糸を読むひと

井川林檎

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序・梟荘に住むことになった経緯など

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 なるほど、この一軒家は一人暮らしをするには広すぎるかもしれない。はじめてこの家を見た時、そう思った。

 まだ肌寒い初春、わたしは母から預かった鍵を手に、梟荘を訪れた。これからここに住むのだと思ったら、築20年の平屋建てが妙にとっつきにくく見えた。
 梟荘は平屋のくせに、やたら広かった。
 庭はきちんと手入れされていて、庭木は未だに雪囲いされていたし、ところどころ欠けている石塀も修繕の跡が見られた。門には「けやき」と表札が出ていて、わたしは余計に緊張したものである。

 ここは、よそのうちだ。
 梟荘に住むようになってから二か月が経ち、さすがに緊張も解け、ここは自分の住処だと思えるようになってきた。けれど、やっぱりここは自分の「うち」ではない。

 わたしの「うち」は、あの狭い木造アパートの一階であり、たった二間しかなくて、冬は給湯器が凍り、夏は変な虫がはびこる、不便で汚いあの部屋なのだ。
 広い梟荘に住むようになった今、よくまああんな場所で母と二人で生活で来ていたと思う。けれど、長年あそこにいたせいで、今でもふっと、大学やバイトから変える時、あのアパートの方に足が向きかけることがある。

 とっくにあの部屋は解約してしまったし、このあいだ何となく見に行ったら、既に誰か入居しているみたいだったから、もう二度と住むことはないのだけど。
 だけど未だにわたしの中では、あの汚い部屋が「うち」なのだった。
 小さい頃から母と二人で食べて寝てお風呂に入ってきた、縁のある場所なのだ。

 そりゃあ、たかが賃貸だし、一生ここに住み続けるわけがないと判ってはいたけれど、とにかく突然いろいろなことがありすぎた。
 あの素っ頓狂で自分勝手な母から聞かされた時は、既にすべてが決まってしまっていて、わたしの希望や意見が入る余地は一切なかった。
 
 よく事情がわからないうちに、わたしは一週間後に梟荘に移り、そこで一人暮らしをしている、おかしな従妹の面倒を見ながら大学に通うことに決定していた。
 母はというと、その話をわたしに告げた翌日に、ナントカいう南の島の霊験あらかたなパワースポットに向けて旅立つことになっていた。

 南の島は、ものすごくコアな場所で、スピリチュアルな商売をしている人たちの間では有名らしいけれど、我々一般人にとっては、トンと馴染みのない名前だった。母からはきちんと島の名前を告げられたけれど、あんまりにも激昂していたわたしは、ヘンテコな島の名前なんか聞いた瞬間に忘れてしまい、勝手になんでも決められたことで怒りまくっていて、この際母子の縁を切ることまで考えていたのだった。
 
 「だって仕方がないじゃない。そうするべきなんだもの」
 というのが、母の言い訳である。
 なにがそうするべきなのか、まるで分からないし、最早、分かりたいとも思わなかった。
 もうアパートは解約する手続きをしたし、家財道具は売るなり捨てるなり、ゆめちゃんの好きにしていいから、とにかく一週間のあいだに全部始末して、梟荘に移ってちょうだいね。
 ……というのが、母からの指示だった。

 いいじゃないの、大学に近い場所に移るんだし、なによりあの家は広くて立派で、ゆめちゃんの部屋だってちゃんとある。お金はこの銀行口座のものを使って良いし、ゆめちゃんが無駄遣いしないケチな子だってのは母さんが一番よく知っているから、その点は心配していません。
 
 勝手なことを好きなだけ並べて、「明日早いからおやすみ」と言って、母は寝てしまった。
 酷いことに、翌朝わたしが目覚めた時、すでに母は旅立っていた。

 きちんと畳まれて壁に寄せられた布団を、寝起きでぼんやりしながら眺めた。母は自分の荷物だけ、ちゃっかり片づけてしまっていた。「自分の事は自分でしなさい」というのが、確かに母の口癖だったけれど、これはあんまりにも酷いのではないか。
 
