかだったら、明日は湿った下着とシャツで授業受けなきゃなんない。
 明日こそはまともに授業に出たいし、こんな馬鹿な理由で休みたくもない。
 そうでなくても、キヅラガワのヤツがあたしを目の敵にして生徒指導室に呼び出すかもしれないってのに。

 保健室に戻ると、ミユキ先生はあたしのためにまたもお弁当を二段の重箱で用意してくれていた。

「Tシャツ小さくなかったか?」
「Tシャツは大丈夫です。肩幅ちょっとつっぱるけど。……あの、絆創膏二つもらっていいですか?」
「怪我でもしたのか?」
「え……あの……その……」

 あたしは横を向いてモジモジと胸を隠す。

「ああ、ニプレスね。すまんな。オマエのサイズがわからんから、タンスに眠ってる下着を持ってきた。未使用だから安心しろ」
「いえ、そこまで贅沢は言えません。ありがとうございます。マジ助かってます。……ただ、黒い下着って超恥ずかしいっす」
「何で? スク水は黒だろ?」
「水着と下着は違うんです! おまけにコレ、ゴリゴリのTバックじゃないですか!」
「あ……忘れてた」

 急にミユキ先生が引き出しを開けた。

「サニタリーショーツでよかったらあるが?」
「ええぇ――ッ? 最初からそれ出してくださいよッ!」


 ミユキ先生の手料理を一日二回も食べられるなんてあたしは幸せだ。
 雑穀米のオニギリがドーンと下段を占めていて、上段は肉じゃがに豆腐ハンバーグにシャケの西京焼き、ズッキーニとしめじの天ぷらに柿サラダにきんぴらごぼう……。
 本当にマメな人だな。
 あたしなんて、肉じゃがだけでお茶碗三杯イケちゃうのに。

 お昼の量を上回るお弁当を二人で平らげると、ミユキ先生は突然スマホを持って「瀬戸、ピースしろ」と、あたしと並んで自撮りした。

「……へ?」

 不意打ちなので、あたしはぎこちなく笑ってたと思う。

「よしよし」

 画像を確認したミユキ先生。

「コレ、旦那に送るな?」
「はい……って、ええぇッ?」

 驚くあたしを尻目に、了承もなくミユキ先生がメールを送信してしまう。

「心配しとるからな。私が本当に女子と一緒にいるのかを」
「あたし、女子に見えますか?」
「自信がないならTシャツ脱いでもう一枚撮るか?」
「脱いでもわかんないと思いますが」

 あたしがそう言い終わらないうちにソッコーで返事がきた。
 それを見たミユキ先生、冷ややかな表情のままにスマホを机の上に置いてしまう。

「旦那さん、何て?」
「瀬戸のこと気に入ったみたいだぞ。『今すぐウチに連れて来い』って」
「マジでッ?」

 あたしは素直に喜んだ。

「ねえ、旦那さんの顔見せてくださいッ! すっごい興味ある!」
「今度、実物を見に来い。タンメンのブタのキャラクターに似てる」
「えー、超カワイイじゃないですか!」
「エコゴリくんにも似てるかな?」
「え? それはそれでカワイイけど……旦那さん、ブタとゴリラに似てるんですか?」
「うん」
「……」

 目を閉じてじっくり考えてみたものの、うまく想像できない。
 更に言うなら、その人とミユキ先生が一緒に暮らしてる画も全然思い浮かばない。

「明日はどうする?」

 四つん這いになったブタ鼻のゴリラ男を鞭でピシピシ叩くアメコミ調のミユキ先生をイメージしてたら、その質問にいきなり現実へ戻された。

「明日は……やっぱり学校に泊まっていろいろ考えたいです。まだ何にも今後のこと決めてないし」
「そうか」

 ミユキ先生はそれ以上何も訊かずに、棚から取り出した新品のハブラシと歯磨き粉をあたしに渡す。
 ショーツと同じで保健室の備品だ。

「いろいろ疲れただろ? 明日に備えて早く寝よう」


 一階トイレでハミガキを終えて保健室に戻ると、ミユキ先生は用意していた就寝用のジャージに着替えた。

「何だ?」

 あたしの視線を感じたミユキ先生が振り返って訊いてくる。

「意外です。ピンクでスケスケのネグリジェとか想像してました」
「瀬戸に襲われると困るからジャージにしといた」

 やっぱ持ってるんだ……。
 二つあるベッド。
 あたしの涙と鼻水で濡れたベッドはもう乾いてる。
 当然、あたしがそのベッドで寝る。
 シーツと枕カバー、明日の朝に洗濯して屋上で干すらしい。

「ミユキ先生、明日は午前中まででしょ? あたし、部活前に取り込んどきますよ」
「気にするな。事務の子に頼んでおく。……オマエは洗濯どうするんだ? ここでするか?」
「明日の分がないですからね。乾くの待ってらんないから、朝早く起きて近所のコインランドリー行きます」
「早朝か……。鍵かかってないといいけどな」
「え?」

 考えてなかった。
 あたしは勝手にコインランドリーって、どこも二十四時間営業だと決めつけてた。

「電気消すぞ?」

 真っ暗。
 あたしはケータイのライトでミユキ先生の足元を照らす。
 そうだ!
 ケータイ、アラーム設定しとかないと。
 うぅ、不安だなあ、コインランドリー……。

「おやすみ」

 ベッドに入ったミユキ先生のその声にあたしは焦りを感じる。


 終わっちゃう……。

 明日になれば柔道場で一人きり。
 誰もあたしにアドバイスしてくれない。
 いろいろ訊けるのは実質今日が最後だ。

「先生」
「……ん?」

 そう呼んだものの、あたしは何を訊いたらいいのかわからなかった。
 何か……何か喋らなきゃ!

「あ、あの、先生ってブランド好きですよね?」

 違う! そんなこと訊きたいわけじゃない!
 しかし、ミユキ先生は真面目に答えてくれる。

「バッグと財布だけな。後は安物ばっかりだ」
「え? じゃあ、あの高そうな腕時計は?」
「別に高くないぞ。デーヨーケイツーでニッキュッパだ。英和辞典並みの値段だろ?」
「嘘ッ? 激安ッ!」

 そう言いつつ、今のあたしには買えない額だけど。

「瀬戸」
「はい?」
「オマエが卒業したらロエバのバッグやろうか? ほら、今朝、旦那の弁当入れたカバン」
「ええええぇ――ッ! い、いいんですかッ? あんな高そうなの?」
「確かにアレは高いな。だが、正直もうそろそろ飽きてきた。経験上、あと一年経ったら完全にタンスから出てこないと思う。タンスの肥やしになるくらいなら、誰かに使ってもらった方が断然いい」
「マジですか? 本気にしちゃいますよ?」
「いいよ。ただし、オマエがここを卒業したらな。中退したらあげない」

 え……あたし、やっぱ中退するって思われてる?

「中退は……ないですよ。生き幅なさすぎだし。それに、あたしココ好きだから。辞める理由なんてないです」

 ミユキ先生はそれについて何も言わない。
 ワザと言わないんだ。
 あたしに考えさせるために。

「スペイン製」
「え?」

 ミユキ先生がポツリと呟いた。

「ロエバだよ。スペイン王室御用達ブランドだ。……ブエナス・ノチュスおやすみ



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