南朝吉野が遣る方無く物寂しいので、交換日記で先輩女御にぶっちゃけてみる。
時は南北朝時代真っ只中。立場の異なる二人の女が退屈のあまり、人里離れた吉野の山中で秘密の日記を交わす。一人はこの年に先帝の崩御によって践祚したばかりの長慶天皇の母(日記名は柿)、もう一人は長慶天皇の寝所に侍る女御(日記名は紅葉)。現代語訳満載、というより古典要素薄すぎるぶっちゃけ古典会話劇です。
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