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本編
初陣
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スタンドにはドリーム・チャレンジを待たされた3万の大観衆で埋め尽くされていた。
ダッグアウトから顔を出し、その熱気に度肝を抜かれる。
観客席やVIPルームから見る景色とは全然違う。
こんな恵まれた環境で試合ができるなんて夢のようだけど、プレッシャーがハンパない。
誰もが経験するデビュー戦特有のものだと思いたい。
ハツメは早朝に戻って来たらしいが、まだその姿を見ていない。
大丈夫なんだろう。
同行していた翔姉さんは例によって無言なままだけど、澄ました顔で冷茶を飲んでいることから、ハツメもやがてここに来ると思われる。側近の雅さんもベンチにちょこんと座っていることだし。
だけども、僕の緊張は全くほぐれない。
ハツメの動かなくなった左腕も心配だし(ハツメと僕しかその事実を知らない)、僕自身、彼女の312キロを一度も捕球していないんだ。
デビュー戦なのに、ぶっつけ本番。これはキツイ。
間が持たない。
重く圧し掛かる沈黙に耐えきれずダッグアウトを離れ、そのまま長い廊下を歩いてロッカールームに戻ろうとした。
そこに6がいた。
あ、そういやダッグアウトにいなかったな。
6はドリーム・レッズのユニフォームに着替え終わり、ちょうど女子ロッカールームを出たところだった。
僕は反射的に目を逸らしてしまった。
「どこに行くの?」
とっさに「キミを呼びに行こうとしたんだ」と嘘をついた。
「ふうん」
6は疑いの眼差しで僕を見る。
「……で?」
「何だよ? 『で?』って」
「魅惑的なダンジョンに突入することを断念し泣く泣くパーティに別れを告げたわたしは、魔法の世界からリアルなステージに降りてきて今ここにいる。そして、”背番号6”の戦闘服に着替えたわたしはこれから戦場に赴くワケだけど、ひょっとして”背番号7”であるキミはそこに帰還するつもりはないのかな?」
何だ、この言い回しは?
「戻るよ。……たださ、僕でいいのかな、て」
「どういうこと?」
「僕じゃ、藤堂さんの代わりは務まらないってことさ」
「聞いて、タッちゃん」
「え……」
いきなり、6が僕の両方の二の腕をつかんで目を見据えた。
「ハツメは千手の操り人形だから、日常生活もグランドでも演じ続けることでしか生きていけないんだ。それはさ、ミヤビンやユカリンや翔といる時にも当てはまるんだよ。わたしにでさえ心を開いてくれない。……だけど、あの晩はどうだったの?」
「あの晩……」
「ハツメ、心を開いたんでしょ? 素のハツメになったんだよね? タッちゃん、言ったじゃない? あのコは普通の女の子だったって。そんなハツメの一面なんて誰一人として知らないんだ。タッちゃんしかいない。あのコの友達だと思っているわたしでさえもうダメなんだよ」
「……」
「キミがあのコを助けなかったら誰が助けられる? 藤堂さんの代わりじゃない? そんなのわかってるよ。タッちゃんはタッちゃんだから、それでいいじゃない。逃げるなんて最低だよ」
逃げないさ。
ただ、ちっぽけな自分に嫌気がさしただけだ。
*
「小泉辰弥」
「え……」
「明日から赤に変えろ。全部だ」
遅れてダッグアウトに来たハツメは、開口一番、僕の防具にダメ出しした。
何故だか今日に限って、みんなと同じようなホットパンツ……美脚が眩しい。思わず生唾をゴクリ……って、そうじゃない!
「赤のユニフォームに赤のミットと赤のプロテクターは投げにくい。そもそも、ミットは千手特製だ。そう簡単に代替品は手に入らない」
「では試合後、千手に手配させよう。……雅、そのようにな」
ハツメのタレた目が雅さんを捉える。
「待てよ」
雅さんが喋る前に僕が口を挟んだ。
「イカやタコの血だと思えば、オマエの脳ミソも納得してくれるんじゃないのか?」
意識的にあの晩に交わした言葉をチョイスしてみたが、ハツメの表情は変わらない。
「ひとまずはそれで勘弁してやる。今日も1試合9球……3試合27球で終わらせる。それ以上は投げない」
「……え、投球練習は?」
「聞こえなかったのか? 27球以上は投げない」
とことん、僕を追い詰めやがる。
「それまで小泉辰弥の左手が持つかが唯一の不安材料だがな」
「何球でもいいぜ。それより……」
ヤケ気味の僕は一転、声をひそめて左腕を見た。
「動くのか?」
「試していないが、大丈夫だ。雑念を振り払ったからな」
雑念……僕のことだな。
やっぱり、元の赤い悪魔に戻ったか。
6をチラッと見ると、彼女は退屈そうに耳の穴をほじっている。
知らないよ、もうキミの領域だから
……そうきたか。
「雅」
「はい?」
「今日の対戦相手をざっと教えろ」
「かしこまりました」
メモに目を落とす雅さん。
「一試合目は御家族と親戚の連合チーム、二試合目は婦人会のママさんバレーの集まりでございます。三試合目は涙雀商会様の野球部の皆様でございます」
「野球部……?」
ハツメはニヤリと笑った。
「期待できるのはソイツらだけか。誰でもいいが、少しはこのアタシを追い込んでほしいものだよ。ゆくゆくは現役のプロ野球選手やメジャーリーガーとの対戦も視野に入れないとな」
この様子だと、やはりハツメは藤堂さんが対戦相手にいることを知らない。
雅さんや他のメンバーも。メモには対戦相手の名前まで記されてないんだな。
