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本編

捕球

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 三塁側にはドリーム・レッズのオフィシャルジャージを着用している、どこにでもいそうな普通の家族――山田さん一家が既に出揃っていた。
 アナウンスによると、父、母、息子、娘、叔父、叔母という構成らしい。
 子供、小さすぎだろ。バット振れるのか?
 彼らはとても楽しそうでテンションが高かった。
 観客席にいる知り合いに手を振ったり、ビジョンに映る自分達にはしゃいだり、興奮しながらデジカメでハツメの姿を撮ったり……。真剣に素振りしている者など誰もいない。
 彼らにとってドリーム・チャレンジはアトラクション、ジェットコースターにでも乗る感覚で遊びに来ているようだ。
 僕にも少し分けて欲しい、その余裕。


 高らかにファンファーレが鳴った。
 いよいよ四日ぶり、僕にとっては初陣となるドリーム・チャレンジのスタートだ。

 選手紹介のアナウンス。

「キャッチャー タツヤ、コイズミ!」

 スタジアムビジョンにバンと映し出される僕の顔。
 うわ、写真映りイケてねえ! てか、いつの間に撮ったんだコレ? 
 何故か、予想以上の声援。
 記者会見が利いているのかな。
 スタンドにはかつての小泉辰信のユニフォームを掲げるマニアックな人もいる。
 彼以外にも、千手アスラズのレプリカ・ジャージを着用している人達が一際声援を送ってくれる。

 だけど、正直それは逆効果だ。
 今の僕にとって、小泉辰信の息子というレッテルは不名誉でしかない。
 引退後、晩年の小泉辰信は人間のクズだった。
 そのせいで今、僕はここにいる。

「ファーストベースマン ミヤビ、イチフジ!」

 僕以上の大歓声。
 そりゃ、認知度がこの一ヶ月ちょいで格段に上がったもんな。元アイドルだし。
 雅さんはファーストミットで顔を隠しつつ小走りで一塁へ向かう。
 これでもかと言わんばかりに巨乳が揺れている。
 あの巨乳を藤堂さんが……クソ!

「セカンドベースマン ショー、ニタカ!」

 黄色い声援が目立つ。
 DRのロゴ入りキャップを目深にかぶり、翔姉さんは恥ずかしそうにポジションへと散る。

「サードベースマン ユカリ、サンナスビ!」

 何だ? スタンドから一斉に何か飛んで来たぞ?
 よく見るとそれは魚肉ソーセージだった。すごい数だ。
 さすがに紫ちゃん本人はそれを拾わないが(スタッフが急いで回収)、そのお礼にと観客に投げキッスの嵐!
 キャラ立ってんなあ。この一ヶ月でファンのハート掴みまくりだな。

「ショートストップ サトー、サトー!」

 彼女にも大歓声。
 ただ、6はスタスタと歩いたままクールに移動。走れ!

 ここでまた照明が落ちる。

 いよいよサハラブドームの主役がマウンドに上がる。

「ピッチャー ハーツーメエエエエエエエェー!」

 レーザー光線の演出、バックスクリーンから数発の花火、スタンディングオベーションの観客に向かってグラブをはめた右手を振りながら、エースナンバーをつけたハツメが威風堂々とマウンドへ上がる。

 思わず鳥肌が立った……。

 カッコイイぜ。

 だけど……いや、だからこそオマエはやっぱり普通の女の子じゃいられないんだな。

 球審は1人だけ。

 藤堂さんによれば、この人が球団社長の田崎さんだ。今更だけど、挨拶しなくていいのかな。
 塁審のジャッジは田崎さんが兼務、もしくはVTR判定で済ませることになっている。

 投球練習はない。

 心臓の鼓動が3万人の歓声よりも大きく聞こえる。
 ここまでぶっつけ本番だと開き直るしかない。
 幸い、先頭バッターは安全パイの小さな男の子だった。
 レンタルのヘルメットが子供用でもブカブカだ。
 右バッターボックスに立つ彼に、バットを持つ右手と左手が逆なのを教えてから、ゆっくりしゃがみ込む。……さあ、来い!

