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ユニフォームに着替え、ミット片手に1人でグランドに行くと、マウンドに呆然と佇んでいるハツメを見つけた。どうしたんだ……?
「ずっとああなんです」
ダッグアウトの隅っこには、同じくユニフォーム姿の雅さんがいた。相変わらずの巨……いや、今はそれどころじゃない。
「どうなってんですか? そもそも、朝飯も食わないでグランドに来るなんて」
「ワタクシにもわからないのです」
今朝も眼鏡が似合う雅さん、フルフルと首を振る。
「ただ、ハツメ様が『グランドに照明を入れろ』と仰せでしたので、急遽、職員さんに早出をお願いしたのでございます」
どこまでも迷惑な女だな。
大体、僕がいなきゃ投球練習もできないだろ。
「雅さんは休んでて下さいよ。どうせ1人じゃ守備練習できないですから。……あ、紫ちゃんは今日もサボりです。今から六時間、シチューを煮込むらしいんで」
でも、という困り顔の雅さんを残して、僕はサハラブドームのマウンドに向かう。
まるで、ピンチを迎えたピッチャーを激励しに行くピッチングコーチみたいだ。
「おい、どうした? 朝飯も食わないでさ」
呆けていた。
妙だ。あの居丈高なハツメじゃない。
「そんなに投げたいのか? ま、明日が本番だから気持ちもわかるけどさ」
僕自身、早く312キロをキャッチできるようになりたい。逸る気持ちはハツメ以上だ。
「練習は中止だ」
ハツメは真っ赤な天井を見上げたままそう洩らした。
朝飯も食わないでユニフォームに着替えておきながらもこの発言、ワケがわからない。
「またワガママお姫様ぶりを発揮してやがる。どういうことか説明しろ」
ハツメの照準器はようやく僕を捉える。
「小泉辰弥」
またフルネームか。
その鋭い目つきから、親しみを込めてそう呼んでいるようでもなさそうだ。
「アタシの脳が拒絶している」
「――ッ! な、何を……?」
「オマエをだ。だから、もう投げられない」
*
キャッチャー用具一式を購入するため、オンラインゲームに夢中になっている6を無理やり部屋から引きずりだした。
「キミはいつまでわたしにお金を工面してもらうつもりなのかな?」
昨日とは一転して、6はラフな格好に元通り。
ベージュのスカートには醤油らしきシミが付いている。部屋着にも程がある。
「ハツメに言えよ。本当なら、アイツを連れ出す筈だったんだ」
サハラブドームに一番近いスポーツ用品店は電車で2駅。
そこに希望した物が一式あったので、今日中に送ってもらうことになった。
「馬鹿馬鹿しい。結局は配送じゃないか。だからオンラインショップで買えばよかったのに。そうすれば、わたしはあのバトルを途中で抜けることもなかったんだ。タッちゃんのせいで、時間さえかければ確実にもらえる経験値とアイテムを損したよ」
6の不平不満がとまらない。
「ゲームを買うのとはワケが違うんだぞ。実際に身につけなきゃ具合がわからないじゃないか」
「そんなものかな?」
「そんなもんだ」
「わたしはブラだってネットで買うからその気持ちがわからない。……今さ、『小さいからそんなのしなくてもいいじゃん』って思ったでしょ? はい、図星」
「僻むなよ。翔姉さんの服はちゃんと店まで見に行くのに、がさつだなとは思ったけど」
「ショタコンの嗜みだよ。わたしのブラより、翔の服に気合いが入るのは当たり前じゃないか」
翔姉さん、僕達より年上だぞ。
呼び捨てはともかく、着せ替え人形扱いはさすがにひどい。されるがままの翔姉さんにも問題あるが。
「そのうち、埋め合わせするよ。どっちにしろ本番は明日だ。ネット注文じゃ間に合わない」
口から出まかせだった。不戦敗濃厚なのに、埋め合わせなんてできるのか?
今のハツメは左腕を動かせない。
しかも、原因はこの僕らしい。
アイツに近づき過ぎたから、脳が嫉妬したとか?
このままじゃ、明日でドリーム・レッズは終わってしまう。
だからと言って備えは必要だ。お客さんの前で丸腰に出るワケにもいかない。
何しろ、明日は僕のデビュー戦なんだ。
練習中止の理由をみんなに内緒のまま、僕は負け戦に挑むために用具を揃えた帰りにこうして6と電車に乗っている。この切符代も6が払ってくれている。ミジメだな。
「昨日の晩は楽しかった?」
「……え?」
出し抜けの質問に面食らう。
「ハツメはどうだったかと訊いてるんだよ?」
「わかってる。それと同じことを紫ちゃんにも訊かれたから。でも、何にもないよ。僕はフローリングで寝たし、目覚めたらアイツは部屋にいなかった」
「イメージが崩れた?」
「いい方向にね。……ハツメはどこにでもいる普通の女の子だった」
ただ、だからこそ、6を除く3人に対する仕打ちがますますわからなくなってきた。
明日、ドリーム・レッズが負ければ3人はハツメから解放されるのか?
