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第一話 切腹って痛いんだろうなあ
二之一
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仏間から戻った拓之進が入ってくると、五郎は彼の前に座るようにうながした。
二人が顔をあわせているのは、井ノ瀬家の奥座敷だ。父の勘三郎が来客をもてなすときによく使っており、春になると梅の香りが漂ってきて、その心地よさを父は気にいっていた。五郎が使うのははじめてのことだ。
一礼して拓之進は腰を下ろしたが、そのふるまいには、無駄がなく、美しささえ感じさせた。
「どうだった」
「師匠の思いを伝えられて、よかったです。ありがとうございました」
たどたどしい口調だ。こういう癖なのだろうか。
「いや、父上を知っている者が来てくれてよかった。喜んでいると思う」
「そうだと、うれしいです」
「若く見えるが、いくつだ」
「一九才です」
同い年か。意外だ。
「父上のこと、どこで知った」
「師匠の知己でした。昔、京で剣を交えたようで。お互いに認め合うところがあり、しばらく師匠の家に留まって、研鑽したようです。相当に腕のたつ方と聞かされていました」
「そうか。父上は若い頃、剣術を極めるため、諸国を旅していたらしい。その時に会ったのだろうな」
子供の頃、何度か旅の話を聞かせてもらった。雄大な阿蘇山や荒々しい北の海の描写を聞いて、興奮したのをおぼえている。
「文のやりとりは、最近までつづいていたようです。師匠は二年前に亡くなったのですが、最後に井ノ瀬様に私の身柄を預けると、約束してくれていたようです。最近になって、そのことがわかって、あわてて江戸に出て来たのです。まさか亡くなっていようとは思いもよりませんでした」
「そんな話があったのか」
「聞かされていませんか」
「いや、まったく」
二年前なら、父も元気だった。文が来ていたのなら、なぜ話をしなかったのか。
「困りました」
拓之進は身体をひねった。全身で困ったと表現している。まるで子供のようなふるまいで、侍らしいとは言えない。どこかおかしい。
「このままだと、私は行き場所がなくなってしまいます」
「どういうことだ」
「私は大和から来ました。ちょっと奥まったところです。江戸に出てくるのにあたって、家は取り壊してしまいましたので、もう戻れません」
「無茶をする。江戸に、頼れる者はいないのか」
「いません。両親は物心つく前に死にました。親戚もおりません。師匠が死んでからは、私、一人ぼっちです」
「俺と同じだな」
五郎は母が五歳の時に亡くなり、その後、彼を育ててくれた父も半年前に死んだ。親戚筋はいるが、付き合いはない。
実家がしっかりしている連中が、心の底からうらやましい。
「そういうことなら助けてやりたいが、あいにく、こちらも手一杯でな。申し訳ないが、自力で何とかしてくれ」
拓之進は、しばらく間をあけてから応じた。
「少しの間、ここに置いていただけませんか。住処が見つかれば、出て行きますので」
「駄目だ。今すぐ出て行ってくれ」
「おう。なぜですか」
「なぜでもだ。とにかく置いておくことはできん」
日が暮れる前には、腹をかっさばいて死にたい。人を置くことなどできない。
「わかりました。仕方ないですね」
「すまないな」
「でしたら、私は道場に泊まります。立派な建物がありましたよね。あそこを使わせていただきます」
拓之進は座敷を出ると、道場に向かった。
「待て。勝手なことをするな」
遠縁に出たところで、拓之進の前に出て、行く手を防ぐ。
いけない。絶対に、あそこを見せるわけにはいかない。
「泊めるわけにはいかぬ」
「大丈夫です。雨風さえしのげればいいので」
「そういうことではない」
五郎は拓之進の肩に手を伸ばしたが、どういう【理由/わけ】かつかめず、気づいた時にはするりと横を抜けられていた。
よろめいてしまったこともあり、後を追うまでには時間がかかった。
勘三郎が作った道場は、井ノ瀬家の敷地にある。稽古場のほかには、休憩に使っていた三畳の座敷があるだけだったが、きちんと設備は整っていて、勘三郎が生きていた時には、多くの弟子が通って、稽古していた。
だが、今は……。
あわてて五郎が後を追うと、いつまにか拓之進は道場に入っていた。しばし稽古場に入ったところで、立ち尽くしていた。
「おう。これは……」
「見るな。出て行け」
「どうして、こんなに荒らされているんですか。いったい、何があったんですか」
稽古場はひどく荒らされていた。木刀は無惨にへし折られて床に転がり、掛け軸は破られて壊された格子に引っ掛けられていた。床の間には、汚物がまき散らされて、ひどい匂いを放っていたし、片隅に積んである稽古着は無惨に切り裂かれて、単なる布の山になっていた。
かつての美しさはない。あるのは屑の山だ。
「いいだろう。放っておけよ」
「できません」
意外なほど強い口調で、拓之進は語った。
「師匠が世話になった家が荒らされているのです。見て見ぬふりなどしたら。信義にもとります」
生前、父の勘三郎は信義にもとるふるまいはするなと、強く言っていた。貧乏でも役目につけなくても、己の道を正しくつらぬいてこそ侍であると。その言葉は、五郎の胸に深く刻み込まれている。いい意味でも悪い意味でも。
