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正平二十四年弥生六日 柿→紅葉
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ねえ、紅葉。
私はちゃんと書いたわよね?
ええ、たった今確認しました。如月二十二日、間違いなくこう認めてあります。
>いいですか? しおらしく、控えめに、ですよ? くれぐれも、愚痴など漏らさぬよう。
あなた、寛成は今上天皇であらせられる御人ですよ?
その現役バリバリの長慶天皇に向かって、それはそれは執拗に"いろは"を迫ったそうではありませんか! それのどこがしおらしいというのです!
しかも逃げる寛成をあなたの言う四半時(三十分)などではなく、実際には一時(二時間)も追い掛け回して膝の上に乗って挙句の果てには耳朶まで引っ張っただなんて信じられません。たかが女御の分際で身の程を知りなさい!
まあ救いなのは寛成も満更ではなさそうで、あなたと久方ぶりに長々と言葉を交わして一気に距離が縮まったことが嬉しそうではありましたが……。
だからと言って自惚れないで頂戴ね?
今後、紅葉に余計な入知恵はなさらぬようにと、私は内の御方より強く釘を刺されました。
あとね、これはお詫びです。
あなたの諱が"伊呂波"なのと、寛成が取り組んでいる注釈書の題が『源氏いろは抄』及びその構成が"いろは"順なのは全くの無関係であることが判明しました。
寛成自身がそう言っていたので間違いありません。
なので、あなたが「白状なさってください」と詰め寄ったところで、実際それとは違うのですから寛成は肯定しようにもできなかったのです。
ですが、あまりにもあなたがドヤ顔でしつこく迫るものだから、あの子はやむなく嘘をついて認めたフリをしたようです。
ええ、そうです。そうですとも。
全部が全部、私の早合点でしたの。ごめんなさいね。
京の都ではこういう軽い謝罪時に"てへぺろ"と言うとか言わないとか。……そりゃ、たまには母の勘も外れるわよ。
ところであなた、今頃お顔が真っ赤でしょう? うふふふふふ。ああ愉快。
考えてみれば当然よね。
"いろは"なんてあなたの諱だけのものじゃないもの。
寧ろ寛成は"いろは歌"から拝借したって考えるのがありきたりで自然だわ。
ともあれ、おあいこですわね。おあいこ返し。
そもそも発端は私があなたを焚き付けてしまったことにあるのですから、これで水に流してあげます。
それはそれとして、昨日のあなたの日記は珍しく弱気でしたわね。
けれど、それもまた紅葉の"赤裸々"なのだと思うと納得です。
つらいことではありますが、永遠に変わらぬものなどこの世にはありません。今いる吉野は今だけのもの、次の吉野はまた別の吉野なのです。
紅葉、こういう時ですよ?
古より、こういう時にこそ人は歌を詠むものです。
行末を猶やたのまん涙川ながれて後の逢ふ瀬有やと
(やはり将来に期待しようか。たくさん涙を流した後に逢える日もくるかもしれないと)
弱気でもかまいません。泣いてもいいのです。
だけど、希望を失ってはいけません。恋も人生も。
もう一つ。
行き憂しと思はぬ旅の空なれや人やりならぬ春の雁がね
(行くことがつらいなどと思わぬ旅の空なのか? 無理に人間が北へと追いやるわけではない春の雁って)
今のメソメソしているあなたは春の雁にも劣りますよ?
天野に行けば、ここでは得られないいいこともきっとあります。だから、前だけを向きなさい。紅葉と寛成も今よりずっとよい特別な関係になるでしょうし、私なんかと日記を交わすより、愛する殿方と共に優雅な歌を詠めばよいのです。
まあ、若いあなたから"真の友"と呼ばれたら、そりゃ悪い気はしませんでしたけどね。
ですが、目上の私にあのような呼び捨ての連続はいかがなものかしら?
身バレ?
もはや諱など晒さなくても、これを見られた時点でバレバレでしょう。
私とあなた以外、一体誰がここに書いてある"柿"と"紅葉"に該当するというのです?
そうそう、私は嘉喜門院と名を改め、内の御方に宣下して戴くつもりです。
素敵でしょう?
言うまでもなく、あなたから名付けられた"柿"を院号に頂戴しましたよ。
はい、これでもう身バレは決定的ですね。
だから日記の紛失には十分に気をつけて頂戴。
いいこと?
これは決してフリでもお約束でもありません。笑いなどいりませんから。
てか、少しも笑えないから。
くれぐれも失くさないよう。
……あなた、本当に失くしそうでマジ怖いわ。
【以降、"柿"こと藤原勝子改め嘉喜門院の不吉な予感通り、粗暴で不用心な西園寺伊呂波の紛失劇によって二人の交換日記はここに途絶える】
私はちゃんと書いたわよね?