それはそれで喜ばしいが、何だか複雑だ。
考えるのはよそう。
「6はどうだったの?」
気分を変えるために、仕返しのつもりで訊ねた。
「何が?」
「結婚初夜だろ。昨日の晩は楽しんだのか?」
ああ、と6が気づく。
「ビチャビチャだったからね。すぐに洗濯して乾燥機に放り込んで……」
「放り込んで……?」
「今、穿いてる」
穿いてる? 僕のパンツを? 今?
ポーカーフェイスの6。その発言が真実なのか冗談なのかサッパリわからない。
「着いたよ」
6が席を立つ。
「ほら。ボーッとしてないで、さっさと降りた降りた」
*
「おい、キミ! 小泉辰弥君だろ?」
外に出たついでだからと、翔姉さんの服を買いに行った6と別れて数分後、誰かに呼び止められた。
……懐かしい。すっかりおじさんだな。こざっぱりな格好したイケメンではあるけれど。
「オレのことは知っているよね? ずいぶん昔だけど、キミに会ったことがある」
「勿論です。藤堂さんですよね? 千手アスラズで父さんとバッテリーを組んでいて、何度か我が家に遊びに来てくれたのを覚えてます」
よかったと安堵の表情。老けたとはいえ、面影はある。
でも、僕なんて小学生から高校生(中退)になったんだぞ。
当時に比べて変わりまくりなのによくわかったな。
そう思っていたら、
「記者会見を拝見したよ」
記者会見?
意味がわからないので、ポカーンとなる。
「知らないの? ドリーム・レッス新加入選手の入団記者会見だよ。昨日、ニュースやワイドショーでも放送されていたんだけどな。尤も、キミは画像しか出てなかったけど」
こっちは初耳なんだ。知る筈がない。画像っていつ撮ったんだよ?
「本人不在で誰が喋ったんですか?」
「田崎さんだよ」
僕がその人物を知っているかのように、藤堂さんは答える。
誰? 山根なら知ってるけど。
「え、会ったことないの? 本当に何にも知らないんだな」
「何も知らされないまま、明日の本番を迎えます」
「急だったからね。田崎さんはドリーム・レッズの球団社長だよ。ついでにドリーム・チャレンジの主審もやっている。……時間どう? ちょっと話さないか?」
願ったり叶ったりだ。
僕も藤堂さんとは喋りたいと思っていたんだ。
「ずっとああなんです」
ダッグアウトの隅っこには、同じくユニフォーム姿の雅さんがいた。相変わらずの巨……いや、今はそれどころじゃない。
「どうなってんですか? そもそも、朝飯も食わないでグランドに来るなんて」
「ワタクシにもわからないのです」
今朝も眼鏡が似合う雅さん、フルフルと首を振る。
「ただ、ハツメ様が『グランドに照明を入れろ』と仰せでしたので、急遽、職員さんに早出をお願いしたのでございます」
どこまでも迷惑な女だな。
大体、僕がいなきゃ投球練習もできないだろ。
「雅さんは休んでて下さいよ。どうせ1人じゃ守備練習できないですから。……あ、紫ちゃんは今日もサボりです。今から六時間、シチューを煮込むらしいんで」
でも、という困り顔の雅さんを残して、僕はサハラブドームのマウンドに向かう。
まるで、ピンチを迎えたピッチャーを激励しに行くピッチングコーチみたいだ。
「おい、どうした? 朝飯も食わないでさ」
呆けていた。
妙だ。あの居丈高なハツメじゃない。
「そんなに投げたいのか? ま、明日が本番だから気持ちもわかるけどさ」
僕自身、早く312キロをキャッチできるようになりたい。逸る気持ちはハツメ以上だ。
「練習は中止だ」
ハツメは真っ赤な天井を見上げたままそう洩らした。
朝飯も食わないでユニフォームに着替えておきながらもこの発言、ワケがわからない。
「またワガママお姫様ぶりを発揮してやがる。どういうことか説明しろ」
ハツメの照準器はようやく僕を捉える。
「小泉辰弥」
またフルネームか。
その鋭い目つきから、親しみを込めてそう呼んでいるようでもなさそうだ。
「アタシの脳が拒絶している」
「――ッ! な、何を……?」
「オマエをだ。だから、もう投げられない」
*
キャッチャー用具一式を購入するため、オンラインゲームに夢中になっている6を無理やり部屋から引きずりだした。
「キミはいつまでわたしにお金を工面してもらうつもりなのかな?」
昨日とは一転して、6はラフな格好に元通り。
ベージュのスカートには醤油らしきシミが付いている。部屋着にも程がある。
「ハツメに言えよ。本当なら、アイツを連れ出す筈だったんだ」
サハラブドームに一番近いスポーツ用品店は電車で2駅。
そこに希望した物が一式あったので、今日中に送ってもらうことになった。
「馬鹿馬鹿しい。結局は配送じゃないか。だからオンラインショップで買えばよかったのに。そうすれば、わたしはあのバトルを途中で抜けることもなかったんだ。タッちゃんのせいで、時間さえかければ確実にもらえる経験値とアイテムを損したよ」
6の不平不満がとまらない。
「ゲームを買うのとはワケが違うんだぞ。実際に身につけなきゃ具合がわからないじゃないか」
「そんなものかな?」
「そんなもんだ」
「わたしはブラだってネットで買うからその気持ちがわからない。……今さ、『小さいからそんなのしなくてもいいじゃん』って思ったでしょ? はい、図星」
「僻むなよ。翔姉さんの服はちゃんと店まで見に行くのに、がさつだなとは思ったけど」
「ショタコンの嗜みだよ。わたしのブラより、翔の服に気合いが入るのは当たり前じゃないか」
翔姉さん、僕達より年上だぞ。
呼び捨てはともかく、着せ替え人形扱いはさすがにひどい。されるがままの翔姉さんにも問題あるが。
「そのうち、埋め合わせするよ。どっちにしろ本番は明日だ。ネット注文じゃ間に合わない」
口から出まかせだった。不戦敗濃厚なのに、埋め合わせなんてできるのか?