 田崎さんがプレイボールを宣告すると、ハツメはいきなり大きく振りかぶった……って、まだ構えてないだろがッ! ミットを認識しないと投げられないんだろ?

 幸い、ハツメはモーションが大きい。唾をゴクリと呑み込んで、僕は慌てずミットをど真ん中に構える。

 目じゃない、耳だ。耳で捕れ。

 (――来ッ……うッ?)

 クソ!

 ブルペンの時より早めにミットを閉じたつもりだったが、それでもこぼしてしまった。

 僕がボールを前に弾いたことで、場内は当然のブーイング。
 はいはい、ハツメ様のボールをこぼしてすいませんね。次はしっかり捕ってみせますよ。

 結局、呆然と立ったままの男の子は3球ともスイングできなかった。見逃し三振。

 情けない。

 僕は3球ともキャッチングできなかった。
 見逃し三振でも振り逃げの対象となるので、僕は雅さんにボールを送った。
 雅さんが一塁ベースを踏む。……ああ、何てブサイクなワンアウト。
 ブーイングは一転、大歓声。
 勿論、それは快投を見せたハツメに向けられたもの。

 ハツメはニヤニヤしながら僕を見ている。
 畜生、次だ、次ッ!

 二番バッターはさっきより更に小さい女の子が右打席に入る。
 大丈夫なのか? 
 硬球だぞ。まともに当たったら死ぬけどいいのか?
 僕は外角ギリギリに構える。

 ……クソ、また落とした。

 と、そこで女の子が恐怖のあまり泣き出した。
 312キロはそれほどの威力があるし、球速の音もする。
 僕でも打席に立つのが怖いくらいだ。
 多分、女の子自ら「打ちたい」と懇願したんだろうがやはり無謀だった。
 事前に一番から六番まで打順を登録してるため、代打は出せない。
 号泣する女の子が母親の元へと帰っていく。打席放棄により、自動的にツーアウトとなる。

 ハツメの体力消耗を考えるとこれはこれでよかったが、僕はまだ1球もキャッチできてない。
 この状態で藤堂さんが控える三試合目に突入したくないな。

 三番バッターは彼らの父親だった。
 同じく右打席に入る。これで彼が出塁できなければ、残る3人は何もしないまま退場となる。
 相手が成人男性だし、次はママさんバレーチーム……ムチャはできない。
 ここで一度、ハツメのクロスファイヤーを試してみたい。

 ミットをインコース胸元に構える。
 クロスファイヤーは左投手が右バッターと対戦する時に有効な投球だ。
 しかも、ハツメはエグイまでのサイドアーム。多分、この1球で父親は腰砕けになるだろう。
 僕の示すミットの位置に口の端を上げるハツメ……OKが出た。
 プレートを踏むハツメの軸足が一塁側ギリギリに変わる。
 ミットとプレートの位置……より対角戦上にストレートを投げ込むためだが、これでクロスファイヤーはバレバレになる。

 けれども、この父親にそこまで読み取る余裕はない。
 問題は僕だ。
 次だ。次こそ絶対に捕ってやる!
 来い、ハツメ! ダテにここまでポロポロ落球してきたワケじゃない!
 紙一重のところまできている。
 目じゃない。耳でもなかった。その両方でもない。
 僕がハツメの投球フォームを吸収すれば、自ずとミットと白球は一つになれる。

 ワインドアップ、右脚上がる、トルネード、丸いおしりと背番号1と赤いサラサラ髪、蹴る軸足、やっと見える吸血左腕のロボットアーム……来いッ!


 パシィィィィィッ!


 きた……。

 いい音だ。やっとハツメにコレを出してやれたぞ。
 この感覚、このタイミングは二度と忘れない。
 ハツメの投球に応えなきゃ、どうやって僕はアイツを守るんだ?