ええ、たった今確認しました。如月二十二日、間違いなくこう認めてあります。
>いいですか? しおらしく、控えめに、ですよ? くれぐれも、愚痴など漏らさぬよう。
あなた、寛成は今上天皇であらせられる御人ですよ?
その現役バリバリの長慶天皇に向かって、それはそれは執拗に"いろは"を迫ったそうではありませんか! それのどこがしおらしいというのです!
しかも逃げる寛成をあなたの言う四半時(三十分)などではなく、実際には一時(二時間)も追い掛け回して膝の上に乗って挙句の果てには耳朶まで引っ張っただなんて信じられません。たかが女御の分際で身の程を知りなさい!
まあ救いなのは寛成も満更ではなさそうで、あなたと久方ぶりに長々と言葉を交わして一気に距離が縮まったことが嬉しそうではありましたが……。
だからと言って自惚れないで頂戴ね?
今後、紅葉に余計な入知恵はなさらぬようにと、私は内の御方より強く釘を刺されました。
あとね、これはお詫びです。
あなたの諱が"伊呂波"なのと、寛成が取り組んでいる注釈書の題が『源氏いろは抄』及びその構成が"いろは"順なのは全くの無関係であることが判明しました。
寛成自身がそう言っていたので間違いありません。
なので、あなたが「白状なさってください」と詰め寄ったところで、実際それとは違うのですから寛成は肯定しようにもできなかったのです。
ですが、あまりにもあなたがドヤ顔でしつこく迫るものだから、あの子はやむなく嘘をついて認めたフリをしたようです。
ええ、そうです。そうですとも。
全部が全部、私の早合点でしたの。ごめんなさいね。
京の都ではこういう軽い謝罪時に"てへぺろ"と言うとか言わないとか。……そりゃ、たまには母の勘も外れるわよ。
ところであなた、今頃お顔が真っ赤でしょう? うふふふふふ。ああ愉快。
考えてみれば当然よね。
"いろは"なんてあなたの諱だけのものじゃないもの。
寧ろ寛成は"いろは歌"から拝借したって考えるのがありきたりで自然だわ。
ともあれ、おあいこですわね。おあいこ返し。
そもそも発端は私があなたを焚き付けてしまったことにあるのですから、これで水に流してあげます。
それはそれとして、昨日のあなたの日記は珍しく弱気でしたわね。
けれど、それもまた紅葉の"赤裸々"なのだと思うと納得です。
つらいことではありますが、永遠に変わらぬものなどこの世にはありません。今いる吉野は今だけのもの、次の吉野はまた別の吉野なのです。
紅葉、こういう時ですよ?
古より、こういう時にこそ人は歌を詠むものです。
行末を猶やたのまん涙川ながれて後の逢ふ瀬有やと
(やはり将来に期待しようか。たくさん涙を流した後に逢える日もくるかもしれないと)
弱気でもかまいません。泣いてもいいのです。
だけど、希望を失ってはいけません。恋も人生も。
もう一つ。
行き憂しと思はぬ旅の空なれや人やりならぬ春の雁がね
(行くことがつらいなどと思わぬ旅の空なのか? 無理に人間が北へと追いやるわけではない春の雁って)
今のメソメソしているあなたは春の雁にも劣りますよ?
天野に行けば、ここでは得られないいいこともきっとあります。だから、前だけを向きなさい。紅葉と寛成も今よりずっとよい特別な関係になるでしょうし、私なんかと日記を交わすより、愛する殿方と共に優雅な歌を詠めばよいのです。
まあ、若いあなたから"真の友"と呼ばれたら、そりゃ悪い気はしませんでしたけどね。
ですが、目上の私にあのような呼び捨ての連続はいかがなものかしら?
身バレ?
もはや諱など晒さなくても、これを見られた時点でバレバレでしょう。
私とあなた以外、一体誰がここに書いてある"柿"と"紅葉"に該当するというのです?
そうそう、私は嘉喜門院と名を改め、内の御方に宣下して戴くつもりです。
素敵でしょう?
言うまでもなく、あなたから名付けられた"柿"を院号に頂戴しましたよ。
はい、これでもう身バレは決定的ですね。
だから日記の紛失には十分に気をつけて頂戴。
いいこと?
これは決してフリでもお約束でもありません。笑いなどいりませんから。
てか、少しも笑えないから。
くれぐれも失くさないよう。
……あなた、本当に失くしそうでマジ怖いわ。
【以降、"柿"こと藤原勝子改め嘉喜門院の不吉な予感通り、粗暴で不用心な西園寺伊呂波の紛失劇によって二人の交換日記はここに途絶える】
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