今のハツメは左腕を動かせない。
しかも、原因はこの僕らしい。
アイツに近づき過ぎたから、脳が嫉妬したとか?
このままじゃ、明日でドリーム・レッズは終わってしまう。
だからと言って備えは必要だ。お客さんの前で丸腰に出るワケにもいかない。
何しろ、明日は僕のデビュー戦なんだ。
練習中止の理由をみんなに内緒のまま、僕は負け戦に挑むために用具を揃えた帰りにこうして6と電車に乗っている。この切符代も6が払ってくれている。ミジメだな。
「昨日の晩は楽しかった?」
「……え?」
出し抜けの質問に面食らう。
「ハツメはどうだったかと訊いてるんだよ?」
「わかってる。それと同じことを紫ちゃんにも訊かれたから。でも、何にもないよ。僕はフローリングで寝たし、目覚めたらアイツは部屋にいなかった」
「イメージが崩れた?」
「いい方向にね。……ハツメはどこにでもいる普通の女の子だった」
ただ、だからこそ、6を除く3人に対する仕打ちがますますわからなくなってきた。
明日、ドリーム・レッズが負ければ3人はハツメから解放されるのか?
それはそれで喜ばしいが、何だか複雑だ。
考えるのはよそう。
「6はどうだったの?」
気分を変えるために、仕返しのつもりで訊ねた。
「何が?」
「結婚初夜だろ。昨日の晩は楽しんだのか?」
ああ、と6が気づく。
「ビチャビチャだったからね。すぐに洗濯して乾燥機に放り込んで……」
「放り込んで……?」
「今、穿いてる」
穿いてる? 僕のパンツを? 今?
ポーカーフェイスの6。その発言が真実なのか冗談なのかサッパリわからない。
「着いたよ」
6が席を立つ。
「ほら。ボーッとしてないで、さっさと降りた降りた」
*
「おい、キミ! 小泉辰弥君だろ?」
外に出たついでだからと、翔姉さんの服を買いに行った6と別れて数分後、誰かに呼び止められた。
……懐かしい。すっかりおじさんだな。こざっぱりな格好したイケメンではあるけれど。
「オレのことは知っているよね? ずいぶん昔だけど、キミに会ったことがある」
「勿論です。藤堂さんですよね? 千手アスラズで父さんとバッテリーを組んでいて、何度か我が家に遊びに来てくれたのを覚えてます」
よかったと安堵の表情。老けたとはいえ、面影はある。
でも、僕なんて小学生から高校生(中退)になったんだぞ。
当時に比べて変わりまくりなのによくわかったな。
そう思っていたら、
「記者会見を拝見したよ」
記者会見?
意味がわからないので、ポカーンとなる。
「知らないの? ドリーム・レッス新加入選手の入団記者会見だよ。昨日、ニュースやワイドショーでも放送されていたんだけどな。尤も、キミは画像しか出てなかったけど」
こっちは初耳なんだ。知る筈がない。画像っていつ撮ったんだよ?
「本人不在で誰が喋ったんですか?」
「田崎さんだよ」
僕がその人物を知っているかのように、藤堂さんは答える。
誰? 山根なら知ってるけど。
「え、会ったことないの? 本当に何にも知らないんだな」
「何も知らされないまま、明日の本番を迎えます」
「急だったからね。田崎さんはドリーム・レッズの球団社長だよ。ついでにドリーム・チャレンジの主審もやっている。……時間どう? ちょっと話さないか?」
願ったり叶ったりだ。
僕も藤堂さんとは喋りたいと思っていたんだ。
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