 (その変な南の島で怪死したとしても、もう知らん)
 かんかんになりながら、とりあえずアパートの大家さんに連絡を取り、いつまでこの部屋にいることができるのか正確な日時を確かめた。幸いなことに、お金関係は、母はちゃんとしていた。ガスや電気や水道の契約についても、事前に母から業者に話が行っていたので、その点で面倒はなかった。
 
 狭い部屋には、二十年分の色々なものが詰め込まれていた。
 小学校時代からの古い教科書やら辞典、もう着られなくなった衣類までも押し込められていたので、この際全部処分することにした。仕分けするのも面倒だったし、退去の日も迫っていたので、なんでもかんでも捨ててしまって、アパートを出るその日、わたしの荷物はスポーツバッグひとつに納まるくらいしか、なかった。

 実に身軽になって、寒々しくがらんとした部屋を出て、立ち合いにきてくれた大家のおばあさんに鍵を返して頭を下げた。さすがにその時は涙が出たものだ。

 「あんたも大変だねえ。元気でやるんだよ」

 大家さんは、捨て猫でも見るような目でわたしを眺め、よほど可哀そうに思ってくれたのか、古びたコートのポケットからスコンブを引っ張り出して、箱ごとわたしにくれた。
 既に封が開いたスコンブの小さい箱一個が、わたしに贈られた餞別だったわけだ。

 (いっそ清々しい)
 負け惜しみのようにわたしは思い、大学の授業で必要なテキストと、二、三回分の着替えしか入っていないバッグをかついで、スコンブを噛みしめながら、新生活に足を踏み入れたのだった。

**

 梟荘は、母の妹、つまり叔母さんの家である。「けやき」姓は母の旧姓だ。ちなみに母はシングルマザーであるが、なぜか「けやき」姓には戻らなかった。
 「だって、字画が悪くて」
 というのが母の弁である。母はそこそこ有名な占い師だ。占いに従って改名した名字が「糸出」という。
 
 わたしの名前は、糸出ゆめ。
 母に言わせれば、ものすごく強運な名前だというが、今の所、実感したことはない。20年生きて、そんなに良い思いをしたことがなかった。
 現に今、こんな奇特な状況に陥っている。
 住み慣れた場所を、ある日問答無用で追い出され、母も、よくわからない理由でいきなり国外に出奔して、いつ戻って来るやら全く分からない。大学に通い続けることは許されている。住む場所と食べ物には困っていない。
 非常に半端な不運状況だと、我ながら思う。

 この梟荘には、毎月僅かなお金で住まわせていただくことになっているが、条件として、従妹の「いとちゃん」の面倒を見ることになっていた。
 いとちゃんは、叔母さんの娘だけど、どうにも手が付けられないほどの変わり者で家族と一緒に住むことができず、この一軒家に一人で引きこもっていた。五年くらい前から、いとちゃんは一人で梟荘に住んでいるらしいけれど、去年あたりから一切の連絡を遮断し、叔母さんや姉妹たちが心配して訪れても居留守を使うようになったという。
 毎日通い詰めた叔母さんが、ある日なんとかやっと玄関ごしでいとちゃんと会話できた時、いとちゃんは 「今は誰とも関わりたくないけれど、ゆめちゃんなら大丈夫」と、叔母さんに言ったらしい。
 それで、以前から叔母さんと母の間で、こっそりと、「いとちゃんのお目付け役」として、わたしに白羽の矢が立っていたらしい。

 実はわたしは、いとちゃんと親しいわけではなかった。
 というか、ほとんど遊んだことがない。まだ子供の頃、ばあちゃんの葬式の時、顔を合わせた程度だ。
 なので、名前すら忘れていたのだけど、いとちゃんのほうはしっかりと、わたしのことを覚えていたらしい。

 話を聞く限り、すごく変な人らしい、いとちゃん。

 だけどわたしは、変な人耐性がついていた。これ以上ない程変な母と一緒に生きてきたのだし、もはやあれ以上変な人などいるわけがないと思っていた。
 なので、いとちゃんと同居すること自体、それほど不安ではなかった。

 (お目付け役といったって、いとちゃんだってもう子供じゃないんだし、ごはんや掃除洗濯の世話を見てやればいいだけなんだろうな)
 と、たかをくくっていたのだ、わたしは。