「何があったのですか。教えてください」
正面から見つめられて、五郎は屈した。
「道場破りをされたんだよ。質の悪い旗本に」
二人が顔をあわせているのは、井ノ瀬家の奥座敷だ。父の勘三郎が来客をもてなすときによく使っており、春になると梅の香りが漂ってきて、その心地よさを父は気にいっていた。五郎が使うのははじめてのことだ。
一礼して拓之進は腰を下ろしたが、そのふるまいには、無駄がなく、美しささえ感じさせた。
「どうだった」
「師匠の思いを伝えられて、よかったです。ありがとうございました」
たどたどしい口調だ。こういう癖なのだろうか。
「いや、父上を知っている者が来てくれてよかった。喜んでいると思う」
「そうだと、うれしいです」
「若く見えるが、いくつだ」
「一九才です」
同い年か。意外だ。
「父上のこと、どこで知った」
「師匠の知己でした。昔、京で剣を交えたようで。お互いに認め合うところがあり、しばらく師匠の家に留まって、研鑽したようです。相当に腕のたつ方と聞かされていました」
「そうか。父上は若い頃、剣術を極めるため、諸国を旅していたらしい。その時に会ったのだろうな」
子供の頃、何度か旅の話を聞かせてもらった。雄大な阿蘇山や荒々しい北の海の描写を聞いて、興奮したのをおぼえている。
「文のやりとりは、最近までつづいていたようです。師匠は二年前に亡くなったのですが、最後に井ノ瀬様に私の身柄を預けると、約束してくれていたようです。最近になって、そのことがわかって、あわてて江戸に出て来たのです。まさか亡くなっていようとは思いもよりませんでした」
「そんな話があったのか」
「聞かされていませんか」
「いや、まったく」
二年前なら、父も元気だった。文が来ていたのなら、なぜ話をしなかったのか。
「困りました」
拓之進は身体をひねった。全身で困ったと表現している。まるで子供のようなふるまいで、侍らしいとは言えない。どこかおかしい。
「このままだと、私は行き場所がなくなってしまいます」
「どういうことだ」
「私は大和から来ました。ちょっと奥まったところです。江戸に出てくるのにあたって、家は取り壊してしまいましたので、もう戻れません」
「無茶をする。江戸に、頼れる者はいないのか」
「いません。両親は物心つく前に死にました。親戚もおりません。師匠が死んでからは、私、一人ぼっちです」
「俺と同じだな」
五郎は母が五歳の時に亡くなり、その後、彼を育ててくれた父も半年前に死んだ。親戚筋はいるが、付き合いはない。
実家がしっかりしている連中が、心の底からうらやましい。
「そういうことなら助けてやりたいが、あいにく、こちらも手一杯でな。申し訳ないが、自力で何とかしてくれ」
拓之進は、しばらく間をあけてから応じた。
「少しの間、ここに置いていただけませんか。住処が見つかれば、出て行きますので」
「駄目だ。今すぐ出て行ってくれ」
「おう。なぜですか」
「なぜでもだ。とにかく置いておくことはできん」
日が暮れる前には、腹をかっさばいて死にたい。人を置くことなどできない。
「わかりました。仕方ないですね」
「すまないな」
「でしたら、私は道場に泊まります。立派な建物がありましたよね。あそこを使わせていただきます」
拓之進は座敷を出ると、道場に向かった。
「待て。勝手なことをするな」
遠縁に出たところで、拓之進の前に出て、行く手を防ぐ。
いけない。絶対に、あそこを見せるわけにはいかない。
「泊めるわけにはいかぬ」
「大丈夫です。雨風さえしのげればいいので」
「そういうことではない」
五郎は拓之進の肩に手を伸ばしたが、どういう【理由/わけ】かつかめず、気づいた時にはするりと横を抜けられていた。
よろめいてしまったこともあり、後を追うまでには時間がかかった。
勘三郎が作った道場は、井ノ瀬家の敷地にある。稽古場のほかには、休憩に使っていた三畳の座敷があるだけだったが、きちんと設備は整っていて、勘三郎が生きていた時には、多くの弟子が通って、稽古していた。
だが、今は……。
あわてて五郎が後を追うと、いつまにか拓之進は道場に入っていた。しばし稽古場に入ったところで、立ち尽くしていた。
「おう。これは……」
「見るな。出て行け」
「どうして、こんなに荒らされているんですか。いったい、何があったんですか」
稽古場はひどく荒らされていた。木刀は無惨にへし折られて床に転がり、掛け軸は破られて壊された格子に引っ掛けられていた。床の間には、汚物がまき散らされて、ひどい匂いを放っていたし、片隅に積んである稽古着は無惨に切り裂かれて、単なる布の山になっていた。
かつての美しさはない。あるのは屑の山だ。
「いいだろう。放っておけよ」
「できません」
意外なほど強い口調で、拓之進は語った。
「師匠が世話になった家が荒らされているのです。見て見ぬふりなどしたら。信義にもとります」
生前、父の勘三郎は信義にもとるふるまいはするなと、強く言っていた。貧乏でも役目につけなくても、己の道を正しくつらぬいてこそ侍であると。その言葉は、五郎の胸に深く刻み込まれている。いい意味でも悪い意味でも。
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