 それにしても、ちょっと気の毒だったかな。

 父親はその凄まじい迫力にバッターボックスから飛び出してブッ倒れていた。
 彼は即座にデッドボールを予感しただろう。今まで体験した中でどんな絶叫マシーンよりも怖かったに違いない。勿論、投球はストライク。

 娘同様、父親も1球で棄権した。

 第一試合、ゲームセットだ。
 予定の半分ちょいしか投げずに試合を終わらせたハツメは何故か不満そう。

 一方、観客はハツメの圧巻な投球に酔いしれている。

 ビジョンは"312"から"DR WIN"に切り替わった。
 あっけない勝利だが、これで少し余裕ができた。

 次の対戦相手はこれまた打てる要素ゼロのママさんバレーチーム。
 参加することに意義があるかもしれないが、確かにハツメの言う通り物足りなさは否めない。

 インターバルは10分間。

 ハツメだって左腕以外は人間、休憩が必要だ。たまたまこの試合は5球で終わらせたけれど、むしろたった10分しか与えられていないのは酷な気もする。
 三塁側ではチャレンジに失敗した山田さん一家とママさんバレーチームが入れ替わり、僕達はいったんダッグアウトに下がる。

 雅さんや紫ちゃんが「ハツメ様、ナイスピッチング」と声をかける。
 しかし、ハツメはそれにニコリともしないで「オイ、ヘボキャッチャー」と僕を呼んだ。

「何だよ?」
「ポロポロポロポロ落としやがって。投げてて胸糞悪いんだよ」

 やっぱり、1球捕っただけじゃ許してくれないか。

「その通りだよな。すまなかった」

 非を認めた僕はヘルメットを外して頭を下げた。

「僕もピッチャーやってたからわかる。キャッチャーがうまく捕っていい音出してやらないと、気分よく投げられないもんな」

 ハツメは鼻で笑う。

「オマエの過去なんざ知らないよ。クズの分際でアタシと同レベルで物事を語るな」

 雅さんに手渡されたスポーツドリンクを一気に飲み干すと、ハツメは観衆も丸見えのダッグアウト前で故意に紙コップを捨てた。

「罰だ。拾え」

 憎々しげな顔で僕に命令する。
 そこまでするか?
 球場全体が一気に静まった。3万人が僕の次なる行動を見守っている。

 ここだよな。

 わかってる。僕は逃げない。オマエから。
 千手グループをバックに持つサハラブドームの主――ハツメは世間から絶対無敵の女帝キャラを認識されている。
 一方、期待された新戦力のヘボぶりに落胆と不満を抱える観客の大半は、その懲罰を当然と見做している。これもハツメを際立たせるパフォーマンスの一環と捉えているだろう。

「聞こえないのか? 拾えと言ってるんだ」

 6はどんな顔をしてるだろう。興味あるけど、ちょっと今は見る余裕がない。
 指示通りに僕がそれを拾うと、思った通り3万の観衆が沸いた。
 女帝のこの横暴を心から喜んでいる。
 こともあろうに、スタジアムビジョンは僕が紙コップを拾う屈辱的な瞬間をスロー再生で流している。球団職員含めて、コイツら全員ドSだな。
 ハツメは満足そうに大画面に見入っている。
 昨日までの迷いを断ち切り、再び機械の腕を我が物にした女帝。
 その赤いサラサラの隙だらけな耳出しヘアにそっと近づく。

「礼を言え」

 僕がそう囁くと、不意を突かれたハツメの顔が一瞬で凍りついた。
 観客には勿論、他のチームメートにも伝わらない2人だけのバトル。

「聞こえないのか? 拾ってやったんだ。礼くらい言えよ」
「……ッ!」

 ハツメは悔しそうに僕を睨んで、そのまま奥に下がっていった。
 雅さんが慌てて追う。

 ふう……。これを根気強く続けなきゃならないんだな。

 僕はハツメを千手の操り人形から人間に戻す。
 雅さんと翔姉さんと紫ちゃんがハツメとここで仲良く対等に暮らせるようになるまで……僕はアイツと真正面から向き合うと決めたんだ。

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