 確かにいとちゃんとの同居生活は、そんなに苦ではなかった。
 というか、同居しているという感じがほぼなかった。
 なにしろ、いとちゃんは部屋にこもりきりで、滅多に出てこなかった。ごはんを作ったら、ラップをしてテーブルに置いておく。そうしたら、翌朝起きて来たら、きれいに食べられていて、あとは洗うだけになっている。
 洗濯物にしてもそうだ。夜の間に洗濯籠に放り込まれている。
 (パンツくらい自分で洗え)
 とは思ったけれど、まあ女同士だし、そのうちどうでも良くなった。

 夜行性のいとちゃんと、普通に起きて学校に行ってバイトして帰ってくるわたしは、ほぼ二か月、顔を合わせないままだった。会話らしい会話をしたのは、始めて梟荘に来たその日だけだったと思う。しかも、部屋のドアごしだったので、顔すら見ないまま二か月が過ぎたわけだ。

 よく考えてみれば凄い状況だけど、わたしはすんなり受け入れてしまった。
 
 (まあ、世の中、いろいろな人がいる)

 奇妙なことだけど、顔すら見ないいとちゃんのことを、別に嫌いではなかったみたいである、わたしは。
 虫が好く、嫌うというのは、もしかしたら顔を合わせて喋る前から、なんとなく決定してしまうものなのかもしれない。

 叔母さんはわたしがいとちゃんと暮らすようになったことで安心したらしく、週に一度くらい電話をくれるだけで、ほぼ梟荘に現れなくなった。

 「いつもお世話になっています」
 と、安く住まわせていただいているわたしが言うと、叔母さんは
 「とんでもない、こちらこそ助かっています」
 と、泣きそうな声で言うのだった。
 
 「いとが嫌がるので、ほとんどそちらには行きませんが、必要なものがあったら何でも言ってください。届けます」
 叔母さんは言った。

 すごく良いお母さんだと思うのに、いとちゃんは一体何が嫌で、いきなりヒキコモリになったんだろうかと、わたしはつくづく不思議に思った。

 (天岩戸のようだ)
 いとちゃん。

 なにかきっかけがあったのに違いない。
 ここまで頑固に引きこもっているのだ、よっぽどのことだ。
 
 (まあ、無理やり引っ張り出しても仕方があるまい)

 毎日、いとちゃんの部屋の前を通る度に、わたしはそう考えた。
 しいんと静まり返った扉は、中の気配を完全に遮断している。ここから先はアンタッチャブル、立ち入り禁止ゾーンなのだ。無理に扉をノックして話しかけたり、出てきて一緒にごはんを食べようなどと言ったり、わたしはしようとも思わなかった。


 梟荘での生活がいつまで続くものやら分からない。
 いとちゃんが引きこもっている限り、お目付け役の仕事は延々と続くのだろうし、あの変な母親が南の島から真っすぐに日本に帰って来るとも思えず、これからどうなるか見当もつかなかった。
 もしかしたら、おなじ家に住んでいながら、一生いとちゃんと顔を合わせることもないのかもしれないとさえ思っていた。


 そんなある日、唐突にそれは起きた。
 朝起きて、ぼうっとしながら廊下を歩いていたら、トイレの水音が聞こえて来た。
 あれっと思っていたら、ものすごい寝癖をつけたジャージ姿の女の子が、トイレから出てきてわたしを見て、「おはよう」と言ったのだった。
 どう考えてもその子はいとちゃんであり、まさにその時はじめて、わたしはいとちゃんと対面したのだった。

 
 「おはよう。今日は朝からカレーライスを食べなくてはいけない。早速今から作って」

 と、いとちゃんはいきなり言った。
 カレーライス。朝から。
 よれよれTシャツと短パン姿で、わたしはボケーと立っていた。

 いとちゃんの目は澄んでいる。もういちど、いとちゃんは言った。

 「あのね、糸が絡まり始めたんだよ」
 
 糸が絡まり始めた。
 確かに、そう聞こえた。

 糸やらカレーやら、なんのことかさっぱり分からなかったし、正気の沙汰ではなかったけれど、やっぱりわたしは「まあ、そういうこともあるかもしれない」と受け入れ、朝っぱらからカレーを作ったのだった。
 (変人の母を持つと、何でもかんでも受け入れてしまうようになる……)
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