場内アナウンスがグランド整備の終了を告げる。
結局、コンバート案は宙に飛んだままだ。
監督のハツメに提言するどころか会ったのが今の今だから、少なくとも今日は元の守備位置でやるしかない。
ダッグアウトから顔を出し、その熱気に度肝を抜かれる。
観客席やVIPルームから見る景色とは全然違う。
こんな恵まれた環境で試合ができるなんて夢のようだけど、プレッシャーがハンパない。
誰もが経験するデビュー戦特有のものだと思いたい。
ハツメは早朝に戻って来たらしいが、まだその姿を見ていない。
大丈夫なんだろう。
同行していた翔姉さんは例によって無言なままだけど、澄ました顔で冷茶を飲んでいることから、ハツメもやがてここに来ると思われる。側近の雅さんもベンチにちょこんと座っていることだし。
だけども、僕の緊張は全くほぐれない。
ハツメの動かなくなった左腕も心配だし(ハツメと僕しかその事実を知らない)、僕自身、彼女の312キロを一度も捕球していないんだ。
デビュー戦なのに、ぶっつけ本番。これはキツイ。
間が持たない。
重く圧し掛かる沈黙に耐えきれずダッグアウトを離れ、そのまま長い廊下を歩いてロッカールームに戻ろうとした。
そこに6がいた。
あ、そういやダッグアウトにいなかったな。
6はドリーム・レッズのユニフォームに着替え終わり、ちょうど女子ロッカールームを出たところだった。
僕は反射的に目を逸らしてしまった。
「どこに行くの?」
とっさに「キミを呼びに行こうとしたんだ」と嘘をついた。
「ふうん」
6は疑いの眼差しで僕を見る。
「……で?」
「何だよ? 『で?』って」
「魅惑的なダンジョンに突入することを断念し泣く泣くパーティに別れを告げたわたしは、魔法の世界からリアルなステージに降りてきて今ここにいる。そして、”背番号6”の戦闘服に着替えたわたしはこれから戦場に赴くワケだけど、ひょっとして”背番号7”であるキミはそこに帰還するつもりはないのかな?」
何だ、この言い回しは?
「戻るよ。……たださ、僕でいいのかな、て」
「どういうこと?」
「僕じゃ、藤堂さんの代わりは務まらないってことさ」
「聞いて、タッちゃん」
「え……」
いきなり、6が僕の両方の二の腕をつかんで目を見据えた。
「ハツメは千手の操り人形だから、日常生活もグランドでも演じ続けることでしか生きていけないんだ。それはさ、ミヤビンやユカリンや翔といる時にも当てはまるんだよ。わたしにでさえ心を開いてくれない。……だけど、あの晩はどうだったの?」
「あの晩……」
「ハツメ、心を開いたんでしょ? 素のハツメになったんだよね? タッちゃん、言ったじゃない? あのコは普通の女の子だったって。そんなハツメの一面なんて誰一人として知らないんだ。タッちゃんしかいない。あのコの友達だと思っているわたしでさえもうダメなんだよ」
「……」
「キミがあのコを助けなかったら誰が助けられる? 藤堂さんの代わりじゃない? そんなのわかってるよ。タッちゃんはタッちゃんだから、それでいいじゃない。逃げるなんて最低だよ」
逃げないさ。
ただ、ちっぽけな自分に嫌気がさしただけだ。
*
「小泉辰弥」
「え……」
「明日から赤に変えろ。全部だ」
遅れてダッグアウトに来たハツメは、開口一番、僕の防具にダメ出しした。
何故だか今日に限って、みんなと同じようなホットパンツ……美脚が眩しい。思わず生唾をゴクリ……って、そうじゃない!
「赤のユニフォームに赤のミットと赤のプロテクターは投げにくい。そもそも、ミットは千手特製だ。そう簡単に代替品は手に入らない」
「では試合後、千手に手配させよう。……雅、そのようにな」
ハツメのタレた目が雅さんを捉える。
「待てよ」
雅さんが喋る前に僕が口を挟んだ。
「イカやタコの血だと思えば、オマエの脳ミソも納得してくれるんじゃないのか?」
意識的にあの晩に交わした言葉をチョイスしてみたが、ハツメの表情は変わらない。
「ひとまずはそれで勘弁してやる。今日も1試合9球……3試合27球で終わらせる。それ以上は投げない」
「……え、投球練習は?」
「聞こえなかったのか? 27球以上は投げない」
とことん、僕を追い詰めやがる。
「それまで小泉辰弥の左手が持つかが唯一の不安材料だがな」
「何球でもいいぜ。それより……」
ヤケ気味の僕は一転、声をひそめて左腕を見た。
「動くのか?」
「試していないが、大丈夫だ。雑念を振り払ったからな」
雑念……僕のことだな。
やっぱり、元の赤い悪魔に戻ったか。
6をチラッと見ると、彼女は退屈そうに耳の穴をほじっている。
知らないよ、もうキミの領域だから
……そうきたか。
「雅」
「はい?」
「今日の対戦相手をざっと教えろ」
「かしこまりました」
メモに目を落とす雅さん。
「一試合目は御家族と親戚の連合チーム、二試合目は婦人会のママさんバレーの集まりでございます。三試合目は涙雀商会様の野球部の皆様でございます」
「野球部……?」
ハツメはニヤリと笑った。
「期待できるのはソイツらだけか。誰でもいいが、少しはこのアタシを追い込んでほしいものだよ。ゆくゆくは現役のプロ野球選手やメジャーリーガーとの対戦も視野に入れないとな」
この様子だと、やはりハツメは藤堂さんが対戦相手にいることを知らない。
雅さんや他のメンバーも。メモには対戦相手の名前まで記されてないんだな。
場内アナウンスがグランド整備の終了を告げる。
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